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シアワセモノマニア
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ハッピーをお届けする空想娯楽物語屋

No.1976, No.1975, No.1974, No.1973, No.1972, No.1971, No.19707件]

庭師が終わったりめちゃバースが終わったり、何かめっちゃ噛み締めている……いい夏休みだったな……!

庭師の鏑木は意識的に「愛」をやるキャラとしてやってたんだけど、何か実態としては小学生男子だったな……。
アサツキさんにも小学生男子だねぇって言われてたから間違いないね。小学生男子だよ。
(これは一応前段となる文脈があるんだけどそれはまた別の話)
ただ、こう、他者を思いやる、気遣う、その上で自分の大事なひとたちの幸福を願って我を通す。
そういうやつをやりたかったんだよね。できたでしょうか。わかんないけど楽しかったな。
なお庭師自陣に向けて当て書きをするのであざらしの庭師はもうちょい続くのじゃ。

めちゃバースは、リン/不知火諒(令和のすがた)をやった。そんなんばっかりか。
いや別にモッキンバード/不知火諒をやるつもりはなく、ただ「こども」の足がかりとして一番考えやすかったので……。
昨年のこの当時、モキバを扱ってて(かいマホは終わってたけど色々遊んでて)、モキバってめちゃくちゃな奴なのに「ダメ大人」ではありえないキャラ造形なんだよな~ということを思っていて。
表向き、社会が要請する大人をきっちりできてしまう。裏の顔『モッキンバード』の悪事ですら、その「社会」を見すえたうえで行っているのだから、こどもの視点ではありえない。
ただ、その上でモキバはいくらペテンの魔女(=ハッカーの「ウィザード」であり本来的な魔女ではない)であっても「魔女」を名乗る存在であり、きっと、こどもの世界、おばけの世界、「そういうもの」があることには肯定的だろうな、みたいなことを思っていて。
で、「ダメ大人じゃない魔女」ってどういうものだろう、っていうのから逆算して「おばけと過ごしたことのあるこども」なんじゃないかな、と思って……。
その辺りをよるこさんが何も言わなくても汲んでくれて歩幅を合わせてくれたのマジで強かったな……ありがとう……。
もちろんめちゃバースは時代背景的にも「今」の物語なので、「今」35歳であるはずのモッキンバードとリンは明らかに別の人間なんですが(不知火諒、あざらしの「思考実験」のキャラみたいなところある)、でもリンがああいう結末をたどったのを思うと、無限にうう~~~~となってしまう。
ともだちを作ろう、ひとも、おばけも、ほんものも、にせものも。全部大事なおともだちだよ。

遊び

久しぶりにブレイド・オブ・アルカナのるるぶ読んだけどやっぱり好きなんだよな~ブレカナ!
あの、ややプリミティブさのある信仰の感じというか、神話とそうでないものが混在してる、まさしく薄暗がりの世界の感じというか……。
ヒロイックな話をやるためのシステムなので、あざらしもめちゃくちゃ元気なときにしかできないんだけど、でも本当に好きなシステム!

あと4メートルのシャケができる。
(お前いつもその話しかしてないな?)

遊び

ちょうど罪と罰についてちらっと目にしたので、あざらしの物語上におけるそのあたりのバランスの話。
あるいは、物語中で許されないことをした相手を排除する、ということについて。

あざらしはなんか常に死は救い……、とまでは言わないが、しかし死んだ当人にとっては「無」以上でも以下でもないと思ってるため、まったく罰として機能してないんだよな~ということについてぽやぽや考えている。
だから基本的に死をもって決着させる、ということはあんまりしない方かな~。
無名夜行のXの死が定まってるのも、あれはXの罪に対する罰というよりは社会的にそうあれかしとされてるからそう、でしかなく、Xの罪に対して与えられるべき本質的な対処(それは必ずしも明確な「罰」ではないのだと思う)は、むしろ死刑とは別の部分なのだと考えている。
……みたいなところ、あるのかもなあ~。
だから、結果的に待ってるのは死なのかもしれないんだけど、あざらしの中で重要なのって、罪を犯した何者かになんらかの働きかけをすること、あるいらその何者か自身が働きかけを行うこと、なのかな……。ぽやぽや。

ミストノーツはまあまあ決着=いずれかの死なんだけど、これは罪とか罰とかではなくてそういう命のやりとりの場なのでそうなる、みたいなところだな、そういえば……。
だからまあ、結局はその場の共通認識がどうであるか、に依存するのだと思うし、そこには罪のあるなしとは全く関係ない儀式的な何らかが働いてるな、あざらしの場合。
同じ世界でも、例えばはらわたの後日談(まだ書いてないやつ)は、その決着後にレイニータワーがあるように、やはり場を形成してるひとの持ってる認識によるのだよなあ……。

創作

最近、ご飯はちゃんと食べてるけど、通勤だけで力尽きてしまって運動できてないのでよくない……。
夏休みは、せめてラジオ体操はちゃんとやりながら過ごしてゆきたいところ。

いま

ともあれ、あざらしは前々から言ってるとおり結構「舞台」というかステージの上だけで成立する話が好きなのはあり、作風的にも結構そういうとこはある。
『無名夜行』も演出の仕方はあるだろうけど、あれ、「私」たちプロジェクトメンバーは研究室から一歩も動いてない(たまに研究室の外の話あるけど)みたいなところが好きでやっている。
その一方で、その場から一歩も動かなくても果てのない『異界』を垣間見ることはできる・垣間見てしまえる、みたいなのをやりたくて無名夜行という形にしてるのかもなあ、みたいなこと!
閉ざされた空間に見えても、実際にはその広がりは無限大である、みたいなの、めちゃくちゃ好きなんだよなあ。
それこそ、視点一つ、立ち位置一つで、同じ空間でも別のものが見えてくるような。
そういうお話が書けたら嬉しいなあ~といつも思っている。

あざらしは母が比較的本を読む(特にややエンタメ寄りの小説を好む)、また演劇を好む(昔は自分も舞台に立ったりしてたはず)ひとなんだけど、その母が「四畳半だけの空間から一歩も動かなくても物語はおもしろく展開できる」みたいなことを言ってたのがめちゃくちゃ心に残っており、たぶんそれを今もなお胸に刻んでるところあるのかもしれないなあ……。

創作

一方でかいマホ(CoC『かいぶつたちとマホラカルト』)はやはりアニメーションって感じがするわよね~。
いやこれ握ってるのがモキバなのもあるかも……。存在が完全にフィクションみのある男……。
ただ、話の感じからしてもアニメーションの方が映えるだろな~というのは、ある!
ややデフォルメされてる話なのはあるかも? CoCという前提をきっちり生かしながらも、ちょっと現実離れした、痛快なトーンで統一がとれてるのがよいんだよな、かいマホ……。

それはそれとして生身の人がモキバを演じるなら、マジでなんかバイプレイヤー寄りの役者さんで、普段はむしろ目立たないタイプの役どころやってるひとがいいです!!!(力強く)
元々素顔だと人に紛れるタイプの男だからね、モキバ……。

遊び

そういえば、今はCoCの『庭師は何を口遊む』をやってるんだけど、あれもなんかあざらしの中では結構舞台のイメージがあるって話をしていた。
基本四人による会話劇、というか……。
以下ネタバレの話をする気はないけど多少シナリオに触れるので伏せてはおこう。

庭師、三年前の「相模原涼」という同僚の不可解な死から始まり、今もなおその事件を追い続けている、それぞれが一点突出型の能力を持つ特殊捜査班「零課」のはなし、なのだが~。
あざらし(PC1チーフ・鏑木)が、零課の執務室でがんがん話を展開させたこともあり(なんかめちゃくちゃ零課にいた時間が長くて、おそらくシナリオ想定の倍くらいの長さ執務室で過ごしてる)、なんか執務室のセットだけで成立する舞台のイメージなんだよな……。
いや、本編は結構がんがん捜査のためにいろんな場所に足を運んでるんだけどね! イメージがね!!

そんなわけで、本編とはちょっと離れるんだけど、零課の四人が時に執務室に訪れるNPC格とやり取りしながら、執務室から一歩も出ずにひとつの事件について話し合うような演劇やってほしいな~!!! となるのだった。
こう、ホワイトボードに下手くそな文字を書き殴りながら朗々と喋る鏑木とか、その鏑木にめちゃくちゃ鋭いツッコミ入れてく鏡さんとか、淡々とパソコンのキーボード叩きながらも話にはきっちり聞いてていい感じに鼻で笑ってくれる根林さんとか、話が停滞してくると引き出しからどら焼き出して一旦意識を逸らしてくれる犬見さんとか、見たすぎるのよ~~~~!
零課執務室のセットも見たいんだよな……。各人のデスク、めちゃくちゃキャラが出ると思っているため。鏑木は結構デスクの上はきれいな方、中身はまあまあカオス。
あと壁に鏑木宛に「焼肉禁止」「スルメ炙り禁止」って書かれてるのめちゃくちゃ見たい(与太じゃなかったのかそれ)。

これ、一番最近に見た舞台(海をゆく者)がやっぱり半地下のかわいいお部屋だけで成立してたのに由来してる気はするわね。
あとサマータイムマシン・ブルースもそういえば部室だけで完結してたね!!!
あざらし、結構場面転換・移動の描写のある舞台見てないんだよな~ということに気づきつつある。
そういう切り取られた空間に終始しながら、その外側の広がりを感じさせるような演出が好き、みたいなのは……ある!!

追記:
ついでなのであざらしのイメージする「舞台上の鏑木」の詳細な話をすると、こう、舞台が明るくなるときには既にそこにいて、なんなら執務室の掃除とかしててほしい。上手く動いてくれないルンバに威嚇しててほしい。なんなら威嚇しつつもルンバのためにものを片付けたりしててほしい。そこにばらばらと三人が集ってきて、ルンバに威嚇してる鏑木に呆れながらもすっと仕事に移行してゆく(鏑木もその時にはきちんと仕事に移る)、みたいな構図がずっと頭にある……。

そして一つの話が終わった時点で、即座に帰る(光速の定時退勤、なんなら気づいたら舞台から消えててほしい)鏡さん、それの後を追うように席を立つ根林さん、そして残る気満々の鏑木をおそるおそる気遣いながらも帰って行く犬見さん、ってなって、最後に一人だけ残された時点で初めて立ち上がり、扉の方につかつか歩いてって、一瞬だけ客席の方に視線を向けて扉の横のスイッチを消し、舞台が暗転する……、みたいな役割の人であってほしい。

そんな夢と希望だけがある。あくまであざらしの夢と希望だよ。本編の鏑木はそんなにかっこいい役どころではないよ。
でも、あざらしは、チーフとしての鏑木ってそういう存在であってほしいと思っているため……。
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創作,遊び