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幸福偏執雑記帳
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以降更新はindexで行います

No.109


●Scene:16 カーテン・コール

 僕はカーテンコールという慣習があまり好きではなかった。
 今の今まで「僕ではない誰か」であった僕が、その瞬間だけは配役を脱ぎ去った「僕」という一人の人間として人前に顔を出さなければならなかったから。
 けれど、今は少しだけ気が変わった、ような気がする。
 舞台という別世界から、観客と演者が現実へと戻るための一つの手続き。もしくは儀式。
 それがあるからこそ、僕らは「僕でない誰か」が生きている小さな世界と、「僕自身」が存在する現実とを自由に行き来が出来る。そんなことを、思うようになった。
 だからここから先は、大団円で幕が下りた、その後の顛末。
 僕が「桟敷城の魔王」という役を、本当の意味で終えるための「カーテンコール」だ。
 
 
          *     *     *
 
 
 インターフォンを鳴らしてから、失態に気づく。
 アポイントメントなんて取ってないし、問いかけられても僕に答える声はない。これでは単なる不審者ではないか。
 とにかくいても立ってもいられなかった、というか、勢いでここまで来てしまって、インターフォンを鳴らしてしまったところで我に返るとか、本当にどうにかしてほしい。せめてもう一瞬前で我に返ってほしかった。馬鹿野郎。
 そんな葛藤をよそに、微かなノイズが響いて。
『……五月(いつき)くん?』
 懐かしい声が、「僕の名前」を呼んだ。
 
 
          *     *     *
 
 
 僕に友人は少ない。というより、ほとんど切り捨ててしまった。一回目は芸能界に入ると決めたときに。二回目は、声を失って芸能界から去るときに。
 そんな中で、縁を切らずにいられた数少ない幼馴染と呼んでもいい、小学校時代からの友人からLINEが来ていた。それも、数週間前――ちょうど、僕が桟敷城の魔王をやっていたころから、毎日定期的に送られていたものだったようだ。
『生きてるか?』
 死んでたら答えられないだろうに。つい笑ってしまいながら、昨日買い換えたスマートフォンの画面をタップする。
『生きてる』
『マジか。幽霊とかじゃなくて?』
『足はある』
 いや、足があるどころかマッチョな肉体を持つ幽霊ならつい先日までそこにいたような気がするけど、それはそれとして。
『どこ行ってたんだ。マジで連絡取れないからついに樹海に行ったかってめちゃくちゃ話題になってたぞ』
『実は僕にもわからない。ここしばらく神隠しみたいなものに遭ってたっぽい。気づいたら一昨日だった』
『えっ何それめちゃくちゃ怖ぇな』
『怖い。それでも僕は無事だから』
『ならよかった。親御さんには?』
『連絡ついてる。めちゃくちゃ泣かれた』
『だろうな。お前、いつ死んでもおかしくない顔してたもん』
『でも、もう大丈夫だ。何か、すっきりした』
『ならいいけど』
『でさ、仕事、もう一度やり直そうと思うんだ』
『演劇?』
『僕の取り得はそのくらいだから。それに、こんなんでも、まだ体は動くし、できることはたくさんある。難しいとは思うけど、やってみたいって思えるようになった』
『そっか。何かよくわかんねーけど、本当に吹っ切れたんだな。よかった』
『ありがとう。心配かけた』
『仕事入ったら美味いもん奢れよ』
『今すぐって言わないお前の優しさに涙が出そうだ』
『嘘つけ』
『ばれたか』
『あーなんか心配した俺が馬鹿みたいじゃん。元気そうで何よりだけどさ』
『悪かったって。で、話は変わるんだけど、一つ聞いていいか』
『何?』
『日向(ひなた)って、覚えてるか? 中学時代、同じクラスだった』
 
 
          *     *     *
 
 
「よかった、五月くんが元気そうで。色んなニュースを聞いて、本当に心配だったの」
 中学時代の僕の記憶より随分と痩せてしまった日向のおばさんは、それでもあの頃と同じ笑顔を僕に向けてくれる。僕と彼女とのお互いの趣味を語り合うだけ、という年頃の学生らしからぬやり取りを、呆れ半分に、それでも温かく見守ってくれていた頃と変わらない視線が、どこかくすぐったくて、それでいてほっとする。
「喉の病気はもう大丈夫なの?」
『大丈夫です。ご心配おかけしました』
 入力した文字列をスマホで読み上げつつ、頭を下げる。本当に、パロットに壊されさえしなければ、こういう小技が使えたのだ。音声機能さえ使えれば、コルヴスとのコミュニケーションにああも手間取らないで済んだというのに。まあ、あの場に充電器がなかった以上、その方法にも限界はあったのだけれども。
 そういえば、スマホといえば、買い換えてからLINEに謎のアカウントが登録されていて、勝手にメッセージを着信していた。どう見てもめちゃくちゃな英語で、スパムか何かかとブロックしてやろうかと思ったが、見覚えのある単語がいくつか見えたことで、パロットからのメッセージだとわかってぎりぎり踏みとどまった。
 あの幽霊、確かに色んな能力を持っていたらしいが、LINEにアカウントを追加してメッセージを送信する、という謎すぎる能力が今になって明らかになるのどうなんだ。
 ああ、でも、うん、悪くはない。あれが夢でなかったことが、これではっきりしたから。桟敷城は世界の更新と共に二度と入れなくなってしまったけれど、パロットは今もどこかの世界を渡り歩いているのだ。そして、これからは時々、コルヴスからのメッセージも伝えてくれるという。それだけで、少しだけ前向きな気分になれた。別の世界で「これから」を生きていく二人の背中に、こちらの背中を押されている気分になった。
 だから、以前の僕なら躊躇ったであろうその言葉を、迷わず「言う」ことだって、できた。
『その、譲葉さんは?』
 と、途端に、どたどたーん、という酷い音が扉の向こうから聞こえてきた。もう少し正しく形容するならば、階段から落ち……そうになって、ぎりぎり駆け下りるだけで済んだという類の音。
 そして、部屋の扉がそっと開く。と言っても、本当に、紙一枚が通る程度の開き方で。これには流石に日向のおばさんも呆れ顔で言う。
「譲葉(ゆずりは)ー、五月くん来てるわよ、きちんとご挨拶しなさい」
 すると、扉の向こうから、声が――桟敷城で散々聞いてきた「お姫様」の声が、聞こえてきた。
「せ、せめて、化粧、してきてもいい?」
『そのままでも気にしないけど』
「うおおおおおおおおおこの天然タラシめ! あたしは騙されないからな!」
 こいつは僕を何だと思ってるんだ? いや、そういう演技をして欲しいっていうならいくらでもするけど、そういうのは好みではあるまい。
 それに、僕だって「僕でない誰か」の演技がしたくてここに来たわけじゃない。
『隠れてないで、出てきてくれないか』
 
 そうだ、これが僕なりのカーテンコール。
 魔王と姫の茶番劇は終わりを告げた。
 けれど――。
 
『話をしたいんだ』
 
 僕らはやっと出会えた。
 随分遠回りをしてしまったけれど、やっと、夢を叶える第一歩を踏み出せた。
 
『今、ここで、君と』
 
 そうだ。きっと、僕らの本当の物語は、ここから始まる。
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#桟敷城ショウ・マスト・ゴー・オン!

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