反転楽園紀行

033:休息

 暑苦しいマントも革鎧も脱いで、俺はベッドの上に体を投げ出す。お世辞にも宿のベッドはふかふかとは言えなかったが、正直ゆったり横になれてかつ地面が揺れない場所であれば何処でも寝られるから構わない。
 船旅でグロッキー状態の体が睡眠を欲している。手足を伸ばして休みたいと強く脳味噌に訴えかけている。
 ただ……まだ眠れない。寝てはいけないと強く思う。
 寝てしまえば俺の意識はそのまま向こうに戻ってしまうだろう。普段はそれでいいのだが、今回ばかりはそうはいかない。
 淡いランプの光に照らされる薄暗い天井を、意味もなく睨みつける。
 ルクスがここに来るまでは、どうしても眠れない理由がある。
 
 宿に向かった俺たちは何とか二つ部屋を確保し、そのまま食堂にて夕食と相成った。
 メンバーはもちろん俺、テレサ、そしてルクス。ヒナの姿は結局見つけることが出来なかった。見つけたところで、多分ルクスには見えないのだろうが。
 旅人向けの安宿ではあったものの、食事は結構豪華だった。ちょっと派手な色をした焼き魚を中心とした料理に、しっかりとした歯ごたえのパンと新鮮な野菜のサラダ。海鮮スープも出汁の味が広がってなかなか美味。
 味付けは洋風と和風のちゃんぽんって感じで、俺は嫌いじゃない。ちょっと意外なんだが、この世界の料理って、外見は派手だがそこまで濃い味じゃないんだよな。生粋の日本人である俺にはちょうどいい。
 そんな食事を囲み、ルクスとテレサは酒なんかも頼んじゃって。ちょっとした宴会気分だ。ちなみに俺は、酒だけは勘弁してもらった。ワイズでしこたま飲まされてから、かなり酒が苦手になったのだ。
「付き合いが悪いって言われないかい?」
「仕方ないだろ、飲みたくねえもんは飲みたくねえんだから」
 俺はどうやら飲むと意識が結構変な方向に向くっぽいからな。こいつらの前で変な姿を見せてみろ、末代までの笑いものだ。というわけでお酒は二十歳になってから。二十歳になってもあまり好きにはなれん気がするが。
 代わりに俺の手元には不思議な味の果実のジュース。マンゴーとかパパイアとか、南国果実系の香りがするんだが、思ったよりしつこくなくて癖も少ない。これはユーリスでしか取れない果実なのだそうだ。
 しばらくはお互い食って飲んで、ひとしきり満足したところでルクスが酒の入ったグラスを傾けながら唐突に話を切り出した。
「そうそう、少年」
「あん?」
「少年は、魔女を倒すためにここに来たんだよな」
 今更、と頷いてやる。そうじゃなかったらわざわざユーリスには来ないし、まずこんなトンデモ世界に足を踏み入れてない。
 ああ、そういや俺、ルクスがいるところで「別の星から来た」なんて言っちまったんだよな。ルクスがそれを真に受けたかどうかは別として。
 ルクスはいつも通りの何処か間の抜けた笑みを浮かべて言った。
「これから少年が魔女を倒すまでは、ユーリスは少年には手を出さないと約束しよう」
「……何?」
 間の抜けた笑み、軽い口調。しかし言っていることは結構とんでもない話だ。
 何度も言うようで何だが、ユーリス神聖国といえば女神様のお膝元。女神様は禁忌が大嫌いなため、ルクスに代表される処刑人『影追い』を大勢抱え込んでいるわけで。そのユーリスにとって、いくら魔女に真っ向から敵対しようとしているといえ、機械仕掛けの体を持つ俺は禁忌の最高峰。真っ先に『影追い』を派遣され後ろからばっさりやられても文句が言えない立場の俺。
 そんな俺を、ユーリスが一時的にでも見逃すというのか?
「信じられねえな」
 ルクスは俺が機械仕掛けだってことを知っている。機械仕掛けと知りながら助けてくれたし、ルーザを倒すのに協力しつつも最終的にルーザを殺さなかった奴だ。悪い奴じゃないはずだ。
 が、いくらこいつが悪い奴じゃないからと言って、それが『影追い』とユーリスの総意になるはずもない。
「ユーリスにとっても目下の敵は魔女だからなあ。その魔女を倒そうとする少年を邪魔する理由も特に無いだろう」
「だけど、俺は存在自体が禁忌なんだろ? それでもいいのか」
「その辺は上の方もいい加減渋ってたみたいだけど、魔女を倒すまでは大目に見てくれるそうだ。よかったな、少年!」
 ばんばんと俺の肩を叩くルクスの口調はあくまで明るくて、その言葉をすぐにでも信じてしまいたくなる。ただ、ここで下手に信じるわけにはいかない……って思っちまうのは別に間違ってないよな。相手は本来味方じゃありえない『影追い』なんだから。
 いや、それだけじゃないんだろうな。
 ルクスだけじゃない、俺はまだテレサやヒナのことだって心の底からは信じられていない。まだ俺は知らないことが多すぎる、多分言われていないことだって多いはずだ。そんな状況で完全に信じろっていう方が無理だ。
 なーんて、言ってるけどさ。
 結局のところ、何を言われたところで信じるのが怖いだけなんだよな、俺。ちょっと違うかもしれない、信じるのが怖いというよりも。
 ――裏切られるのが、怖いんだ。
 深く信じれば信じるほど裏切られた時にキツくなる。昨日まで友達だと思ってた奴が俺を笑いものにする。別世界のものを見るような目をする。俺の頭の正常を疑う。その瞬間何もかもが俺の手の中から零れ落ちていく。それとも元から俺の手の中には何もなくて、無いものを「ある」と勘違いしていたのだろうか。
 どちらにせよ、信じるっていうのは……そういうことだ。
 思い出したくも無いことを思い出して少々混乱気味の俺に対し、テレサは常に冷静だ。綺麗な青い瞳をルクスに向けて、微かに色づく唇を笑みに歪める。
「それは僕らにとっては嬉しい話だけど、信じるに値する証拠はあるのかい?」
「残念ながら、証拠と言えるものはない。俺は話をつけただけだしなあ」
「なら、警戒はしておくにこしたことはないか。それにしても」
 テレサの目が細められる。俺も、その表情だけでテレサが言わんとしていることはわかった。
「一時的にとはいえ歩く禁忌を容認させるなんて、かなり上層にまで話が通せるってことだよね。ルクスって、そんなに偉い人なんだー。ふーん、へー」
「はっはっは、お兄さんはこう見えてなかなかすごいんだぞ?」
 どちらもふざけた物言いではあるが、これはかなり重要な情報だ。それに、ルクスはよく考えてみればユーリスの表向きの英雄であるウィリアム・インクレイスとも親しい。そういう点から考えてみても、実はユーリスではそれなりの地位と発言力を持っている可能性が高い。
 現状「敵じゃない」のが本当に救いだな。敵に回ったら一番恐ろしいタイプだろう。こいつの言葉を一応信じるならば、こいつが俺を敵だと判断した瞬間にユーリス全体が本格的に俺を潰しにかかってくるだろうから。
 かなり物騒な話をしている俺たちだが、周囲のテーブルはもっと騒がしいため俺らの話を聞かれている様子はない。ルクスも一瞬それを不安に思ったのか、ちらりと周囲に目を走らせてから言った。
「その代わりと言っては何だが……俺もお前達に同行させてもらいたい」
「監視、ってことか?」
 俺は二杯目のジュースをちびちびやりながら上目遣いで睨んでやる。すると、ルクスは冴えない苦笑を浮かべてみせた。
「もちろんそれもあるけど、俺個人としても君たちには興味があるからねえ。もちろん、嫌とは言わせないからなー」
 ああ、これも脅しですかそうですか。でもルクスに言われてもあんまり怖くないんだよな、何故か。テレサもやれやれとばかりに肩を竦めて言った。
「わかった。正直二人でユーリスを歩くのも不安だからね、協力者は多い方がいい」
 ただ、テレサの視線にはまだ探るような色がある。テレサの慎重さはこういう時には頼りになる。ってか、テレサがいなかったら多分俺とっくに荷馬車に乗せられてドナドナされてただろうな……主に処刑場に向かう道を。
 ルクスはそんなテレサの視線もものともせず、あっけらかんと笑う。
「そんなわけでよろしく頼むよ、お二人さん」
「あ、ああ」
 俺はただただ、間抜けにかくかく頷くことしかできなかった。何かこれじゃただの馬鹿みたいじゃねえか。馬鹿じゃないのか、って言われたら否定はしないが。机の上の勉強は出来たって馬鹿は馬鹿だ。俺なんてまさにそういう人種だろう。
 だから、ルクスが俺たちの旅に加わったことがどういう意味を持つかなんて俺にはわからない。俺に見えるのは『アーレス』が見せてくれる数秒先の未来だけだ。果たしてテレサはこれから先が見えているのだろうか。
 そんな風に思っていると、テレサが俺の目を唐突に覗きこんできた。あまりに唐突だったから俺は口に含んでいたジュースを飲み下し損ねて咽こみそうになる。
 テレサはそんな俺を不思議そうな表情で見下ろしていたが、俺が何とか落ち着いたところで言葉を投げかけてくる。
「シン、そろそろ寝なくて大丈夫なのかい?」
「……まだ大丈夫だぜ。最近は随分起きてられるように、っとと」
 ルクスに言っていいのか、これ。俺が目配せするとテレサは軽く肩を竦めて言った。
「同行してもらうなら、逆に君の『体質』は知っていてもらった方がいいんじゃないかな」
 知られて逆に利用されることもあるかもしれないけど、とルクスにも聞こえるように付け加えることは忘れない。ルクスは一体何を言われているのかわからない様子で目をぱちくりさせている。本当、この兄さんって美形なのに表情の一つ一つは三枚目なのな。
 それはこっちの俺も人のこと言えませんね。
「何の話してるんだ? お兄さん置いてけぼり?」
「や、あー……何て言ったらいいんだか。テレサ、頼む」
「僕が説明するのは構わないけど、君ももうちょっと頭を使う努力をしたらどうかな」
 一言多いぞお前は。
「シンは、決まった時間にまとめて睡眠を取らないと倒れる『体質』なんだ」
「体の方がそういう仕組みになっているとか?」
「いや、『体質』って言ったけどこれは精神の問題。彼の精神は別の世界から来ているもので、現在は体を借りている状態なんだ。故に一日に一度は元の世界に帰らないとならない」
 ちょっと待てよ、そこまで言っていいのか?
 ルクスを見やれば、ルクスはものすごい不思議そうな表情で俺を見ているし。
「異世界人ってことか?」
「何でも、魔女を倒すためには『楽園』の人間では不利らしいという話でね。シンは別の世界から呼び出された異世界人だ。どういう仕組みで呼び出されたのかは僕も知らないよ」
 その辺、実は俺もよくわからない。魔女を倒すために異世界から呼び出されるシステムも意味不明。ヒナが唯一知ってそうだが、わからないままでも別に困らないしな。下手に聞いて、ヒナに困った顔をされる方がよっぽど困る。
「そういう話は聞いた事が無いが……でも言われてみれば、少年の言動はちょっとズレてるからなあ。なるほど、異世界から来たなら納得だ」
「それはどういう意味か聞いていいかなルクスさん」
「言葉通りだよ、シン。自分の行動には注意することだね」
 くそっ、お前ら言いたい放題言いやがって! そりゃ俺は『楽園』の一般常識すらちょっと怪しい異世界人ですとも!
 ただ、ルクスはそんなに俺が異世界人と聞いても驚かなかった。この世界、もしかして異世界から来た奴が他にもいたりするんだろうか。
「いや、そういう伝説はあちこちにあるけどなあ。俺も実際に見たのは少年が初めてだぞ」
「それにしては驚かねえんだな」
「ははは、お兄さんはめったなことじゃ動じない、広くてでっかい心の持ち主なのさ」
 ルクスが広くてでっかい心の持ち主かどうかは相当怪しいが。それでも、俺が異世界人であることをあっさり受け入れてもらえたことはちょっと嬉しかったりする。
 とかく、人は「自分とは違うもの」を変な目で見たくなるものだから。
 ルクスがそうでないとわかっただけでも、嬉しいのだ。
 単純だって? ああ、単純かもしれない。それでまたいつか傷つくのかもしれない。悪循環だな、でも嬉しいと思うことだけは止められない。
 その後は、他愛の無い話をいくつかして……流石に俺も少し眠くなってきた。まだ耐えられないほどの眠気ではないが、もうすぐ向こうに帰らなきゃならないのだろう。短く二人に断って立ち上がったところ、テレサはルクスに青い瞳を向けて、いつになく嬉しそうに笑む。
「それじゃあルクス、デートしようか。二人きりで話したいこともあるしね」
 は?
 いきなり何を言い出すんですかお嬢さんいやテレサは二十七だからお嬢さんじゃないのかそうか二十七だから大人だもんなそうですかルクスも大人ですしな……あの、泣いていいですか。
 二人旅にルクスが加わってちょっと賑やかになるかな、とか思った矢先にパーティ内カップル成立で俺様独りぼっちってことですかそうですか。
 ――この際はっきりさせておこう。
 俺は、テレサを可愛いと思う。
 実は二十七だということでショックもあったがこの世界エルフとかもいるから年齢差なんてこの際抜きだ。だがそんな風に思い始めた俺にこの仕打ちはあんまりじゃないかと。
 いやもう、マジ凹むわ……
 だからと言って二人を邪魔する気にもなれず、すごすご部屋に退散してベッドの上に体を投げ出して。
 
 今この瞬間に、至るというわけだ。
 本当はこのまま眠ってもいいのかもしれない。ただ寝る時に鍵を開けたままなのは不安だ。だからと言って鍵を閉めるとルクスが入ってこられないし、そうしたらルクスはテレサの部屋に……それだけは全身全霊をかけて防がなければならん。
 故に俺は眠い目を擦りながらベッドの上でルクスを待っているという次第である。
 幸いと言うべきか、ルクスは俺が想像していたよりもずっと早く部屋に戻ってきた。下に持って行っていた大きな剣を下ろし、相変わらず胡散臭げな笑顔を俺に向ける。
「どうした少年、そんな魂が抜けたような顔して」
「や、何でもねえよ……」
 上半身を起こしながら、その笑顔をどう取っていいものか悩む。テレサと何を話したのか、むしろ何をしたのか。それだけが俺の頭の中をぐるぐる全速力で回っている。
 俺の横のベッドに腰掛けたルクスは、赤い瞳で俺を見下ろして微笑んでいる。
「ああ、お嬢ちゃんとは何もなかったぞ。ただ酒飲んでお開きだ」
「……本当か」
「いや、色々根ほり葉ほり聞かれたけどなあ。本当にそれだけだ」
 ああ、この人いい人だ。
 信用とかそういうのとは別に、俺はテレサとルクスとの間に何もなかったことに本気で安堵した。それをきちんと言ってくれるルクスがこの時ばかりは神に見えた。
「少年、もしかして本気で俺とお嬢ちゃんに何かあると思ってたのか?」
「ま、ままままさかー!」
 はい、思ってました。思ってましたけど言えるはずもありません。
 もちろん俺の動揺なんてルクスにはお見通しだったのだろう、ルクスはニヤニヤと笑いながら俺を見ている。俺はいたたまれなくなって視線を逸らすことしかできなかった。
 しかし、何だか黙っているのも気まずいな。
 何か誤魔化すためにも話ができればいいのだが、俺は元々そんなに話が得意な方じゃない。人に話を合わせるのは得意だが、自分から話を振ったり切り出したりするのは苦手。
 今は人に合わせることもまともに出来ないかもな。俺にはもう他人がわからない。あの日から、ずっと。わかったフリをし続けていたツケが回ってきたのかもしれない。
 ともあれ、この沈黙をどうにかしなきゃと視線を泳がせると、ルクスが下ろした剣が視界に飛び込んできた。よく見てみると、前にルクスが持っていた剣ではない。
 シンプルな銀色の柄を持つ巨大な剣だ。以前の剣よりもでかい……俺の背丈近いんじゃなかろうか。柄の真ん中に嵌められた青い宝石が、ランプの光を透かして不思議な輝きを湛えている。
「こういうのが珍しいのか?」
 ルクスの声が降ってくる。俺は視線をルクスに戻すと、頷きを返して軽く肩を竦める。
「俺の世界じゃ見ないからな」
 こういうものを見ると、今俺はファンタジー世界に来てるんだなと感じずにはいられない。漫画やゲームの中でのみ許される剣が目の前にある、そう思うだけで少しだけわくわくする。
 ルクスはそんな俺が逆に新鮮だったのだろう、興味深げに俺をまじまじと見て言った。
「少年の世界にはこういうのはないのか?」
「剣なんて今じゃほとんど使わねえよ。俺の国じゃ、武器を持ってると捕まるしな」
「はあ、なるほどなあ。いいじゃないか、平和なことで」
 平和。
 戦争や人殺しは常にテレビの中だけの存在、俺たちは早足に色のない町を歩いて過ごす。そりゃあ平和だろう、体が傷つくことは無いという点では。
 だが、いつもいつも空気の中で溺れるような感覚を抱いたまま生きなきゃならない。そんな世界を捕まえて平和だなんて、誰が言えるんだろうか。
 だから俺は薄く笑う。ルクスに言ったところで理解してもらえるはずも無いから、ただ、一言だけを落とす。
「いいことばかりじゃ、ねえよ」
 思っていた以上に低い声が出て、自分でびっくりする。ルクスは俺以上にびっくりしたのだろう、目を瞬きさせながら俺を凝視した。
 そうか、まともに向こうの世界の話をしたのはルクスが初めてになるのかもしれない。テレサは別に詳しく聞きたがらないし、ヒナはむしろ向こうに行ってるからある程度知ってるわけだし。
 出来ることなら向こうの話はしたくない。ここにいる時だけでも、他の誰でもない『シン』でいたいと思う。ここでも向こうでも、俺であることには変わりないけれど。
 そんな俺の気持ちが伝わったのかもしれない。ルクスはちょっと曖昧に笑って言った。
「そうか、少年も色々あるんだな」
「そう、俺にも色々あんだよ」
 俺は視線を再び剣に向けた。その視線を同じように追いかけたルクスの声が響く。
「じゃあ、持ってみるか?」
「え……いいのか」
「持つだけなら何てことないさ、ほら」
 ひょい、と持ち上げられた剣を受け取ろうとして、俺は自分の判断を後悔するハメになる。
 重い。重すぎる。
 持てないわけじゃないのだ、両手を使えば持ち上げられる。しかし戦闘用に意識を切り替えても振り回して戦う気にはなれない。こいつ、いつもこんな剣で戦ってるのかよ!
「流石に少年じゃ無理かあ。これでも、この大きさでは軽い方だぞ」
「マジか! ありえねえ!」
「まあ、鍛え方が違うのさ、鍛え方が」
 言われてみると、そうだな。ルクスの体つきはごついってわけじゃないが、服の上からでも無駄なく筋肉がついていることがわかる。対して俺の体は身軽ではあるがかなりひょろい。向こうの俺と大して変わらない貧弱さだ。鋼鉄狂が何を考えてこの体を作ったのかは未だに不明。『ディスコード』を振り回す分には困らないが。
「俺は機械だし、これ以上鍛えようもねえよ」
「確かにそうだろうな。でも、経験を積むことは出来るぞ」
「……経験?」
「仮に、今魔女と戦ったとしよう。相手は禁忌に手を出した上に魔法も極めている規格外、常識の外側にある存在だ」
 俺は魔女を知らない、だが話を聞いている限りとんでもない奴だってのはわかる。この世界の人間が普通には太刀打ちできない程度の、規格外。
「今のままでは、まず勝ち目は無いだろう」
 ルクスはぴっと親指で首を掻き切る動作をする。この動き、世界が違っても共通なのな。
「そりゃあ、俺は一人じゃルーザにも勝てねえもんな……」
「その通り。だからな、少年は経験を積むといい。色んな奴と戦って、色んな経験を積むんだ。そうすれば、いざ常識の外にいる魔女と戦う時にも今までの経験が役立つかもしれないだろ」
 ルクスは真っ直ぐに俺を見て、言葉を紡ぐ。俺は、気づけばその目に吸い込まれるように見入っていた。
「世界に完璧な奴なんていない。常識外の魔女もまた然りだ。もしかしたら奴が想定しない『常識内の手段』が通用する穴があるかもしれない。そういう穴を見極めるのも経験だ。経験は、時に個人の基礎能力をも上回るぞ?」
 ルクスの目の中に、俺の顔が映っている。作り物の顔をした俺が、映りこんでいる。
 いつもならすぐに目を逸らしてしまうけれど、今だけは違う。ルクスは真っ直ぐに俺を見ていて、俺も真っ直ぐにルクスを見返していた。ルクスは本気で俺のことを気にかけてくれているのかも、しれない。
「わかった。やってみる」
 だから、俺もしっかりと頷ける。
 今までこっちで出会った誰とも違う感じだ。
 強いて言えば、向こうの兄貴と似ている。兄貴が家にいたころは、よく困った時にこうやって助言してもらっていた気がする。
 懐かしくて、心強い。そんな風に思うのだ。
「それじゃ、俺はそろそろ寝るな」
「ああ。念のため見張っておくなー」
 ルクスはひらひらと手を振って「お休み」と笑いかける。
「……お休み、ルクス」
 それに応えるように笑って、目を閉じる。
 ゆっくりと、闇に落ちていく意識。
 温かい闇に抱かれながら、俺は安心しきって目を閉じた自分に今更気づいた。ルクスは、この瞬間に俺を殺すことだってできるはずなのだ。もしかすると二度と『楽園』で目覚めることはないかもしれないのだ。
 だが、俺はもう一度『楽園』で目覚められると信じている。
 ルクスに対する不安や警戒はほとんど薄れてしまっていた。テレサには絶対に怒られるだろうな、単純すぎると馬鹿にされるんだろうな。俺だってそう思うけれど、俺は正直に言うとこれ以上ルクスを疑いたくはなかった。
 ああ、わかってる。
 本当は、もう一度信じてみたいんだ。
 裏切られる痛みを知ってから、全てから逃げているけれど。
 ずっと、周りを「信じたい」って思ってんだよ……