今まで黙ってセイルの言葉を聞いていたアルベルトが、綺麗な顔を歪ませ、腹を抱えて笑っていた。その視線は明らかにセイルに向けられていたが、焦点が合っていない。蜃気楼閣で見た映像と同じように。
セイルの思いもブランの笑顔も、何もかもを侮辱された不快感に耐え切れず、セイルは反射的に叫んでいた。
「どうして、笑うんだよ!」
「これが笑わずにいられるか? いいねえ、青臭い茶番劇。もっと続けてもいいぜ、その茶番の只中に、現実って奴を突きつけてやるからよ?」
ぎり、と歯を食いしばり、セイルは繋いでいたシュンランの手をそっと離す。いつでも飛び出せるように右手に意識を通わせ、アルベルトに向かって怒りの言葉を紡ごうとする。
だが、ブランは、動かない。銃を構えたまま、ただただ、アルベルトを見据えている。その瞳が映し出す静謐さに、セイルは咄嗟にアルベルトにぶつけかけた言葉を喉の奥に飲み込む。限界まで張り詰めた糸を思わせる――かつてセイルがブランと対峙した時に感じた気配を湛え、ブランは薄い唇を、開く。
「悲しいな」
「……何?」
「意味がわからねえか? 俺は『悲しい』という感情もお前に殺されたが、それでも理解できる。お前は悲しい奴だ、アルベルト」
悲しい。それは、神殿の虚絶ちとして、セイルの前に立ちはだかったブランに、セイル自身がぶつけた言葉であったと思い出す。
虚を突かれたのか、呆然とするアルベルトに向かって、ブランは淡々と言葉を重ねる。
「俺が、セイルに何も言えなかったのは、事実だ。当初は、単にその方が都合がいいという打算だったが……今となっては、怖かったんだろうな」
ふ、と。小さく息を付き、ブランは言った。
「この関係が、終わってしまうことが」
――ああ。
セイルの胸が締め付けられる。
ブランも、セイルと何も変わらなかった。終わらせたくない。その思いだけは、ずっと、同じだったのだ。
ブランは、いつになく穏やかな口調で……しかし、両眼から零下の光を失うことなく、言葉を続ける。
「馬鹿だな。馬鹿だと自分で思う。それでも、本当に大切なものが、すぐ側にあって。それを確かに守っていられる間は、俺にとって一番幸せな時間だった」
ブランは、これまでも何度か「幸せ」という言葉を使ってきた。そのたびに、セイルは少しだけ不思議だった。誰よりも冷静で、ある意味では冷血ですらあったブランが、その言葉をとても大切にしているようだった、から。
だが、それこそが、ブランを支えていた、唯一の言葉だったのかもしれない。
そこに思い至ったところで、アルベルトがまた笑う。何もかもを否定せんとばかりに、かつての兄とよく似た声を響かせて。
「幸せ、幸せな! お前はいつもそうだったなあ、ノーグ! んなあやふやなもんに縋った末に、何もかもを失った気分はどうだ? 今から俺に奪われる気分はどうだ? お前がどんな顔をするか、想像しただけで笑えてくるぜ」
アルベルトの挑発に対し、ブランは浅く溜息をつき、やれやれとばかりに軽く首を振って。それから、再び真っ直ぐにアルベルトを見据えて、問うた。
「どうして、お前はそうまで時間稼ぎをしてんだ、アルベルト?」
突然の話題の転換に、セイルもブランが何を言っているのか、一瞬わからなかった。アルベルトも同じだったらしく、きょとんと首を傾げたが、すぐに我に返って、肩を竦めて笑みを深める。
「時間稼ぎなんてとんでもない。俺様は親切でだな……」
「お前は無駄なことは嫌う奴だ。それでいて、ここから帰す気もねえ俺らに今までの経緯なんて余計なことを語るってことは――準備が足りてねえんだ。違うか」
ブランの指摘に、アルベルトは笑うことを止めた。明るい色の瞳に冷ややかな気配を湛え、ブランを睨む。
「お見通し、ってわけか」
「 『レザヴォア』への接続は不可能にしても、『アーレス』を使えるお前が俺たちの来訪を全く予見できていなかったとは思えねえ。地上の『シルヴァエ・トゥリス』を俺たちが攻略し、クラウディオを奪取した時点で、俺たちがドライグの船を使ってここに至る可能性と、ここに到達する刻限を算出できたはずだ」
アルベルトは無言でブランを睨み続ける。それは、セイルから見ても言葉にならない肯定と取れた。ブランは、そんなアルベルトの視線を真っ向から受け止めて唇を開き、
「だが、お前はここにいる俺たちに対して、時間稼ぎを試みている。お前の予見より早く、俺たちがここにいるからだ」
淡々と、淡々と、セイルがよく知る態度で、言葉を紡ぐ。
「アルベルト。お前は――ティンクルが俺たちを招くとは、考えていなかったようだな」
その瞬間、アルベルトの表情が歪んだ、気がした。唇を微かにわななかせ、何か言葉を吐き出そうとしたようにも見えたが、すぐに唇を引き締める。ただ、そこに、一瞬前までの余裕は既に無かった。
セイルが混乱したのと同じく、ティンクルの主であり、未来視を持つアルベルトにも、彼女の行動は読めていなかった。それだけは、はっきりとわかった。アルベルトが見せた険しい表情は、ブランに対する敵意もあったが、それ以上に……困惑が多くを占めていたように、見えたから。
アルベルトの指示を超えて動いたティンクルの狙いがわからないのは、不気味ではある。それでも、アルベルトの予測を超えてここに辿りついたことで、アルベルトの計画がほんの少しだけ破綻したのは、事実。
ブランは、小さく息を付き、氷色の目を細める。
「ま、俺はお前らの事情には興味ねえよ。お前の時間稼ぎに付き合ったのも……お前の口から、お前がここまでの経緯をどう考えていたのか、聞きたかっただけ。それがわからないままお前とことを構えるのは、こいつらも混乱するだけだろうし、俺も納得できねえからな。それに」
ふ、と。今度こそ、それとはっきりとわかる微笑みすら浮かべて。
「お前がどんな策を巡らせようと、俺たちは負けない。俺が見た未来は、そういう未来だ」
未来視『アーレス』を失ったはずのブランは、きっぱりとそう宣言する。
ぎり、と歯を鳴らしたアルベルトは、手にした杖を構える。一触即発の気配に、セイルもいつでも『ディスコード』を展開できるように、右手を構える。
だが、アルベルトはセイルや、同じように鎖を射出できる姿勢をとったチェインに意識を向けることなく、あくまでブランを睨めつけて。
「吼えるじゃねえか、出来損ない。んな壊れかけの身体で、何ができる?」
「そうだな……お前みてえな、大それたことはできねえよ」
アルベルトは、ノーグ・カーティスの名を騙り、その名によって率いられた異端結社『エメス』の力で楽園を混乱に陥れた。それは、確かにブランの言うとおり「大それたこと」なのだろう。
それに対し、ブランは、片方の手を握って、開く。
「俺が守れるのは、俺の手の届く範囲だけ。だが、おかげさまで、お前みてえにすべきことを見失わずには済みそうだ」
「何?」
「わからねえのか、アルベルト。わからねえなら、それでいい」
ぴん、と。
糸を弾いたような気配と共に、空気が、色を変える。
ブランの零下の瞳はアルベルトを鏡のように映しこむ。今や姿かたちは違うけれど、ある意味ではよく似ている、己の根源たる存在を。
そして、醜くしわがれた、しかしよく響く声で――宣言する。
「何もかも、何もかも。ここで終わりにしようぜ、アルベルト!」
「ほざくな!」
アルベルトは、床に杖の石突を叩きつけて、叫ぶ。
「――Wake up, "Red Dragon"!」
(目覚めろ、『赤き竜』!)
その音が何を示していたのか、セイルにはわからなかった。
だが、セイルの内側で息を殺していたディスには理解できたのだろう、アルベルトの声から少しだけ遅れて、その意味がセイルにも伝わった。
刹那、アルベルトの背後に広がっていた風景が消え去り、まやかしであったその後ろの壁も消え去って、その向こうから巨大な「何か」が姿を現した。
セイルの目から見る限り、そこに存在するものは、赤くぬらぬらとした光を湛える小山に見えた。だが、よく見れば表面を覆っているのは巨大な鱗であり、全体が上下に動いている。息の音は聞こえないが、確かに全身で呼吸をしていて……アルベルトの声に応えるように、ゆっくりと首を上げる。
そう、それは、竜だった。
絵本の挿絵でしか見たことのない、真紅の鱗に包まれた獣。女神ユーリスによって楽園を守るべく創り出され、しかし使徒アルベルトに付き従って共に海の底に沈んだといわれていた、伝説の獣が目の前にいるのだ。
だが、それは伝承に語られるものよりも遥かに小さい。そう、セイルは思う。もちろん目の前の獣はセイルが小山と感じるほどの巨体と威圧感を持つが、本来「竜」とは人など何十人集まってもその足で踏み潰せるほどの存在であるはずだ。
それと――もう一つ。どうしても、目が離せない場所がある。
『くそっ、気づきたかなかったが……』
持ち上がった竜の顎からは、何かが滴っている。床に広がる赤黒い液体が、鉄錆の臭いをここまで運んでくる。何故、今まで気づかなかったのだろう、と思うくらいに濃い赤の臭気に、再び気分が悪くなる。
血。これは血だ。だが、何の血だ?
答えは、何となくわかっている。それでいて、認めてはいけないと頭の奥底で警鐘が鳴る。だが、セイルは見てしまった。竜の顎の下に転がるものを。
五本の指を伸ばして虚空を掴む、腕から先の肉体全てを失った手を。
「……食わせた、のか。ここにいる連中を」
ブランの声は、セイルの脳裏に浮かんだ可能性を、裏付けてしまった。
人がそこにいた形跡と、人の気配の感じられない空間。『エメス』の本拠地というにはあまりにも閑散とした光景の理由は、これだ。
異端結社『エメス』を率いた、遠き日の背信者は――己が元に集った同志たちを、残らず竜の餌にしたのだ。
裏切りの使徒、と呼ばれた男はけたけたと、愉快そうに笑う。
「ははっ、竜にはマナが必要だからな。単に維持するためなら、ルーンやフォイルでも構わねえが、動かそうとするなら動物性のマナが一番効く」
「そん、な……そんな理由で……?」
気づけば、呟いていた。すると、アルベルトの目がぐるりとセイルの方にに向けられる。びくりと震えるセイルに向かって、アルベルトは芝居がかった口調で続ける。
「そして、楽園に生きる獣の中でも、最もマナを多く含むのが人族だ。特に、エルフやドワーフ、獣人……ユーリスが『創った』ものがいい。マナでのみ存在を維持できる、という点では竜と同じだから、身体を構築するマナの量も豊富で、上質だ」
だが、アルベルトの言葉は、セイルの問いに対する正しい答えにはなっていなかった。珊瑚礁を思わせる色の瞳は、既にセイルを映しておらず、遠く、遥か遠くを見つめているようで。
「それでも、ぱっと目覚めるにはちょいと足りねえもんだから焦ったぜ。その点、時間稼ぎに付き合ってくれた、お前らには感謝だな」
もはや正気からはかけ離れたアルベルトの哄笑に、竜の吼え猛る声が重なる。びりびりと響く獣の咆哮に、セイルは思わず一歩下がってしまう。背筋に冷たいものが流れ、息が苦しくなる。
それでも。それでも――!
セイルは、横に並ぶ仲間たちに視線を走らせる。誰もが緊張に顔を引き締め、汗を浮かべてはいたが、それでも……目に揺れる炎は消えない。恐怖に折れては、いない。
だから、セイルはすぐ横のブランを見上げる。
「ブラン、勝てる?」
「当然。俺様は勝てない賭けはしない主義って言ってるでしょ?」
「ディスには負けたけどね」
心の中に浮かびかける弱気を何とか抑えこみ、軽口を叩く。すると、ブランは微かに唇を歪めて、囁く。
「負けたのは、ディスに対してじゃねえ――お前にだ」
その声に、心が揺さぶられる。ああ、そうだ、ブランは、ずっとそうだった。ただセイルを守ってくれただけではない、セイルの決意を、在り方を真っ直ぐに認めてくれるその言葉こそが、セイルを支えてきたものだったのだと、気づく。
そして、
「お前に負けて、やっと気づいた。俺の立っている場所が、俺の見た『未来』が、余りにも頼りないもんだってな」
ブランにとっても、セイルの存在は決して小さなものではなかったのだと、気づく。
「それじゃあ、未来が見えなくなったの、って」
「そう難しい理屈じゃねえ、この『目』を信じられなくなったからだ」
セイルに己が見た未来を否定されたことで、ブランも初めて、予測を「疑う」ことを知った。それはブランにとって、覆しがたい疑いであったに違いない。
それでも。
「だが、今は少しだけ、この『目』に頼ってみようじゃねえか。セイル――信じてくれるか」
「俺が、ブランを信じないわけないだろ!」
それは、セイルの心からの言葉だった。
その果てしない力も、真実を覆い隠す詭弁も、頑ななまでの不器用さも、全てを貫く真っ直ぐな意志も、全てひっくるめて、セイルが信じてきたブラン・リーワードという人間だ。それを今この瞬間に、否定なんてするはずもない。
セイルの答えを聞いたブランは、いつになく清々しい表情で、改めてアルベルトに向き直る。セイルは、その瞳に宿る鮮やかな光を、確かに見た。
「オーケイ。ブラン・リーワード、最後の晴れ舞台だ。少しはかっこいいとこ、見せねえとな!」
その言葉を言い終わるや否や、ブランは手にしていた銃の引鉄を引いた。
狙いはアルベルト、だったが、アルベルトもそれと同時に動いていた。予測能力『アーレス』が生み出す双眸の淡い光が、軌跡を描く。ぎりぎりのところでブランの銃撃をかわしたアルベルトは、手にした杖を振るって、反射的に飛び退ったブランに迫る。
それと同時に、竜もまたその顎を開いた。喉の奥に、淡い光が生まれ――
「汝の名は、『水晶の盾』!」
その光が放たれる一瞬前に、一歩前に飛び出したチェインの声が響き渡った。
圧倒的な熱量を伴った一条の光が、チェインの目の前に展開された六角形の壁に阻まれて散る。チェインは微かに眉を寄せながらも、魔法を崩そうとはしない。
もう一発、アルベルトの足下を狙って銃を撃ち込んで距離を取ったブランは、しゃがれた声で指示を飛ばす。
「セイル、シュンラン、お前らは竜を止めろ! チェイン、防御は持つか?」
「持たせるよ。アンタこそ、競り負けるんじゃないよ」
「はっ、頼もしいこって」
普段通りにも思えるやり取りに、セイルの心も徐々に落ち着きを取り戻していく。光に包まれた世界の中で、一つ、深呼吸。もちろん、まだ、恐怖は胸の底に渦巻いている。だが、それ以上の何かが内側から湧き上がってくる。
『行けるな、セイル』
「うん」
『なら……呼べ! 俺の名は』
「――『ディスコード』っ!」
響き渡るは、空気を貫く不協和音。
セイルの右手は、無数の刃を重ねた翼となって、大きく広がる。
そして、竜の放った光が止んだ間隙を縫って、駆け出す。緩慢な動きで起き上がった竜は、セイルを迎え撃とうと牙を剥き、鋭い爪を持つ足を踏み鳴らす。
先ほどセイルが斬り払った機巧仕掛けの兵隊とは違う、生きたものが放つ気配、圧倒的な殺気。肌の上を這う汗を感じながら、それでも、セイルは翼の槍を真っ直ぐに構えて走る。
その時、背後からブランの声がかけられた。
「 『ディスコード』、接触抜きでも行けるな」
『難しいこと言いやがって。だが……狙いはわかった。やってみようじゃねえか』
「助かる」
一体、何を話しているのだろう、というセイルの当然の疑問を受け取って、ディスが早口に説明する。
『ブランとの対峙の時、お前にもブランの「意識」が聞こえたはずだ。あれを再現する』
あの時は、セイルとディスとの共鳴が進んでいたため、無意識のままに同じ『ユニゾン』を持つブランの意識が流れ込んできた、のだと思っていたが、それを意識的に行おうというのか。
『お前は目の前のことを考えろ。その間に、俺が繋ぐ』
ディスの言葉を信じ、セイルは目の前の竜に意識を集中させる。竜の、澱んだ黄色い双眸がセイルの姿を捉えたのだろう、太い前足を伸ばして、セイルを叩き伏せようとする。
刃のような爪が振り下ろされる、その瞬間。セイルは『ディスコード』の刃を広げて、真っ向からその一撃を受け止めた。
がきぃん、という重たい音が響き渡り、セイルの腕に衝撃が伝わる。だが、爪はセイルの広げた刃に食い止められて、セイルの身体を裂くには至らない。太い前足がセイルをそのまま押しつぶそうと力をかけてくるが、セイルも負けてはいない。身体のどこから湧いているのか、自身でもわからない力を篭め……『ディスコード』の刃に力を篭める。
己がこの竜を打ち倒す姿を想像する。
『ディスコード』の可能性は無限だ。望むままに姿を変え、鋼をも切り裂く力を使い手に与える。だから、セイルは竜の力を、熱い吐息を感じながらも、『ディスコード』のあり方を想像する。そして、爪を一際強く押し返しながら、己の思いを刃に乗せる。
「貫け……っ!」
セイルの声に合わせて、『ディスコード』が甲高く吼え、盾のように広がっていた無数の刃が弾けるように前足に突き刺さる。竜は悲鳴を上げて、前足を持ち上げる。すぐさま追撃をかけようと、槍の形に収束させたその時。
セイルの視界を竜の顎が覆う、そんな幻視が現実に被さって見えて。セイルは追撃を止めて、床を蹴って下がる。次の瞬間、体勢が崩れることも構わずにセイルを喰らわんと大きく開かれた口が、直前までセイルがいた場所で閉ざされたのを、見た。
そう。今のは、ただの幻視ではなかった。つう、と額から冷たい汗を伝わせながらも、セイルは不思議な高揚感に包まれていた。
――これが、『予測』?
『そうだ。アルベルトの複製体に与えられた、限定的な「未来視」 』
突然頭に響いた声が、ブランのものであると気づくまでに、一瞬の時間が必要だった。
何故なら、頭に響いた声音は、いつもセイルが耳にしている嗄れた声ではなく、高く澄んだ響きであったから。かろうじて、手本のような強勢の置き方で、それがブランの喋り方であると判断できたにすぎない。
だが、それは同時に……セイルの脳裏で霞みかけていた、兄の声そのものでも、あった。
思考に痺れが走る。今までの自分の認識を何もかも覆されるような、頼りなさを覚えたが、ブランの『聞け、セイル』という声で我に返る。
『俺の思考回路の一部分を、お前の視界情報の処理に明け渡した。これで、お前も擬似的に「アーレス」が使える』
――ブランは?
『残った回路で十分だ』
ブランの答えは、短かった。その瞬間、セイルの視界の一部に、ブランの視界が映りこんだ。目の前に立ちはだかるアルベルトは、ブランの放った銃弾を一発腹に受けながらも、痛みを堪える様子もなく、人間離れした動きからの杖の一撃を繰り出してくる。
ブランは小さく舌打ちし、弾を撃ちつくした銃そのものを迫っていたアルベルトの額に向かって投げつける。ほとんど至近距離から放たれた銃を避けるために、アルベルトは一瞬だけブランから視線を外し、ブランはそのまま杖の先端をぎりぎりで避けるとアルベルトの視界の外に逃れ、呼吸を整える。
その時、セイルの胸に、ほんの少しだけ引きつるような痛みが走った。セイルは、二重になった視界で竜の動きを見据えて『ディスコード』を構えなおしながらも、微かな不安に囚われる。
――今のは、ブランの感覚……?
だが、そんなセイルの不安など気にした風もなく、ブランは左手を振って、腕輪に収めていた処刑鎌を引き出す。女神の剣『アワリティア』。ブランの細腕には重すぎる武器ではあるが、同じく長物を武器としているアルベルトとやり合うには、こちらの方が適していると判断したに違いない。
「……女神の剣、か。懐かしいなあ」
杖をついたアルベルトが、恍惚とした声で言う。
「なあ、ノーグ。『アワリティア』って言葉の意味、知ってるか?」
「ディスから聞いた。『強欲』――女神様が創った武器にしちゃ物騒な響きだが、手前に刻む言葉としちゃ、ぴったりじゃねえか」
「ははっ、褒め言葉として受け取っておくぜ。お前にはさっぱり似合わないけど、な!」
再び、アルベルトが杖を打ち込んでくる。今度は、ブランも真っ向からそれを受け止め、視界には幾重にも予測の像が重なり合う。『アーレス』の持ち主同士の戦いは、簡単にお互いの手の内を読み解くことを許さないのだろう。
そんな二人の戦いが横手で繰り広げられているのを、ブランの視界を通して把握しながら、セイルは己の前に立ちはだかる竜に飛びかかる。再び振り上げられた腕を、ブランから借りた『アーレス』の予測に従って避けきり、今度こそ槍の形に組みなおした『ディスコード』を叩き込む。
鋼をも切り裂く『ディスコード』の刃は、斬ったという感覚も無いままにやすやすと竜の前足を貫き通し、その半ばまでを裂く。今度こそ、竜にとってもかなりの痛手だったのだろう、頭を左右に振ってセイルの身体を吹き飛ばさんばかりの声を上げる。鼓膜が激しく震えるのを感じながら、歯を食いしばって竜の一挙一動を逃すまいと見つめていた、その時。
「Fire!」
アルベルトの声に導かれ、叫んでいた竜がぴたりと首を止め、再びマナから生み出した高熱の光を口の中に溜める。だが、狙いはセイルではない。その背後にいる……シュンラン。
空色少年物語