名前を呼ばれた気がした。昔の、名前を。
淡い金茶の髪を揺らして、日本人には見えない大学生、小林巽はそちらを見る。そこに立っていたのは、同じように金茶の髪をした、背の高い男だった。年のころは、巽より少し上だろうか。
まあ、外見の年齢なんてこの男には無意味だけどな、と巽は思いつつも不機嫌そうに言う。
「……何の用だよ、フェーダ」
フェーダ、と呼ばれた男はにこりと巽に笑いかける。大きな体に似合わず、柔和な表情をしているのも、相変わらずだと巽は思う。
時間は刻一刻と過ぎ、人間である自分は少しずつ変わっていくのに、時間から切り離された存在というのはどうしてこうも記憶と違わない姿でいつも目の前に現れるのだろう、とほんの少し真面目なことを考えたりもする。
「どうしているのかと思いまして」
「どうもこうも。普通に人間してますよーだ」
巽は大げさに肩を竦めてみせた。それを見て、フェーダは苦笑する。
「そのようですね。もう、帰る気は無いのですか?」
「帰らねえよ」
はっきりと。巽は言い切った。
「俺様、もう世界律にはこりごりなの。元々やりたかったわけでもねえしさあ。それに、俺は神様の器じゃねえ」
きょとんとするフェーダに向かって、巽は緑と青のオッド・アイを細めて……その目の色だけは、まるで当時と変わらなかったのだが……笑う。
「世界全てを愛せるほど、俺様は心も懐も広くないの。俺様はガキだから、元より自分の側にいるものの幸せを願うくらいのキャパシティしかないのよ」
そう言いながら、胸に手を当てた。心そのものがそこにあるわけではないと知っていながらも。
「それだけでも、僕からすれば随分と広い許容量だと思いますがね」
「お前に言われても嫌味としか思えねえ。ま、そんなわけで俺様は帰りません。世界律は後任に任せました。俺様は此処で、人として生きるだけ生きて、人として死にます。そうやってユーリス様にお伝えください、『監視者』フェーダ・シュリュッセル」
わざとらしい口調で言って、巽はフェーダに背を向ける。きっと、フェーダは笑顔で、何も言わずに自分を見送るのだろう。それすらも予測できてしまって、巽は苦笑する。巽自身はわかっていないかもしれないが、その苦笑はフェーダの浮かべるものとよく似ていた。
「……ああ、そうだ」
巽はふと思い出したように、フェーダに向き直った。
フェーダは、やっぱり巽が思い描いていた通りに、笑っていた。
「何ですか?」
「次から、『カレス』って呼ばれても振り向かないからな」
今回は、つい条件反射で振り向いてしまったけれど。
フェーダは相変わらず間の抜けた笑顔を浮かべながら、頷いた。
「わかりましたよ、『巽』 」
小林巽は遠い世界の元神様だと主張する。
それが真実かどうかは、やっぱり誰にもわからないのだが。
元神様と放浪作家のイビツな関係