幸福偏執書庫

シアワセモノマニア(青波零也)の小説アーカイブ

010:戦乙女の憂鬱
 そこは、妙に広く、何もない部屋だった。大きな窓と、大きな机、大きな椅子、ただそれだけの部屋だった。そして、その椅子に座っているのは長い耳を持った銀髪の美女……連邦政府軍大佐シリウス・M・ヴァルキリーだった。彼女は手元にあるひどく写りの悪い写真が載った手配書を見ながら、何か物思いにふけっていた。
 その手配書には「この写真に写っている少女を捕らえることができたものには賞金を与える」といった内容のことが書いてあった。同時に「少女は生きたままの捕縛が条件だが、同行している男は殺害しても構わない」という、物騒な言葉も書かれていた。
 その時、部屋のドアがノックされた。ヴァルキリーはふと目を上げ、「入れ」と鋭く言った。ドアが開き、そこに立っていたのは一人の小柄な男だった。金色……いや、黄色と言った方が正しいような色をした髪を長く伸ばし、ヴァルキリーとは違って軍服ではなくかっちりとしたスーツに身を包んだ男である。
「……トゥール」
「あら、珍しいわね、シリウスがそんなに辛気臭い顔しているのって」
 トゥールと呼ばれた男は微笑みながら妙な女言葉で言った。ヴァルキリーは少しため息をつき、写真を机の上に置いた。
「すまないな、呼び出してしまって」
「構わないわよ。あたしはいつも暇だし。それで、何? 用って」
 トゥールはブルーのレンズをはめた眼鏡ごしにヴァルキリーを見た。ヴァルキリーはしばらく言いにくそうに紫苑の目をトゥールの眼鏡から逸らしていたが、意を決したようにトゥールを見据えた。
「地球に、行っていたそうだな」
 トゥールは一瞬笑みを消した。ヴァルキリーはその反応を見て、再び溜息をもらす。
「図星か」
「ええ、そうよ。レイ君が『青』を捕まえに行くって聞いたから、ちょっと様子を見たくなったの」
 観念し、ふざけて両手を挙げながら言うトゥールにヴァルキリーは苦笑した。
「それで、『青』には接触したのか?」
「ええ。ただ、どうなのかしら?」
「何がだ?」
 トゥールは机の上においてある手配書に手を伸ばしながら言った。
「あの人畜無害そうな子が本当に『青』なの?」
「無限色彩保持者は皆、人畜有害に見えるのか?」
 ヴァルキリーも少しふざけた口調で返す。だが、意外にもトゥールは少しだけ真剣な表情で手配書を見据えながら言う。
「別に、そう言いたいわけじゃあないけど、あいつは人畜無害とは到底言えなかったから」
 その言葉を聞いて、ヴァルキリーの表情も曇った。
「あいつは例外だ」
「そうよね、あいつは無限色彩保持者の中でも有名人だったもの。それだけ無駄に目立ってたってことなんだろうけど……やっぱり、無限色彩保持者って言うとどうしてもあいつが始めに思い浮かぶわ」
 トゥールは手配書から目を離し、ヴァルキリーを見た。そして、再び笑みを戻して片手に持った手配書をひらひらと振る。
「全然わからないわね。これ、誰が撮ったの?」
 話が逸れたことに心から安堵しつつ、ヴァルキリーは言う。
「レイが初めて『青』と接触したときに隊員の一人が撮ったものだ。上手くピントが合わせられなかったためにこんな写真になってしまったらしい……まあ、『青』が意図的に妨害したのかもしれんがな」
「ふうん、折角の美少女が台無しね」
 ふざけた口調のままトゥールは笑った。その様子を見たヴァルキリーもつられて笑ったが、すぐにまた真剣な表情に戻った。
「『青』についてはお前に深く問うつもりもない。私が聞きたいことは、『青』と同行している……」
「兎のことね」
 トゥールは笑顔こそそのままに見えたが、色眼鏡の下の目は笑みをかたどっていなかった。ヴァルキリーはトゥールから写真を受け取り、かろうじて人影だと分かる二つの影のうち、大きな影の方を指差して言う。いくらピントが外れていても、それが白髪の男だと判断するのは容易い。
「そう、レイも先の報告でこの白髪の男の事を『兎』と称していた。同時にかなり高位の紋章魔法士である、という報告も受けた。そして、トゥール・スティンガー。お前は私にこの男について何かを隠している」
 ヴァルキリーの声が急に低くなった。だが、トゥールはそれに臆することもなく言う。
「ええ、隠しているわよ。言ったら兎さんに怒られちゃうもの」
 しばらく、二人は黙り込んだ。明かりのついていない薄暗い部屋で、時計の針の音だけが流れていた。
 どのくらいそうしていただろう。ヴァルキリーは、諦めたように三度目の溜息をついた。
「……お前の口を割らせるのは無理か」
「よくわかってるじゃない。言っておくけど、あたしはシリウスのパートナーであっても部下じゃないもの。命令するわけにも行かないでしょう?」
「そうだったな。全く、食えない男だ」
 ヴァルキリーは苦笑混じりに言う。トゥールは「ふふっ」と笑いながらも声のトーンを落として言った。
「あたしは、シリウスに厄介ごとに巻き込まれてもらいたくないだけよ。あいつが、そう思っていたように」
 突然出てきた言葉に、意外そうな表情をするヴァルキリー。
「クレセントが?」
「ほら、あいつってばすっごく不器用じゃない。いつも問題を起こしてはアンタのこと困らせてたけど、本気でヤバイ事には自分から首突っ込まなかったわ。突っ込んでいても、それは絶対にアンタには悟らせなかった。そういう奴よ、クレスは」
「………」
「あたしが何も言わないのは兎に口止めされてるってのが第一だけど、あたしも、アンタにはあんまりヤバイ事に首突っ込んでもらいたくないの。気づいたら、きっとアンタも首を突っ込みたがるだろうしね。そういう女よ、アンタは。
 ……まあ、今回の場合はそうも言ってられないけど」
 トゥールの言葉は自嘲気味な響きも混じっていた。ヴァルキリーはそれに気づいていながらも、それには触れずにいた。
「正直、あたし、あいつが羨ましかったのよね。何だかんだ言って、アンタの一番のお気に入りだったし……あいつが死んでから、アンタも微妙に元気ないわ。レイ君ほどじゃあないけど」
「そうかも、しれないな」
 ヴァルキリーは低く、呟くように言った。トゥールは「悪いこと言っちゃったかしら?」とわざとおどけて明るく言った。
「まあ、私が暗くなってもあいつが生き返るわけでもない。それは、構わない話だ……しかしな、トゥール、お前の心遣いは感謝したいところだが、今はそうも言っていられない状況に立たされているのも分かっているだろう?」
「帝国が、『青』の獲得に向けて動き出したんでしょ?」
「よく知っているな。上層部しか知らない情報だぞ?」
「あたしの兄貴馬鹿だもの。少し鎌かけたらすぐに引っかかってくれたわ」
 トゥールは相変わらずのふざけた口調ながら不敵な笑みを浮かべた。ヴァルキリーは呆れた表情になる。
「スティンガー大佐を苛めるのはいいかげん止めたらどうだ?」
「嫌よ、楽しいんだもん。で、それはどうでもいいんだけど、帝国に『青』が渡ったら厄介よね。どうするの?」
「なるべく帝国より前に『青』を保護したいものだが……難しい問題だ。この『兎』とやらが帝国の連中をさばいてくれれば問題ないのだが」
 ヴァルキリーの言葉は軍人にあるまじき言葉であるように思える。だが、彼女は本気でそう思ってこの言葉を口にしていた。
 そして、それに気付いたトゥールはそっと聞いた。
「ねえ、シリウス?」
「何だ?」
「……アンタ、もしかして『青』を捕まえる気なんて毛頭ないんじゃない?」
「よく気付いたな、トゥール」
「わかるわよ、そういう言い方すれば。あ、だからレイ君に『青』の保護を依頼したの?」
「いや、レイに依頼したのは奴が『青』の保護に一番適している……無限色彩を良く知った人間だったからだ。だが、私が『青』の保護にはあまり良い感情を持っていないのも事実だな」
 飄々と言うヴァルキリーに、トゥールは頭を抱えてしまう。
「うーん……それじゃあ兎さんについてのことを言っても問題ないのかしら?」
「ほう、話す気になったのか?」
「やっぱりやめとく。でも、何で『青』に関することでは一番重要な地位にいるはずのアンタがそんなこと言うの?」
「私は、『青』……いや、トワと少し対話したことがあってな。彼女はひどく、独りでいることを恐れていた。あいつと同じようにな。だから、私は彼女に言ったのだよ。『ならば、一度外を見てみるか?』と。彼女は喜んで頷いた。だから、私はミラージュに頼んで彼女を『時計塔』から出した」
 その言葉を聞いて、トゥールが凍りついた。ヴァルキリーは「どうした?」と意にも介せず首をかしげた。少しの後、やっと立ち直ったらしいトゥールが半ば叫びとも取れる声を上げた。
「何よ、それ! 監視してなきゃいけないはずのアンタが逃がしてどうするの!」
「彼女は言ったよ。『地球に連れて行って欲しい。自分のやるべきことがそこにある』とね。私は、一瞬は悩んだよ。滅びの運命にある地球に彼女を出してよいのかと。だが、最終的には彼女が独りでいるのを見ているのは、あいつを見ているようで我慢ならなかった……それだけだ。何もかも個人的な感傷に過ぎないがな」
 淡々と自分の考えを述べるヴァルキリーに対し、トゥールは長く息をつく。
「そう……ええ、確かに、そうかもね。それじゃ、あたしはそろそろ失礼するわよ」
「ああ。すまないな、長々と話をしてしまって」
 ヴァルキリーも椅子から立ち上がり、言う。トゥールはヴァルキリーに背を向け、ドアの前に立った。そして、ふと何かを思い出したようにヴァルキリーの方は見ずに言った。
「そうそう、そんな戦乙女様に一つだけ、面白いヒントをあげるわ」
「何だ?」
 ヴァルキリーは首をかしげた。トゥールはドアに向かって笑いながら、一言だけ言った。
「兎は兎でもただの兎じゃないわ。あれは『白兎』、よ」
 
 
 トゥールが去り、静寂だけが支配する部屋の中、再び椅子に腰掛けたヴァルキリーは手配書を見ながら再び物思いにふけっていたが、やがて天を仰ぐようにして、ぽつりと呟いた。
 
 
「そうか……『白兎』、か」

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009:昔話
 夜。ラビットとトワを乗せた車は、町の廃墟に停められていた。ラビットは人の気配がないか見て回ってみたが、誰もいない。ただ、冷たい静寂だけがそこを支配していた。
「今日はここに泊まろう。すまないな、きちんとした町に行けなくて」
 ラビットはトワに向かって言った。トワは「いいよ」と言って、微笑んだ。当然、町に行けない理由は町に行くとトワを追う軍の連中に見つかりやすいためだ。何せトワはともかくラビットの外見は目立つ。ぼさぼさに伸ばした白髪に分厚いサングラス、それに長い黒のコートという出で立ちから、すでに怪しいだろう。彼の場合、それに気付いていながら改善はしないのだが。
 ラビットは小さなランプをつけて錆び付いた鉄骨の上に腰掛け、トワに車の中から引っ張り出した水筒を渡した。トワは中の水を飲みながら、ラビットを見た。
 ラビットは廃墟を見ていた。しかし、何かを見ているというわけでもなさそうだった。……何か、考えているような、そんな姿勢だった。
「なあ、トワ」
 トワは「何?」と首をかしげた。ラビットはトワの方に向き直って言った。
「貴女は、私の事は何も聞かないのか?」
「え?」
「私は、貴女の事を無理やり聞き出すつもりはない。貴女も、話す気はないと言っていたしな。だが……何も話していないのは私も同じだ。なのに、貴女は私のことを疑いもしない」
 ラビットはそこまで一気に言って、少し息をついた。トワは大きな青い目を見開いて、ラビットを見た。ランプの明かりが、揺れる。
「聞いて、教えてくれる?」
「私が今、話せる範囲ならな」
 トワの問いに対するラビットの答えは少し曖昧なものだった。少し間を空けて、「自分で言っておいてなんだがな」と付け加えた。
「じゃあ、一つ聞くね」
 トワは言った。
「それは、生まれつきなの?」
「それ?」
「目とか、髪とか」
「ああ、そのことか。これは生まれつきではない。事故の後遺症だ。体内の色素を失ってな。まあ、これで困ったことは特にないが」
 ラビットは自嘲気味に言って、自分の長く伸びた前髪をつまんだ。その前髪も、透き通るような白だった。
「事故?」
「事故だ。そう……あれは事故だったと、思いたい」
 トワはラビットの言い方が少し気になった。だが、そのことについては聞かなかった。ラビットの表情が、少し暗いものだったから……きっと、聞いても答えてはくれないと、判断した。
「それじゃあ、もう一つ、聞かせて」
「構わん」
「ラビットは、怖くないの?」
 ラビットはその言葉を聞いて、首を傾げる。
「何が言いたいんだ?」
 トワは少し考えた末、ゆっくりと話し始めた。
「わたし、軍に追われてるでしょう? ラビットは、わたしと一緒にいる。だから、軍の人たちはラビットを狙うと思うの。わたしを、取り戻したいから」
「ああ」
「軍の人たち、きっとラビットを殺してもいいって考えてる。それに、ラビットは気付いてる。だから……怖くないの?」
 トワの言葉は拙いものだったが、言いたいことは十二分に伝わったようだ。ラビットはサングラスの下の目を伏せ、息を吐いた。
「……怖くないと言ったら嘘になる」
「なら、何でわたしを軍に渡そうと思わないの?」
 トワの少し震えた声。それを聞いて、ラビットは苦笑し、逆に問い返す。
「貴女は、軍に引き取られたいのか?」
 その言葉があまりにも意外で、トワは言葉を失い、首をゆっくり横に振る。
「何故貴女が軍に追われているのか、それに貴女が軍を嫌うのかは私には理解しかねる。だが……貴女がそう言っている以上は、私も貴女を全力で守ろうと、そう決めた。それだけだ」
「ラビット、前に『貴女を見捨てることもあるかもしれない』って言ってた」
「それも可能性としては捨てきれないというだけだ」
 ラビットは俯き、少し声のトーンを落とした。
「私は、昔守れなかったものがある」
 トワは水筒を置いて、ランプの光を見つめた。ラビットは淡々と、語る。
「守りたいと願うものすら守れない、酷く弱くて……臆病な人間だ。だから、私は『見捨てるかもしれない』と、そう言った」
「ラビット……」
 ラビットは、それきり俯いたまま黙り込んだ。トワはランプの明かりと、ラビットを交互に見た。暗い空が、二人を押しつぶすかのように広がっている、そうトワは感じた。しばらくの後、ラビットは再び口を開いた。
「すまない。妙な話をしてしまった。もう遅い……そろそろ寝よう」
 ラビットとトワは連れ立って車に乗った。トワは後ろの席に横たわり、ラビットは運転席にもたれかかる。そのまま、二人は眠りにつくかと思われた。
 しかし、トワは眠れなかった。『守れなかったものがある』というラビットの言葉が、頭から離れなかった。
「眠れないのか?」
 トワは少し、身体を起こした。目を開けると、ラビットが心配そうな表情でこちらを覗きこんでいた。トワは申し訳なさそうに頷く。ラビットは少し困った顔をした。
「それなら、少し長い話をしよう」
「長い話?」
「昔話だ。昔々、ある所に……という奴だ」
 今日のラビットは少し変だ、そうトワは思った。いつもは黙ってばかりのラビットが妙に話をしたがる。しかし、少しでも、ラビットの話を聞いていたい、そう思ってもいた。
「うん、聞かせて」
「だが、余計眠れなくなるかもしれないな。私はあまり面白い話はできない」
「いいよ、聞かせて」
 トワはそう言って目を閉じた。ラビットはサングラスを外し、赤い目でトワを見ながらゆっくりと話し始めた。
「昔々、ある所に一人の男がいた。その男は軍人だった。軍人としてはちょっとした問題人物だったが、能力的には申し分ない男だった。
 まあそれは置いておいて、そいつにはもっと問題のある相棒がいた。いろいろな意味でたちが悪い、そんな相棒だった。二人はいつも一緒だった。問題人物の掃き溜めみたいな部署に置かれていたのだが、彼らの事件や活躍は軍の中でも有名だった。いい意味でも、悪い意味でも、な」
 ラビットはトワを見た。トワは小さく頷いた。それを確認してから、言葉を続ける。
「だが、ある時、その男は突然、帝国との戦争に駆り出されることになってしまった。……貴女は帝国を知っているか?」
 トワは小さく、首を横に振った。
「帝国は、今のところ星団連邦政府とは対立関係にある巨大な国家組織だ。規模的には連邦に負けているが、軍事力などいくつかの部分では多少上回っているともいわれている。その帝国との戦争が起こった。戦争とは無関係な部署にいたはずのその男も、戦争の状況が悪化して、駆りだされざるを得なくなった」
 そこで、一度言葉を切り、息をつく。
「そうして、男とその相棒は戦争に出かけた。だが、戦場はひどかった。無関係な人間までもが次々と死んで行き……ついに、それを見ていた相棒が、狂ってしまった」
 ラビットはトワの表情が少し曇るのを確認し、この話を切り出したことを少し後悔したようだった。目線を漆黒の空に移し、しばらく黙っていた。だが、トワは言う。
「それで、相棒の人はどうなったの?」
 その言葉を聞いて、ラビットは再び話を始めた。
「相棒は、敵味方構わず殺していった。その区別もつかないくらい頭がおかしくなっていたんだが。相棒はたち悪いことにその男以上に強くてな。誰も、止められなかった」
 トワは瞼の裏にその光景が見えたような気がした。果てしなく続く白い空間にばら撒かれた何かの破片、赤い染み……その中に立つ、一人の人間を。
「しかし、男はその相棒を止めようとした。狂って何もかもが分からなくなっている相棒の前に立った。相棒はしばらく抵抗したが、突然我に返った。そして……」
 ラビットの言葉が途切れた。
 奇妙な沈黙が流れる。
「……男は、相棒に向かって『良かった』と言って笑った。そう、男は相棒の事を責めることも何もせず、ただ相棒が完全に狂気に支配されてないことを安心し、喜んだ。だが、助けられたはずの相棒は、男を拒絶するようになっていた。頑なに、な」
 ラビットは自嘲気味に口端を吊り上げた。まるで、自分が当事者であるかのように。
「男は相棒に拒絶される理由が分からなくて、戸惑った。男はすごく実直な奴で、何度も何度も相棒に聞いたんだ。『何故自分を遠ざける』と。しかし相棒は答えない。よく考えてみれば簡単なことだ。相棒は罪悪感で、男に顔を合わせられないと思っていたんだ」
「罪悪感?」
「そう。相棒は、暴走を止めようとした男を、傷つけてしまった。気が触れていたとはいえ、自分の相棒である男を傷つけたことは、大きな罪だと思っていた。
 なのに……男は何も無かったかのように明るく振舞う。それが、我慢ならなかった。
 もしこれが、わざわざ相棒の事を気遣って言っている言葉であって、実際は少しでも相棒を憎んでいるというのならば相棒も少しは気が楽だっただろうが、男はあまりに素直すぎた。相棒が無事であることを心から安心している……それだけだった。だから、自分の罪を一人で抱え込んでいる気がして、相棒は男を遠ざけるようになってしまった」
「……寂しいヒトだったんだね」
「そうだな。だから、男は余計に相棒の態度を理解できないと、悲しく思った。それで、二人はすれ違いを始めてしまった。今まで何となくは上手くやっていけていたのに、この事件がきっかけに、全てが崩れ始めてしまった」
 目を閉じ、息をつく。
「さて、この先の話だが、男はこの戦争で高い功績を残したおかげで昇進し、また『軍神』の称号にも手が届くほどの活躍を続けた。元からセンスのいい男だったから、そういう機会さえあればいくらでも強くなれた。そうして、いつしか恋人もできて、男は幸せに生きていくことになった」
 ラビットはそこまで話して、「これで終わりだ」と言った。トワはあまりに唐突過ぎる終わり方に首を傾げてしまった。
「男の人は、幸せになったの?」
「さあな。あくまで昔話に過ぎないから私はそこまでは知らない」
「相棒の人は、どうしたの?」
 トワの質問に、ラビットは苦い顔を浮かべた。
「死んだ」
「え……?」
「死んだよ。戦争に出てから数年後に、事故で死んだ」
 口端を上げてはいるが、ラビットの声はひどく暗かった。
「以上が私の知っている『昔話』だ。楽しくない話だろう? 私もそう思う。実はもっと長い話だが、かいつまんで話すとこんな感じだ」
「ねえ、ラビット」
「何だ?」
「……きっと、その男の人、幸せになってないよね」
 トワは微かに目を開けて言った。ラビットはしばらくトワを見ていたが、小さく、頷いた。
「そうだな」
「男の人、まだ生きてるの?」
「ああ。昔話と言っても大して昔の話ではないからな」
 ラビットはそう言って、椅子にもたれかかり目を閉じた。
「トワ、私は、この昔話の男のようになりたかったんだ。自分に素直に、実直に、そしてすごく優しい。時にあまりに直線的過ぎて人を傷つけることはあっても、それでも……不器用に真っ直ぐ歩み続ける。そう、ありたかった……」
 その声は、掠れていた。
 トワはラビットを見た。ラビットは目を手で覆って、ひどく、悲しげな表情を浮かべていた。見てはいけないものを見てしまった気がして、トワはすぐに目を閉じた。
「……優しいよ」
「え?」
「ラビット、優しいよ」
 トワは、小さな声で呟くように言った。ラビットは返す言葉をなくし、口を少しだけ開けるだけだった。トワは「おやすみ」と言って、そのまま眠りについてしまった。ラビットは「まいったな」と呟き、目を手で覆ったまま口端を歪めた。
 
 
「私が優しいなんて、そんな事を言わないでくれ……傷が、深くなるだけだ」

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008:空に捧げる歌
 深夜。荒野の真中に、一台の車が止まっている。
 鈍色の車の運転席で静かに眠っているラビットの顔を、覗き込むトワ。放送無線機からは、ノイズ交じりではあるが澄んだ声と、美しいピアノの音色が絶えず流れていた。トワは手を伸ばし、ラビットの真っ白な髪に触れた。さらさらと、トワの手の上に白い糸が流れる。
『眠らないのですか、トワ』
 そんなトワの横に、蜻蛉の羽を持った立体映像の女性が映し出された。
 龍飛だ。
「龍飛」
『それとも、眠れないのですか』
 トワは、龍飛の方を向いて……小さく、頷いた。
「ねえ龍飛」
『何ですか?』
 トワの細い指が、放送無線機の方に向けられる。
「これ、なんていう歌?」
 澄んだ女性の声は、静かだが美しい旋律を歌っており、伴奏で流れるピアノの音色はその歌声を包み込むような、不思議な音色を奏でていた。トワは今まで、この曲を何度も聴いてきたし、車の中では絶えずこの曲がかかっていたように思う。
 龍飛は言った。
『「空に捧げる歌」です。この地球の中でも有名な歌手とピアニストである、トーン姉妹が共同で制作した唯一の曲です』
「そうなの?」
『そして……ラビットが一番嫌いな曲です』
「嫌い?」
 トワは首をかしげた。嫌いなら、いつも車の中でかかっている理由が分からない。が、龍飛ははっきりと首を縦に振り、明るいブラウンの瞳でトワを見た。
『はい。ラビットは口癖のようにおっしゃってました。「私は、この歌が一番嫌いだ」と』
「なら、何で聴いているの?」
『わかりません』
 龍飛は申し訳なさそうに言った。トワは再び、ラビットの方に顔を向けた。ラビットは静かに眠ったままで、起きる気配は見せなかった。その間も絶えず、優しい旋律が聞こえてくる。本当に、美しい曲だ。
 
 ――あの光を目指す貴方を
   私はいつまでも見つめています
   手の届かぬ月に寄り添う貴方を
   私は……
 
「私はどこまでも追い続ける……」
 トワは透き通った声で歌い始めた。しばらく、狭い車内にトワの歌声と放送無線機から流れてくるノイズ交じりの女の声、そしてピアノの旋律だけが聞こえていた。
 曲が終わると、龍飛が拍手を送った。
『お上手ですね』
「……歌うのは好きなの」
 トワは少し、嬉しそうに微笑んだ。龍飛もその人形のような顔に微笑をたたえる。
 今度は、放送無線機からピアノの音色だけが流れてきた。さっきとは又違う、少し寂しげな、悲しげなそんな旋律だった。
 しばらくは、車の中はピアノの音色だけに包まれていた。
『この曲を弾いている、ピアニストのミューズ・トーンという女性について、ワタシは昔ラビットから聞いたことがあります。有名な話ではありますが……彼女は、五年前に死んでしまったのです』
 龍飛は、ふとそんな事を言った。トワは龍飛の方を見て、青い目を見開いた。
「……どうして?」
『これも、全てラビットから聞いた話なのですが、五年前、ミューズ・トーンは一人の軍人と恋に落ちたそうなのです。しばらくは幸せな日々が続いていたのですが、それも、長くは続きませんでした』
 龍飛は、漆黒の闇に塗り潰された空を見上げるような仕草をした。トワもつられて空に目をやる。空には強く輝く青い星と、月しか浮かんでいなかった。
『ある日、ミューズはコンサートのためにある町に向かった……そこで、何かが起こったのです』
「何か?」
 トワは聞き返した。龍飛は何を言っていいのか迷っているような、そんな表情を浮かべた。
『ワタシも、ここについてはラビットに何度か問い直したのですが、理解はできませんでした。ただ、ラビットに聞いた話をそのまま言うとすれば、「全てが、消えてなくなった」そうなのです』
「全てが……消えてなくなった?」
 龍飛は困ったように苦笑した。
『ええ。その町は白い光に包まれて消滅したそうです。そこだけ穴が開いたかのように、何もかもが、なくなったとのことです』
 トワはその出来事に心当たりがあった。自分の胸に、手を重ねる。心臓の鼓動が手のひらに感じられる。
 そして、少し堅い、石の様な感覚も。
「無限色彩……」
『トワ? どうかしましたか?』
「ううん、何でもない。それで、恋人の軍人さんは、どうなったの?」
『その町にいた全ての人間も同時に消滅してしまったそうですから、その軍人も、おそらくは消滅しただろうとラビットはおっしゃいました。結局、全ては光の中に埋没したと、そうおっしゃってもいました』
 ピアノの音が、一瞬途切れた。
『そして、姉の死を悲しんだ歌手である妹のセシリア・トーンは以来歌を歌うことも無くなり……結局、二人で共に作った最初で最後の作品があの「空に捧げる歌」になってしまったと、そう聞きました』
「空に、捧げる……」
『この歌は、トーン姉妹お互いの愛する者への思いを綴ったものなのだそうです。ミューズの恋人を「月」、そしてセシリアが愛した者を「太陽」にたとえているのだと聞いたことがあります。どちらも空に存在するものとして、「空に捧げる歌」という題なのだそうです』
 そう言って、龍飛は漆黒の空からトワへと目線を戻した。ひどく優しげで、しかしいつもどこか物悲しげな表情を浮かべている人形のような顔をトワに向ける。
『以上が、ワタシが知っているミューズ・トーンについての話です』
「ありがとう、龍飛。面白かった」
『ええ』
 龍飛は微笑んだ。
『さあ、もう寝た方がいいですよ。ラビットが、心配します』
「そうだね。大丈夫、もう……眠れる」
 そう言って、トワは助手席にもたれかかった。ピアノの物悲しげな旋律を聴きながら、目を静かに閉じた。
 
 
 トワは、瞼の裏に、爆発するように広がる純白の光と、それに……一人の、こちらに向かって手を伸ばしている男の姿を見たような気がした。ただ、爆発にもかかわらずその場は静寂に包まれていた。聞こえてくるのは、遠くから聞こえるピアノの音色、ただそれだけだった。
 ――泣いている?
 男は、涙を流していた。漆黒の、夜の闇色をした髪を爆風に靡かせ、手をこちらに向かって伸ばしていた。周囲の景色が全て光の中に埋没していく中、男の姿だけは妙に近く、そしてはっきりと見えていた。
 ――貴方は、誰?
 しかし、トワの意識もやがて遠ざかっていく。脳裏に走る鈍い痛みと共に、男の姿も白い光にかすんでいく。ただ、光を裂くような鋭い声だけが、トワの脳裏に響き渡った。
「ミューズ――っ!」
 
 
 静寂が、訪れていた。
 いつしか放送無線機から流れていた音楽も途絶えていた。
 眠っているように見えた運転席のラビットが、微かに目を開けて空を見上げる。
 漆黒の空に浮かぶ滲んだ三日月だけが、鈍色の車を見つめていた。

by admin. Planet-BLUE <2799文字> 編集

007:第一の対峙
 ――軽率だった。
 ラビットは、ホテルの窓から外を眺めつつ溜息をついた。
 ――思えば、トワが軍に追われている地点から、あらゆる手段を向こうが取ることは想像しておくべきだった。例えこれほど小さな町であっても、トワが訪れる可能性が一パーセントでもあれば……
 窓の外、ひびの入った人通りの少ないレンガの道を赤い軍服を着た男が一人、歩いていた。さっきは別の男が歩いているのも見た。
 ――軍の連中が張っていてもおかしくはない。
 町では、すでに赤い軍服の男が何人も配置されているようだった。ラビットは何とかその中をかいくぐってこの小さな、客もないホテルに辿り着いたのだ。ホテルの主人は何も知らなかったので助かった。どうも主人によると、軍の人間がここに来たのは二日前のことらしい。
「ラビット、どうするの?」
 ベッドの上に腰掛けていたトワが、不安そうに聞いてきた。ラビットは窓からトワに目を移し、肩を竦める。
「気づかれていなければいいのだが……しかし、この状態だと下手に出て行っても捕まるだけだな」
「ごめんなさい、わたしのせいで」
「何故謝る? このくらいは覚悟の上だ。貴女が軍に追われていたのを失念していた、私のミスだ」
 ラビットは最後の方は吐き捨てるように言って、再び軍人が歩いている道に目を戻す。前回……初めてトワに出会ったときのように、いきなり大勢の軍人が詰め掛けてくるという様子ではない。むしろ、人数としては少なすぎるくらいだ。
 ――人海戦術は無駄と気付いたのか? だが、それにしては……
 町の規模からして、大体二十人くらいの兵しかいないという計算になる。それではもし目的のトワが発見されたときにすぐに対応できるのかは怪しい。そのくらいの人数の目を欺くことなら、不可能ではないとラビットは考える。
 ――指揮官が優秀なのか? それとも逆に何も分かっていない馬鹿か?
 考えながら、窓から離れる。軍人がこちらを向きかけていたからだ。こんな客が来そうにもないホテルに客がいたら怪しむに決まっている。傍にあった椅子に腰掛け、トワを見た。トワは不安げな表情ながらもラビットの考え事の邪魔にならないように、ベッドに横になり、静かにラビットの方に目だけを向けている。
 ――そういえば。
 ラビットは、トワに目をやりながら、旅立つ時に聞いた話を思い出していた。
『レイ・セプターが彼女を追ってる』
 星団連邦政府軍大尉レイ・セプター。連邦軍ではかなりの有名人だ。ラビットが知る限り、過去には性格的に問題があり、未開惑星送りになっていた男だ。
 だが数年ほど前からだろうか、急に少数精鋭を誇る遊撃隊、アレス部隊に所属換えとなり、数々の功績を残してきている男。階級こそ大尉だが、その功績……特に戦闘能力に関するものが認められ、次期の『軍神』称号最有力候補にも挙げられているとも言われている。
 ――しかし、そんな有名人が何故政府の管轄からも外された小さな星の任務についている? 私情を考慮して考えても、妙な話だ。
 ラビットは考える。答えは出そうにもないが、考えていなければ更に不安になるような気がしていた。
 ――だが、本当にレイ・セプターが動いているなら、いくらトワを傷つけることはできないと言え、こちらの分が悪い。それに、あれが相手ならば、今の私では太刀打ちできない上に、不利な条件が重なっている。
 左手にはめた銀色の籠手を見つめる。旅立つ前、男から受け取ったもの。これがどのような物品かはラビットもよくわかっていたが、今すぐに使いこなせる自信はない。
 左手を下ろし、大きな旅行鞄を立てる。大きいがあまり重量はない。色々と特殊な加工がされているのだ。顔を上げるとふとトワと目が合う。
 ――結局、私にできることといえば……
「いつまでもここにいるわけにもいかない。すぐに連中が嗅ぎ付けるだろう。だから、私の言うことを少しだけ聞いて欲しい」
「うん、わかった」
「貴女はこの鞄を盾にして、そこに隠れていて欲しい。そして、私が合図をしたら、すぐに鞄を持って私と一緒に走れ。わかったな?」
「うん」
 トワは不安げな顔こそしていたが、しっかりと頷いた。ラビットも安心し、そしてすぐにまた厳しい顔つきになって耳を済ませた。……堅い靴音が聞こえてくる。階段を上る音のようだ。それは段々とラビットのいる部屋に近づいてきている。トワはすぐにさっきラビットが指し示したドアのすぐ横に鞄を立て、後ろにうずくまった。
 ドアが、ノックされた。
「すまない、連邦政府軍の者だが、少し話を伺いたい」
「ああ、わかった。すぐに開ける」
 鍵を外し、ドアを開けたラビットの眉間に銃が向けられる。条件反射的に両手を挙げるラビット。真紅の軍服に身を包んだ軍人は、銃を片手にラビットの全身を珍しげに見た。
 それは当然だろう。真っ白な髪に真っ白な肌、それに分厚いサングラスまでかけているときたら、不審を通り越して純粋に「珍しい」というものである。
「……最近のお偉方は随分と過激なことをなさいますね」
 ラビットは口端を歪めて皮肉混じりに言ったが、軍人は気に触ったようでもなく、機械的に言った。
「何、貴方が怪しいものでなければすぐに終わる」
 その言葉は、「貴方を疑っている」のと同じ意味である。軍人は、ラビットに銃口を向けたまま部屋の中に一歩足を踏み入れ、部屋を見渡す。何かを探すように……
 ラビットからは一瞬だけ目が離れた。
 ラビットはその瞬間を見計らって、軍人の銃を手で払いのけ、無防備な胴体に右手をつける。
「貴様……っ!」
 軍人はそれに気付き、ラビットに目を戻す……が、遅かった。
「『死呼ぶ神の槍(グングニル)』!」
 右の手の平に刺青された紋章。そこから放たれた青い光に軍人の胴体が貫かれる。軍人の身体は吹っ飛び、壁に当たって崩れ落ちる。
「行くぞ、トワ!」
 ラビットの声と共にトワが鞄を手にドアから出る。ラビットも軍人が起き上がりそうになっているのを確認し、慌てて廊下に出た。階下が騒がしい。きっと今の騒ぎを聞きつけてホテルの主人がこちらに向かってでもいるのだろう。見つかると厄介だと察したラビットは、迷わず上の階へと向かっている階段を、トワの手を取って駆け上った。
 階段の先は屋上だった。ラビットは躊躇せず、少し段差のある隣の家に飛び移る。トワもすぐにラビットの後を追って飛び移った。
「怖くないか?」
「大丈夫」
 トワのしっかりとした声が、ラビットを少しだけ安堵させた。
 
 
『報告します。第七エリア異常なし。監視を続けます』
「了解」
 町の中心にある広場。そこに真紅の軍服に身を包んだ、金髪の若い軍人がいた。
 彼こそが、星団連邦政府軍大尉、レイ・セプターだった。
 通信機から聞こえてくる声に言葉を返すセプター。通信機を持つ右手は生身の腕ではなかった。おそらく最新型の義手なのだろう、手袋の下からは表皮を貼っていない金属部分が覗く。
『……第六エリア、異常なし』
『第三……』
『異常ありません』
 馬鹿らしい、とセプターは思った。ここに『青』が来る確率はそう高くない。確かに『青』が初めに発見された町からこの町は一番近い。道を通っていれば必ず訪れる場所ではあるが、『青』が今もまだこの町に滞在しているという確固たる保証はない。
 それでも『青』の目撃情報が圧倒的に足りていない今、セプターに取れる方法といえばこのくらいしかなかった。
 その時。
 通信が入った。通信機から聞こえてきた声は妙に上ずっていて聞き取りにくかったが、おおよそこんなことを言った。
『第五エリアにて、『青』を発見、確保に失敗しましたっ! ターゲットは『青』ともう一人、白髪の男で……ホテルにいたところを捕獲しようとしたのですが……現在建物の屋根の上をエリア九に向かって移動しています……応援を……』
 こんな簡単に見つかるものか、と一瞬呆れるが、あまりにぜいぜいと苦しそうな呼吸をする通信を送ってくる兵の様子に緊張を取り戻す。
「了解した。そっちは休んでいろ」
 セプターはそう言って、一回通信機の電源を切る。
 『白髪の男』の話は聞いていた。確か、『青』の保護作戦に参加していた軍人を紋章魔法で倒し、そのまま『青』を連れてどこかへ消えたという話だった。やはり、現在も『青』とともに行動しているらしい。
「紋章魔法……か」
 セプターの中では紋章魔法にはあまり良い思い出がない。いや、どちらかというと思い出したくない思い出と言った方が正しいのかもしれない。
 それを振り払うように軽く頭を振り、再び通信機の電源を入れ、周波数を町にいる全員の仲間に合わせてから言った。
「エリア五にて『青』が発見された。現在エリア九に向かって移動中とのこと、至急エリア九に移動し、保護作戦を開始しろ。俺もすぐ向かう」
 
 
「やはり、追ってきたか」
 ラビットは、家々の屋根の上をトワの手を取りながら走っていた。ちらりと背後に目をやると、二人ほどの軍人が後を追ってきていて、そして屋根の下を並走する軍人も何人か見えた。攻撃を仕掛けてこようとは思っていない模様だ。捕縛対象のトワがすぐそばにいるからだろう。
 しかし、ラビットには圧倒的に持久力が足りない。それにトワの方が心配だ。まだ平気そうだが、息を切らせ始めている。このままでは埒が明かないと思ったが、紋章魔法はそう簡単に何度も使えるものではない。基本的な攻撃魔法はこう不安定な体勢では最大の効果は発揮できない。
 それに、ラビットは気付いていた。
 自分たちが追い詰められていることに。
「ラビット!」
 トワが叫んだ。
 とある建物の屋上に足を踏み入れる。だが、その先の道はなかった。大きな道に分断されてしまっていて、その先に行けなくなってしまったのだ。高さもかなりある。ここから道に飛び降りるということは自殺行為だ。
「……ここまでか」
 ラビットも苦い顔をして、呟いた。
「その通りだ」
 朗々とした声が響く。ラビットは後ろを追ってきていた軍人の方を振り返り、トワをかばうように前に出る。軍人たちはいつの間にかほとんどが屋根の上に上ってきていたらしく、十人ほどがラビットとトワを取り囲むようにしていた。そして、その中の一人が、一歩前に出た。金髪の軍人だ。
「その少女をすぐに渡せば、危害を加えるようなことはしない。大人しく応じてくれ」
「レイ・セプター……」
 こんなにすぐに出会う事になるとは。ラビットはそう思って眉を寄せた。トワは怯えた様子でラビットの服の端を掴む。金髪の軍人、レイ・セプターは意外そうな顔をして言う。
「へえ、俺の名前を知ってるんだな」
「貴方は随分な有名人だからな」
 ラビットは皮肉混じりにそう言った。セプターはその言葉にこもった皮肉をものともせず……もしかすると皮肉だと気付いていなかったのかもしれないが……言った。
「それなら俺の実力もわかってるだろう? 痛い目見ないうちに言うことを聞いてくれないか。俺だって実力行使には出たくない」
「そうだろうな」
 ラビットの言葉はあくまで否定的な響きがこもっていた。
「ラビット、わたし」
 トワは、ラビットの服の裾を掴んだまま、消え入りそうな声で言った。
「わたし、行くよ。ラビットに……これ以上迷惑かけられない」
「待て」
 ラビットは、トワの腕を強く掴んだ。トワは目を丸くし、ラビットを見上げる。ラビットはそれきり、黙り込んで動かなくなる。何かを、待っているかのようにも見えた。
 セプターは難しい顔でラビットを見据えていた。軍人たちもその場から動こうとはしない。
 奇妙な沈黙が、その場に流れた。
 ヴゥゥ……という、何かの羽音のような音が聞こえてきたような気がした。その瞬間、迷わずラビットはトワを抱き上げ、屋上の手すりを越えて、跳んだ。
「なっ……!」
 いきなりの行動に、セプターは焦った。この高さから落ちたら、例え死ななくとも骨の一本や二本折れてもおかしくはない。手すりに駆け寄り、下の道を見る。
 そして、信じられないものを見た。
 足元に浮かぶ青白い光の輪、それを踏み台にして、まるで階段を下りるかのように空中を駆け下りるラビットの姿を。
 紋章魔法の高位、『闇駆ける神馬(スレイプニル)』だ。
 ――やられた。
 セプターは頭を抱えた。相手は紋章魔法士だ。このくらいの芸当、できてもおかしくは無かったのだ。
 即座に自分の背後に控えている軍人たちに向かって鋭く、指示をする。
「すぐに降りろ! 武器使用も許可する! だが、『青』だけは傷つけるな、いいな!」
 
 
 ラビットは道に降り立ち、向こうから走ってくる自分の車を見据えた。
 車を支配している龍飛がコントロールする、無人の車を。
 車はラビットたちの前で止まり、扉が開く。すぐに乗り込むと、急発進させる。後ろから、軍人たちが銃を発砲してくるのが見えた。
 少しの衝撃が走る。
「龍飛、被害状況は?」
『後部灯破損。機関に異常はありません』
「それならそのまま走ろう。あの男のことだ、すぐに他の計画を考える。それまでは逃げ続けられるだろう」
 そう言って、助手席のトワを見る。トワはまだ不安そうな顔をしていたが、ラビットがほんの少し口端を上げると、トワも薄い笑顔を浮かべる。
「トワ?」
「何?」
「私は、貴女といて迷惑だと思ったことは無い。だから安心しろ」
 その言葉を聞いて、トワが意外そうな表情を浮かべる。それから、また笑顔を浮かべて、頷いた。
「……うん」
 
 
「逃げられたか」
 セプターは去り行く車を見つめ、吐き捨てるように呟いた。
「ラビット、か。厄介な相手だな」
 右手に握られた、銃が組み込まれている機械剣を強く握りなおす。
「だが……」
 
 
 これは、あくまで第一の対峙に過ぎない。
 セプターはそう思い、にぃと笑った。

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006:行く先
 ラビットとトワを乗せた車は荒野を走っていた。あちこちにひびが入ったアスファルトの道が荒野の真中に細い線となって続いていた。
「どこに行きたい?」
 ラビットが前を見たまま言った。トワは少し考えてから、答える。
「まだ、よくわからない。でも、ここから東に行きたい」
「東? 何故」
「……わからないけど、そっちに呼ばれてる気がする」
「そうか」
 ラビットはそれきり黙って車を運転していた。トワもしばらくは黙って窓の外に広がる果てしない荒野を見つめていたが、再び口を開いた。
「ラビットは」
「何だ」
「ラビットはどうしてわたしと一緒にいてくれるの?」
「貴女が一緒に行きたいと言ったからだろう」
「でも」
「私に断る理由もない。ただ、それだけだ」
 トワは納得がいかないといった表情でラビットを見た。ラビットはサングラスの下の瞳でちらりとトワを見やったが、すぐに道に目を戻して言う。
「それなら、私からも質問させてもらっていいか」
「何?」
「……何故、私なんだ?」
「どういうこと?」
「他にも貴女と一緒に行ける人間はいるだろう。だが、何故私なんだ?」
 トワの大きな目が、ラビットを見た。
「ラビットは、わたしを守ってくれた」
「それだけか?」
「うん」
「私が貴女を途中で見捨てることだってあるかもしれん。普通ならば軍に命を狙われてまで貴女を守りきろうとまでは考えないし、私だってそうなのかもしれない……それでも私のことを信じられるのか?」
「見捨てたりしないよ」
「何故そう言いきれる?」
「……わからない。だけどわたしはラビットを信じる」
 ラビットはその言葉を聞いて、目の上に手を当てた。そして、微かに目を細め、口端を歪めて言う。
「全く、思い込みの激しいお姫様だ」
「わたし、お姫様じゃないよ」
 トワはそう言って少し不満げな顔をする。
「何、ただの喩えだ。だが貴女は私のことを美化しすぎてやいないか? 私は、自分が大切にしているものを守れるほど強くはないし、その自信もない……」
 ラビットはそう言いながら、一瞬目をトワに向けた。トワはさっきから変わらず真っ直ぐにラビットを見ていた。真っ直ぐ見つめられるのに慣れていないラビットは、すぐにまた道に目を戻してしまう。
 再び、車の中に沈黙が訪れた。車のエンジンが立てる軽い音と拡声器から流れてくるピアノの音が妙に遠く聞こえる。
「わたし、『白』を探しているの」
 トワが、急に言った。ラビットは驚き、自分の耳が捉えた言葉を改めて確認するようにトワを見る。
「何だ、いきなり」
「『白』を探しに来たの」
「しろ?」
「ラビットは『無限色彩』って知ってる?」
「いや、知らないな」
 放たれたラビットの言葉が嘘であることに、トワは気付いていなかった。
「不思議な力を持っている人のことを、無限色彩保持者っていうの。それで、その人の持ってる能力を無限色彩っていうの」
「超能力者とは違うのか?」
「違うの。超能力と似てるけど……無限色彩は、超能力よりも大きくて、強い力」
 トワは、そこで一回言葉を切った。ラビットは話の続きを待つように、黙ってアスファルトの道を見ていた。
「あと、無限色彩を持っている人は、身体に『ジュエル』がついているの」
「ジュエル?」
「うん。色のついた宝石みたいなもの。そのジュエルの色によってその人の無限色彩の強さが決まるの。『青』が一番強くて、『赤』が一番弱い」
「……『白』は?」
「二番目に強い。でも、わたしが探している『白』は、『青』と同じくらい強いんだって」
「その『白』がどこにいるかはわからないのか? どんな特徴を持っているか、とか……」
「わたしは知らないの。白いジュエルを持っていることと、この星にいることくらいしかわからない。だから……この星を見て回りながら、『白』を見つけようと思ったの」
 そう言って、トワはラビットから、車の外の空に目をやった。果てしなく続く荒野、それに白い雲に覆われた空が広がっていた。絶えず流れているピアノの乾いた音色が、妙にその光景とよく合っている。
「トワ、貴女も、無限色彩とやらを持っているのか?」
 ラビットの言葉に、しかしトワは答えなかった。
 
 
「その『白』は、この星を美しいって言ってたんだって」
「……美しい? この星が?」
「だから、わたしもそれを確かめたかったの。それが、もう一つの目的」
「この星が美しいと思うとは、どれだけ妙な感性の持ち主なのかが伺えるな」
「そんなことないよ。だってラビットも、そう思っているんでしょう?」
「何故そう思う?」
「……だって、ラビットもこの星にいるから」
 ラビットは、トワの言葉に絶句し、戸惑った。トワはそんなラビットに気付いたのか気付かなかったのか、窓の外を見ながら、言った。
「……町だ」
 ラビットもそれに気付き、そちらに目をやる。トワの興味が他に移ったのに少なからず安堵しながら。
 荒野の真ん中の道を取り囲むようにして小さな家々が立ち並んでいるのが見えた。
「行くか?」
「うん」
 
 
 白い雲の切れ目から、青い星が覗いていた。
 破壊を呼ぶ、青い星が――

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005:旅立ちの日
 ラビットは天文台の入り口前に車を着けた。
 車はおそらく二十四世紀型のものなのだろう、特徴的な流線を描いた鈍色の車体だった。
 車を降りて、一つ、溜息をつく。
 ラビットは、トワが『この星を見たい』と言った時、何も言葉を返すことができなかった。
 何しろ、『この星を見たい』と言われても、何を見せればいいかもわからない。
「それに、私も、何も知らない」
 ラビットは元々この星……地球の人間ではない。どこの出身かは彼自身が口を閉ざしているため、誰も知ることはないのだが。
 しかし、ラビットはトワの願いを聞き届けることにした。トワが何故政府に追われているのかはわからないし、何のためにこの星に来たのかも詳しく話そうとはしない。だが、このままこの天文台にトワを置いておいても、すぐに政府が嗅ぎ付けてトワを追ってくるだろう。そうなれば面倒なことは目に見えていた。
 何を見せればいいかわからないのなら、とりあえずどこかに行ってみよう、それから考えればいい。ラビットはそう思っていた。
「ラビット」
 声をかけられて、ラビットは声の聞こえた方向に目をやった。そこには少し大きめな真っ白のワンピースを着たトワが立っていた。
「どうした?」
「ううん、何でもない」
 そう言って、トワはラビットの横に歩いてきた。ラビットは車のドアを閉め、エンジンを点検し始めていた。
「……ラビット」
「何だ?」
「横にいていい?」
「ああ」
 そっけない返事をするラビットだったが、トワは嬉しそうに笑ってラビットの横に立った。ラビットは黙々と点検を進めている。
「……ラビット」
「何だ?」
「龍飛はどうするの?」
「………」
 龍飛。ラビットの住む天文台の管理をするメインコンピューター。……そして、彼女は機械でありながら酷い寂しがりやだった。
 ラビットが天文台に住み着く前……そこには一人の老人が住んでいたという。彼女は老人の話し相手として作られた存在だった。老人が死んだ時、彼女は寂しさのあまりに機能を全て凍結させ、自らの意識も凍結させたらしい。ラビットが住み着いてから、すぐに機能を解凍したらしいが。
 彼女の感情は、ほとんど人間と変わらないほど高度なものだ。それは、数年彼女と共に過ごしたラビットもよく知っていることである。
 トワは龍飛と何回か言葉を交わしているうちにいつの間にか仲良くなったらしい。だからラビットにこんなことを言ったのだろう。
「置いて行くしかないだろう? 彼女はこの天文台そのものなのだからな」
 ラビットは天文台を見上げた。トワは明らかに寂しそうな顔をした。
「独りは、寂しいんだよ?」
「………」
 再び、ラビットは黙り込むしかなくなっていた。少し考えて、ふと何かを思いついたかのように顔を上げた。
「少し、待っていろ」
 ラビットは手を止め、天文台に向かって歩き始めていた。トワは「待っていろ」と言われたので、その場に立って空を見上げた。
 少し灰色がかった白い空。空にはまだ昼間だと言うのに、青い星が浮かんでいた。
「青い、星」
 トワは、ポツリとつぶやいた。
「私と……同じ」
「――『青』」
 トワではない、ましてやラビットでもない声に、トワははっとして振り返った。そこには一人の人間が立っていた。黒いスーツを着て、金色……いや、むしろ黄色と言った方が正しいか……のウェーブがかった長い髪を乾いた風に靡かせ、青い色のレンズが入った眼鏡をかけている、どこか中性的な若い男だった。
「……誰?」
 トワは怯えをあらわにして問いかける。男は穏やかな表情を浮かべていた。しかし、この男は、トワが最も嫌うもの……軍の人間であることをトワは感覚的に察知していた。
「ん? ラビットの知り合いよ。ラビットは?」
 女のような口調で喋る男に、無言でトワは天文台を指差す。男は「そう」と答えて、しばらく天文台とトワを交互に見つめていた。しかし、この前にトワを捕まえようとした軍人たちとは違って、どこか物珍しそうにトワを見つめるだけで、何をするわけでもなかった。
「あの……」
「何?」
「貴方は、軍の人ですよね?」
「ええ、そうよ」
「何故、わたしを捕まえないんですか?」
 男はその質問を受けて、一瞬虚を付かれたような顔をしたが、すぐにくすくすと笑いをこぼした。
「そんなことを言ったらミラージュ姫だってそうでしょう? 彼女もああ見えてれっきとした軍の学者さんだし。ま、あたしはラビットに用があるだけで貴女に用はないわ。だから捕まえたりはしないわよ、安心して」
 声こそ男のものだったが、その仕草は妙に女性的だ。しかしながらそれがよく似合っていた。元々外見が少し女性に近いということもあるのだろうが。
 そして、彼の言う「ミラージュ姫」がトワに接触を求めたクロウ・ミラージュの通称であることにトワが気づいたのは、一呼吸後のことだった。
「クロウを知っているの?」
「知っているも何も、ミラージュ姫は軍の中でも有名人よ」
 そんなことを話していると、玄関のドアが開き、ラビットが顔を出した。そして、トワと話している男を見て、絶句した。
「………!」
「お久しぶり、兎さん。元気してた?」
「何故、貴方がここに?」
 男は驚くラビットの顔を、下から覗き込んだ。
「決まってるじゃない。姫から貴方がこの子をかくまってるって聞いて飛んできたの。もちろん本部には知られないようにね」
「本部……軍はまだこちらの事を知らないのか?」
「表面上はね。まだうちの戦乙女さまが気づいていないから、もしかしたら全く気づいてないかもね。その逆もありえるかもしれないけど」
 結局のところどうとでも取れるということだ。適当なことを軽く言う男に、ラビットは嘆息した。
「仕方ないな……私はとりあえずここを出る」
「ええ、その様子じゃそうでしょうね。でも、気をつけて」
 男は初めて、笑みを抑えて少し真面目な表情になった。
「……レイ・セプターが彼女を追ってる」
「………!」
 ラビットの表情が一気に険しくなった。トワは怯えた表情でラビットにしがみついている。
「あの男が?」
「彼が、この子の身柄を保護する権利をうちの戦乙女さまからいただいてきたの。何考えてるかは知らないけどね。もし厄介事に巻き込まれたくないなら、今のうちに彼女から手を引いたほうがいいわよ?」
 言葉だけ聞くとどうも軽く聞こえてしまうが、そのトーンは低く、この男なりには本気なのだろうと言うことが何とか伝わってきた。トワはそれを察したらしく、悲しそうな顔を浮かべてラビットを見上げた。
 ラビットはしばし目を伏せていたが、ふと、真っ直ぐ男を見据えた。
「もう厄介事には十分なっているだろう。レイ・セプターは何とか撒いてみせる。彼女が満足いくまでは、とりあえず彼女に付き合うつもりだ」
 男は、ラビットの言葉を聞いて長い長い溜息をついた。
「ええ、アンタならそう言うと思ったわ。わかってる。ごめんね、わざわざこんなこと聞いて」
 そう言いながら、男は左手にはめていた金属製の籠手のような物をはずし、ラビットに向かって投げる。ラビットはそれを受け止めながら、サングラスの下の瞳を丸くした。
「……いいのか? こんなものを軍の人間でもない私に渡しても」
「構わないわ。今のあたしには必要ないけど、アンタには絶対に必要だもの」
 言って、男は微笑む。そして、まだどこか不安げな表情でラビットにしがみついているトワの青銀の髪に軽く触れた。
「ごめんね、不安な思いさせて。大丈夫よ、ラビットなら貴女を裏切ったりはしないわ。あたしと違って……ね」
 少し、自嘲気味な笑みが、男の表情に混じったような気がした。トワは不安げな表情こそ崩さなかったが、男への緊張は解けたらしく、ラビットから離れて男を見た。
「あたしが伝えたかったのはこれだけ。後はアンタだけでどうにかしなさいよ」
「ああ、わかっている、元々貴方の力だって借りるつもりはなかったが……しかし、ありがたくいただいておく」
 ラビットは男から渡された籠手のようなものを左手にはめた。ラビットがはめるにはサイズが大きかったが、抜けるというほどでもなかった。
「貴方の動きは気づかれていないのか?」
「あたしの行動が基本的にノーマークなのは知ってるでしょう?」
「それはそう、だが……」
「それじゃあ、あたしはこれで。……お願いだから、無茶だけは、しないでね」
 男は、そう言って歩いてその場から立ち去った。とりあえずラビットは視界から男が消えるまでは見送ったが、視界から男が消えるなり足元に置いてあった黒い一辺が二十センチメートルくらいの箱を手に取った。
 何、これ?とでも言いたげな表情のトワに、ラビットは少し笑顔を見せた。
「すぐにわかる」
 一言だけ言うとラビットは再び車へと向かい、手にした箱を車の機関部に取り付け始めた。再び沈黙が流れ、トワはせわしなく動くラビットの手を覗き込んでいた。
「ねえ、ラビット」
「何だ?」
「さっきの人、誰?」
 ラビットは手を休めることもなく答える。
「私が軍人だったころにいろいろと世話になった。変なやつではあるが信頼には値する」
「……あの人」
 トワは深い海の青を映し出した瞳でラビットを見た。
「今まで出会った人の中で一番血の匂いがした」
 ラビットはその言葉に一瞬手を止め、まじまじとトワを見つめる。トワは眉を寄せ、心配そうな顔を浮かべていた。
「怖かった」
「不思議だな。私はそんな匂いなんて感じなかったが」
「匂い……じゃないのかもしれない。でも、わかったの。あれは血の匂い」
 ラビットは思わず止めてしまっていた作業を再開し、目も機関部の黒い箱に戻す。
「そうか。……あの男は、昔、軍の中で一番力のある軍人だった」
「力のある?」
「いや、わかりやすい表現をすると、『一番人を殺した』軍人か」
 ラビットはそこで言葉を切り、息をつく。手は止まらずに作業を続けている。
「ただ、事故に巻き込まれてな。身体が使い物にならなくなって、一線から退くことになった。だから今は軍の中では情報収集を主な仕事としている。……仕事というか半分以上趣味だがな」
 言葉とともに手を止め、ラビットは「できたぞ」と言って黒い箱のスイッチを入れた。すると、車内に設置された立体映像投影機に一人の女性の姿が映し出された。……龍飛だ。
「龍飛」
 トワが嬉しそうに呼びかける。龍飛もトワに向かって笑いかけた。
「メイン人格をコピーして移し変えた。あくまでコピーだが、主電脳ともリンクさせてあるからいいだろう、龍飛」
『ええ、十分です、ラビット』
 龍飛は人口音声で言った。声に抑揚は少なかったが、喜んでいるのだろう。
「さて……準備もできたな。……行くか」
 ラビットは天文台の扉に全て鍵をかけた。
 ――こことも、もうお別れだ。
 ふと、天文台から覗く巨大な望遠鏡に目が行く。古びた、何世紀も前の望遠鏡。
 ――もう、帰れないだろう。
 トワの存在も、トワを追う軍人も、さっきの男の忠告も、これからの旅の過酷さを物語っているようだった。しかし、彼がトワを見捨てるなんて事は、できるはずもなかった。
 彼自身がお人よしであるということもあるが、それ以前に……トワが、自分に近い存在であるように感じてしまっていたから。
「十二翼の堕天使」
 ラビットは、トワにも聞こえないくらいの声で呟いた。
「貴方の片翼、確かに譲り受けた」
 左手にはめた籠手のようなものを見据え、ラビットは続ける。
「……しかし、貴方の翼でも手に余る」
 目を、空に向ける。太陽と一緒に輝く青の星。
「あと、一年もない時間で、私たちはどこまで行けるだろう?」
 
 その答えは、今はまだ誰も知らない。

by admin. Planet-BLUE <4856文字> 編集

004:知る者
 クロウ・ミラージュは古びたバイオリン片手に閑散とした部屋の真中に座っていた。目はいつものように虚ろで、どこを見ているのか定かではなかった。
 部屋のドアがノックされる。
 ミラージュは何も言わず、ただドアの方を見た。すると、相棒のレオン・フラットが入ってきた。少し不安げな表情をしている。
「クロウ、落ち着いたか?」
「………」
 ミラージュは小さく頷いた。相変わらずの無表情だったが。
「いきなり通信を繋げたいって言った時には驚いたが……クロウ、何で君はあの少女を逃がしたんだ?」
「………」
 ミラージュは問いには答えず沈黙だけを返した。ともすれば眠り込んでしまうような表情で。
「あの少女は政府にとっても重要な存在だろう? もし、君が逃がしたと知れれば、やっぱり」
「でも、友達だから」
 ミラージュはフラットに向かって言った。今度はフラットが虚を突かれたように黙り込む。
「……トワ、悲しそう、いつも。だから、私」
 ミラージュの漆黒の瞳が、少し揺れた。
「私……トワ、送った。トワ、地球が、いい……言った。会いたい……って」
「会いたい?」
「多分……『二番』に」
 フラットは少し考え込むような仕草をした。それを見ながらミラージュは舌足らずな言葉で続ける。
「トワ……私、同じ。『二番』も」
「そうだな。あの人はクロウと同じ『白』だったな。でも、あの子は……」
「『青』。同じだけど、違う。全て……始まり。だからトワ、独り……誰とも、違う」
 ミラージュは俯いた。
「わかる。……独りは本当に寂しいんだ。私はとてもよく知ってるから」
 一瞬、ミラージュの放った言葉が鮮明になった。フラットはそんなミラージュを抱きしめた。ミラージュは手にしたバイオリンを思わず落としてしまった。
「……でも、もう、独りじゃないだろ?」
 フラットはミラージュの耳にささやくように言った。ミラージュは目を見開いたまま硬直していた。
「トワも、『二番』に任せておけばきっと大丈夫だ。あの人も……独りがどれだけ辛いか、知ってる」
 ミラージュは少し落ち着いてきたのか、フラットの赤い髪に触れながら、また元の舌足らずな口調に戻って言った。
「うん……そう、だね……ありがと、レオン」
 
 
「『青』が逃げ出した……その時、『黒』はどうしていたのだ?」
「気絶していました。『青』の力だと思います」
「なるほど。しかし、時計塔には『青』の力を抑える効果があったはずだが……」
「『青』の力が予想以上だったのだろう? ヴァルキリー大佐」
 小さな部屋で、四人の軍人が何かを話し合っていた。
「予想以上、か……だが、『青』がいきなり此処を抜け出すような性質だとも思えないがな」
 ヴァルキリーと呼ばれた女が言う。ヴァルキリーは美しい銀の髪をした女である。ただ、その耳は長く伸び、先が尖っていた。この特徴は、彼女が純血の太陽系圏人種(ソーラー・ヒューマン)ではないことを示していた。おそらく、妖霊系圏人(エルフィン)の血を濃く引いているのだろう。
「わからないぞ? 何しろ奴は『青』だ。何を考えているかなど我々の思うところではない」
 ヴァルキリーの隣に座っていた大男がやたらとやかましい声を上げる。多分本人は意識していないのだろうが、ヴァルキリーは微かに眉を顰めた。
「お言葉だが、スティンガー大佐。『青』を捕まえるためだけに一隊を地球の某所に送り込んで、その場所の住民にまで迷惑をかけたという事例が報告されているが……?」
「私は『青』を保護しろと指示しただけだ。現地の指揮はセプターに任せたはずだがな」
 大男、スティンガーは壁に寄りかかって何も発言しようとしない金髪の男に目を向けた。
「そうだったな? セプター大尉」
 金髪の男、セプターはスティンガーを一瞬だけ見て、再び目線を彷徨わせるだけで、何も口にすることは無かった。
「セプター!」
「……はい、スティンガー大佐」
 表情ひとつ変えず、機械的な淡々とした口調で答えるセプター。しかし、スティンガーにとってはそれで満足だったらしい。勝ち誇ったような表情でヴァルキリーに言う。
「どうだ? ヴァルキリー」
「ああ、そうらしいな」
 ヴァルキリーは「下らない」という表情を隠しもせず適当に答え、四人目……青く髪を染めた青年に向かって言った。
「海原少尉。その後の『青』の様子はわかるか?」
「いえ、それが……」
「何だ? 『青』の発する精神信号は送られてきているはずだろう?」
 が、海原はヴァルキリーやスティンガーの方を真っ直ぐ見つめようともせず、蚊の鳴くような声で言った。
「昨日の基準時間にして午後三時以降、信号が何かに妨害されて受信できなくなってしまったのです。地球に存在しているのは確かなのですが、それ以上は……」
「何だと!」
 スティンガーの大声が海原を襲った。海原は「ひっ」と言って下を向く。ヴァルキリーはスティンガーをなだめながら、海原に向かって言う。
「『青』が放つ信号は特殊なものだ。それを妨害できるものなど、普通では存在しないと思うがな。ただ、海原少尉が嘘をついているとも思えない。スティンガー大佐、海原を責めるのはお門違いだ」
「ちっ」
 スティンガーは舌打ちをする。それと同時に、今まで自ら何かを語ろうとしなかったセプターがゆっくりと口を開いた。
「ヴァルキリー大佐。『青』の保護、私に任せてもらえないだろうか?」
「何? セプター、貴様は確かに地球配属だが、貴様なぞに『青』は」
 セプターに向かって何かを言おうとしたスティンガーは、ヴァルキリーの言葉に遮られた。
「セプター大尉。『青』の恐ろしさを知らない貴殿に、『青』を確保できるとは思わないが」
「ああ、そうかもしれない。最低階梯の『赤』でも『あのような惨事』を引き起こせるのだから、『青』がどれだけの力を秘めているのかなど、測れるはずもない」
 そう言ったセプターの声は微かに激しさを込めていたが、表情に変化はない。
「ああ……貴殿はあの事件をよく知っているからな。クライウルフが死んだ、あの事件を」
「その名前はもう口にしないで欲しい。とにかく、私に『青』の保護を任せて欲しい」
 ヴァルキリーはしばらく考え込んだ。そして、ゆっくりと口を開いた。
「わかった。レイ・セプター大尉、貴殿に『青』の保護を命ずる」
「ヴァルキリー!」
「黙れ、スティンガー大佐。『青』に対する主導権は私にあることを忘れたか?」
「ぐっ……」
 怒りを顕にするスティンガー。だが、ヴァルキリーはセプターに言う。
「この作戦について、全ての決定権は貴殿に一任する。相手が未知の『青』であることを考慮し、作戦に他の部隊を使うことも許可する。いいな。詳しいことは後日、連絡しよう」
「……感謝します」
 そう言って、セプターは部屋から出て行った。スティンガーはセプターの後姿を悔しそうに見ていた。
「どうした? スティンガー大佐」
 ヴァルキリーが言った途端、スティンガーは何も言わないまま部屋を出て行った。海原が不審そうに眉をひそめる。
「大佐、どうしたのですか?」
「おそらく、『青』を保護するという名声を得る機会を逸して悔しいのだろうさ。それより、海原。今回の通信障害についてなのだが、一つだけ、心当たりがある」
 海原は驚いたように目を見開く。ヴァルキリーはどこか自嘲ぎみな笑みを浮かべて言う。
「ただ、これは今やほとんどありえない話だがな」
「どういうことですか?」
「五年前、セプターの相棒だったクライウルフが死んだのはよく知っているだろう?」
 いきなり何の話をし始めたのかと海原は首を傾げるが、構わずヴァルキリーは淡々と続ける。
「そして、クライウルフも『無限色彩』の持ち主だ」
「もしかして」
「『精神の支配者』とも称される奴の能力は、精神感応の上位能力とされる『精神操作』を越え『傍受妨害』に及ぶ。奴の力の大きさは、本人も無意識ながら精神波の伝達障害を引き起こす。これなら、『青』の精神波情報も伝わらなくなる可能性がある。……まあ、奴は『あの事件』で死んだわけだが、仮にこの能力を持っている人間が地球に居れば」
「……しかし、『無限色彩』の持ち主同士が出会うなど、危険すぎます」
「そうだな……クライウルフの時もそうだった」
 ヴァルキリーはそこで黙り込んだ。海原もそんなヴァルキリーを見上げ、何を言えばいいか悩んでいるように見えた。
 しばらくして、ヴァルキリーは重々しく口を開いた。
「今は、あの悲劇を繰り返さないことを、祈るばかりだな……」

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003:永久
 
 ラビットは、重い痛みを感じる頭を上げた。窓からはカーテン越しに淡く光が差し込んでいる。
 朝。
 それに気づいて、腕に力を込めてゆっくりと身体を起こそうとする。
 腕に伝わるひやりとした感触に、彼は自分が寝ていた場所がいつものベッドではなく天体望遠鏡の下の床であることを思い出した。
 ただ、起き抜けの思考回路では、何故自分がこんな所に寝ていたのかが思い出せない。
 しばらく、ラビットの赤い瞳は灰色の天井と真上にある古ぼけた望遠鏡を見つめていた。いや、見つめていたというよりかは大体その辺に目線を彷徨わせていたという方が正しい。
 ラビットはほとんど目が利かない。光に弱いのもそうだが、左目は盲目であり、右目の視力も著しく低下している。視力補助装置を常に身に付けていなければ外もまともに歩けない状態だ。流石に寝るときは装置も外しているが。
 やっとのことで彼は起き上がると、側に置いてあったはずの視力補助装置のコードを手で探る。手に触れたとわかると自分の元に引き寄せて頭の右側に取り付ける。脳に直接送り込まれる情報で視界が急に明るくなった。この装置の弱点といえば、視界が本来の視界から多少ずれてしまうこと。しかしラビットにとってはあまり関係の無いことだ。
 視界を確保すると、その場に座ったまま何かを思い出そうとして思考回路を働かせようとした。
 昨日何があったのか。
 そう、昨日は軍に追われていた少女をそのままここに連れ帰ってきたような気がする。何をすれば良いかわからなくなって戸惑っていたとはいえ、軽率な判断だったとラビットは思う。どんな理由があっても、地球において星団連邦軍の権力は絶対だ。変な揉め事を起こしても後で困るだけだ。
 その少女はどうしたのか。
 それがどうも思い出せないまま、ラビットは立ち上がって部屋を出て、自室に向かった。何とも昨日の記憶が曖昧になっていた。
 ――もしかすると、全て夢だったのではないか?
 ラビットの頭の中にそんな考えがよぎる。何とも馬鹿らしい考えではあったが、そう考えると納得はいく。少なくとも、下らない夢ばかり見ている自分にとっては。
 ラビットは自室のドアを開けた。窓のカーテンは開いていて、それほど強くもない光がラビットの目を焼く。とっさに目を手で覆いつつも、彼の視線は窓の下のベッドに向けられていた。
 ――やはり、夢ではなかった。
 真っ白なベッドに寝ていたのは一人の少女。昨日、ラビットが連れて帰ってきた少女だった。記憶は定かではなかったが、おそらく少女が憔悴しきっていたからそのまま寝かせたのだろう。
 少女は深い眠りについていて、規則正しい寝息が聞こえてくる。ラビットは机の上に置いておいた黒硝子の嵌められた眼鏡をかけると、改めて少女の方を見た。
 少女の青色がかった銀の髪が窓の隙間から吹き込む風に揺れる。ゆっくりと眠っているところを起こしても悪いと思い、ラビットは自室を後にした。
『おはようございます、現地時間で朝六時丁度をお知らせいたします』
 その時、小さな天文台中に澄んだ女の声が響き渡った。天文台に仕掛けられていた主電脳が動き出したのだ。
「おはよう、龍飛(タツヒ)」
 ラビットは廊下を歩きながらどこに向かってでもなく、声を発した。すると、女の声が返ってきた。
『おはようございます、ラビット。昨夜はよく眠れなかったのですか? 疲れた顔をしておいでです』
 この人工知能は、名を龍飛という。ラビットがここにやってくるよりも昔からこの天文台の機能を支配する管理電脳だ。前の住人が設定したらしい、古びた天文台には似合わぬ高性能な人工知能であり、ほとんど人間と変わりない感情機能を有している。
 ラビットは鈍く痛むこめかみを押さえながら、小さく呟く。
「そうかもしれないな……」
『お気をつけ下さい、ラビット。今は貴方がワタシの主人なのですから。貴方が居なくなったらワタシはまた長い間独りきりです』
「ああ、わかっている」
 ラビットは階段を下りながら言う。そして、下の階のキッチンに向かい、棚の中のコーヒーカップを手にとった。
「龍飛、珈琲を沸かしてくれ」
『朝食はよろしいのですか?』
「ああ、食べる気にならない」
 そう、ラビットが言うと、台所の中に仕込まれた装置が動き始める音がした。カップを装置の上に置くと、ラビットは椅子に座り、テーブルの上に置いてある小型の立体映像映写機を見た。そこには蜻蛉の羽を生やした一人の美しい女性の映像が浮かび上がっていた。これが、龍飛の仮想映像だった。
「何か、夜のうちに変わったことはあったか?」
 ラビットが龍飛に向かって話し掛ける。龍飛は優しげな笑みを浮かべて答える。
『一件通信がありました』
「珍しいな。誰からだ?」
『識別番号、一○六四八九-A六九八……クロウ・ミラージュ様からです』
「ミラージュ女史? 今更何の用だ」
『確認後、連絡を求むということでした』
「わかった」
 ラビットはそう言って、装置の上に置いておいたコーヒーカップを手に取る。何時の間にか、カップの中には熱いコーヒーが注がれていた。
『飲料用水の残量が残り僅かになっているようです。至急、追加を勧めます』
「水はここでは高いんだ」
 ぶつぶつと言いつつも、ラビットはコーヒーをすすりつつ、立体映像映写機の前に置かれたキーボードを叩く。すると、映し出されていた龍飛の姿が消え、黒い画面が浮かび上がる。ラビットが情報を打ち込み終えると、『接続中』という文字が浮かび上がり、点滅した。しばらくその状態が続いた後、画面が急に明るくなって、一人の少女の顔が映し出された。
「ミラージュ、私だ」   
『………』
 映し出された黒髪の少女は、眠そうな目でラビットを見つめた。
「連絡を寄越してきたようだったが、何の用だ?」
『……トワ……話す』
 普通の人間なら明らかに苛立つであろう口調で、画面の少女……ミラージュは言った。
「トワ?」
『貴方……昨日、トワ……』
 断片的な言葉しか紡ごうとしないミラージュを押しのけるようにして、画面にもう一人の人物が現れた。今度は赤い髪が特徴的な、軍服を身に纏った男だった。
『すいません、クロウがどうしてもあの子と話したいって言うから……』
 この男は、ミラージュの相棒であるレオン・フラットという軍人だった。ラビットもミラージュ同様面識がある。
「フラット少佐、『トワ』というのは?」
『貴方が昨日、軍に追われていた少女をここに連れてきたでしょう? その少女です』
 ラビットは驚いた。既に、軍にはここの場所……そして少女の行方が伝わっていたということに。
 当然ながらこのミラージュもフラット少佐も軍の人間だ。元々ミラージュとは時折連絡を取り合っていたが、少女のことなど、昨日出会った自分でもよく覚えていなかったのに、ミラージュが知るわけないと思っていたのだ。
「軍は、私がその少女をここに連れてきたことを知っているのか?」
『いえ、知るわけないですよ。我々が知っているのは、クロウの能力で、です』
「何か関係があるのか?」
 ラビットがそう言ったとき、背後で物音がして、ラビットは振り返った。後ろでは、あの少女が階段の柱の後ろからこちらを見ていた。
「……起きたのか?」
 少女は頷く。そして、ゆっくりとした足取りでラビットと画面の方に向かう。画面のフラットは安堵の笑みを浮かべつつ、言った。
『丁度良かった、クロウ、あの子だ』
 少女は画面と向き合うと、再び画面に現れたミラージュに向かって話し掛けた。
「クロウ、ひさしぶり」
 その声は、どこか不思議な響きがあった。ラビットは一瞬その声が誰かに似ているような気がして、不思議な懐かしさを覚えた。
『ひさし……ぶり』
「迷惑かけてごめんなさい」
『ううん、メイワク……な、わけない』
 とてもスローペースな会話。ラビットはその様子をじっと見つめていた。観察していた、と言ってもいい。少女は真っ青な瞳で画面のミラージュの黒い目を覗き込んでいた。
『よかった、安心……』
「うん、ありがとう」
 そう、言って少女は画面から目を離し、ラビットの方を見た。ラビットは少女の横でミラージュに向かって言った。
「もういいのか」
『……あ』
「?」
『気をつけて……軍、動き……』
「動き出した?」
『トワ、追って』
 そこで、通信が途切れた。画面がパッと黒くなる。ラビットは溜息をついて椅子にもたれかかる。今度は少女がその大きな青の瞳でラビットを覗き込む。
「……トワって、名前なのか?」
 ラビットは少女に向かって言った。
「うん」
 少女は頷く。
「変わった名前だな。どういう意味だ?」
 ラビットが問う。
「……『永久』って書いて、『トワ』って読むの」
 少女が答える。
「永久……か。いい名前だ」
 ラビットは少女、トワに向かってテーブルの横にある椅子を指差した。
「立っていたら疲れるだろう。座ればいい」
「うん」
 トワは椅子に座る。少女にとっては大きな椅子で、小さな足が床から浮いていた。
 一瞬の間を置いて、ラビットは話しはじめた。
「軍に、追われているのだな」
「うん」
「何故、追われているのか、話す気はあるか?」
「……ううん」
「そうか」
 ラビットは黙り込んだ。何を話せばいいか迷っている様子でもあった。何しろ、話したくないものを無理やり聞く気もなかった。その間もトワはじっとラビットを見ていた。
「聞いてもいい?」
 トワはラビットに向かって言った。
「ああ」
「貴方の名前は?」
 ラビットは逡巡してから答えた。
「……ラビット」
「兎さん?」
「そう。そのラビット」
 トワは自分自身に確かめるように何度か頷いてから、もう一度ラビットに向かって言った。
「もう一つ、聞いてもいい?」
「ああ」
「ここはどこの星?」
「ここは地球だ。それも知らなかったのか?」
「ううん、でも、そうじゃなかったらどうしようかと思って」
 ラビットは首を傾げた。トワはずっとラビットを見つめていた。ラビットは急に気恥ずかしくなってきて目を逸らしてから、トワに話し掛けた。
「ここの人間ではないのだろう? 地球に来て、何をする気だ?」
 そういえば、似たことを昨日問われた気がするとラビットは思う。トワは少し考え込むような仕草をしてから、答えた。
「わたし、この星が見たかったの」
「こんな灰色の何もない星が?」
「何もなくないよ。だから、クロウにも手伝ってもらったの」
「クロウ・ミラージュとは知り合いだったのか?」
「うん、友達」
 トワは少し笑顔になって答えた。
 それから、二人ともしばらく無言だった。ラビットは何を言っていいかわからず、トワは何か言おうとして言葉を選んでいるようだった。
 少し経って、トワが口を開いた。
「あのね、ラビット、お願いがあるの」
 ラビットはそらしていた目をトワの方に戻した。トワの表情は昔ラビットが見た誰かにとてもよく似ていた。
「何だ?」
 ラビットはトワの言葉に少し当惑した。だが、この後の言葉にはもっと当惑させられることになる。
 
 
「……わたし、ラビットと一緒にこの星を見たいの」

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002:天文台の兎
 
 天文台に住み着いた一人の物好きの話は町でも有名だった。
 その天文台は町から少し離れた丘にあり、とんでもなく古い。宇宙に人々が出て行く前にはあったであろうとも言われている、今にも壊れそうなおんぼろ天体望遠鏡が目印になっていた。
 そこは昔一人の爺さんが管理していたのだが、その爺さんが死んでからはもはや廃墟同然だった。しかし、そこに三年程前からいきなり、一人の物好きが住み着き始めたのだ。
 その物好きの名は「兎(ラビット)」。
 奴がラビットと呼ばれている理由は見ればすぐにわかる。真っ白の肌に真っ白な髪、そして真紅の瞳。まるで白兎だ、と言ったのが町の誰かは知らないが、気づけば奴は自然にそう呼ばれるようになっていた。
 ただ、実際に町の人間でもラビットの姿を見たことのあるものは少ない。いつもお化け屋敷のような天文台に閉じこもっていて、町に姿を現すことはほとんどないからだ。俺もこう言いながら、奴を実際に見たのは数日前に一回、その前となると一ヶ月ほど前になってしまう。
 俺がラビットを初めて見た時の印象は、「人間らしくない奴」だったと思う。真っ白な外見もさることながら、言動からしてもどこか浮世離れしていてこの世ならざるものというか、人間の匂いがしないというか、そんな印象を持たされる。
 奴がどこから来たのか、何者なのかを知るものはいない。俺も聞いてみたがそれには答えてもらえなかった。
 さて、そんなラビットにまつわる話を一つしよう。
 それは数日前のこと。久々に俺の小さな店にラビットが姿を現した。
 奴は相変わらず細い体付きをしていてどこか虚ろな表情を浮かべていた。さっぱり似合っていない分厚い色眼鏡は奴に言わせると特徴である真紅の目が光に弱いから身に付けているのだそうだ。とにかく、ラビットは店の中を見回して目に付いたものを適当に買い物篭の中に入れていた。
 その時、俺は奴の方をちらちらと伺いながらも、意識は店に取り付けてある衛星放送受像機に向いていた。受像機では、報道員が甲高い声で何かを言っていたような気がする。記憶が正しければ、多分。
『星団連邦軍大尉が地球に来た』
 とかいう話題だったと思う。そして、俺は驚いた。この話自体は決して珍しい話ではない。調査のために政府の連中はしょっちゅう地球にやってくるのだから。つまり、俺が驚いたのはそっちではなくて、ラビットが食い入るように受像機の画面を見ていたことだった。
「どうかしたのか?」
 俺が言うと、ラビットはしばらく無言で画面を見ていたが、ふと俺の方に目を向けた。
「連邦軍が何を考えているのかがわからない」
「いつものことだろ、そんなの」
「……だが、随分変わってしまったと見える」
「お前さん、軍関係の人間だったのか?」
「ああ、昔な」
 それきり、ラビットは黙り込んでしまった。相変わらずこの男は多くを語らない。お互いが無言のままで、しばらくは受像機から流れてくる声だけが店の中に響いていた。
 ラビットは買い物篭を俺の前まで持ってきた。俺は篭の中の品物を見ながら奴に言った。
「しかし、お前さんも物好きだな」
「何がだ?」
「お前さん、此処の人間じゃないんだろう? 多分太陽系圏だろうが地球じゃない」
 奴は少し驚いたような表情になった。普段表情が薄い奴だけに、そんな表情を見られるとちょっとだけ気分がいい。
「凄いな。見ただけでわかるのか」
「あとは訛りとかな。けどよ、もうすぐ終わっちまうってわかってるこの星にどうしてわざわざ居るんだ? 自殺希望か?」
 半分冗談交じりに言った俺の言葉に、ラビットは多少の困惑を交えながら答えた。
「……ああ、そんなところだ」
「マジかよ」
 俺は吐き捨てるように言ってから、品物の値段を告げた。奴は俺に金を手渡すと、また受像機の方を見やった。いつのまにか報道番組は終わっていて、静かな音楽が流れていた。確か、五年くらい前に死んだ地球のピアニストの曲だと思った。
 ラビットは呟くように言った。
「あと、一年も無いな」
「そうだな」
 俺がそう言ったその時、外がにわかに騒がしくなった。窓の外を見やると、赤い軍服を着た連中が店の前を走り抜けていった。「どこに行った?」「見失った!」などと口々に言いながら。
「連邦軍の連中か?」
 俺の言葉を聞いていたのかいなかったのか、ラビットが片手に自分の買った品物を持って、無造作に扉を開けた。俺も興味本位でラビットの後に続く。
 外では何人もの軍人がそこら辺を歩いていた通行人を捕まえては何かをわめき散らしていた。流石に何を言っているかは聞き取れなかったが、やけに苛立った様子ではある。
「何があったんだ? 一体……」
 俺が呟いた横で、ラビットは何やら困った顔で下を向いていた。俺がその目線を追うと、そこには一人の女の子がいて、不安げな表情でラビットの服を掴んでいた。いつからここに女の子なんかがいたのだろう? 俺はまずそう思った。
「服、放してくれないか……?」
 ラビットがぼそぼそとそんなことを女の子に向かって言うが、女の子は余計に怯えた様子でラビットの服に顔を埋める。
「どうすればいいんだ? これ……」
 言われても、俺にだってわからない。ただ首を傾げるくらいしかできなかった。
 その時。
「見つけたぞ! あの子供だ!」
 軍人の一人が大声をあげた。よりによってこちらを指差しながら。それと同時に大きな足音がこちらに向かってくるのもわかった。女の子は一瞬はっとしたような素振りを見せる。
「そこの男、その子供を引き渡すんだ!」
 子供とはやっぱりラビットにしがみついているこの女の子のことらしい。ラビットは女の子を見る。女の子はラビットの後ろに隠れて首を横に振っている。明らかに怯えている様子だった。
「この子が何かしたのか?」
 俺は声を張り上げた。軍人達は俺の言葉の半分も聞かないうちに怒りも混ざった声で言った。
「貴様等民間人が知る必要は無い! さあ、我々と共に来るのだ!」
 言葉の後半は女の子に向けられたものだったらしいが、女の子は相変わらず首を横に振りながらラビットの服に顔を埋めていた。軍人の一人が、痺れを切らしたように言う。
「仕方ない、実力行使もやむを得ないと大佐から言われているからな。無理やりにでも連れ帰るぞ!」
 その声を合図に、俺たちのほうに軍人達が歩み寄ってくる。そして、女の子の身体に軍人の手がかかるかというその時、奴は動いた。ラビットは気分を害したような表情で軍人の手を払いのけた。
「何をする! 我々の邪魔をするつもりか?」
 憤る軍人達に対して、ラビットは冷ややかに言い放つ。
「近頃は馬鹿の管理がなっていないな。一昔前なら未開惑星送りだぞ? こんな連中は」
 俺はというとこの状況に恐れをなして既に逃げ腰になっていた。が、ラビットは毅然とした様子で軍人と相対していた。普段口数の少ない奴にしては珍しく憤りのこもった言葉を吐き出す。
「貴方がたの言う『大佐』にも呆れたものだな。実力行使もやむを得ないだと? そんな言葉は貴方がたのような馬鹿相手に使うべき言葉だ。このような少女に対して使うとは、世も末だな」
 ラビットの言葉は、初めからかなり苛立っていた軍人達の怒りを頂点に達させるのには十分だった。一瞬、連中は怒りに我を忘れて、ついでに女の子の存在も忘れて、ラビットに飛び掛った。
 勝負は、一瞬でついた。
 この時まで、俺はラビットが紋章魔法の使い手だとは知らなかった。そう、奴が手袋を外して、手の平に描かれた紋章が輝いた瞬間に、軍人連中は皆その場に倒れこんだのだ。一体何が連中に起こったのか、俺にはよくわからない。ただ、それが紋章魔法の効果なのは何となくわかった。
「言っておくが、」
 ぴくりとも動かなくなった軍人に向かってラビットは言う。
「貴方がたが先に仕掛けてきたのだから、これは正当防衛だ」
 その間ずっとラビットにしがみついていた女の子は、初めて顔を上げてラビットの方を見た。奴はまた困惑したような表情に戻って口の中でぼそぼそと言う。
「その、だから、服、放してくれないか……?」
 しかし、女の子はラビットにくっついたまま離れようとはしない。
「貴女を追っていた連中はもう居ないぞ?」
 いくらラビットがそう言っても女の子は首を横に振るだけだった。俺はにやりと笑ってラビットに言った。
「何だよ、お前さん、懐かれちまったんじゃねえの?」
「そう、なのか……?」
「まあ、とりあえずこの子が落ち着くまではお前の家にでも置いといてやればいいじゃねえか。な?」
 俺は女の子に同意を求めたがやはり答えてはくれなかった。そんなものだとは思っていたが。
「いいのか?」
 ラビットが女の子に同意を求めたところ、女の子はラビットを見上げてこくりと頷いた。何だ、この違いは。そう思いながらも、俺は肩を竦めた。
「お前さんが幼女趣味でない限り心配はねえよな」
 ラビットが冷たい目線を俺に向けたのは言うまでもない話なのだが。
 
 
 あれから数日が過ぎて、ラビットは俺の前には姿を現していない。軍人達は何やらわめきながらも町の近くに泊めてあった船で帰っていった。多分報告か何かに戻ったのだろう。
 あの女の子はあれからまだラビットの家……天文台にいるのだろうか。
 それよりも、あの女の子は何者なのだろうか。
 軍は何のために女の子を追っていたのだろうか?
 おそらく……いや、間違いなく厄介事を背負い込んでしまったラビットのことを考えながら、俺は店で暇な時間を過ごしていた。
 
 
 天文台の兎は、今はまだそこにいる。

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001:地球―序章
 星団暦で六五七年、地球暦(西暦)で三九八九年。星団連邦政府は十年後の三九九九年十二月二十五日、太陽系第三惑星地球に巨大な発光体『ゼロ』が接触すると発表した。
 そして、政府はこの事態に際し何の関与もしないということも。
 その理由として、発光体の正体が未だに掴めないこと、発光体の軌道を逸らす計画を実行するだけの時間が残されていないということなどが挙げられるが、それは単なる建前にすぎない。
 本来の理由は、今地球が滅びようとも、星団連邦にとって得にはなれど決して損害にはならないということ。
 地球はとうの昔に星が保有していた資源を使い尽くし、現在は連邦政府が管轄する他の惑星からの援助で全てを賄っている。今や地球という惑星の存在は政府からすれば決して得ではなかった。それを考えてみると、今回の判断もある意味では理に適っていた。
 こうして地球は事実上、政府から見捨てられた。
 現在地球の人口は一千万程度。首長星級の惑星にしてみればかなり少ない数値を叩き出している。そして、今回の発表で地球からはほとんどの人間が退避すると考えられていた。
 が、現実は違った。
 地球に住む人間のほとんどは政府に対し「地球に残る」という意思表示を行ったのだ。政府は困惑した。何度も退避を呼びかけたが、実際に他の惑星に退避したのは未来のある子供達とその家族くらいだった。
 結局、政府は住民を退避させることをほぼ諦め、地球への経済的援助も最低限度のもの以外は打ち切った。あと政府がすべきことは、もはや無意味な避難船の派遣だけであった。
 
 
 かくして十年の時が過ぎ、終末は迫る。
 これは、青き惑星だった一つの星の物語。

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