元神様と放浪作家のイビツな関係

32:空へ落とそう

 はあ。
 金茶の髪の青年、小林巽は大きなテレビに釘付けになったまま、溜息をついた。その横に座っていた作家先生秋谷飛鳥は、そんな巽を見て苦笑を浮かべずにはいられなかった。
「……恍惚、って感じだね」
「だって、だって見ろよ!」
 巽はばっと手を広げて、テレビを示してみせる。見れば、そこに映っているのは、細くて長い翼を持った、軽そうな飛行機。コックピットには、プロペラを回すためのペダルがついている。要するに、人力飛行機だ。
 巽が目を輝かせて見ているのは、この夏琵琶湖で行われた『鳥人間コンテスト』のスペシャル番組であった。
「このしなやかな羽! 精緻な骨組み! 軽さを追求した機体! これを浪漫と言わずに何と言う!」
「巽くん、飛行機好きなんだ」
「飛行機とロケットは男の浪漫!」
 巽は、珍しく目をきらきらさせながら、飛鳥に人力飛行機の魅力を熱く、むしろ暑苦しい感じで語り始めた。そういえば、巽が多趣味なのはよく知っていたが、ここまで巽が盛り上がっているのを見たのは実のところ初めてかもしれない、と飛鳥は思う。
 何しろ、巽は小林家のテレビの映りが悪いから、今日だけは秋谷家のテレビを貸して欲しいとまで申し出たのだから。
 飛鳥はこのままだと延々と自分の知識の範囲ではない飛行機の話をされかねない、と思って巽の言葉を遮って言った。
「巽くんは、飛行機造らないの? 大学にも鳥人間部はありそうなもんだけど」
「昔、向こうの世界で造ったことならあるけどさあ」
 巽は、目だけはテレビの画面から離さないまま、言った。
「あっけなく墜ちた。脆すぎたんだろうなあ、翼が折れて、湖にまっさかさま」
 テレビ画面の中の飛行機は、人に導かれて滑走路から、虚空へと投げ出される。
 一瞬、不安定に、機体が揺れた。
「……だけど、一瞬だけ、浮いたのは見えたんだよ。ふわり、って浮いて、それから翼が真っ二つになって、墜ちていくんだ」
 次の瞬間には、テレビの中の機体は揚力を得てふわりと空中に浮かび上がり、滑るように飛び始める。コックピットの中では、一生懸命に操縦者がプロペラを回しているのが見えた。
 風を掴んでしまえば、後は出来る限りの距離を飛び続けるだろう。それを確認して、巽は飛鳥に向き直って、笑った。当時を懐かしむように。
「湖も空も同じように青くてさ、まるで空に落ちてくみてえだったよ」
 飛鳥も、巽の見た場面を見ていたはずはないのに、その光景をはっきりと頭の中に思い浮かべることができた。
 何処までも青い、空と湖面。その間へと身体を躍らせる、白い船。翼が折れ、やがてその姿は空と湖面の境界線に消えていく……
「……ああ、何となく、わかる気がする」
 巽の言う『浪漫』は、飛鳥には巽ほどの熱を持って伝わってはいなかったといえ。
 空に落ちる。
 その言葉の意味は、何となく、理解できたような気がして。
 巽と飛鳥は、二人して同じような表情で大きなテレビの画面を見つめていた。