反転楽園紀行

030:導きの紅

 テレサが迎えに来た時には、既に俺は前後不覚となっていた。
 
 その経緯は、もちろんほとんど覚えていない。が、大体以下のようなところだろう。
 ロボットを倒した後、テレサに見捨てられた俺はでっかい店みたいなところに連れ込まれて、周りに飲まされるだけ飲まされた。俺未成年なんだが、って訴えは当然却下。この世界、飲酒には年齢の制限が存在しねえんだよな、そういえば。
 しっかし、何だろうなあ。魔女を倒す勇者様としてこの世界に来たはずなんだが、こうやって祭り上げられるのはあんまりいい気分じゃない。結局のところ、ここにいる連中は「町を救った英雄で勇者様」の俺しか知らないわけで、俺自身がどういう奴かなんて知っちゃいない。まさか勇者様だと思ってた奴が二次元美少女と単車だけが友達の引きこもりだなんて、誰も思わないだろう。
 結局のところ、俺はきちんと「俺」を見てもらいたいんだろうな。とてつもなくワガママで、言ったってどうしようもない願いってのもわかってるんだが。
 まあ、そんなつまらんこと言って場を白けさせるのもアレだから、周囲に乗せられるままに飲まされまくり。ああ、んなことぐだぐだ考えてるうちにまた酒が……飲まなきゃダメですよねそうですよね、って感じで飲み続けていたら記憶がほとんど飛んでしまった、という按配。
 唯一まともに覚えているのは、宴の会場に可愛い兎の獣人さんがいたから頭を思い切り撫でさせてもらったことくらいか。うむ、「勇者様になら撫でてもらってもいいです」なんて可愛すぎるだろマジで! もじもじしている姿とか最高だな!
 あの感触は忘れようにも忘れられない。つややかに見えながら指を通してみればふかふかもこもこ、心の底から望んだ温もりがそこにあった。ああ、何処かでエルフフェチの夢「エルフ風呂」なんて言葉を聞いたことがあるが、俺はエルフなんかいらない、「兎風呂」があればそれでいい。
 もう一つ、何か頭に引っかかってるような気がするんだが、思い出せない。何だろう、赤いものだった気がするんだが。
 それにしてもいいなあ兎風呂。もこもこな兎さんに埋もれたい。ふわふわした毛の中に埋もれて窒息死したい。
 
「……シン、君は今相当変態の顔をしているよ」
「ああん? 別にいいだろぉ、ああ、兎さーん……」
 何でテレサにはわからないかな、二足歩行の兎さんに囲まれ窒息死するという浪漫が。
 まあ、世間様の考える浪漫からは大幅にかけ離れているという自覚はちょっとだけあるのだが。ちょっとだけな。
 まだ足元がぐらぐら揺れるのを感じながら、俺は夕闇に包まれた道を歩いている。ふと見上げてみれば、道の横に立ち並ぶ柱にローブを纏った魔法使い達が熱の無い火を入れ始めていた。杖の先に灯った青白い光を、一つ一つ柱に移していく……何となく、不思議な光景だと思う。
 もちろん、横を歩いているテレサにとっちゃ当たり前の光景なのだろう、ローブの魔法使いを見つめている俺のことを、不思議そうに見ているのに気づく。
「……珍しいのかい?」
「俺からすりゃ、何でも珍しいぜ」
「そうだろうけどね。ただ僕には、君のいた世界がどんな場所なのかわからないからね」
 テレサはそれだけ言って、俺を促して歩き出す。俺も仄かな光を落とす柱から目を離し、テレサの横を半歩遅れてついていく。ぴんと伸びた背中に、絹糸のようにしなやかな青銀の髪が光を受けてさらさら揺れている。
 多分、今の言葉から考えるに、テレサは深く考えずに言ったのだろうけれど……果たして、テレサは俺が来た場所に少しでも興味があったりするのだろうか。少しでも、俺自身のことを知りたいと、思ってくれたことはあるのだろうか。俺が、テレサのことを少しでも知りたいと思っているように。
 ああ、何とも下らない感情だ。俺はテレサにとっちゃ単なる手段でそれ以上でも以下でもない。こんなことをテレサに望むのが既に間違ってるんだろうな。
 わかってる。わかっちゃいるけど、さ。
 ま、どちらにしろ。向こうの事を聞かれても、今の俺には答えられない。今は何も考えたくもない、アルコールに汚染されてふわふわした頭を抱えてるから尚更。
「そういえば、ヴァレリアは?」
 何も考えないまま、俺の口は勝手に適当な言葉を紡ぐ。
「ヴァレリアはルーザと合流したから別れたよ。東に向かう前に行きたい場所があるとか言っていたかな」
「はあん」
 ヴァレリアにはきちんと別れを言いたかったところだが、別に、あいつらが次にどこに行こうと俺は興味無い。それに、こんな状態の時に聞かされてもきちんと考えることは出来ないし。そんなわけで、テレサの言葉にも適当に相槌を打つ。
「ルーザともども、君によろしくと言っていたね」
「ヴァレリアはともかく、ルーザによろしくされても全く嬉しくねえ」
「確かに」
 テレサは楽しげにくすくすと笑みをこぼすが、あながち冗談というわけでもない。次回会った時にルーザが敵でない証拠はどこにもない。今度こそ、奴の信念をかけて俺を叩き潰しにかかってくるかもしれない。そんな奴によろしくされる筋合いは、どこにもないんだよな、実は。
 どうにせよ、俺とルーザの行く道は相容れないものだろうから。
 歩いて外の空気を吸っているうちに、やっとのことで頭ははっきりしてくる。よくよく考えてみれば機械の癖に酔っ払うとかどうかしている。鋼鉄狂の奴、どれだけ精密に作ったんだよ、この体。こだわるにもほどがある。
 頭を軽く振って、息をつく。うん、この調子なら大丈夫そうだ。ただ、ぐらぐらする感覚は抜けたが、何だかだるさが抜けない。そろそろ、向こうに帰らなくてはならないってことか。
「さてと、ルーザたちはともかく僕らはルクスを待たなきゃならないし……君も、そろそろ限界でしょう」
「ああ。とっとと宿に行って、寝かせてもらうよ」
 寝なくては体というよりも心の方が保たない、っていうのが厄介だよな。ヒナの姿が見えないが、こちらから向こうに戻るのはヒナがいなくても勝手にできたはずだから、大丈夫だろう。
「それにしてもユーリスへの乗船許可を取ってくるなんて、間抜けな『首狩り』に見えたけど、実はかなり偉い人なのかな、あのルクスとやらは」
 ああ、そうか。テレサは知らないのか。
 これは間違いなく、テレサに言っておかなくてはならないことだろうしな。
「……ルクスは、『影追い』だ」
「何だって?」
 俺の言葉に、テレサがばっとこちらを見る。流石に、その表情からいつもの笑みは消えていて、珍しく真剣な表情が顔に張り付いている。それはそうだよな、『影追い』と言ったら俺たちが最も避けなければならない相手なのだから。
「鋼鉄狂がそう言っていたし、何より本人も自ら『影追い』であることを否定しなかったからな」
「君は、知っていてほいほい彼について行ったのか? 自分の立場をわかっているかい?」
 額がつきそうなほどに顔を近づけて、眉を寄せてまくし立てるテレサ。周囲を気にして声は小さくしているが、強い力が篭った言葉だった。俺は思わず一歩下がって、俺を真っ直ぐに見据える青の瞳から微かに視線を逸らしながら言う。
「わかってる。俺は歩く禁忌で、禁忌を狩る『影追い』からすれば俺なんて格好の抹殺対象」
「そこまでわかっているなら、『影追い』と関わろうなんて思わないだろう?」
「ああ。だが鋼鉄狂も言っていたけど、多分……あいつは悪い奴じゃないと思うぜ」
「確かにルクスはルーザを殺さず、どうやら君のことも見逃してくれたらしい。でも、それは結果に過ぎないし、悪い奴じゃないという証拠にもならない。ルクスが君を騙している可能性だってあるんだ。とにかく、君は緊張感が足りなすぎる!」
 緊張感が足りない……それは認めざるを得ないかもしれない。抹殺とか死亡フラグとか色々言っているが、それはあくまでこの世界の俺、「シン」の話であって俺自身の話ではない。この体が壊されても俺は向こうの世界に戻るだけ、心の隅ではそう思っているに違いない。緊張感が足らないと言われてしまうのも当然だ。
 ただ、この体が完膚なきまでに壊されれば修復は困難、俺も簡単にはこっちに来られなくなる。同行しているテレサにも当然迷惑がかかる。
 必死に俺を呼んでくれたヒナの望みも、叶えられなくなる。
 そんな事態は俺だって御免だ。
 それにしても、何だか意外だな。テレサのことだから俺の心を抉って叩き潰すような言葉を薄ら寒い笑みを浮かべて投げかけてくるかと思っていたから、ここまで真っ直ぐに怒ってくれるとは思わなくて。
 心配されているんだな、って思うと不謹慎だが少しだけ嬉しかったりする。
「本当に悪かった、これからは気をつける」
 俺は素直に謝り、頭を下げたが、テレサは「はなはだ怪しいな」と言ってつんとそっぽを向く。まあ、確かに「気をつける」って言ったってまた同じような状況になったらテレサから見て「緊張感のない」行動を取ってしまう可能性は相当高いが。
 テレサは、ふうと小さく息をついて肩を竦め、俺に視線を戻す。
「まあ、今回はルクスの手を借りるしかないから仕方ないといえば仕方ないことだと諦めることにするよ」
「ああ、あとルクスのことについて一つ、テレサに聞きたいことがあったんだ」
 すっかり忘れるところだったが、ルクスの話が出たついでに話しておくことにする。
 俺は、今日情報屋から聞いてきたルクスの面白都市伝説をテレサに聞かせた。三十年前に今と変わらぬ外見のルクスが目撃されたこと、似たような話が過去いくつも存在しているということ。
 テレサは不思議そうな顔で俺の話を聞いていた。
「この世界って、不老不死とかありえるのか?」
「いや、不老不死はここでも物語の中で語られるだけだよ。普通どれだけ長く生きてもエルフだって二百年前後で寿命なわけだし、不老不死になる魔法なども存在しないとされている」
 魔法の専門家であるテレサに聞いてもこうってことは、他の連中に聞いても多分変わらないだろうな。
「ただ、外見と実年齢が一致しない例は人間でも結構あるみたいだけどね。僕だってこう見えて二十七歳だし」
 そういうものなのか……って、待て。
 今、何て言った。
「に、にじゅうなな?」
 二十七……二十七だって?
 あれ、えっと、俺の年齢が今現在十七歳なわけでして、二十七歳というと十歳も上とか言わないか。
 あ、ありえねえだろ、それはっ!
 俺より年上でもどう見たって流石に二十より上じゃないと思ってたんですが、二十七ってどういうことですか二十七って。俺の兄貴と同じ年齢とかありえないんじゃないですかテレサさん。そんなに綺麗で可愛いので二十七とかありえないんじゃないですかテレサさん。どうか嘘だって言ってください!
「うん、二十七。見えないでしょ?」
 ええ見えません。でも冗談でも嘘でもないんですね、わかります。
 二十七、かあ……何だかすごく落ち込むな、年齢なんてどうでもいいと思いたいところだが、十年の差ってとってもでかいと思うんだよな。だってテレサからしたら俺なんてガキだろ、結局のところ相手にもされてないっていうか何というか。
 いや、それ以前の問題で俺は意識されてないっていうのもわかっちゃいるが、ああもう、こんなことでまたぐだぐだ考えてんじゃねえよ! もっとポジティブに! 俺に必要なのはポジティブシンキンだよ!
 頭の中に渦巻くネガティブ思考を何とかねじ伏せようと頭を抑えてもがく俺、そんな俺が何故苦しんでいるのかもわからないテレサは首を傾げて興味深げに俺を見下ろしている。そんな目で見ないでくれ、と言おうと顔を上げたところ、突然横から声をかけられた。
「やあ、やっと見つけたよ」
 知らない声。びくり、と震えて反射的にそちらを見る。
 目の中に飛び込んできたのは、闇の中にもなお赤い、何か。
 よく見ればそこにいたのは、一人の男だった。って、多分声や身長からして男でいいんだよな。綺麗な顔をした優男なものだから、黙って立っていれば女にも見える。柱に灯された青白い光を受けて、微かに波打つ真紅の髪が鮮やかに浮かび上がっている。
 耳が長いところを見ると、エルフか。魔道士が多いエルフには珍しく、細かい装飾の施された金属の肩当てと胸当てを装備し、腰には細い剣を帯びている。戦士と言うには軽装だから、多分俺と似たタイプの剣士、もしくは軽戦士ってやつだろう。それにしては豪華な装備だと思うが。
 赤い優男はにこにこ笑いながら……何故かちょっとそれが不気味で俺は思わず視線を逸らしかけたが……こちらに向かって音も無く歩み寄ってくる。
「君の事を探していたんだよ」
「な、何の用だよ、俺はアンタなんか」
 知らん、と言いかけてふと頭の中に何かがよぎる。そうだ、俺は一度この男を見ている。機兵を倒して、町の連中に担がれて酒場に運ばれていく途中、こちらを見ていた野次馬の一人。人ごみの中でも一際目立つ真っ赤な髪の毛をしていたものだから、何となく覚えている。本当におぼろげに、だが。
 それでも、こいつとは喋ったこともなければ何者なのかもわからない。緊張で体が硬くなるのが嫌でもわかる。さっきテレサに脅かされたから、尚更だ。
 すると、優男は一際深い笑顔を浮かべて、懐から二枚の紙を取り出してみせた。
「俺はルクスの友人だよ。ルクスは先にユーリスに向かったから、君たちにこれを渡しておいてくれ、って言われて君たちを探していたんだ。全く、彼も人使いが荒いよね」
 はい、と手渡されたそれは、ユーリス行きの船に乗るための乗船許可証だった。
「これを港で見せれば、すぐにでもユーリスに行けるよ」
「あ、ああ、わざわざ悪い」
 俺は礼を言って、ふとテレサを見ると……テレサが、俺の背中に隠れるようにして男を凝視していた。テレサは俺より背が高いから、何だか奇妙な構図になっているが。一体どうしたんだろうか、と俺が思っているとテレサは硬い声で言った。
「あの、あなたは『英雄』ウィリアム・インクレイス、ですよね?」
 テレサの問いに、優男は笑顔のまま「ああ」と小さく頷いて見せた。
 英雄?
 聞きなれない言葉だと思っていると、テレサが素早く俺に耳打ちした。
「前大戦でレクス帝国を実質滅ぼしたとされる、『楽園』最強とも言える剣士だよ」
 そんな最強の英雄さんとお友達だなんて、ルクスも相当変な人脈持っていやがる。これも『影追い』だからなのだろうか、ユーリス側ってことは十分ありえるよな。
 だが、英雄さんはそんな厳つい称号に似合わぬ、気の抜けた困り顔を浮かべている。
「でも、俺は英雄なんて大層なものじゃないよ。こうやって、ルクスに体よく使われるくらいだし」
「本当にご苦労様です。それじゃ、俺らはこれで失礼させてもらうぜ」
 あまりこいつとは話していない方がいいんだろうな、とテレサの態度や顔色から判断し、なるべく話を切り上げる方向に持っていこうとする。すると、英雄さんが髪の色とよく似た赤い瞳を俺に向ける。
 一瞬、何か……その目が恐ろしく冷たい色を宿した気がして。
 俺は思わず腰の『ディスコード』に手を伸ばしかけていた。次の瞬間には、英雄さんはふわりと柔らかな笑顔を浮かべ、「それじゃあ、また」と背中のマントを翻して何事もなかったかのように去って行ったけれど。
 背筋に伝った冷たい汗は、消えない。
 呆然と、闇の中に溶けていくマントと赤い髪を見つめながら、俺の口は自然と言葉を紡いでいた。
「何なんだ、あいつ……」
 今、「また」って言ったよな。ってことはまた会うこともあるってことだろうか。最低でも、向こうはそのつもりだ。テレサを見れば、テレサも呆然としたまま奴が消えた場所を凝視している。
 ユーリスの『英雄』ウィリアム・インクレイス、か。
 ルクスは俺たちを助けてくれるようだったが、その代わりと言っては何だがとてつもなく厄介な奴に目をつけられたんじゃないのか、俺たちは。
 俺はルクスの置き土産である船のチケットを握り締め、宿に向かって両腕を大きく振って歩き出した。
 脳裏にちらつく赤い色を、振り払うように。