幸福偏執書庫

シアワセモノマニア(青波零也)の小説アーカイブ

002:天文台の兎
 
 天文台に住み着いた一人の物好きの話は町でも有名だった。
 その天文台は町から少し離れた丘にあり、とんでもなく古い。宇宙に人々が出て行く前にはあったであろうとも言われている、今にも壊れそうなおんぼろ天体望遠鏡が目印になっていた。
 そこは昔一人の爺さんが管理していたのだが、その爺さんが死んでからはもはや廃墟同然だった。しかし、そこに三年程前からいきなり、一人の物好きが住み着き始めたのだ。
 その物好きの名は「兎(ラビット)」。
 奴がラビットと呼ばれている理由は見ればすぐにわかる。真っ白の肌に真っ白な髪、そして真紅の瞳。まるで白兎だ、と言ったのが町の誰かは知らないが、気づけば奴は自然にそう呼ばれるようになっていた。
 ただ、実際に町の人間でもラビットの姿を見たことのあるものは少ない。いつもお化け屋敷のような天文台に閉じこもっていて、町に姿を現すことはほとんどないからだ。俺もこう言いながら、奴を実際に見たのは数日前に一回、その前となると一ヶ月ほど前になってしまう。
 俺がラビットを初めて見た時の印象は、「人間らしくない奴」だったと思う。真っ白な外見もさることながら、言動からしてもどこか浮世離れしていてこの世ならざるものというか、人間の匂いがしないというか、そんな印象を持たされる。
 奴がどこから来たのか、何者なのかを知るものはいない。俺も聞いてみたがそれには答えてもらえなかった。
 さて、そんなラビットにまつわる話を一つしよう。
 それは数日前のこと。久々に俺の小さな店にラビットが姿を現した。
 奴は相変わらず細い体付きをしていてどこか虚ろな表情を浮かべていた。さっぱり似合っていない分厚い色眼鏡は奴に言わせると特徴である真紅の目が光に弱いから身に付けているのだそうだ。とにかく、ラビットは店の中を見回して目に付いたものを適当に買い物篭の中に入れていた。
 その時、俺は奴の方をちらちらと伺いながらも、意識は店に取り付けてある衛星放送受像機に向いていた。受像機では、報道員が甲高い声で何かを言っていたような気がする。記憶が正しければ、多分。
『星団連邦軍大尉が地球に来た』
 とかいう話題だったと思う。そして、俺は驚いた。この話自体は決して珍しい話ではない。調査のために政府の連中はしょっちゅう地球にやってくるのだから。つまり、俺が驚いたのはそっちではなくて、ラビットが食い入るように受像機の画面を見ていたことだった。
「どうかしたのか?」
 俺が言うと、ラビットはしばらく無言で画面を見ていたが、ふと俺の方に目を向けた。
「連邦軍が何を考えているのかがわからない」
「いつものことだろ、そんなの」
「……だが、随分変わってしまったと見える」
「お前さん、軍関係の人間だったのか?」
「ああ、昔な」
 それきり、ラビットは黙り込んでしまった。相変わらずこの男は多くを語らない。お互いが無言のままで、しばらくは受像機から流れてくる声だけが店の中に響いていた。
 ラビットは買い物篭を俺の前まで持ってきた。俺は篭の中の品物を見ながら奴に言った。
「しかし、お前さんも物好きだな」
「何がだ?」
「お前さん、此処の人間じゃないんだろう? 多分太陽系圏だろうが地球じゃない」
 奴は少し驚いたような表情になった。普段表情が薄い奴だけに、そんな表情を見られるとちょっとだけ気分がいい。
「凄いな。見ただけでわかるのか」
「あとは訛りとかな。けどよ、もうすぐ終わっちまうってわかってるこの星にどうしてわざわざ居るんだ? 自殺希望か?」
 半分冗談交じりに言った俺の言葉に、ラビットは多少の困惑を交えながら答えた。
「……ああ、そんなところだ」
「マジかよ」
 俺は吐き捨てるように言ってから、品物の値段を告げた。奴は俺に金を手渡すと、また受像機の方を見やった。いつのまにか報道番組は終わっていて、静かな音楽が流れていた。確か、五年くらい前に死んだ地球のピアニストの曲だと思った。
 ラビットは呟くように言った。
「あと、一年も無いな」
「そうだな」
 俺がそう言ったその時、外がにわかに騒がしくなった。窓の外を見やると、赤い軍服を着た連中が店の前を走り抜けていった。「どこに行った?」「見失った!」などと口々に言いながら。
「連邦軍の連中か?」
 俺の言葉を聞いていたのかいなかったのか、ラビットが片手に自分の買った品物を持って、無造作に扉を開けた。俺も興味本位でラビットの後に続く。
 外では何人もの軍人がそこら辺を歩いていた通行人を捕まえては何かをわめき散らしていた。流石に何を言っているかは聞き取れなかったが、やけに苛立った様子ではある。
「何があったんだ? 一体……」
 俺が呟いた横で、ラビットは何やら困った顔で下を向いていた。俺がその目線を追うと、そこには一人の女の子がいて、不安げな表情でラビットの服を掴んでいた。いつからここに女の子なんかがいたのだろう? 俺はまずそう思った。
「服、放してくれないか……?」
 ラビットがぼそぼそとそんなことを女の子に向かって言うが、女の子は余計に怯えた様子でラビットの服に顔を埋める。
「どうすればいいんだ? これ……」
 言われても、俺にだってわからない。ただ首を傾げるくらいしかできなかった。
 その時。
「見つけたぞ! あの子供だ!」
 軍人の一人が大声をあげた。よりによってこちらを指差しながら。それと同時に大きな足音がこちらに向かってくるのもわかった。女の子は一瞬はっとしたような素振りを見せる。
「そこの男、その子供を引き渡すんだ!」
 子供とはやっぱりラビットにしがみついているこの女の子のことらしい。ラビットは女の子を見る。女の子はラビットの後ろに隠れて首を横に振っている。明らかに怯えている様子だった。
「この子が何かしたのか?」
 俺は声を張り上げた。軍人達は俺の言葉の半分も聞かないうちに怒りも混ざった声で言った。
「貴様等民間人が知る必要は無い! さあ、我々と共に来るのだ!」
 言葉の後半は女の子に向けられたものだったらしいが、女の子は相変わらず首を横に振りながらラビットの服に顔を埋めていた。軍人の一人が、痺れを切らしたように言う。
「仕方ない、実力行使もやむを得ないと大佐から言われているからな。無理やりにでも連れ帰るぞ!」
 その声を合図に、俺たちのほうに軍人達が歩み寄ってくる。そして、女の子の身体に軍人の手がかかるかというその時、奴は動いた。ラビットは気分を害したような表情で軍人の手を払いのけた。
「何をする! 我々の邪魔をするつもりか?」
 憤る軍人達に対して、ラビットは冷ややかに言い放つ。
「近頃は馬鹿の管理がなっていないな。一昔前なら未開惑星送りだぞ? こんな連中は」
 俺はというとこの状況に恐れをなして既に逃げ腰になっていた。が、ラビットは毅然とした様子で軍人と相対していた。普段口数の少ない奴にしては珍しく憤りのこもった言葉を吐き出す。
「貴方がたの言う『大佐』にも呆れたものだな。実力行使もやむを得ないだと? そんな言葉は貴方がたのような馬鹿相手に使うべき言葉だ。このような少女に対して使うとは、世も末だな」
 ラビットの言葉は、初めからかなり苛立っていた軍人達の怒りを頂点に達させるのには十分だった。一瞬、連中は怒りに我を忘れて、ついでに女の子の存在も忘れて、ラビットに飛び掛った。
 勝負は、一瞬でついた。
 この時まで、俺はラビットが紋章魔法の使い手だとは知らなかった。そう、奴が手袋を外して、手の平に描かれた紋章が輝いた瞬間に、軍人連中は皆その場に倒れこんだのだ。一体何が連中に起こったのか、俺にはよくわからない。ただ、それが紋章魔法の効果なのは何となくわかった。
「言っておくが、」
 ぴくりとも動かなくなった軍人に向かってラビットは言う。
「貴方がたが先に仕掛けてきたのだから、これは正当防衛だ」
 その間ずっとラビットにしがみついていた女の子は、初めて顔を上げてラビットの方を見た。奴はまた困惑したような表情に戻って口の中でぼそぼそと言う。
「その、だから、服、放してくれないか……?」
 しかし、女の子はラビットにくっついたまま離れようとはしない。
「貴女を追っていた連中はもう居ないぞ?」
 いくらラビットがそう言っても女の子は首を横に振るだけだった。俺はにやりと笑ってラビットに言った。
「何だよ、お前さん、懐かれちまったんじゃねえの?」
「そう、なのか……?」
「まあ、とりあえずこの子が落ち着くまではお前の家にでも置いといてやればいいじゃねえか。な?」
 俺は女の子に同意を求めたがやはり答えてはくれなかった。そんなものだとは思っていたが。
「いいのか?」
 ラビットが女の子に同意を求めたところ、女の子はラビットを見上げてこくりと頷いた。何だ、この違いは。そう思いながらも、俺は肩を竦めた。
「お前さんが幼女趣味でない限り心配はねえよな」
 ラビットが冷たい目線を俺に向けたのは言うまでもない話なのだが。
 
 
 あれから数日が過ぎて、ラビットは俺の前には姿を現していない。軍人達は何やらわめきながらも町の近くに泊めてあった船で帰っていった。多分報告か何かに戻ったのだろう。
 あの女の子はあれからまだラビットの家……天文台にいるのだろうか。
 それよりも、あの女の子は何者なのだろうか。
 軍は何のために女の子を追っていたのだろうか?
 おそらく……いや、間違いなく厄介事を背負い込んでしまったラビットのことを考えながら、俺は店で暇な時間を過ごしていた。
 
 
 天文台の兎は、今はまだそこにいる。

by admin. Planet-BLUE <3984文字> 編集