空色少年物語

07:或る平和な一日(3)

 チェインに導かれて、セイルとシュンランは商店街までやってきた。物を売る声があちこちから響いていて、自然と心が沸き立つ。シュンランは目を輝かせてきょろきょろと辺りを見回していて、それが何とも微笑ましい。
 のんびりとした足取りで歩いていると、不意にディスが『あっ』と声を上げた。
「どうしたの、ディス」
『……や、何でもねえ。何でもねえよ。ほら、あの辺が女の子好みっぽい店じゃねえのか?』
 ディスは意識でセイルの視界の端を示す。
 確かにディスの言うとおり、可愛らしい看板を掲げた装飾品屋らしい店があった。言われなくともシュンランはその店に気づいたのだろう、「行きましょう!」とひときわ強くセイルの手を引いて、セイルは引きずられるように店に入った。
 店内は今まで縁などあるはずもない少女や女性が身に着ける装飾品に溢れていて、セイルは思わずたじろいだ。セイルの中に潜むディスも同様だったようで、息を呑むような気配がセイルの脳裏に伝わった。
 だが、シュンランは迷うことなく置かれている一つの髪飾りを手にとって、鏡を覗き込んで自分の髪に合わせてみる。元々綺麗な白である彼女の髪には、どんな色でもよく映えるけれど……
 チェインも、シュンランに似合うような髪飾りを選んでみるものの、なかなかシュンラン自身が納得できないようで、首を傾げては次の飾りを試している。
 女の子の髪飾りを選ぶ経験などあるはずのないセイルは、どうしていいかわからずしばらくうろうろと店内を巡っていた。
 黄色と桃色の石が煌く首飾りに葉をモチーフにした緑の腕輪、柔らかな紅のリボンをあしらった髪飾り。目がくらむような色彩の中、ふとある一点に目を留めた。それが目に入ったのは単なる偶然だったけれど、何げなく手にとってみる。
 それは、髪を結ぶ結い紐に、飾りをつけたものだった。五枚の花びらを持つ花飾りは、白い素材の上に空の青色を滲ませていた。
 シュンラン、という名前は春に咲く花の名前だと言っていた。実際にはセイルの知らない花で、どんな形をしているのかもわからないけれど、花の飾りはきっとシュンランによく似合うと思った。
「何か、見つけたですか?」
 シュンランが、セイルの手元を覗きこむ。セイルは無性に気恥ずかしくなって手に持った飾りを隠そうとするが、その前にシュンランがセイルの手から青い花の飾りを取り上げていた。
 シュンランは紐を無造作に握って飾りを見た。青い花が振り子のように、すみれ色の瞳の前で揺れる。
「これ、髪に結ぶですか」
「そうみたい、だけど……」
 シュンランは、そっと自分の髪に花の飾りを合わせてみる。鏡の中で、微かに緑色のきらめきを宿す彼女の髪に、空の色をした花が咲く。それは、雲の間から覗いた鮮やかな空のようにも見えた。
「綺麗ですね」
「そうだね、似合うんじゃないかい?」
 チェインもシュンランの後ろから鏡を覗き込む。シュンランは小さく頷いて、もう一つ同じ飾りを手に取った。
「これがよいです」
「え、いいの?」
 あんなに悩んでいたのに、こうまであっさりと決まってしまったことにセイルは驚いた。しかも、女の子の感覚なんて何もわからない自分が選んだものだ、それをシュンランが簡単に認めたことが驚きだった。
 だが、セイルの戸惑いに反してシュンランは嬉しそうに微笑む。
「はい。セイルと、おそろいです」
 確かに、花が湛える空の色は、セイルの髪の色とよく似ていた。無意識に自分の髪の先端を引っ張りながら、セイルはほんの少しだけ胸に痛みを感じてシュンランを見やる。
「でも……俺とお揃いって、嫌じゃない?」
「何故ですか?」
 シュンランは本当にセイルの言葉の意味がわからなかったのだろう、目を丸くした。セイルは髪の先端を尚更強く引っ張り、口の中で呟くように言う。
「俺の髪の色、変だろ。シュンランはそう思わないの?」
「変? それは綺麗な色です。わたしが一番好きな色」
 そっと、シュンランの指先がセイルの髪に触れる。さらりと白い指の上を滑る自分の空色の髪から、セイルは目を離すことが出来なかった。
 綺麗。
 家族以外からそんな風に言われたのは初めてで、言葉を失う。
 シュンランは、いとおしむような表情で空色の髪を見つめたまま、すみれ色の目を細める。
「そらのあお。わたしがずっとずっと、遠い昔から夢見ていた色です」
 ずっとずっと、遠い昔……シュンランに過去の記憶は無いはずなのに、どうしてそんな風に言えるのだろう。頭の片隅でそう思わないことはなかったけれど、それ以上にシュンランが自分の色を「好き」と言ってくれたことが心をいっぱいにしていて、それを問うどころではなかった。
「だから、おそろいが嬉しいのです」
 シュンランは、何の衒いもなく笑う。セイルは少しだけ頬を赤くしながらも、シュンランの手にした髪飾りにそっと手を重ねる。
「そう言ってもらえると、俺も嬉しい」
「なら、嬉しいもおそろいですね」
 シュンランの笑みが一層深まる。シュンランが笑ってくれると、自分まで嬉しくなって、自然と唇が笑みの形になる。目と目を合わせて、笑いあっていられる。この瞬間が何よりも嬉しい。
 そんな風に思っていると。
『甘ぁーい!』
 ディスが脳内で叫んだ。セイルは「わっ」と小さく声を上げて我に返り、重ねた手をぱっと離す。だが、そんなことでディスの勢いが収まるはずも無く、セイルの脳内でぎゃあぎゃあと喚く。
『甘い、甘すぎる! 何だこの砂糖菓子オーラ! 何だこのケーキに蜂蜜かけてなお砂糖をまぶしちゃった感じ! ものすごく胸がむかむかするんだがこの気持ちどうすればいい答えろセイル!』
「えーっと、ディスに胸は無いと思う。剣だし」
『言ったな! 思うだけじゃなくてついに言葉にしやがったなこの野郎、セイルの癖に生意気だ!』
「俺の癖に生意気、ってどういう意味……?」
 もはや何が何だかわからない。とはいえディスが唐突に騒ぎ出すのはいつものことである、鬱陶しいけれど何となく慣れてきたのも確か。こういう時には下手に相手するのではなく、ディスが落ち着くまで待つに限る。
 案の定、セイルが相手をしてくれないと見るやディスはすぐに黙った。黙ったといっても、頭の片隅でセイルにぎりぎり聞こえない程度の低い声でぐちぐち何かを言っているのだが、それは気にしないことにする。
 チェインは、唐突に虚空に向けて喋り始めたセイルを訝しむように見つめた後に、問いかけた。
「今、『鍵』と喋っていたのかい?」
「あ、うん。チェインには聞こえないんだよね」
 今までの様子を見る限り、チェインがセイルやブランのような『ディスコード』の使い手だということはなさそうだったが、それは誤りではなかったようで、チェインは小さく頷きを返した。
「ああ……しかし何度見ても不思議だね。『鍵』が意志を持っているなんて話は、神殿でも聞かされなかったよ」
 『彼』についても、後できちんと話を聞かせてほしいとチェインは言った。すると、ディスは少しだけむっとしたようで、『借りるぞ』と一言断ってからセイルの唇を借りて言う。
「俺からアンタに話すことなんてねえんだけど」
 チェインはその言葉を放ったのが『セイル』か『ディス』か測りかねたのだろう、呆気にとられたようだったが、すぐに小さく笑って言った。
「アンタが何者なのかって話は、『後で』してくれるって言ったじゃないか」
 そんなことも言ったはずだ。確かこの前のラグナとキルナとの戦いの前に、ディスが言った言葉だったはずだが、ディス当人は言われるまでそれを思い出せなかったのだろう。目をぱちぱちさせてから、普段から不機嫌そうな眉を更に寄せて頭をかいた。
「うるせえなあ、わかったよ。神殿が『世界樹の鍵』について誤魔化してることだけはアンタの言葉ではっきりしたしな。その辺は後でまとめて話してやってもいい」
「悪いね」
「けど、一つだけ条件がある」
「条件? 何だい」
 自分で飲める条件ならば構わないけれど、と真面目な顔で応じるチェインに、ディスは小さく唇を尖らせて早口に言った。
「さっき通り過ぎた店のケーキを買え」
「……は?」
「美味そうだったんだよ! 悪かったな!」
 ディスは噛み付くように言ってそっぽを向き、そのままセイルに体を返してしまった。何という投げっぱなし、とセイルは呆れながらもちょっと意外に思った。そういえば、さっきここに来る前に一瞬ディスがセイルに何かを言いかけたのはそれだったのかもしれない。
 それにしてもディスがケーキを食べたい、なんて言い出すとは思わなかったし、それはもちろんシュンランとチェインも一緒だったのだろう。お互いに顔を見合わせて……声を上げて笑った。そして、チェインはセイル、というよりはその中に潜むディスに向かって微笑みかける。
「わかったよ。それでいいならいくらでも買ってあげるよ」
『いくらでも……』
 ディスが唾を飲んだような気がした。本来ディスに飲む唾は無いのだが、相変わらず器用な真似をする。
「では、先にこれを買ってきますね」
 シュンランは二つの花飾りを握りしめ、店の主人に語りかける。それを後ろから見つめながら、セイルはこんな時間がずっと続けばいいのに、と思う。
 こうやって些細なことで笑い合える時間が、何よりも嬉しかったから。
 そうしているうちに、シュンランがセイルの元に戻ってきた。そして、チェインに「結んでもらえますか」と髪飾りを手渡す。
「二つに結べばいいのかい?」
「はい。お願いします」
 チェインはシュンランの白い髪をうなじの辺りで分けて、肩の前に流してやる。そして、ちょうど首の横でゆるく結んでみせた。セイルの目の前で、空の色をした花が、小さく揺れる。
 シュンランは鏡の中に映った自分の姿に満足したようで、すみれ色の瞳をふわりと笑わせる。特に、今の活発そうな服にはよく似合っている、とセイルも思う。
「どうですか、セイル」
「うん、よく似合ってる。綺麗だよ」
「えへへ、ありがとうございます」
 シュンランは指先で髪飾りにそっと触れて、更に嬉しそうに笑った。そんな風にシュンランが笑ってくれるだけで、曇りがちなセイルの心も晴れの色を見せる。それこそ、シュンランが笑うたびに揺れる花飾りのような。セイルが生まれ持った色のような。
「それでは、今度はお菓子屋さんですね。ブランにも買って帰るです」
「あ、そうだね。そういえば朝から見てないけど、どうしたんだろ」
 宿から出て行くときには気にも留めなかったけれど、今日はブランの姿を見ていない。朝の食事の時間には既に宿にいなかったのだ。チェインも微かに眉を寄せて「さあねえ、一言声をかけりゃいいものを」と呟く。
 ブランがふらふらと外に出て行って、気がつくと帰ってきているのはいつものことだが、一体何をしているのだろうと思わずにはいられない。彼の目的が未だに掴めないだけに、尚更だ。わざわざ疑惑を呼ぶような真似をしなくてもよいだろうに、というディスの皮肉げな呟きが、やけに耳についた。
 ただ、シュンランにはそんなディスの呟きは聞こえない。踊るような軽やかな歩みでセイルの前に立つと、その手を引いた。
「さあ、行くですよ」
 色々と、思うことはあるけれど。
 今は手に触れる柔らかな温もりに導かれるままに。
「うん」
 セイルも笑顔で頷いて、歩き出した。鮮やかな空色の髪を、同じ色の花の横で揺らして。