元神様と放浪作家のイビツな関係

Ex:湯上荘二○一号室のある一コマ

「小林先輩!」
 ドアを開けた瞬間に突っかかってきた眼鏡の青年の姿を見て、『元神様』にして苦学生の小林巽は「またか」と思って遠慮なく眉を顰めた。
「何の用だよ、蒼真」
 湯上荘一○三号室の住人であり、大学の後輩でもある天堂蒼真は明らかに機嫌が悪そうだった。普段から機嫌の悪そうな仏頂面であることは確かなのだが、それにしても今日の機嫌の悪さは半端ない。原因を知っている巽からすれば、また鬱陶しいのが来た、という程度なのだが。
 蒼真はすうと息を吸い、びしいっと巽の後ろに広がる六畳間……正確にはそこに座る一人の女を指差した。
「姉に餌付けしないでくださいって何度言ったらわかるんですか!」
 そう、ちゃぶ台の前に座っているそれなりに蒼真に似た顔をした双子の姉、湯上荘一○二号室の住人天堂紅羽は、巽の用意した夜食一式をもそもそと食している。
 紅羽は指差されて初めて蒼真の存在に気づいたらしく、ふと顔を上げてにっこりと微笑んだ。
「あら、蒼真」
「 『あら、蒼真』じゃない! ほら、もう遅いんだし、小林先輩も迷惑してんだから帰るぞ!」
「もうちょっと待ってください、これを食べ終わってから」
 そう言って紅羽は箸でまだ食べ途中の豚肉のソース焼きを示す。あくまでマイペースを貫く紅羽を見て、ちょっと巽も同情する。
 しかし、今回ばかりはそのまま紅羽を引きずって帰ってもらうわけには行かないのだ。
「まあ、よく聞け蒼真」
 巽はものすごく面倒くさそうな顔をしてぽんと蒼真の肩を叩いた。蒼真は不愉快そうな顔を浮かべつつも、「何ですか」と巽の話を聞く態勢になる。巽の周囲を取り巻く連中の中でも、蒼真は何だかんだで話のわかる方なので、巽もそこは全く心配していないのだが。
「俺様だって、餌付けをしたいわけじゃねえ。紅羽のためにもよくねえってのはわかってる」
「なら、どうして」
「いや、俺様バイト帰りだったんだけどね。つい見ちゃったんだよ」
「………」
 蒼真は決して馬鹿ではない。むしろ巽から見ればかなり聡い方だ。だからこそ、蒼真は何となく巽がこの次に言うことを理解したのだろう、神妙な顔で口をつぐんだ。
 巽も次の言葉を言いたくなくてしばらく遠い目になっていたが、言わないわけにもいかないので重々しく口を開いた。
 
「紅羽が、空腹のあまりに智哉を襲ってるとこ」
「また深沢さんかよ!」
 
 蒼真の悲痛な叫びが狭苦しい部屋に響き渡った。
 巽もげっそりしながら改めて蒼真の肩を叩いた。
「正直、智哉の間の悪さもいい加減神がかってるたあ思うんだが、紅羽も懲りねえよなあ」
 超能力者、深沢智哉。巽の友人であり、巽にも深い縁のある秋谷探偵事務所に居候している生粋のニートなのだが、普段はめったに事務所から出てこない。ニートだし。
 しかし、時折ふらりと思い立ったように夜中に出かけることがあり……
 そこを、紅羽に襲われたのだ。しかも今回で三回目。
 紅羽はもそもそと白米を口に運びつつ、ぽつりと言った。
「だって美味しそうじゃないですか、深沢さん。ついでに前回前々回と返り討ちに遭ったんで悔しくてつい」
「悔しくてつい、じゃない! 今すぐ深沢さんに謝ってこい!」
「まあまあ、落ち着けって」
 叫びたい気持ちはわかるが今は真夜中だ。これ以上蒼真に大声を出されると、大家さんにまた叱られかねない。巽が。
「そんなわけで、運がいいのか悪いのか偶然そこを通りがかった俺様が即座に回収して、このままだと俺様が逆に食われかねなかったから代わりになけなしの飯を与えたってわけ。了解?」
「ものすごく了解です」
 蒼真はがっくりと肩を落とした。普段からこの非常識極まりない姉に振り回されている弟としては、巽の言葉だけでも十分すぎるほど状況が想像できてしまったに違いない。
 徹頭徹尾部外者である巽としては、面白いとは思えど絶対に真似したくない状況だと思う。非常識極まりない姉、という地点で何となく懲りているのもある。現在は天涯孤独の巽だが、その前には色々あったのだ。確か。
 すると、ほとんどちゃぶ台の上に載った食事を平らげた紅羽がぼそりと言った。
「安心してください、小林さん」
 とってもいい笑顔を浮かべながら。
「小林さんの血は不味そうなんで、吸いたいとは思ってませんから!」
 ――ああ、そうかい。
 その言葉には喜んでいいのか、悲しんでいいのか。
 笑顔ながら無言で茶碗を差し出す紅羽に炊飯器に残った最後の飯をのせてやりながら、巽は何となく複雑な気分になったとか、ならなかったとか。
「……蒼真、お前も食ってくか、せっかくだし」
「いいんですか? それじゃあ頂きます……」
 二人は何気なく疲れた表情で、紅羽と一緒にちゃぶ台を囲むわけで。
 
 
 湯上荘一○二号室の住人は、生粋の吸血鬼である。
 それが当たり前になっている辺り、そろそろ自分もこの生活に慣れすぎているようだ。
 思いながら巽は、冷蔵庫から豚肉を取り出して「三人分」のソース焼きを作り始めた。
 
 どうせ、もう少し食べさせないと紅羽は納得しないだろうから。