元神様と放浪作家のイビツな関係

25:ポケット

 ポケットに手を突っ込んで、中年作家先生秋谷飛鳥は土手の上をゆっくりと歩いていた。川沿いの土手はいい散歩のコースで、作家とかいう肩書きに似合わず部屋に篭るのは大嫌いな飛鳥は気晴らしがてら時折そこを歩くことにしていた。
 犬の散歩をしている女性が、ふとこちらに頭を下げたので、飛鳥も慌てて頭を下げる。その様子が滑稽だったのだろう、女性はくすくすと笑いながら横を通り過ぎていった。飛鳥は少しだけ俯き加減になりながらも、足を進めた。
 川が側にあるからだろうか、風は少しだけ肌寒い。ポケットの中に手を突っ込んでいないと、すぐに冷たくなってしまう。
 まあ、朝だからってのもあるだろうな、と思いながら、飛鳥はふと目を上げた。空は薄青で、何処までも、遠い。
「……空の色は、何処も同じ、かあ」
 何となく妙な感慨を覚える。
 かつては色々な場所を旅したものだ、と思う。今はほとんどこの町から外に出ることはなくなってしまったが。
 旅をしていたその頃は「帰りたい」とばかり思っていたのに、今は、むしろ。
「たまには、旅でもしようかな」
 とは言うものの、小さな娘を抱えている作家先生に、そんな余裕はない。仕事が忙しい妻に代わって家の仕事をしなくてはならないし、その上。
 ポケットの中で、携帯電話が、鳴る。着信音は何故か壮大な『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のテーマ。
 はっとして、飛鳥は電話の着信を見た。見れば、見慣れた担当の名前。
 ――まずい。
 飛鳥は背筋に汗が流れるのを感じていた。
 すっかり、〆切を忘れていたのだ。今日は何月何日何曜日?
 慌てて、飛鳥は電話を取りながら、土手を全速力で駆け下りていった。
 家に帰って原稿を仕上げるためではない。
 
 担当から、逃げるために。
 
 その背を見た通行人はやっぱりくすくすと笑っていたのだが、流石の飛鳥もそれには気づかなかった。