ルーザの頼みとは、ワイズに行けない自分の代わりにヴァレリアを連れてある人に手紙を届けること、だった。俺たちもワイズに向かわなければならなかったから、手紙を預かって遺跡を後にしたわけだが。
手紙の届け先は、ワイズ学院、ガウス研究室。
「ワイズ学院に、ルーザさんのお師匠様に当たる博士がいらっしゃるのです」
森を抜けて、ワイズに向かう道を歩きながら、ヴァレリアがそう説明してくれた。
「……お師匠様、って、異端研究のか?」
「はい。ワイズ学院の中には、こっそり異端の研究をしている博士が多いそうです。これから会う博士も、その一人だとルーザさんはおっしゃっていました」
「基本的に異端研究は見て見ぬ振りのお国がらだからね、ライブラ国って。個人の探究目的である限りはそうそう目をつけられることも無いらしいよ」
なるほど、国によっては随分『異端』に対する考え方も違うってことか。とはいえ、ライブラ国でも東の魔女みたいに研究を軍事目的に使ったりする動きが見られれば、即座にしょっぴかれて『影追い』に引き渡されるらしい。
そのため、戦時中はワイズ学院から随分レクス帝国の研究施設へ研究者が流出したらしい。これは、異端研究者だけでなく魔法の研究者も同様だ。レクスへ渡った研究者のほとんどは、己の研究内容を生かす場所を求めていた、とのこと。それはそれで、わからないでもない。
実際、俺の世界でも戦争があれば研究者たちがこぞって新しいものを作り出すわけで。科学技術の進歩は戦争なしには考えられない、という言葉を俺は否定しきれないでいる。
この『楽園』でも、仕組みは同じってことだろう。例えば、ルーザの親父……シェル・B・ウェイヴが飛空艇を作ったことで戦略が大幅に変わったというのも、結局はそういうこと。
俺は別に戦争がいいって言ってるつもりもないしむしろ許せないと思っているのだが。何事も一面だけで見ることはできないのだ。厄介なことに。
「ルーザさんのお師匠様は、戦時中も戦争に協力することを拒んでライブラで研究を続けていたそうです」
それでも周囲に流されない……というか頑固な奴もまた必ず存在するわけで。ルーザのお師匠ってのは多分こっちだろう。
そんな師匠に学びながら、どうしてルーザが極端に走っちまったのか。それは本人たちにしかわからないのだろうが、もうちょい師匠が上手く手綱を握っててくれれば、俺も旅立ち一日目でゲームオーバーなんて真似をせず済んだと思わずにはいられない。
まあ、それは『もしも』の話であって、今更論じたって仕方ない。
それにしても、昨日は長い一日だった。俺がワイズを離れてまだ一日しか経ってないなんて、嘘みたいだ。ルクスと会って、テレサとルーザを追いかけて遺跡に行って、結局ルーザと戦って。そして何か色んなこと言われたわけで。
正直、まだ頭の中が整理できてない。
「どうかしましたか?」
突然、ヴァレリアが俺の顔を覗き込んできたものだから、俺は「うおっ」と変な声を上げて一歩下がってしまった。綺麗な、ちょっと猫っぽくも見える金色の瞳が、俺のことを見つめている。
「え、や、どうもしねえけど……」
「何か、元気がないみたいだったので。どこか、痛みますか?」
どうやら、俺は不機嫌面を全開にしていたらしい。向こうではいつもそんなツラをしているし誰が見ているわけでもないからそれでいいが、こっちじゃそうもいかない。俺は軽く頬を叩いて、表情を整える。
テレサにツッコまれるならともかく、ヴァレリアを心配させるのは何か、悪い気がして。
「ん、大丈夫。ちょっと考え事してただけだ」
まだ少し後頭部あたりが痛いのは事実だったが、テレサの目が怖いので言い出せない。
テレサの態度は相変わらず、俺に対してだけキツい。謝ったこともあって一応口は利いてくれるけれど……
「また変なこと考えてたんじゃないだろうね?」
「考えてねえ!」
とまあ、こんな具合で。
もう二度とあんなことはしないと心に誓う。今考えてみると、あの時の俺は本当にどうにかしていた。やっとのことでテレサに会えて舞い上がっていたというか、何というか。今も頭の中の悪魔が「キスくらいいいじゃねえかよー」とか言ってるけど無視。
というかテレサは間違いなく「寝込みを襲われそうになった」と思っている。流石に俺そこまで変態じゃないですよ説得力皆無ですが!
俺とテレサのやり取りを見て、ヴァレリアがくすくすと笑っていた。
「二人とも、とても仲がよいのですね」
「どこをどのように見てそう思うんですかヴァレリアさん」
何かデジャヴを感じるのはきっと気のせいだ。何で誰もが俺とテレサのやり取りを見て同じことを言うのだろうか。この世界の基準、ちょっとおかしくないか。
俺のもっともな疑問には気づいた様子もなく、ヴァレリアは「違うのですか?」と不思議そうに俺とテレサを交互に見る。そんな目で見られると、実際には違うとしても否定しづらいのだが。
何と言っていいのか迷った挙句、俺は。
「それはともかく、アンタとルーザも随分仲よさそうじゃねえか」
全力で話を逸らしにかかった。
テレサが横で何故か俺のことをものすごく睨んでいるが……あれ、もしかして俺、選択肢間違ったか?
もちろんヴァレリアは俺が答えを回避したことなんか気づかぬ様子で、ふわりと笑顔を浮かべた。
「はい。ルーザさんは、とても優しい方ですから」
「ルーザが、なあ……」
本当に優しい奴は、俺の体をばっさりやったりはしないと思うのだがどうだろう。その前に警告してくれていた辺り、かろうじて優しさ成分を感じるが、あくまで「かろうじて」の範囲だ。
悪人ではないが、発想が極端で厄介な奴であることには変わりない。
ヴァレリアは俺の言葉に含まれていた懐疑にも気づいていなかったようだ。幸せな奴特有の「幸せな笑顔」を俺に向ける。頼むからそんな顔をこっちに向けないでくれ、俺には眩しすぎるから。
「ルーザさんは、私の恩人です。私にとっては、ただ一人の大切な人なのです」
だから、一緒にいるのだ、と。
ヴァレリアは笑顔で言い放つ。
そっか、そういえば、俺はどうしてヴァレリアがルーザと一緒にいるのかまだ聞いていなかった。ヴァレリアはルーザの研究についてはほとんど知らないという。知りたいと願っているわけでもなさそうだ。
ただ、ルーザと離れることだけを恐れている。そんな、感じ。
ヴァレリアとルーザの関係に興味がないと言ったら嘘になるけれど、自分からそれを詮索する気には、なれない。これは、別にヴァレリアに対してだけではなくて、誰に対してもそうなのだが。
いつだってそう。俺は、必要以上に相手の事情に踏み込むことが、苦手だ。
踏み込まれてしまえば、実際に答えはしなくとも、自然と意識せざるを得なくなる。本当は思い出したくないようなことまで思い出してしまうかもしれない。
例えば、もし今ヴァレリアに向こうの俺について聞かれたとしたら、俺は多分嫌な顔をして押し黙ってしまうに違いない。別に大した事情があるわけではないけれど、誰だって「傍から見れば大したことないが自分にとっては致命的」な出来事ってあるんじゃないか。
そんな風に考えてしまうから、俺はいつも喉元まででかかった言葉を飲み込んでしまう。
飲み込んで、当たり障りのない微笑を浮かべて。
「こんな風に思ってもらってるのに無茶するルーザは、相当罰当たりな野郎だな」
なんて、やっぱり当たり障りのないことを言ってしまう。ヴァレリアはちょっとだけ笑顔を苦笑に変えて言った。
「仕方ありません、それがルーザさんの目指しているものなので」
「でもさ、少しくらいワガママ言ったっていいんじゃねえの? ルーザだってきっと、ヴァレリアから話を切り出せば喜んで聞いてくれると思うぜ」
これは俺の想像だが多分事実とそこまでかけ離れてはいないと思う。
ルクスがヴァレリアに選択を強いたとき、ヴァレリアの言葉を聞いたルーザの表情は俺の目にも焼きついている。あいつは、確かに驚いて……いつも微妙に作り物くさい表情のあいつらしくもない、心からの優しい顔をしていた。
悔しいが、この二人の関係はそういう関係だ。だから俺も僻むわけでして。
当の天然ヴァレリアさんは何で俺がそんな風に言うのか理解できなかったのか、金色の目を瞬きして俺を見つめている。だから俺を見たって何も出ないから。ルーザと熱く見詰め合ってればいいんだよアンタは。
ヴァレリアはしばし口をぱくぱくさせていたが、やがてポツリと呟いた。
「でも……私、不安なのです。ルーザさんの邪魔になっていないかどうか」
「邪魔だったら言ってくるだろ、あんなストレートな奴なんだから。そんな不安がらなくても大丈夫じゃねえの?」
言いながらも、謎は解けない。ルーザとヴァレリアの関係が、どうしても見えない。自分で言っておきながら何だが、あのルーザが何の理由も無く他人を連れまわすとも思えないのだ。邪魔とかそういう理由ではなくて、まず「巻き込む」ことを恐れるのではないか? 相手が大切な奴なら尚更だ。
ルーザのことをほとんど知らない俺が言うのも何だが……そんな気がしてならない。
単刀直入に聞いてしまうべきなのか、否か。そんな風に思っている間に、昨日ぶりのワイズの門の前に来ていた。
まだルーザの騒動が一段落していないため、警戒している見張りに声をかけられたが、テレサが話をつけてくれたお陰でさっさと通ることができた。
「さて、と。手紙を届けにいくとしようか」
門をくぐり、テレサが言い出したところで俺はやっておきたいことを思い出した。
「あ、悪い。テレサとヴァレリアは先に行っててくれねえか」
「おや、何でだい?」
「ちょっとな。なるべくすぐに合流するからさ」
俺はルーザから預かっていた手紙をテレサに手渡す。テレサは一瞬怪訝そうに俺を見たけれど、「わかった」と言って手紙を預かってくれた。
「学院の場所はわかるのかい?」
「大体わかる。わかんなかったら案内人に聞きゃいいんだろ」
む、わざと道がわからないフリをして、この前の案内人の兎さんに会うのもよいかもしれない。
あの手をもう一回握りしめたい! こう、ふかふかでぷにぷにであったかいあの感触をもう一度!
「……妙にエロい目つきをしてないかい、君」
「してねえよ!」
性的欲求じゃねえ、これは単なる肉球フェチだ!
って思ってて悲しくなってきた。うん、ちょっとだけ自重しよう。
ともあれ、テレサたちと別れて俺はある場所へ向かうことにする。ワイズには来たばかりの俺だが、俺は何だかんだで道を覚えたりするのは得意な方だ。だから、一回行ったことのある場所であれば、大体間違えずにたどり着ける。
そう、俺が早足に向かっている先は、情報屋。
一度ルクスに紹介され、ルーザの行方を知るために利用したのだが、今回の目的はまた全然違うわけで。
裏路地を入り、小さな扉を開けて寂れた道具屋に足を踏み入れる。埃っぽい店内から、低い男の声が響く。
「何だぁ、客か?」
「ああ。『蛇の環が欲しい』と思ってさ」
これも、ルクスから教わった符丁。何でも、情報屋っていうのはどこの国でも大体『蛇の環』という符丁を用いるらしい。何か由来があるようだが、ルクスは知らないようだった。
もそもそとカウンターの後ろで何かが動き、小柄だが目つきだけは鋭い店主こと情報屋が顔を出した。
「何だ、昨日の坊主か。また何か聞きに来たのか」
「そんなとこ」
と言いながら、手の平の中に銀貨を数枚出してみせる。情報屋は「ふむ」と言って聞く姿勢を作る。俺は少しだけ頭の中で話の流れを組み立てながら、聞くべきことを言葉にする。
「ルクス・エクスヴェーアトっていう男について。わかることがありゃ教えて欲しいんだ」
そう。
俺は絶対に知っておかなくてはならない。『首狩り』であり『影追い』であるあの男のことを。俺の存在を見逃し、ルーザの命を奪わずにその場を去った、奇妙な男。人間としては悪い奴じゃないのかもしれないが、これからアイツの手を借りることになる手前、知っていることは多い方がいい。
すると情報屋は、少しだけ困った顔をした。
「ルクス・エクスヴェーアトって……昨日坊主と一緒にいた、銀髪の『首狩り』だよな」
ルクスは俺がルーザの情報を聞いている時は店の外にいたが、情報屋は俺と一緒にいる姿を見ていたのだろう。それに、確かルクス、無一文のままここに入って追い出されたって言ってたし。情報屋が嫌な顔をするのも当然か。
……と、思ったのだが。
「そいつについて話すなら、正直金はいらん」
「は? どういうことだよ」
「馬鹿馬鹿しい話だからだ。あと、それなりに有名な話だから、坊主が聞きたい話とは全然違うかもしれねえが」
言いながら、情報屋は店の奥に引っ込んで行った。
ルクスが有名人、か。しかも「馬鹿馬鹿しい話」って辺り、何か色々ありそうだ。しばらくすると、情報屋が薄っぺらい紙を一枚持ってやってきた。
「ルクス・エクスヴェーアト。出自については俺も知らん。ただ、現状は『ユーリスの首狩り』として知られているようだな」
そこまでは俺も知っている。というか本人が公言している話だ。
「 『首狩り』としてはそこそこ優秀だが……この男に関しては、様々な『伝説』がある」
「は? 伝説?」
「一番有名なところでは、ある時小さな町に銀髪の剣士が現れた。当然、話を聞けば人相でルクス本人だとわかる。その男は、全くの無一文で町に現れ、食堂で食い逃げをした」
ルクス、手前。
俺は自分のことでもないのにちょっと恥ずかしくなった。だがあの男ならやりかねないと思ってしまう辺り、奴の人徳がうかがえる。何しろ、昨日だって金を一銭も持っていなかったわけだし。
「だが、その時タイミングよく町を魔物が襲ってな。ルクスはそいつを退治した。故に食い逃げはうやむやになり、それどころか金まで貰って町を出て行ったという話だ」
「……運がいいというか、何というか」
ある意味、奴らしいというか。
「でも、それがどうしたってんだよ?」
「これだけ聞けば、ただの与太話にすぎんが……実はこれ、三十年前の話だ」
「……は?」
待てよ。ルクスは人間だ。耳も長くなければ、足が短いわけでもない。どこからどう見たって正真正銘の人間で、それで俺の目から見る限りは二十代後半ってところだ。
だが、三十年前、ってどういうことだ?
「これが、この男の『伝説』と呼ばれる所以だ。実はこの男にまつわる話は『楽園』の各地にあってな、大体同じような与太話なんだが、いつ現れてもほとんど同じ姿で伝えられている」
うわあ、何か背筋ぞっとしたんだが。伝わっている話が下らないだけに、ありそうで怖いぞこれ。何だこの面白都市伝説。
「とはいえ、こんなこと知っているのは俺たちみたいに情報を纏めて取り扱ってる奴くらいだけどな。大体は『その時そういう奴がいた』で済む、どうでもいい話だ」
「なるほど、な……」
確かに、これは俺の聞きたかった情報じゃない。が、情報屋はこれ以上の情報は無いと言い張った。金をちらつかせても同じ反応だったから、多分本当にルクスが『影追い』だという話は入っていないのだろう。軽い兄さんだが、その辺の情報管理は徹底しているのかもしれない。
ともあれ、ルクスの謎も余計に深まってしまったわけだ。
情報屋の口ぶりからすると、ルクスみたいな存在はこの『楽園』でも特異なのだろう。エルフですら二百年しか生きないこの世界、老いることも無く生き続ける存在など無いということで、ルクスの存在が『伝説』なんて冗談めかして語られる。
不死者というものは、存在しうるのだろうか。
存在したとして、その言葉の重さとあの兄さんがつりあわない気がするのはきっと俺の気のせいじゃない。
この辺は、俺だけで考えても仕方ないだろうな。『楽園』で死や不死がどう扱われているのかもよくわかっていないことだし。テレサに相談すれば、何かわかるかもしれない。
だけど、なあ。
俺はテレサのことだって知らない。北から『ディスコード』を持ってきた魔道士ってことしか、知らないのだ。気にはなっていたが、あえて聞かなかったとも言う。
先ほども考えていたことだが、俺は結局のところ、自分から問うことはない。それでわからないことが加速度的に増えていたとしても、見てみぬ振りをして、知らないままにしておく。
同じことを問い返されるのが、怖いから。
暴かれるっていうのは、痛みを伴うものでしかないと、気づいているから。
そうも言ってられない状況、なのだろうけれども。
金は要らないと言い張る情報屋に銀貨を無理やり数枚渡す。保険、ってやつだ。俺がルクスのことを嗅ぎ回ってたってルクス本人に知られるのはまずいだろう。あの男なら笑って済ますかもしれないが、それでも。
俺は何処か煮え切らない心を抱えたまま、店を出て……学院へと向かう。
反転楽園紀行