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幸福偏執雑記帳
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以降更新はindexで行います

No.1733

魔法、不思議なるものについて考えるとき、自分はおそらく不思議を不思議のままで置いておくことができないのだろうなあ、ということをぽやっと考えるなどした。

元々あざらしは伝承文化を学んできた身なので、その「語られるもの」というのが比較的型の決まったものである(ように見える)、というとこに軸足がある。
物語の定型、というか。
その上で、人が物語り伝えていくものというのは、不思議なものを明らかにしていく、もしくは「何かしらの意味付けをする」歴史だったのだよなあ、ということを思うのだよね。
神秘をイメージするとき、あざらしはどうしてもそこに「人の手による意味付け」を見出さずにはいられないのだ。
神とされるものも魔とされるものも、人がそう定義して、説明づけてきたものというか。宗教は科学と相反するのではなく「何かを説明する」「人と共有する」というツールのひとつなのだよなあ、みたいな……そういう……。
だから人は不思議に対して説明を試みるし、不思議を不思議のままにしておくことはできない、というとこに立った上で、あざらしの「魔女」たちは彼らなりになんらかを定義するもの(科学とは別の手段で)、という感じの人たちなのだよな~。

なんかこう……このあたりは致命的にセンスオブワンダーの欠落を感じるとこでもある……どうしても理屈っぽいというか……。
だから結構人(特にあざらしがよく接するたぐいの人)と「不思議」の概念を共有できない(完全な共有は無理、という前提の上でもベン図が全く重ならない)みたいなことを思わなくもない。
別にそれが悪いということではなく、ただ時々上手いレスポンスができなくて申し訳ないな、というくらいの……!

創作