home book_2
chat
幸福偏執雑記帳
幸福偏執雑記帳

幸福偏執雑記帳

以降更新はindexで行います

No.49


●番外編:ふぁふろつきーず

「趣味とは、生命維持には必要のないものかもしれない。しかし、人間社会の中で生きる以上、『生きがい』というものがなければ、ただ息をしているのと何も変わらない。つまり、人間が人間らしく生きるに不可欠な要素であって」
 八束結は淡々とキーボードで何度目になるかもわからない文字列を入力しながら、ちらりと視線だけをディスプレイの向こう側に向ける。八束の、必要最低限のものしか置かれていない、殺風景な机とは対照的に、正面の机の上は極めてカラフルであった。テディベアをはじめとした、手作りのぬいぐるみによって。
「もちろん、人によって趣味はそれぞれなわけだが、俺は手芸を推す。無心に手を動かしていれば、やがて意味のある形が見えてくる――。ばらばらであった要素から、一つのものを作り出すという喜びがそこにある」
 そして、そのぬいぐるみに囲まれているのは、剃り跡すら見えないスキンヘッドに、細い体を隙なく覆う黒スーツ、という堅気からかけ離れた身なりの男であった。その眉間には深く皺が刻まれ、黒縁眼鏡の下の目は不気味な隈に縁取られており、どう贔屓目に見ても今まさに人を殺してきたような顔をしている。
 が、その鋭く抉るような視線は、あくまで、手元の編み棒に向けられているわけで。
「編み物も当然そのうちの一つだ。毛糸という一本の頼りなくすら見える線が、面となり立体となるこの瞬間、俺は言いようのない感動を覚える。今、ここに生きていると感じるのだ。わかるか? 八束」
 そう言って、男――待盾警察署刑事課神秘対策係主任、南雲彰は仏頂面をこちらに向けてきた。この男、表情筋が死んでいるのか何なのか、常に不機嫌そうな顔をしているが、本当に不機嫌であることはほぼ皆無と言っていい。
 もしかすると、今のも、本人の中ではとびっきりの決め顔だったのかもしれない。
 とはいえ、今は仕事中である。かたかたとキーボードを鳴らしながら、あくまで視線はディスプレイに。要するに、八束は無視を決め込んだ。
 場に、重苦しい沈黙が流れた。
 しかし、南雲が机に突っ伏して「あー」と力なく呻いたことで、その沈黙はあっけなく破られた。
「構ってよやつづかー。南雲さんは寂しいと死んじゃうんだぞー」
「最近、南雲さんの言葉の九割は意味がないことを学びましたから」
「八束も、随分俺の扱いに慣れたねえ」
 八束が放った呆れ交じりの言葉にも、南雲は全く動じなかった。つれない態度も予測済みだった、ということだろう。
 待盾警察署の片隅に位置する神秘対策室には、今日もけだるい空気が流れていた。仕事といえば事務手続きばかりで、しかも、その仕事のほとんどは南雲が「新入りなら雑務にも慣れていただかないと」とほざいて、堂々と八束に押し付けたものである。
 手の早い八束からすればそれすらも大した仕事量ではないのだが、それでも仕事を押し付けてきた張本人が横で仕事とは全く関係ない作業をしていると、流石にいらっと来る。
「そんなに生きがいを求めるなら、仕事しましょう、南雲さん。仕事も十分生きがいになりえます」
 その苛立ちを隠しもせずに言った、つもりだったのだが。南雲は意に介した様子もなく、つるりとした頭を机に載せたまま、器用に編み棒を動かし続ける。
「事務仕事とかめんどくさいじゃん。眠くなっちゃうよ」
「編み物も、十分眠くなれる案件だと思うのですが」
 どうも、南雲の中ではそれらは全く別であるらしく、眠そうに隈の浮いた目をしょぼしょぼさせながらも、熱心に編み物を続けている。
 八束が待盾警察署刑事課神秘対策係に配属されてから二ヶ月。遺憾ながら、これが当たり前の毎日になってしまっていた。
 恐ろしげな顔に似合わず手芸全般を趣味兼特技とするこの怪人は、仕事をほっぽり出して、日々新たな作品を生み出し続けている。ちなみに、作ったものは大概南雲の机を飾り、場合によっては八束や係長である綿貫栄太郎の机をも侵蝕しているが、時々数が減っているところを見るに、誰かに贈ったりもしているらしい。
 そんな、いてもいなくても仕事の進捗に関わらない主任を抱えて、八束が配属されるまで神秘対策係がかろうじて係として成立していたのは、ひとえに、大きな仕事がほとんど存在しないからだった。
 神秘対策係、通称「秘策」とは、待盾警察署独自の係であり、業務内容は「オカルトに属する事象に関する相談請負と解決」。魔法や妖怪、超能力といったオカルティックな現象が特別多い「特異点都市」待盾市において、人にも相談できない不可思議なものに悩まされる市民は、一定数存在する。そんな市民に手を差し伸べるのが、神秘対策係だ。
 無論、八束たちがオカルトを信じているわけではない。むしろ、その逆だ。待盾市の特異性を利用して、人知の及ばぬオカルトとして片付けられかけている事件。それらを、人の手による犯罪であると証明するのが、神秘対策係の本領である。
 とはいえ、そのトンデモ感とそもそもの知名度の低さから、神秘対策係の仕事は極めて少なかった。今、八束がパソコン上で処理している書類も、忙しくて書類仕事まで手が回らないという盗犯係の書類を代わりに捌いているだけで、神秘対策係本来の仕事ではない。
「やーつーづーかー、何か面白い話ないのー?」
「子供ですか! せめてちょっと黙っててください!」
 正直、この男が給料を貰っているのが理解できない。ついでに、公務員なのだから、それは市民の税金である。善良な市民がこの光景を見たら、十中八九この場にあるテディベアの首が全て飛ぶだろう。そして南雲がしくしく泣くだろう。想像するだけで鬱陶しい。
「ああ、そういえばさ、八束」
「何ですか? もう趣味と甘いものの話はなしですよ」
「仕事の話だよ。昨日、ファフロツキーズがあったんだって」
「ふぁふろ……、何です?」
 南雲は、一度編み棒を机の上に置き、机をカラフルに彩る要素の一つ、こんなところにあること自体奇妙な棒つき飴の卓上ディスプレイから、飴を一本引き抜きつつ言った。
「Fall from the skiesを略してFafrothskies。日本語では怪しい雨、って書いて『怪雨』。本来空から降ってくるはずのないものが降ってくる現象だな。八束は『マグノリア』って知らない?」
 マグノリア。まず頭に浮かんだのはその名を持つ花――木蓮だったが、文脈からすると、別のものを指しているのだろう。その音に引っかかるものをざっと脳内検索、南雲が意図しているだろうものを言葉にする。
「『マグノリア』って、映画ですよね? 見たことはありませんが、カエルがいっぱい降ってくるポスターは印象に残ってます」
「そ、ああいうのがファフロツキーズ。今日、綿貫さんはその相談を受けてるとか何とか」
「あ、だからいないんですね、係長」
 朝から対策室に綿貫係長の姿が見えなかったから不思議には思っていたのだが、おそらく、迷える市民の相談を受けているのだろう。相談役は、八束が配属される以前から、人当たりのよい綿貫が一手に引き受けている。
 係長に全て任せるのはどうかとも思うのだが、何しろ南雲は物腰はともかくこの見た目なので、相談に向かないどころの話じゃない。八束は一度だけ相談に立ち会わせてもらったが、その後一度も綿貫から声をかけられなくなった。つまり、そういうことである。
「それで、何が降ってくるんですか?」
「さあ。俺も詳しい話は聞いてない。一般的なのは、魚とかカエルみたいだけど」
 超常現象に「一般的」も何もないとは思うが。
 魚やカエルが空から降ってくるのを想像して、思わず苦いものを噛み潰した顔になってしまう八束に対し、南雲は棒つき飴をもぐもぐしながら、仏頂面のままぼんやりと虚空を眺めて言う。
「あー、でも、飴とかお菓子が落ちてくるなら、嬉しくなっちゃうなあ」
「いくら好きなものでも、空から落ちてきた得体の知れないものは食べたくないです」
「確かに、ものによっては口に合わないのもあるし、無差別はちょっと嫌だね」
「そうじゃありません」
 この男の頭は、甘いものと趣味でしかできていないのか。どうして曲がりなりにも刑事という肩書きを持っているのだろう、といつもながら不思議に思う。
「お菓子は横に置くとして、それって、どういう原因で起こるものなんですか? 流石に虚空から魚やカエルが生まれる、なんてことはないと思うんですが」
「諸説あるよ。一番有力な説は、竜巻とか上昇気流に乗せられたものが、上空を運ばれて降ってくるって話。でも、その現場を見た人はいないから、本当かどうかは謎」
 謎、というのは嫌な話だ。証明できないものは、否応なく八束を不安にさせる。この係の本来の目的は、オカルトを装うことで警察の手を逃れようとする者たちの犯罪を暴くことであって、本物のオカルトは八束の許容範囲を大幅に逸脱している。
 南雲も「流石にこういう出来事は、八束の手にも余るかもねえ」と、しかし緊張感もなくばりぼり飴を噛み砕きながら、編み棒を動かしている。自分で解決する気がさらさらない辺りが南雲の南雲たる所以である。
 と、その時、対策室の扉の向こうから、聞きなれた声がした。
「いやー、やれやれですよ」
 それと同時に扉が開き、係長の綿貫が入ってきた。どこか狐めいた細い目を更に細め、片手には紙袋を抱えている。開いた口から覗いているのは、八束も見覚えのある、最近発売されたチョコバーのパッケージ。
「係長、どうしたんですか、南雲さんじゃあるまいし」
 菓子イコール南雲、という認識の八束に苦笑を見せた綿貫は、南雲の机の上にどん、と紙袋を置く。南雲の机の上に、ものを置くようなスペースは存在しないので、何匹かのテディベアが下敷きになった。
「南雲くん、チョコ、お好きですよね」
「もちろん」
 即答である。
 綿貫は、そんな南雲の目の前で、紙袋をひっくり返す。すると、紙袋に詰まっていたチョコバーが机の上に溢れた。哀れぬいぐるみはチョコバーの海に溺れ――というか、チョコバーがぬいぐるみの海に沈んでいくようにも見えたが。
「これ、食っていいんすか」
 仏頂面ながら、眼鏡の下できらりと目を輝かせた南雲に、綿貫は何故か、少しだけ疲れたような顔で微笑みかける。
「ええ。どうぞ、八束くんも」
 そして、綿貫は袋の中に残った最後の一つのチョコバーを、八束に向かって無造作に放り投げる。少々慌てながらも無事チョコバーをキャッチした八束は、手元と綿貫を交互に見ながら、頭を下げる。
「あ、ありがとうございます」
「いえいえ」
 のそのそと奥の係長席についた綿貫を横目に、包装を剥いて一口。目の前の南雲は既に二本目に手をかけている。一本目をいつ食べたのか、八束は視認すらできていなかった。
 ともあれ、口の中に広がるのはチョコレートのほろ苦い甘さと、内側のさくさくとしたクランチの感触だ。独特の食感を確かめるように何度か咀嚼してから飲み込んで、最初に聞いておくべきだったことを、改めて問う。
「美味しいですけど、どうしたんですか、これ」
「ああ、降ってきました」
 こともなげに綿貫が言い放ったものだから、八束は、その言葉の意味を理解するのに、数秒を要した。
 ファフロツキーズ。本来空から降ってくるはずのないものが降ってくる現象。
「マジか、最高じゃん。現場どこっすか」
「南雲さん!」
 今までのゆるい態度が嘘であったかのように、素早く立ち上がる南雲。まさか本当に落ちてきた菓子まで食べるというのか。そこまで見境のない男なのか。いや、この男に常識が通用しないことくらい、八束も理解していたはずではなかったか。それはそれでどうかと思うが。
 すると、綿貫がくつくつ笑いながら言った。
「冗談ですよ、冗談。ただ、お菓子が降ってきたというのは事実なんですけどね」
「どういうこと、ですか?」
 さっぱり意味がわからない。ため息交じりに着席した南雲も、胡乱げな視線で綿貫に話の先を促す。
「昨日昼ごろ、菓子が降ってきたという報告があって、目撃者から話を聞いていたんですがね。先ほど、菓子の販売会社が訪ねてきまして、どうも新商品販促イベントとして、ヘリで上空から会場に撒くはずだったものを、誤ったポイントで少数撒いてしまったらしいということで」
 それが、風に乗る形でちょうど待盾に落下した、ということだったらしい。
 何ともあっけない解決に、八束も「は、はあ」と気の抜けた声を出すことしかできない。
「で、後始末は自分たちでやるとのことで、騒がせたお詫びとしてもらいました」
「なるほどー。得しましたね」
 南雲は三つ目のチョコバーの封を開けながら言う。だが、八束は渋い顔をせずにはいられない。
「……それ、収賄じゃないんですか、係長」
 けれど、綿貫はしれっとした顔で、人差し指を唇の前に立てる。
「ええ。そういうわけで、これは内密にお願いします」
 ――それでいいのだろうか。
 どうにも納得できない八束の目の前で、南雲は構わずもぐもぐチョコバーを食しているわけで。食べてしまったものを、返すわけにもいかない。難しい顔を続ける八束に対し、南雲はちらりと眼鏡の下から八束を見やり、ぽつりと言った。
「そんな怖い顔するなって。ばれなきゃ犯罪じゃないんだよ、八束」
「それ、警察官の発言として根本的に間違っていると思います!」
 八束のもっともな言葉に対し、南雲は大げさに耳を塞ぎ、綿貫はただ苦笑するだけで。
 八束は頬を膨らませながらも、食べかけのチョコバーを齧り取る。
 
 いくつもの不思議を抱える「特異点都市」待盾には、不思議の正体を暴く者がいる。
 それが、神秘対策係――通称「秘策」。
 ただ、彼らの毎日は、大概の場合、とことん怠惰で気だるいのであった。
畳む


#時計うさぎの不在証明

文章