舞台[14件](2ページ目)
『サマータイムマシン・ブルース2005』
作・演出/上田誠
舞台の2005年版を見たのであった。ずっと見たかった舞台なので嬉しい~!!
映画版は見たことあったんだけどインパクト強いシーンしか覚えてなくて……。
でも筋は覚えてなくても、結構重要なところは覚えてたことが発覚したよね……www
ヴィダルサスーンとか。河童様とか。ロッカーに詰まるとことか。
(舞台上にロッカーが配置されてた時点で察して笑ってしまった。外せないストーリーギミックだもんなぁ)
いやあ……、徹頭徹尾バカしかいない話なのが最高。映画版よりもメンバーのバカさが際立ってた気がする。
あのとにかくわちゃわちゃしたノリは舞台ならでは! て感じでにこにこしちゃうな……!!
個人的には土下座してお願いしてるのに思いっきりバツ出してるところがめちゃ好きでした。話を聞いてやれよwww
あとロッカーに至るまでの経過がお腹痛い。映画版あんな異様なテンションじゃなかった気がするんだけどどうだっけ???
映画版も相当ミニマルな話ではあるんだけど、舞台だと完全に「部室」だけにフォーカスされてるのがめちゃめちゃすごいなとなる!
観客から見えるのは部室だけだけど、きっちりタイムトラベルをした上で「窓の外の犬」とか「かつては沼だった事実」とか「オアシス(銭湯)」とかっていう外側の要素を認識させてギミックに組み込んでくるの、本当に気持ちいいんだよな~!
話の展開のさせ方が上手い話はおいしい……めちゃめちゃおいしい……。
久しぶりにめちゃげらげら笑えてよかったな~! ヨーロッパ企画の舞台はもっと見てみたさあるな!畳む
作・演出/上田誠
舞台の2005年版を見たのであった。ずっと見たかった舞台なので嬉しい~!!
映画版は見たことあったんだけどインパクト強いシーンしか覚えてなくて……。
でも筋は覚えてなくても、結構重要なところは覚えてたことが発覚したよね……www
ヴィダルサスーンとか。河童様とか。ロッカーに詰まるとことか。
(舞台上にロッカーが配置されてた時点で察して笑ってしまった。外せないストーリーギミックだもんなぁ)
いやあ……、徹頭徹尾バカしかいない話なのが最高。映画版よりもメンバーのバカさが際立ってた気がする。
あのとにかくわちゃわちゃしたノリは舞台ならでは! て感じでにこにこしちゃうな……!!
個人的には土下座してお願いしてるのに思いっきりバツ出してるところがめちゃ好きでした。話を聞いてやれよwww
あとロッカーに至るまでの経過がお腹痛い。映画版あんな異様なテンションじゃなかった気がするんだけどどうだっけ???
映画版も相当ミニマルな話ではあるんだけど、舞台だと完全に「部室」だけにフォーカスされてるのがめちゃめちゃすごいなとなる!
観客から見えるのは部室だけだけど、きっちりタイムトラベルをした上で「窓の外の犬」とか「かつては沼だった事実」とか「オアシス(銭湯)」とかっていう外側の要素を認識させてギミックに組み込んでくるの、本当に気持ちいいんだよな~!
話の展開のさせ方が上手い話はおいしい……めちゃめちゃおいしい……。
久しぶりにめちゃげらげら笑えてよかったな~! ヨーロッパ企画の舞台はもっと見てみたさあるな!畳む
K.K.P.『TAKEOFF ~ライト三兄弟~』(2007)
脚本・演出:小林賢太郎
実はこれ以降のKKPは『うるう』以外見てなくて! 機会があったので見せてもらいましたです。
チャリ彦~~~~!!!!
めーちゃめちゃ笑った。かわいいね……三人ともかわいいよ……。
ポケモンジェットだけは許してもらえないの笑っちゃうんだよね。ダメかー。
全く難しいところはなくて、本当にシンプルなお話なんだけど。
やっぱり小林さんらしい笑いに満ちていて、その上でちょっとぎゅっとするところもあって……。
とても爽やかで誰にでも気軽にお勧めできるお話だと思う!
長さもそんなに長くないけど綺麗に纏まってるのですごい好きだな~。
あと舞台装置がすごくよかった。
音を奏でながら舞台を転換させるのめちゃめちゃうまかったな~
ハエ……よかったよ……ハエ……そもそも飛行機に浪漫を感じる人間なので……。
最後の離陸シーンどうやるんだろうと思ったらああやるんだな!
あそこで幕が下りるのも最高によかった……。上手いなぁ……!畳む
脚本・演出:小林賢太郎
実はこれ以降のKKPは『うるう』以外見てなくて! 機会があったので見せてもらいましたです。
チャリ彦~~~~!!!!
めーちゃめちゃ笑った。かわいいね……三人ともかわいいよ……。
ポケモンジェットだけは許してもらえないの笑っちゃうんだよね。ダメかー。
全く難しいところはなくて、本当にシンプルなお話なんだけど。
やっぱり小林さんらしい笑いに満ちていて、その上でちょっとぎゅっとするところもあって……。
とても爽やかで誰にでも気軽にお勧めできるお話だと思う!
長さもそんなに長くないけど綺麗に纏まってるのですごい好きだな~。
あと舞台装置がすごくよかった。
音を奏でながら舞台を転換させるのめちゃめちゃうまかったな~
ハエ……よかったよ……ハエ……そもそも飛行機に浪漫を感じる人間なので……。
最後の離陸シーンどうやるんだろうと思ったらああやるんだな!
あそこで幕が下りるのも最高によかった……。上手いなぁ……!畳む
『カリギュラ』(2019)
作:アルベール・カミュ
翻訳:岩切正一郎
演出:栗山民也
初見感想は >>600
最初に「悲しみは永遠ではない」って話してるのがさ~。
世界はありのままで十分とは思えない。十分ではない、そのままでは耐えがたい。
でも、カリギュラがそう感じた端緒ってやっぱり「悲しみ」なんじゃないかなという……。
永遠でないものが耐えられない、というのもあったんじゃないかな~。
「苦悩も長続きしない、意味を奪われている」という最終局面のカリギュラの台詞からも、そう感じるのだよな。
カリギュラのあり方って、人というものを理解した上での狂気というか。
「わかっててそうしている」がベースだというのがやっぱり私の感じ方なんだよなあ。
カリギュラ自身が己の肉体(実体?)を持って知っていること。
ケレアは最初から「ありのままのあの人を見ろ」と言っているんだよなあ。
十分に気が狂っていない。自分の望みを知っている。
人間と世界を否定するに至っている。
そんなカリギュラが最後に「たった一人になる日」を待つのがケレアの戦略で。
一度見終わった後にここを見ると、まさしくその日がやってくるのだな、と……。
エリコンがシピオンに「お前さんならカリギュラを殺せる」っていうのもな~。
カリギュラは(遥か大きなものに)反逆する者であるがゆえに反逆を許容するんだなあ。
神々と肩を並べる方法は神々と同じだけ残酷になること、かあ……。
ただどこまでもカリギュラは神の真似をするだけで、本当に神になれるわけではない。
神の不可能性はカリギュラの手に入るわけではない。月は手に入らない。
人間に対しては暴君という名の神になれるけれど、カリギュラが望んだものになれているのか?
月はどうしたってカリギュラの手から零れ落ちていくのだなあ。
エリコンは最後までカリギュラの味方なわけだけれども。
愛する、ということについて考えずにはいられないな……。
セゾニアもまた「愛する」ことについてケレアに問いかけるわけだけれども。
そしてシピオンもまた最後に「愛しました」とカリギュラに告げる。
愛……。愛かぁ……。
そうだな、みな「人間」であるカリギュラを愛していたのだろう。
カリギュラはそうして、愛すると言った者をひとつひとつ失っていく。
それが、カリギュラの本当の破滅のときなのだということを考える。
カリギュラの幸福。それは孤独なんだなぁ。孤独。
それは間違いなく破滅なんだけど、カリギュラにとっての完成と考えられた何か、とも思うかな……。
自分の、人間たる部分を切り離す手続きというか。
でもその一方で「終わるのが怖い」ともいうのだなあ。
最後のシーンやっぱり好きだなあ。暗く閉ざされてた空間が開ける瞬間。
でもその瞬間にカリギュラは死ぬわけなんだけれども。
「俺はまだ生きている」っていうのがどういう言葉なのかまだ噛み砕けてないな……。
でも最後の最後まで目を閉じない在り方がね……。カリギュラ……。畳む
作:アルベール・カミュ
翻訳:岩切正一郎
演出:栗山民也
初見感想は >>600
最初に「悲しみは永遠ではない」って話してるのがさ~。
世界はありのままで十分とは思えない。十分ではない、そのままでは耐えがたい。
でも、カリギュラがそう感じた端緒ってやっぱり「悲しみ」なんじゃないかなという……。
永遠でないものが耐えられない、というのもあったんじゃないかな~。
「苦悩も長続きしない、意味を奪われている」という最終局面のカリギュラの台詞からも、そう感じるのだよな。
カリギュラのあり方って、人というものを理解した上での狂気というか。
「わかっててそうしている」がベースだというのがやっぱり私の感じ方なんだよなあ。
カリギュラ自身が己の肉体(実体?)を持って知っていること。
ケレアは最初から「ありのままのあの人を見ろ」と言っているんだよなあ。
十分に気が狂っていない。自分の望みを知っている。
人間と世界を否定するに至っている。
そんなカリギュラが最後に「たった一人になる日」を待つのがケレアの戦略で。
一度見終わった後にここを見ると、まさしくその日がやってくるのだな、と……。
エリコンがシピオンに「お前さんならカリギュラを殺せる」っていうのもな~。
カリギュラは(遥か大きなものに)反逆する者であるがゆえに反逆を許容するんだなあ。
神々と肩を並べる方法は神々と同じだけ残酷になること、かあ……。
ただどこまでもカリギュラは神の真似をするだけで、本当に神になれるわけではない。
神の不可能性はカリギュラの手に入るわけではない。月は手に入らない。
人間に対しては暴君という名の神になれるけれど、カリギュラが望んだものになれているのか?
月はどうしたってカリギュラの手から零れ落ちていくのだなあ。
エリコンは最後までカリギュラの味方なわけだけれども。
愛する、ということについて考えずにはいられないな……。
セゾニアもまた「愛する」ことについてケレアに問いかけるわけだけれども。
そしてシピオンもまた最後に「愛しました」とカリギュラに告げる。
愛……。愛かぁ……。
そうだな、みな「人間」であるカリギュラを愛していたのだろう。
カリギュラはそうして、愛すると言った者をひとつひとつ失っていく。
それが、カリギュラの本当の破滅のときなのだということを考える。
カリギュラの幸福。それは孤独なんだなぁ。孤独。
それは間違いなく破滅なんだけど、カリギュラにとっての完成と考えられた何か、とも思うかな……。
自分の、人間たる部分を切り離す手続きというか。
でもその一方で「終わるのが怖い」ともいうのだなあ。
最後のシーンやっぱり好きだなあ。暗く閉ざされてた空間が開ける瞬間。
でもその瞬間にカリギュラは死ぬわけなんだけれども。
「俺はまだ生きている」っていうのがどういう言葉なのかまだ噛み砕けてないな……。
でも最後の最後まで目を閉じない在り方がね……。カリギュラ……。畳む
作:アルベール・カミュ
翻訳:岩切正一郎
演出:栗山民也
※2021年4月11日の記録
二回目感想は >>25
インプットをしよう! ということでありがたくも観る機会があり舞台『カリギュラ』(2019年版)を観ました。
ストーリーは上のリンクを参照していただくとして、完全に何もわからずに見たこともありかなりふわっふわとしてしまっている……。あとで感想やネタバレなんかを巡ってみようかなと思っています。
ただ、カリギュラの狂気と呼ぶべき何か……自分はそれが「狂気」だったかどうかわからないな、と思うのですよね。いや、一貫したものだからこそ「狂気」なのかもしれない、とも思うのですけど、カリギュラはどこまでも理性的であったなと思うんですよね。論理、とカリギュラは言ったけれど、確かに彼の中ではそれは一貫した論理であるし、ケレアもそれを認めている。(その上でケレアは「それでも私は」と続けるのだけれども……)
だからこそ、カリギュラの狂気は見る者を引き付けるのかなと思うんですよね。目を離せなくなる力がある。そして、カリギュラの周囲の人が離れがたくなるだけの何かを握っている。「カリギュラを理解してあげて」というセゾニアのシピオンに対する台詞とかほんとに……ほんとにさあ……。
実際にカリギュラを少なからず理解したとみられるセゾニア、エリコン、シピオンはそれぞれのやり方でカリギュラの側に在り続ける。シピオンは……最後には離れてしまうし、それが決定的な破滅の引き金になるのだけど、要するにそれぞれがカリギュラを構成するものでもあったというか……。もしくはカリギュラが捨てようとして捨てられなかった何かであったのかもしれないなーとも思うんですよね(シピオンが自己矛盾を起こしているのもカリギュラの自己矛盾の投影である、みたいな話を一緒に見てた人がしてくれたのが印象的でした)。
結局理解できたかどうかは怪しいんですけど、でもカリギュラの生き様とその結末には何か惹かれるものがあるんですよね。「月が欲しい」と言ったカリギュラのこと……。不可能、を求めたこと。それが愛した妹の死から始まっているというのもまた思うところがあり。それを認めなかった世界そのものへの反逆なのかな、というのは思うところ。反逆を肯定するということ……そう、カリギュラは自分に対して革命を試みるものも肯定するところがあり……実際、反逆を企んでいるケレアのことは殺していないところも……色々と思うところありますね。
まだまだ噛めるところいっぱいありそうなので……また機会があったら観たいですね~!畳む