元神様と放浪作家のイビツな関係

Ex:スズランの花

「誕生日プレゼントぉ?」
 ちゃぶ台の上で専門書を積み上げ物理の実験レポートを書いていた、歴然とした理学部物理学科生小林巽は素っ頓狂な声を上げた。すると、目の前でごろごろしていた四十路前の作家先生、秋谷飛鳥は情けない声で言った。
「そうなんだよう、今日静の誕生日でさあ」
「お前にしちゃ珍しいな、静さんの誕生日、忘れてたのか?」
「俺が静の誕生日を忘れるはずないだろ!」
 飛鳥はがばっと起き上がり、腕を大きく振って主張する。
「もう三ヶ月前から考えてて、さっぱりいいアイデアが思いつかなくて今に至ったんだよ!」
「いくらなんでも考えすぎだ!」
「ああ、俺ってばバカー」
 そしてさめざめと泣き始める飛鳥。相変わらず躁鬱の激しいオッサンである。ものっそく迷惑極まりないなあと思いながらも、巽はレポート用紙を一度ちゃぶ台の横に寄せると生暖かい目で飛鳥を見やった。
「まあこの天才にして元神様の俺様も一緒に考えてやるから、壮大に感謝し崇め奉るんだな」
「……ものすごく感謝しづらい雰囲気なのは何でだろう、巽くん」
「気のせいじゃないか? ちなみに感謝は態度でなく、素直に物品で示してくれると一番嬉しい」
 巽は貧乏人だ。
 飛鳥はちょっとだけ巽にジト目を向けたが、背に腹は変えられないのだろう、ぐっと拳を握り締めて宣言した。
「わかった、後でサラダ油と醤油と味噌、ついでにコシヒカリ十キロも足しておくから」
「よろしい。では俺様も頭を使うとするか」
 巽は貧乏人だ。どこまでも。
「とはいえ、もうお前ら結婚して十年くらい経ってんだよなあ。いいプレゼント、なあ」
 よくこの二人が長年続いているなあと思わなくもないが、実際飛鳥が普段から言うよりは、ずっと仲のよい夫婦なのだろうと巽は思っている。単に、飛鳥が平均よりもずっと寂しがりやなだけで。
 ――ま、静さんはそんな飛鳥を見てニヤニヤ笑ってんだからやっぱりいい夫婦なのかもしれねえなあ。
 そんなことを、巽はこっそり考える。
 飛鳥の妻、静はどうやら放置プレイがお好きらしい。
 とにかく巽は少しだけ考えてから、言った。
「……なら、花とかどうよ」
「花?」
「五月っていうと、まあイメージとしては母の日のカーネーションだが、この季節は普通にいろんな花をお勧めできる、いい季節だ」
 巽はレポート用紙を一枚切り取り、そこにちょこちょこと何かを書き加えていく。
「五月三日の誕生花の一つにはタンポポがあるが、まあこれは自生してるほうが綺麗なのでプレゼントには向かない。ボタンも微妙だしなあ……まあ、鉢植えでもいいならスズランがいいかもしんねえな。可愛いし、お前が静さんにあげるんだったらぴったりだろ」
 ぶつぶつ言いながら花の名前と外見をさらさらと書いている巽に向かって、飛鳥は恐る恐る声をかける。
「……巽くん」
「何?」
「もしかして、誕生花とか全部覚えてる?」
「おうよ。ちなみに俺様はタチアオイで、お前はアカネ。って言っても誕生花にもいろいろ説はあるんだけどさ」
 巽は一般常識を語るかのように、一般にはおそらく誰も知らないようなことをさらりと言った。
 だが。
「少女趣味……?」
 ぼそりと言った飛鳥の言葉に、巽はほんの少しだけ顔を赤くして、言った。
「う、うるせえ、俺は植物が好きなんだよ!」
「知ってるけど、さあ」
 何となく、聞いちゃいけないことを聞いたなあ、と飛鳥は思う。何しろ、はたから見ればそんな趣味があるようには到底見えないお兄さんが、楽しげに花について語っているのだから。
 巽はわざとらしく咳払いを一つしてから、改めて言葉を続けた。
「まあ、とにかく、花ならそういうのを贈ってやれ、って話だ」
 それに、と巽は思う。
 これ以上言ったら余計に飛鳥に「少女趣味」だと笑われそうだから言わなかったが。
 巽は誕生花を暗記しているだけではなく、それぞれの花に込められた花言葉すらも把握している。それこそ、少女趣味かもしれない、と自分でも思うが。覚えてしまったものは忘れられない性質の巽なのだから仕方がない。
 スズランの花言葉の一つは、「幸福」。
 ほら、お前と静さんらしいじゃねえかと、巽は一人で苦笑した。飛鳥は巽が何を考えているのかわからず、首を傾げて巽を見ていたけれど。
 
 その日の夜。
 飛鳥は巽の言うとおりにスズランの鉢植えを奥さんにプレゼントしたのだが、その世話をするのが結局奥さんではなく飛鳥だったというのは、また別のお話。