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幸福偏執雑記帳
幸福偏執雑記帳

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以降更新はindexで行います

No.1739, No.1738, No.1737, No.1736, No.1735, No.1734, No.17337件]

無名夜行を書いてるときに結構大事にしてるのが、「人間関係は円滑」だったりするのはどっかに書いた気がするけど。
物語があくまで『異界』に焦点を当てたものなので、『こちら側』の出来事が不思議や興味を誘うことはあっても、ノイズにならないように。
あざらしは人の仲が悪いとそれだけでしんどくなっちゃうタイプで、それで進められなくなったゲームがたくさんあるため……。
なので基本的に無名夜行のひとたちは、そりが合わないことはあっても(ドクターとXとか)、互いへの敬意を基本的には前面に出してるつもり。
好きになれなくても敬意を抱くことはできるし、円滑に場を回すために振る舞うことはできる、そんな感じ。
(まあ、ストーリー上既に過ぎ去った範囲では仲が悪くてこんなことがあった、って話はするけど……)

#無名夜行

創作

あーーーー楽しみが待ってる!!!
ただし、楽しみだけど楽しみを享受するためにはやらねばならぬことがある!!!!
うおおおおおお体が動かん!!!!!

いま

定義の魔女ヌイは、「自分が名付けたとおりに世界が存在する」っていう。
このあたりは世界がゼロとイチに見えてる花色にも近いところがある。
あざらしの魔女、すぐプログラム的なことを言い出す……。
ただ、そういえば、あざらしの魔女は「人がなる」ものなので現象・概念としての魔女(超越存在)はやや少ない。
結局のところあざらしは「世界を認識するのは人、不思議と認識するのも解き明かすのも人」というとこに拠って立ってるんだろうなあ、みたいなことをつらつらと思うのだった。
概念的なものって結局意味付けしない限り「描く」こともできないため。
おっ少し創作モードに戻ってきたのでは!?

創作

魔法、不思議なるものについて考えるとき、自分はおそらく不思議を不思議のままで置いておくことができないのだろうなあ、ということをぽやっと考えるなどした。

元々あざらしは伝承文化を学んできた身なので、その「語られるもの」というのが比較的型の決まったものである(ように見える)、というとこに軸足がある。
物語の定型、というか。
その上で、人が物語り伝えていくものというのは、不思議なものを明らかにしていく、もしくは「何かしらの意味付けをする」歴史だったのだよなあ、ということを思うのだよね。
神秘をイメージするとき、あざらしはどうしてもそこに「人の手による意味付け」を見出さずにはいられないのだ。
神とされるものも魔とされるものも、人がそう定義して、説明づけてきたものというか。宗教は科学と相反するのではなく「何かを説明する」「人と共有する」というツールのひとつなのだよなあ、みたいな……そういう……。
だから人は不思議に対して説明を試みるし、不思議を不思議のままにしておくことはできない、というとこに立った上で、あざらしの「魔女」たちは彼らなりになんらかを定義するもの(科学とは別の手段で)、という感じの人たちなのだよな~。

なんかこう……このあたりは致命的にセンスオブワンダーの欠落を感じるとこでもある……どうしても理屈っぽいというか……。
だから結構人(特にあざらしがよく接するたぐいの人)と「不思議」の概念を共有できない(完全な共有は無理、という前提の上でもベン図が全く重ならない)みたいなことを思わなくもない。
別にそれが悪いということではなく、ただ時々上手いレスポンスができなくて申し訳ないな、というくらいの……!

創作