幸福偏執雑記帳

あざらしこと青波零也のメモ的なものです。

No.58

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●appendix / inverted

 談話室で新聞を眺めていると、扉が開く音がした。
 そちらを見れば、見慣れた金髪の男、アーサー・パーシングが半眼気味の目を向けてきた。
「今日は一人ですか、ジーン」
「ああ。訓練が終わったから、休憩してたところだ。何か?」
「いーや、別に何もねーから来ただけっすよ。茶ぁ飲みます? ついでに淹れますよ」
「では、頼む」
 それからしばらくして、アーサーは銀盆の上に二人分のティーカップと、紅茶の入ったポット、それにミルクピッチャーを載せて戻ってきた。ミルクを先にカップに注ぐのがアーサーの流儀らしいが、私は正直どちらでも構わないと思っている。
 使い古されたカップには、我々がずぼらなせいもあるのだろうが、すっかり茶渋が染み付いている。うち、いくつかはどこぞの誰かが割ってしまっていて、カップとソーサーの数が合わなくなっていたりするが、それも含めて、懐かしさと微かな胸の痛みを感じるのだった。
 自分好みに紅茶を注いだアーサーは、私の手にしている新聞を一目見て、む、と小さく唸った。
「まーた、例の殺人事件ですか?」
「何だ、アーサーが知らなかったのは珍しいな」
「オレ、昨日は傷心でそれどころじゃなかったんですって……。あー……、もう誰でもいいからオレに優しくしてほしい……」
 また女に振られたのか。何年同じことを繰り返しているのかわからないが、そろそろアーサーは自分が女――に限らず、特定の誰かと恋愛という形で付き合うことに向いていないと気づくべきなのではないだろうか。私が言えたことではないので、言葉にはしないことにしているが。
 己の紅茶を確保したアーサーがちょいと人差し指で新聞を指してみせたので、私はアーサーに新聞と交換する形でカップとソーサーを受け取る。アーサーの好みはミルク多めで甘さは控えめ。それに対して、ミルクも甘さも控えめなのが私の好みだ。どこまでも正確に私の好みに合わせられた紅茶に口をつけつつ、アーサーは長椅子に腰掛けて足を組み、新聞を広げるのを横目で見やる。
 それもまた、いつもと何一つ変わらないアーサーの姿勢ではあるが、それと同時に不思議な既視感があった。同じような光景を、私は確かに知っている。ただ、今と違うのは、アーサーの横に鮮やかな色の髪を揺らして笑う男がいたということ。それから。
「死体が発見されたのは昨日の明け方、ですか」
 過去の色あせつつある一幕から、私の意識を現在へと引き戻すアーサーの声。小さく頷きを返し、もう一口、紅茶で喉を湿してから私が把握しているだけの情報を反芻する。
「今回も以前の事件同様に、両手足と喉、それから頭を潰されていたそうだ」
「これで四件目。いやー、相変わらず首都警察は無能なこって」
 アーサーはふんと鼻を鳴らして、片手に紅茶のカップを手にしながら、テーブルの上に広げた紙面に視線を走らせる。
「犯人の手がかりはなし、被害者に明白な関連性も見当たらない、と。強いて言えば、被害者は全員が五十代以上の、それなりにいい暮らしをしてた連中ってことくらいですかね」
「ただ、報道を信じる限り、金銭目当ての犯行でないらしい。被害者からは何一つ、所持品は奪われていなかったそうだ」
「奪われたものは命だけ、と。それにしたって、悪趣味な事件ですけどね」
 とん、と。アーサーの指先が新聞の一点、被害者の殺害状況を指す。
「ただ殺されてるだけじゃあなくて、わざわざ手足と喉と頭が潰されてるんでしょう? しかも、手足を潰されてから喉を潰されて、その後頭蓋を割られてるってとこまでわかってる。つまり、被害者は痛みや失血で意識を失ってさえいなければ、一つ一つ、自分の手足が奪われていくのを見せ付けられた挙句に、悲鳴を奪われて、それから頭を潰されて殺されたってことですよね。正気の沙汰じゃない」
「どういう殺害手段であれ、殺人者が正気であるとは思えないがな」
 アーサーは「ははっ」と笑い声を漏らし、紅茶を一口飲み下してから私を見据えてくる。魄霧汚染による褪色が始まっている、過去の記憶よりも遥かに淡く煙る青い瞳で。
「じゃ、オレら霧航士(ミストノート)も正気じゃないってことっすよね」
「当然だ。我々はとうに女神の戒律を破っている罪人だ。正気であるはずがない」
 返事をする代わりに、アーサーはどこか皮肉げな笑みと共に軽く肩を竦めてみせた。それでも明確な反論が無い以上は、私の言わんとしているところを理解はしてくれたのだろう。何せ、同期の中でも私とアーサーは思想の面では最もかけ離れた位置にいる。故に、私とアーサーが同じ考えを辿ることはありえないが、それでも、こと我々の立ち位置について言うなら、辿りつく結論だけは同じだと思っている。
 我々は霧航士で、つまり殺戮者だ。今までは戦争という大義名分を掲げてきたが、戦争が終われば己の罪と向き合うことになるだろう。
 そして、その日は決して遠くはない。
 アーサーはその日が来た時、果たして何を思うのだろうか。そんな思いをめぐらせながら、口はほとんど無意識に言葉を紡いでいた。
「……なあ、アーサー」
「何すか、リーダー?」
「随分前にも、こんな風に話をしたな。新聞に載っていた連続殺人の話を」
「ああ、あの、結局迷宮入りしちまった事件ですよね。あれは、未だにオレももやっとしてるんですよねー」
 言われてみれば、そうだった気がする。殺人を実行に移した犯人は捕まったが、結局、死体から奪われた脳を「買った」人間は見つからなかった。私はその後の話を聞いていないし、アーサーもそれ以上を知らない以上は本当に迷宮入りしたのだろう。
 かつてこの場で語られた話の中に、真実の一端は混ざりこんでいただろうか。どうしようもなく不謹慎で悪趣味な素人推理でしかなくて、おそらくその大半は妄想でしかなかったのだろうけれど、つい、記憶の糸を手繰り寄せずにはいられない。
 思い出されるのは青く染まった、煙草を手挟む指先。立ち込める煙草の香り。そして、二度とこの場に戻ることはない声。私は、誰かのような絶対の記憶力を持つわけではないから、それらをもはや霞んだ断章のようにしか思い出せずにいるけれど。
「あの時みたいに、推理ゲームでもしてみるか?」
「はっ、ジーンの方から切り出されるとは思いませんでしたよ。不謹慎だとは思わないんです?」
「不謹慎は今更だろう。……本当に、今更だ」
 アーサーは「そうですね」と認めてくいっと一気に紅茶を飲み干し、カップをいささか乱暴にソーサーの上に投げ出す。それから、元より下がり気味の眉を更に下げて苦笑いを浮かべてみせる。
「でも、オレら二人きりで推理したって楽しかねーですよ。人の話をろくに聞かねー鳥頭も、神出鬼没の白ゴキブリも、とぼけた天才様もいねーんですから」
「それもそうだな」
 もはや時計台に残っている第二世代霧航士は私とアーサーだけだ。
 トレヴァー・トラヴァースは交戦中に乗機『ロビン・グッドフェロー』と共に消息を絶った。とはいえ、彼と彼の乗機の真価は「隠密」ということもあって、霧航士たちの間では「あのゴキブリが死んだとは思えない」と言われている。
 しかし、特に深い理由もないものの、私は彼が死んだと確信している。最低でも、二度と彼を目にすることはないのだろうと思っている。
 また、ゲイル・ウインドワードも同時期の「決戦」で重傷を負い、療養のために乗機『エアリエル』と共に、西の果て、サードカーテン基地に転属した。おそらく、身体以上に精神が限界を訴えていたのだろう。私が時計台で最後に目にしたゲイルは、己を「英雄」と賞賛する声を聞きながら、今にも霧の海に飛び込みそうな顔をしていたから――せめて、静かな辺境の地で彼の心が少しでも癒えることを祈ることしかできずにいる。
 そして、オズワルド・フォーサイスは霧の海に墜ちた。それ以上、語るべきことはない。
 一人、また一人と失われていく。霧航士とはそういうものであると覚悟はしていても、彼らが確かにここにいたという痕跡は、私にとって微かな、しかし確かな痛みとして感じられるのだ。
 果たして、アーサーは彼らがここにいないことをどのように感じているのだろうか。問うてみたくはあったが、アーサーが素直に答えてくれるとは思わなかった。半眼を少しだけ細めて、皮肉げな笑みと軽薄な調子ではぐらかすに違いない。アーサー・パーシングがそういう男であることくらいは、流石に、理解しているつもりだ。
 すると、アーサーはとカップの縁を指でなぞりながら、ぽつり、と言葉を落とす。
「ああ、でも、一つだけ。こいつぁ推理ともいえない、単なる妄想ですけど」
 視線をテーブルの上の新聞に向け、アーサーは、いつになく低い声で囁く。
「……オレ、今回の事件は『見立て殺人』なんじゃねーかと思うんですよね」
「見立て殺人?」
「ジーンはご存知ないですかね。探偵小説ではよく出てくる言葉ですけど。詩や歌、物語の一節を真似るように人が殺されていくってタイプの話、知りません?」
 そのような話は確かに読んだことがある。童謡をなぞらえる形で、一人、また一人とその場に集った人間が殺されていく。一人は鳥のように両腕を広げて壁に張り付けられ、一人は花のように地面に血痕を広げて――、と、あまり心地のよい話ではなかったと記憶している。そもそも探偵小説なんて人が殺されるところから始まる話なのだから、心地よいものではないわけだが。
 アーサーはそんな探偵小説の主要人物であるかのごとく、顎に手を当てて、伏し気味の目を細めてみせる。
「この連続殺人の犯人は、必ず被害者の四肢を潰して、喉を潰して、それから頭を潰してる。ただ殺すだけなら不要な手続きじゃねーですか」
「しかも、以前の『脳無し』殺人事件と違って、被害者から何かを奪うわけでもないのに、わざわざ手間をかけている、ということか」
「そう。だから、この『殺し方』そのものが何か特定のものに見立てたもの、ある種の『犯人からのメッセージ』なんじゃねーかなって思ったんですよ。……何に見立てたものなのかは、オレには皆目見当もつきませんけどね」
 アーサーは顔を上げて、へらりと笑う。話はこれで終わり、ということだろう。なるほど、我々二人では、話はそうそう愉快な方向に膨らんではくれない。ただただ、私の脳裏に大事なものを一つずつ奪われていく誰かのイメージが焼きつくだけで。
 もちろん、四肢を奪われる感覚を、声を喪う感覚を、頭蓋を割られる瞬間を、私が本当の意味で理解することはできない。私の両手足も、喉も、もちろん頭も、今もなお私のものとしてここにあるが故に。それでも、それが想像を絶する苦痛である、ということくらいは想像できる。痛覚を遮断できるように訓練された私でも、途中で痛みを自覚してしまう程度の、苦悶と、灼熱と、絶望であるに違いない。
 しばしの沈黙の後、アーサーが深く息を吐き出して、己のポケットからシガレットケースを取り出す。しかし、その中には細かな装飾の施されたライターが納まっているだけだった。ちらり、とアーサーの淡い色の視線がこちらを向く。
「すいません、ジーン、煙草くれません? オレ、切らしちゃってて」
 つい、沈みかけてしまっていた意識を引き上げて、「ああ」と自分の煙草の箱から一本引き抜いてアーサーに渡す。アーサーは己のライターで先端に火を灯し、吸い口に唇をつけて――思い切りむせこんだ。
「うえ、重っ。ジーン、こんなの吸ってましたっけ?」
「最近はな」
 自分の分の煙草にも火をつけて、決して慣れることのできない、苦く重たい煙を吸う。この苦味が好みかと問われれば全くそんなことはない、が。
「……でも、そうですね。こいつは、懐かしい匂いだ」
 そう、この重く沈む匂いだけは忘れたくないと思っている。
 忘れてはならないと、思っている。
 ――全てが終わる、その時までは。
畳む


#談話室の飛ばない探偵たち

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シアワセモノマニアのあざらしこと青波零也の創作メモだったり、日々のどうでもいいつぶやきだったり、投稿サイトに載せるまでもない番外編だったり、見聞きしたものの感想メモだったり。

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2024年05月17日(金) 10時53分44秒