元神様と放浪作家のイビツな関係

48:小さな話 メール 繰り返す言葉

 夜。
 ドアに取り付けられた、簡素なチャイムが鳴る。バイト帰りの大学生、小林巽は「はいよ」と気のない返事をしながら、こんな遅くに何事かとチェーンがかかったままのドアを薄く開ける。
 そこには。
「少し、お邪魔していいかな」
 珍しく身なりを整え真っ黒な服に身を包んだ、作家先生秋谷飛鳥が立っていた。
 
「珍しいな、きちんとドアから入ってくるなんて」
「うん」
「そんなまともなカッコしてるのも久しぶりに見た」
「うん」
「……葬式帰りか」
「うん」
 そうか、と巽はそれ以上何も言わずに黙って普段どおりに紅茶を出した。飛鳥は黙ってそれを受け取った。
 しばしの、沈黙。
 飛鳥が黙っているのは、決して珍しいことではない。話好きで、ここにいる時はやけに騒いでいるような印象があるが、本来、落ち着いてさえいれば巽よりもよっぽど物静かな性質をしている。物思いにふけっている瞬間が多い、とも言える。
 だが、今回の沈黙は、それとはまた異質なものだった。
 巽は、飛鳥が紅茶を一口含んだところで、覚悟を決めて問いかけた。
「……聞いていいか」
「うん」
「誰が、死んだんだ?」
「……女の子、だったんだ」
 飛鳥は、ぽつりと言った。
「女の子?」
「俺も、今日まで顔は知らなかった」
「知らなかったって、そんな奴の葬式に、何で」
「顔は、知らなかったんだ。名前は知ってた。でも、まだ中学生だったなんて、知らなかったんだ。本当だよ」
 誰に責められているわけでもないというのに、飛鳥は誰かに弁解するような口調で言った。
「落ち着けよ。きちんと順序立てて話せ。俺は怒らないから」
「メール」
「メール?」
「メールを、もらったんだ。今度はいたずらなんかじゃなくて、きちんとファンレターだった。新しい話を書くたびに、必ず一通送ってくれてさ。ファンレターを貰うことは結構あるけど、何となく、その子のメールだけは強く印象に残るんだ。それで、返事を書いた」
 初めは飛鳥自身、気まぐれだったのだろうが。執筆の合間に書いた一通のメールが、顔も知らない相手に届く。
「そしたら、その子すごく喜んでくれて……感謝のメールが来た。俺も、ちょっとだけ嬉しくなって」
「それで、また返したのか」
「うん、でもただ送り返すだけじゃつまらないかなと思って、短い話をつけて」
 そこらへんは流石に作家を自称するだけはあるか、と巽も思う。
 大体飛鳥が描くのは、巽や飛鳥自身のように、普通に生きているように見えて何処かイビツで不可思議な部分を持つ人間の生き様だ。SFであり、ファンタジーであり、しかしフィクションという体裁を取りながらも自ら「不可思議」に片足を突っ込んだ飛鳥だからこそ認識できる「現実」の一つ。
 では、飛鳥が、メールで少女に贈った物語は。
「短い、『君』の物語だよ」
「俺の?」
「うん、前に聞かせてもらった話を、ちょっとだけ脚色して。俺もそれほど持ちネタがなくてさ」
 一体どんな物語だったのかは気になるところだが、巽は素直に飛鳥に話の先を促した。
「……そうしたら、今度はまた返事が来て、俺が送って、の繰り返し。でも、やってるうちに、何となく、その子のこともわかってきて」
 病気だったらしい、と飛鳥は淡々と言った。
「文面だけでわかることなんて、ほとんどなかったけれど。俺に出来ることは、その子に物語を贈ることだけだった。少しずつ、少しずつ」
 顔も知らない、少女に向けて。飛鳥は多分、本来の〆切すら忘れて小さな物語を綴っていたのだろう。
 秋谷飛鳥がそういう男だというのは、巽もよく知っていたから。
「そうしたら、ある日からぱったりメールが来なくなって……」
 飛鳥は俯き、額を手で押さえた。
「しばらくして、その子の母親からメールがあったんだよ。その子が、死んだって」
 飛鳥の声は淡々としていたけれど。
 巽は何も、言ってやることができなかった。何かを言えるほど巽は器用でも、非情でもなかった。
「それで、今、初めてその子に会ってきたんだ。何か、変な感じ」
 巽はわかっていた。わかりすぎているほどに。
 飛鳥は、そういう人間だ。
 自分でも自分の感情がよくわからないけれど、「悲しいから」という理由で泣ける人間だ。その涙が甘っちょろい同情からか、見下した憐憫からか、なんて無粋な問いかけなど無意味だと知っていて、ただ「泣きたいから」という単純な理由で泣ける人間だ。
 だから、飛鳥が俯いたまま声を殺して泣いていたって、何も言わない。
「彼女、あの話の終わりも知らないままで、さ……ごめん、君に言ったところでどうにもならないのに、迷惑だよな」
「構わねえよ」
 優しすぎる作家先生の言葉を黙って聞いていられるくらいには、巽もまた、優しすぎたのかもしれない。
 静かに、夜が更ける。