反転楽園紀行

028:楽園の裏側

 ああ、頭ん中がぐるぐるする。
 今日はダメかもしれない、俺は色んなことを聞きすぎた。
 それで何がわかったかと言えば「俺が何もわかっていない」ってことだけ、嫌ってほどわかったわけで。
 何を言われても上手く理解できないほど馬鹿で、何もかもを知らないまま笑ってられるほどには馬鹿じゃない俺の頭が恨めしい。
 そう、馬鹿だったらよかったのだ。何を言われたって「関係ないね」と笑い飛ばして、とっとと東の魔女のところに行って『ディスコード』を振り回せるくらい馬鹿だったらいい。そうすれば俺は何も悩まなくていい、こんな風にぐらぐらする頭を抱えなくたっていい。
 ……いや、多分そんな能天気な俺なら、ここに来ることだってなかっただろう。
 そういえば、今日はこっちでヒナを見ていない。普段、ヒナはどこにいるのだろうか。こうやって頭がぐらぐらしている時には、妙にヒナが恋しくなる。別に何をしてもらいたいってわけじゃなくて……ただ、側にいて欲しいと思う。
「あの、シンさん、大丈夫ですか?」
「また下らないことで悩んでるんだろ、放っておけばこっち側に戻ってくるさ」
 手前テレサ、好き勝手言いやがって。
 ただ、自分ひとりで考えてたってどうしようもないのは事実。答えの出ない、下らない思考であることは否定できないのだ。テレサはその辺も理解していて、わざと俺にそういう言葉をかけてくれてんだろうな、って気はする。
 見ている限り、テレサは別に薄情ってわけじゃないのだ。単にその時何が一番優先させなければいけないのか、その順番が俺の考えるものとちょっと違うだけ。そして、俺よりもずっと理に適った優先順位を持っているというだけなのだ。
 だからこそ、ルーザと対峙した時に真っ先に逃げることを提案したし、俺がルーザに斬られ『ディスコード』を奪われた際も、『ディスコード』の行方を優先させた。俺は殺されても鋼鉄狂がいれば何とかなるが、『ディスコード』を奪われてしまっては魔女に対する切り札を失ってしまうどころか魔女の手に渡る可能性があると、わかっていたから。
 わかっちゃいる。わかっちゃいるんだが……
 このことを考えると、やっぱり落ち込むんだよ。結局のところテレサにとって俺は『魔女に対する切り札』の一つでしかない。『ディスコード』と変わらぬ価値なわけだ。どちらにしろ価値はプライスレス、だがモノ同然、ってか。
 だが別にそれは俺に限ったことじゃない。テレサはきっと誰に対しても同じように振る舞うし、目的に沿えば協力し、目的に沿わなければ相手にもしない。今ここにいる理由だって、誰かに俺と自分が持ってきた『ディスコード』を見守る……監視する? ように頼まれたから、らしいしな。
 その事実を一から十まで理解しておきながら、俺は一体テレサに何を期待しているのだろうか。まだ多少不機嫌そうな表情の残る横顔を盗み見ながら、そんなことを考える。
 特別扱いはいらない。俺は確かに特別な役目を負わされているらしいが、別にそんなこと望んじゃいない。ただ。
 今は真っ直ぐに前を見ている、その青い目を少しだけでもこっちに向けてくれればいい。
 あれ?
 何だ、この思考。これじゃあまるで……高嶺の花に恋をした純情少年の思考回路だろうが。そんなことあるわけがない、相手はあのテレサだ。俺が今まで見てきたどんな僕っ子(主に二次元)の中でも最も萌えない僕っ子だぞ。
 それに、俺には、恋愛ってものが致命的にわからない。
 ……わからないんだよ。
「……シン?」
 頭の上から、声が降ってくる。
「もしかして、本当に具合が悪かったりするのかい?」
「まさか。お前の言うとおり、下らないことをぐだぐだ考えてるだけだ。悪かったな」
 やめよう。テレサにまで心配されるようじゃ相当重症だ。
 気を取り直して、辺りを見回す。今俺たちはワイズの東側にある商店街に来ている。ルーザがこれから発つということで、色々ヴァレリアに買い物を頼んだからだ。俺たちも、一応旅に向けて色々揃えなきゃならないものもあるため、同行しているというわけ。
 その時、一つの屋台が目に入って、俺は「ちょっと待ってろ」と言って屋台に向かいお目当てのものを手っ取りばやく入手。不思議そうな顔をしているテレサに、袋の一つを押し付けた。
 中身はもちろん、名物ワイズまん。
「ほら、お前、これ好きそうだったからさ」
 いや本当美味そうに食ってたもんな。もちろん中身はこしあんだ。俺の分はつぶあん。あと、ヴァレリアはどっちが好きだかわからないからもう一つずつ。どちらが好きか聞いてもよくわからないみたいだったから、ひとまずつぶあんを布教することに決めた。
 テレサはしばらく目を丸くして俺を見ていたが、やがて包みを開けながら目を細めた。
「意外と気が利くんだね、君」
「少しくらいは見直してくれよな」
「うん、少しだけね」
 テレサはふ、と珍しく穏やかに笑ってみせる。今日になって初めて俺に向けてくれた笑みだった。
 何だかなあ。そうやって笑ってもらえるだけでちょっと嬉しくなる俺がいるわけで。単純だよな、ホント。
「それで、ヴァレリアは何を買うんだ?」
「えっと……まず飛行船を動かすためのルーンが足りないので、それを買おうと思います」
 ルーンって、何だっけ。何か鋼鉄狂の研究所で説明された気がするんだが、覚えていない。とはいえ誰もが知っているような常識だったらそれはそれで困るし、ってことで口に出せずにいると、テレサが耳打ちしてくれた。
「ルーンっていうのはマナを凝縮したもので、船や飛行船を動かすために必要になるんだ」
 魔力の液体ってわけか。テレサの言葉から考えるに、この世界ではマナやルーンを燃料にして色々なものを魔法で動かすらしいな。単に機械か魔法かってだけで、その辺はやっぱり俺の世界と大して変わらないのかもしれない。
 そんな風に思っていると、ヴァレリアがふわりと笑って言った。
「あと、ルーザさんが『プリン食べたい』と言っていたので、プリンを買って行くつもりです」
「ぶはっ」
 吹いた。
 ちょっと待て。
 何だその可愛らしい要求は。可愛らしすぎるぞルーザ。
 実は奴も甘い物好きなのだろうか……なら意外と俺と奴、話が合うんじゃないか。いやいや、アイツと話が合っても全然嬉しくないけれども。
 ヴァレリアは何で俺が吹いたのかなんてさっぱり理解していない様子で俺の顔を覗き込む。
「どうかしましたか?」
「いや、ちょっとな。ルーザ、プリン好きなのか」
「大好きですよ。目を離すと、プリンしか食べなかったりするんですから」
 プリンの器を机の上に並べながら、黙々とスプーンを動かすルーザを想像する。何てシュールな光景だ。後ろでテレサも笑いを必死に堪えているから、多分俺と同じようなことを考えていたのだと思う。
 うーん、考えれば考えるほど、そんな三十路前(だと思う)は嫌だ。
「それじゃあ、行きましょうか」
 何ともいえない気分になっている俺とテレサに対し、俺らが何を考えているか知らないヴァレリアは穏やかに微笑みながら港の方へ歩き出す。俺もプリンをむさぼるルーザの姿を頭から追い出して、今にも迷子になりそうな危なっかしいヴァレリアを追いかけた。
 それにしても、道を歩いているとたまに、こちらを睨みつけてくるような視線に気づく。
 俺がそういうのに人一倍敏感だっていうのもあるし、敏感すぎて勘違いしているだけかもしれないが、冷たい、悪意に近い視線にぶつかることもある。その時は相手の方が先に目を逸らして行きすぎてしまうから、何故そんな目を向けられたのかもわからないまま。
 気のせい、だと思いたかった。
 しかし、歩いていくうちに段々わかってくる。俺の勘違いではなく、俺たちは「見られている」のだという思いが次第に強くなっていく。
 しかもこの視線は、俺に向けられているわけではない。
 道行く人々の冷たい視線は、ヴァレリアに向けられているような、気がする。
 理由、そんなものは知らない。今までこれほどまでにわかりやすい視線に気づかなかったのは、俺が自分のことでうだうだ悩んでいたからかもしれない。一つのことを考えると、すぐに周囲が見えなくなるのは悪い癖だな。普段はそれなりに敏感なだけに、余計。
 そして、俺の考えが確信に変わったのは、ルーンを買いにある店を訪れた瞬間だった。
 ヴァレリアを見た店主のおっさんが、あからさまに眉を顰めたのだ。
 お客様に対してその表情はないだろ、と思うがヴァレリアはちょっとだけ困惑の色を見せながらも、店主にいつもの微笑を投げかける。
 飛行船用のルーンを買いに来たのだ、とヴァレリアが言って金を払えば、「これを持ってさっさと帰れ」と言わんばかりにヴァレリアから目を逸らしたまま革袋に入った硝子の瓶をヴァレリアに投げるように渡してくる。
 微笑を浮かべながらも、ヴァレリアの金色の瞳がどんどん曇っていくのが、俺にだってわかる。
 ……ああ、もう。見てられねえ!
 俺は一歩踏み出して。
「おい、手前っ……」
「はいはい、用が済んだならさっさと行こうね」
 テレサに後ろからマントを引っ張られ、俺の方が首を絞められるハメになった。抗議の声も出せないまま、俺はテレサにずりずりと店の外へと引きずり出されたわけで。そのまま店から少し離れた細い道に連れ込まれた俺は、やっと解放された喉をさすって叫んだ。
「何で邪魔すんだよ!」
 だが、テレサは呆れ顔で俺を見下ろすだけ。だからあからさまに見下ろすなっての、身長が俺より高いのはわかってるから。
「だって君、明らかに店主に喧嘩をふっかけようとしたじゃないか」
「あぁん? んなのあっちの方が悪いだろうが。あの態度はありえねえよ。ヴァレリアだってそう思うだろ!」
 ヴァレリアを振り返ってみると、ヴァレリアは何とも曖昧に微笑んで言った。
「別に気にしてませんよ。いつも、こうですから」
 ――いつも、こう?
「どういう、ことだ?」
「私、どうしても皆さんを怖がらせてしまうみたいです……この髪と目の色が不吉だ、と。今までもずっとそういう風に言われ続けてきましたから」
 ああ、俺も気づいていたじゃないか。ヴァレリアの目の色と髪の色は、多分エルフには珍しいものなのだろう、と。実際、これだけ人の集まっているワイズでも、黒髪のエルフなんてほとんど目にしないのだから。
 だけど……何だ、それ。
「別に、ヴァレリアが何したってわけじゃねえんだろ? なのに、そんなことで……」
「僕らはともかく、そういう『不吉なもの』を恐れることはよくあることだと思うけどね」
「それでも、だ!」
 テレサは不思議そうに首を傾げるし、ヴァレリアは諦めたように笑っているけれど。
「外見が何だってんだ、人と違って何が悪い! 納得いかねえよ、納得しちゃいけねえもんだろ、それは!」
 いや、心の隅ではわかってるんだ。
 俺が言っているのはとんでもない綺麗事。この世界だって差別は存在している。俺の世界と同じ、いや、もっと差別が根強くたっておかしくはない。それを俺みたいな外から来た奴がどうこう言っていいとも思えない。
 『楽園』なんていうが、所詮裏側はそんなもの。
 それでも、否定せずにはいられない。声を上げずにはいられない。
 そいつは理不尽で、許してはいけないもの。
 自分では何もしていないのに、望んでもいないのに、冷たく心無い視線を向けられる苦しさは生半可なものではないはずだ。
 
 最低でも、俺は、苦しい。
 空気の中で溺れるような錯覚に陥る程度には。
 
「何で、君が怒るんだい」
 降ってくるテレサの声はあくまで冷静で。俺も呼吸を整えて少しだけ心を落ち着かせる。
 結局のところ、俺はヴァレリアの姿に自分を重ねてしまっただけなのだろう。同情以前の、最悪な感情だ。ヴァレリアへの仕打ちに怒っているようで、考えていたのは自分のことだけなのだから。
「そんなんで差別する連中が気に食わねえってだけ」
 だが、どちらにしろ、許せないって思いは本物だ。そう思うことは自由だろう。どんなに俺が無力でも、この世界に干渉できないとしても。
 それが、俺自身の経験から出た下らない感情だったとしても。
 テレサを見れば、テレサは青い瞳で俺を見下ろしながら、何とも形容しがたい微妙な表情を浮かべていた。テレサのことだ、まさか俺の言葉が理解できなかったわけではないだろう。なら、何故そんな顔をするのだろうか。
「君は……たまに不思議なことを言うよね」
「は? 別に不思議じゃねえだろ。それとも変なのか、俺が言ったことは」
 残念ながら俺はこの世界の人間ではないから、この世界の考え方はわからない。テレサは俺の問いにゆっくりと首を横に振った。
「いや、変というほどでもないけどね。ただ、面白いと思っただけだよ」
 それは、俺をからかってるのか?
 そんな風にも思ったが、それを言葉に出す前に、ヴァレリアが俺に笑いかけた。今度は、苦しそうな影も見えない、柔らかな笑顔で。
「でも、そう言ってもらえるのは、嬉しいです」
「何てことでもねえだろうが」
 俺は今更少しだけ気恥ずかしくなって顔を背けたけれども……ヴァレリアの笑顔がちょっと可愛いなんて思っちゃったのは内緒だ。よく考えろ、俺。ヴァレリアはあくまでルーザの相方、俺に勝ち目のある相手じゃない。目を覚ませ、俺。エルフ娘はもう飽きたんじゃなかったか。
 不毛な思考が頭の中で繰り広げられるに至って、やっと俺の怒りも収まってきた。
 これから、何度もこういうことに出くわすたびに苛々させられるのだろう。それでも俺は、どこまでも差別を許容するわけにはいかない。その度に、自分の無力を思い知らされようとも……
 何だか、今から心が折れそうだな。
 ただ、向こうにいる時よりは多少はマシかもしれない。もう、声を上げることも諦めてしまった、向こうの俺よりは。
 視線を空に逃がしたまま立ち尽くす俺に、テレサが声をかけてくる。
「そうだ、プリンも買わないといけないだろう」
「そうですね。早く買ってあげないと、ルーザさんも禁断症状が出ると思いますし」
「禁断症状って何だよ!」
 プリン中毒かよ。ぞっとしねえなそれは。
 でもこんな風にプリンプリンって言われていると、俺も食いたくなってくるじゃないか。とろりとろけるカスタードの舌触り、それに絡むほんのり苦味のある甘いカラメルのハーモニー。まあルーザが好きなのはわかる。俺も好きだ。
 それ以前に、この世界のプリンって俺が想像しているカスタードプディングと同じなのだろうか。やはりそれを確かめるためにも、プリンを売っている店に行かなくてはなるまい。新たな甘味であればそれはそれで俺も食べてみたいし。
 俺は甘味に弱いのだ。どこまでも。
「こちらに、美味しいプリンのお店があるんですよ」
「そう言って、また迷うとかいうことはないよな……」
 大丈夫、だと思います、なんてちょっと不安げなことを言うヴァレリアを連れて、俺たちが一歩踏み出したその時。
 遠くから、何かが爆ぜるような大きな音が聞こえた。
 にわかに、通りが騒がしさを増す。俺も何が起こったかわからず、音が聞こえた方向に視線を向ける。遠くから、煙が立ち上っているのが見えるが……火事か? それにしては奇妙な爆発音だった気がするが。
 否、もっと正確に言おう。
 あの音は、俺には「砲撃」のように聞こえた。
 俺は、気づけば音の聞こえた方向に走り出していた。
 東へ……記憶が正しければ、今は閉鎖されているというもう一つの港に向かって。