No.906
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もの、というけど、これは必ずしも「物体」そのものというよりは、要素、というか。
人が生きていくために必要不要でいうなら不要だけど、だからといって完全に排されはしていない、ということにあざらしは何よりもよさを感じる……。
一番わかりやすいのが、これは多少今やってる仕事の分野に関わる話になってくるのだけど。
例えば車って、あざらしは比較的交通の便が悪くはない地域に住んでるのであんまり意識はしないんだけど(主観的によいとは言えないがこの辺りとの比較でよくないだけで、断然いい方なんだろうな……とは思う)地域によっては「必需品」なわけで、それ自体は生活に必要なものだとあざらしも思っている。
そして近頃は「電気自動車」を牛歩の歩みながらも広めていこう、という動きがある。ガソリンという消費されゆくばかりの燃料ではなく、別のやりかたで走る車。
技術とかコスパとかの問題は一旦横に置いて、環境面などを考慮すれば電気自動車になってゆく流れであることは別にあざらしは悪いことじゃないと思う。
ただ、電気自動車って電気でモーターを動かすため、「ガソリンを噴射して空気と混ぜて着火、爆発させてエンジンを動かす」という従来の方式とはまるで異なり、比較すると断然静かなんだよね。爆発してないから。(その一方で別の「音」に関わる問題はあるらしいけど割愛)
そんなこんなで、電気自動車は静かすぎて歩行者が接近に気づけなくて危ないからってわざと音を出す、みたいな話もある。これもまた「必要だからそうしている」という話。
で、最近のあざらしがめちゃめちゃ面白いなぁ~と思っているのがこの辺り。
電気自動車を動かすモーターはガソリン車のエンジンと根本的に作りも考え方も違うので、従来のマニュアル車のような形式の変速は無意味だと言われている。(それこそ低速ギアを使うと逆効果だとか……。あざらしはこの辺りの物理的な話は全然詳しくないので聞きかじった話なのだけど)
でも、「マニュアル車の乗り心地」を求める人も間違いなくいて、で、こういう技術を追い求めてる人たちがいる……、ってのがめちゃめちゃ面白いな! と思ったんだよね。
必要かどうかといえば多分全然必要じゃない、先ほど挙げた「音」の問題とはまるで異なるアプローチ。
実際不要論もたくさん見るけど、それはそれとして追い求めてる人がいるってのがほんとにいいなぁ~となったわけだよ。愛着、のようなもの。
ちなみにこの傾向がもっと顕著なのがバイク(この場合は自動二輪のこと)で、バイクの「新たな技術の導入」と「今までバイクが持ってた要素を維持する」のバランスがめちゃめちゃ面白い。
本当は振動殺す技術も開発されてるけど、乗り手は振動が好きで乗ってるんだからわざと振動残してるとか、乗り手はエンジンの音で選ぶから音はめちゃめちゃ大事とか、そういう話いっぱい聞くのだ。バイクが電気になったら、果たしてバイクに乗りたがる人間はどれだけ残るのか、なんていう論まで聞く。
これは、バイクという乗り物自体がとにかく趣味性の高いものである、というのがでっかいんだよね。
それこそ現代の日本では車で大体代替できてしまうため、バイクの免許を取るのは「『バイク』に乗りたい人」ということであり。
ここで言う『バイク』は「その人が思うバイク」であって、それ以外の何でもないのだなあ……という気持ちになるのだった。
あざらしは仕組み・技術的なところまだふわっとしてるけど(仕事でやってるとはいえ、全部を把握できるわけではない……した方がいいのはわかるが……)この辺りの話はいくらでも聞いてられるんだなぁ。楽しい。
技術の発展でどんどん便利に使いやすく、自他にやさしくなる一方、こういう方面を求めてる人も確かにいる、というところが何となく愛しさを覚えてしまうよ~嬉しいな……。