頭の奥底で、スイッチが入る音。
視界が『予測』に切り替わる。
不意に、ルーザが動くが……その軌道はぎりぎり見えている。
迫り来る剣の一撃が腕のすぐ横を掠めるのを感じながら、床を蹴る。軽くなった体は俺の意図を正確に受け止めてルーザの目の前まで迫るが、ルーザにも俺の行動は読まれていたのだろう、即座に横に跳び距離を取られる。
手にした武器が『ディスコード』ならルーザの鎧も貫けるのだが、今この手の中にあるのは単なるナイフ。上手く狙わなければ掠り傷すらつけられない。
だが、ルーザは正確に俺の行動を『予測』している。
そう簡単に隙を見せてくれるわけがない。
そして、俺もまたルーザの攻撃を『予測』し続けている。とはいえ、前に戦った時と同じようにルーザの攻撃は時に俺の『予測』の一歩上を行く。思わぬところから襲い掛かってくる剣を、持ち前の運動能力でかろうじて回避する。
ルーザの一撃は速い上に重い。一歩間違えれば前の対峙と同じように、薄い革鎧ごとばっさり斬られることは目に見えている。あの時の感覚を思い出すと自然と体が強張りそうになるが、意識の力で嫌な回想を無理やりに追い出す。
その間、ルクスも黙って見ているわけじゃない。俺がルーザとの間に割って入り、その刃を引き付けている間に、ルクスが何でもかんでも叩き斬れそうな大剣をルーザに向かって振り下ろす。
しかし、奴はルクスの方なんてちらりとも見ないまま、軽い足取りでその一撃をかわし、間合いを取ってしまう。ルーザの頭の上の方で束ねられた長い焦げ茶色の髪が、まるで尻尾のように揺れている。
ルクスでも一足では間合いを詰めきれない絶妙な位置に立ち、ルーザが俺を真っ直ぐに見据えてきた。
無機質にして機械的。ただ見られているだけなのに、細くて鋭い針か何かで胸を貫かれるような錯覚すら抱かせる、零度の瞳。
確かこういう色って氷河の緑色、アイスグリーンって言うんだったか。本当、こういうところで見るんじゃなければ綺麗な色だとも思えるんだがな。
目を逸らさないようにしながらも、ルーザの全身に意識を向ける。体だけ言えば名実共に作り物である俺よりも、ずっと作り物じみた造形。剣を構えたまま動かない姿を見ていると、そう思わずにはいられない。
「……やはり、か」
唐突に、ルーザが口を開く。戦っているのに悠長なもんだ。ただ、下手に足を踏み出せば斬られるという予感が、俺の体を動かそうとしない。ルクスもそのくらいはわかってるんだろう、剣を構えたまま動けずにいるようだった。
「何がだよ」
「お前の目にも『見えている』……そうだろう」
ルーザの言葉は、間違いなく。
俺の『予測』のことを指しているのだろう。
俺は問いに対して沈黙を返すが、ルーザにとっては十分すぎる「答え」だっただろう。納得の表情で、微かに硝子球のような目を細める。
鋼鉄狂の言葉が正しければ、ルーザのあの変な目も、今の俺と同じ世界を見ている。現実の世界に覆い被さるようにして見える、刹那先の未来。相手の動きが軌道として描かれ、こちらの取るべき行動が示される。
何故、俺にこんな能力があるのか……それは、鋼鉄狂がそういう風にこの体を作ったからだ。そんなことが理論上出来るかどうかは別として。ここは俺のいた世界じゃなくて『楽園』なんだから、俺の持つ常識を上回った何かがあるんだろう、そういうことにしておく。
なら、ルーザは?
作り物のようで鋼鉄狂がはっきり作り物であることを否定したこの化物野郎は、一体何故『予測』できる。
「 『ユニゾン』といい『アーレス』といい。何故、俺の持つ力を扱うことが出来る」
確か『ユニゾン』は『ディスコード』を操る力だったか。なら、『アーレス』ってのがこの『予測』能力のことなのだろう。固有名詞が多すぎて何が何だかわからなくなってきたが、ルーザは俺がわかってるとでも思ってるんだろうか。思ってるのかもなあ……
そういや、何で俺、『ユニゾン』とか『ディスコード』とかは英語で脳内変換してんだろ……他の言葉はきっちり日本語で変換してるってのに。固有名詞は自動的に英語に変換されるのか? でも人の名前は同じ固有名詞でも英語だったりそうじゃない感じの言語が混ざってたりするし、案外実際にこういう名前のものなのかもしれない。
しかし、普通に喋れるから違和感無かったが、俺、この世界の言語をどういう仕組みで捉えてんだろうか。最低でも、この世界の公用語が日本語じゃないのはわかる。わかるからこそ、不思議だ。
そんなどうでもいい思考を頭の片隅で行いながら、俺は口端を歪めてきっぱり言ってやる。
「知るか。そういう体なんだよ」
嘘はついていない。というか、これが俺の知っている精一杯だ。ただ、知識欲旺盛な異端研究者ルーザさんは、もちろんこの答えで納得してくれるはずはなく。
「その体もだ。いくら高位の魔法を使っても、昨日斬った傷が癒えるわけがない……一体、お前は何なんだ?」
「さあ、な」
それは、実は俺の方が聞きたい。
ルーザの人間離れした能力の出所は当然気になるが、その能力が俺の体にまで備えられているってのが不自然だと、今更ながらに気づく。何しろ、目の前のルーザさん、推定二十代後半。俺の体、鋼鉄狂の言葉を聞く限り多分作られてそれほど経ってない。
俺の体を直してくれた時に鋼鉄狂がルーザの能力を知っていたってことを考えると、何故「ルーザが」 「俺と」同じ能力を持っているのか、って聞くよりは何故「俺が」 「ルーザと」同じ能力を持っているのかと聞いた方が正しい気がする。
この辺、後で鋼鉄狂にきっちり吐いてもらわなきゃならんな。
無事にこいつを倒して、テレサと『ディスコード』を取り戻したら、だが。
「自分でも理解していないのか」
「そういう風に見えるんだったら、そうなんじゃねえか?」
挑発するように俺はわざとらしく笑う。正直、考え始めると不安になるからあまり考えたくない話ではある。
答えを知っている鋼鉄狂はここにはいないわけで、事情をちょっとは理解しているはずのテレサも今はお前の向こうにいるんだ、ルーザ。
心の中で呟いて、ナイフの柄を強く握りしめて。
だから今の俺にできることは、ただ、こいつを倒すことだけ。
「……問いは無意味、か。理解した」
やっとわかってくれたようだ。何だか馬鹿って言われたみたいで気に食わないが、事実は事実だから仕方ない。
俺は改めて意識をルーザの剣の切っ先に向ける。視界に描かれる、未来の軌道。
――来る。
と、俺が意識した時には既にルーザは床を蹴って俺の目の前に来ていた。思考するよりも先に体が動き、ルーザの一撃をかわそうと体を捻るが……映っていた軌道が、一瞬ぐにゃりと歪み。
次の瞬間、肩に、熱が走る。
慌てて離れながら、それが、「痛み」だと気づくまでにコンマ一秒以上の時間を要した。
鋭敏な反射神経を持つ俺の体は、『予測』から外れたルーザの刃を、無理やり致命傷から遠ざける。とはいえ、一撃はマントを切り裂き微かに肩を掠めたのだった。今までは『予測』から外れてもかわしきれていたのに、肩口を捉えた一撃は今までよりずっと、速い。
俺が『予測』しているのに気づいたから、かもしれない。
鋼鉄狂に言われた言葉を思い出す。
相手が『予測』をするのならば、その上を『予測』しろ。
目だけに頼るな、と。
だが、どうすればいい。上を『予測』すると言われたって、やり方がさっぱりわからない。こんな風に切りつけられているようじゃ、尚更だ。
じわじわと肩を伝う痛み。意外と深く斬られたのかもしれない……そう思った瞬間。
「汝の名は『癒しの光』 」
鈴の鳴るような声と共に、すっと痛みが引いた。視線は軌道を読むためにもルーザから外すことは出来ないが、ヒナが側にいるということだけはわかった。
「致命傷でなければ、わたしの魔法で塞げます」
感謝の言葉は、胸の中に留めて。
そうだ、俺は別に一人で戦っているわけじゃない、ルクスが今もルーザの剣をぎりぎりのところで押さえていてくれているし、魔法を使えるヒナだっているのだ。
……魔法?
俺はルクスがルーザの剣を受けたその隙に少しだけ離れる。それから、ヒナに小声で言う。
「ヒナ……テレサみたいに、ルーザの動きを一瞬でも封じられないか」
「ごめんなさい、わたし、癒しの魔法と一部の『力を与える』魔法しか使えないのです」
なるほど、ロールプレイングゲームじゃないが、『楽園』の魔法使いにも魔法の得意不得意があるんだろうな。そういえばテレサは回復の魔法とかは使えないみたいだったし。ゲーム風に言えばテレサが一般的な攻撃魔法をメインとする『魔法使い』で、ヒナは回復が得意な『僧侶』系ってわけか。
だが、それはそれで考えようがある。
「なら、俺に」
言いかけて、少しだけ考える。少し考えるだけでも、引っかかることがいくつもあった。多分ヒナも俺が黙った理由は察したのだろう、申し訳無さそうに言う。
「シンには、強化の魔法の効き目はあまり高く現れないのです」
やっぱりか。
元々、魔女に対抗するためとかいう理由で、俺の体は基本的に体の内部や精神に干渉する魔法を受け付けないようにできている。
例えばテレサがやってくれたように俺の「周囲」に防御壁を張るとか、ヒナが今まさに見せてくれたような回復魔法に代表される「組織を外からの魔力で無理やり繋げる」魔法ならば効き目があるものの、「俺自身を強化する」タイプの魔法は多分ほとんど効果を現さない。
元より非力な俺に非力なナイフ。強化の魔法をかけてもらったとして、ルーザに通用するような一撃が放てるとも思わない。
それならば。
「ヒナ、そいつを、ルクスにかけられるか」
「え、はい、そのくらいならできますが」
「頼む」
言って、俺はルーザを見据える。ルーザの視線はルクスと刃を交わしていても俺にある。ルーザさんったら熱い視線送っちゃって、俺ってば男に好かれるタイプなのかね。俺には全くそんな趣味ないんだけど、とか何とか。追い詰められると思考が逸れるのは逃避か否か。
そんなに俺が気になるなら、行ってやるよ。
俺がそう思った瞬間、ルーザの容赦ない一撃が、ルクスの体を捉えた。ルクスが纏う金属鎧のお陰でその一撃はルクスの体を両断するには至らなかったが、横腹の辺りから血が噴出す。
石造りの床に落ちる赤が、魔法の光に青白く照らされる。
俺は、追撃をかまそうとするルーザと、何とか反撃を繰り出そうとするルクスの間に割り込んだ。ルクスの深紅の目が、苦痛に微かに歪みながらも俺を捉える。
「兄さん、よく狙ってくれ」
俺は口端を上げて言って、ルーザに向き直る。ルクスが少しだけ下がる気配、それでいい。
ルーザの攻撃を『予測』できるのは俺だけ。
そして、ルーザもそれをよく理解している。
ヒナがルクスに回復魔法を施す声が聞こえる……まあ、ルクスにはヒナが見えていないから、何故傷が勝手に癒えるかわかってないと思うが。俺は、ヒナがルクスに強化の魔法を施すまで、ルーザの気を引く必要がある。
ルーザは諦めずにナイフを振りかざす俺を、無機質ながらも微かに感情を交えた瞳で見据える。
「お前は、『アーレス』を使いこなせていない……全てを理解していないお前に、俺が負ける要素は一つも無い」
言葉を放ちながら振り下ろされる死の刃。まあ俺がこれを食らっても即死ってことはないのだが、ここで動けなくなったら今度こそまずい。ルクスもやられて、ヒナには俺の体を運ぶ術なんてない。鋼鉄狂に修理してもらわなければ動けない以上、鋼鉄狂がこの場所に来られないのだから事実上のゲーム・オーバー。
それに、だ。
もう、これをゲームだなんて言っちゃいられないって、わかっちまったから。こいつにはこいつの理想があって、譲れないものがあって、そのためにこの剣を振るっている。「悪」とか「敵」とか、そんな風に括れないようなもんを背負った奴相手に、俺はナイフを振りかざす。
俺は、こいつみたいに譲れないものとか、そんなもの一つも持っていなかった。否、持っていなかったから、ここに立っているんだ。
軌道を読む。相手の思考を読む。それで、また一つ死を回避する。
全力で思考を回転させながら、残った脳味噌の容量で俺は思う。この体に人間の脳味噌があるとは思えなかったが、それでも強く、強く思う。
――俺は、欲しかったんだ。
俺は確かに現実から逃避していたが別に異世界に来たかったわけじゃない、暇潰しと言って来たけれど、本当は勇者様なんて真っ平御免だ。
本当は、ヒナに誘われてここに来た理由はただ一つ。
ヒナは、言ってくれたんだ。
俺が必要なんだって。
ヒナは他でもない、「俺」を求めてくれた、ただ一人。
俺は俺を必要としてくれる奴のためにここに立つ。それはルーザの強い思いの前には本当に脆い、危うい感情だってのもわかっている。だけどこれはこれで、譲ってはいけない俺の思い。
だって、これがずっと欲しいと願っていた、言葉だったんだ。
「負ける要素が一つも無い? んな風に言い切れるもんなんて、存在しねえよ」
だから俺は笑う。ヒナが呪文を唱える声を背中に聞きながら。
床を蹴る。
即座にルーザが次に取るだろう行動の軌道を確認。もちろんルーザはその間にも剣を繰り出しながら俺の目をじっと見ている……俺の目の中に見える軌道を読み取ろうとするかのように。
描かれるのは必殺の剣の動き。光の道のように描かれる軌道。
その「軌道の中」に、俺は迷わず飛び込んだ。
「……っ!」
ルーザの息を飲む声、揺らぐ軌道。
必殺、と思われた剣は、俺が見ていた軌道を外れ、あらぬ方向を斬る……なるほど、確かに鋼鉄狂の言っていたとおりだ。
ルーザは、『アーレス』とやらで俺が軌道を『予測』しているのを知っている。そして、俺が軌道から外れた場所に逃れようとすることも、知っている。だからこそ、ルーザはあえて『アーレス』の『予測』に反した行動を取る。
ならば。
俺が、あえてその『予測』に逆らわなければいい。
もちろん通用するのは一回のみの博打技。ただ、決定的な一撃を放とうとしたルーザを動揺させるならば、これだけで十分だった。
俺の手の中に『ディスコード』は無い……故に俺では、ルーザを仕留められない。
なら、俺ではない誰かの手に任せるまで。
刹那、青い風が吹く。
もちろんこれは比喩。だが、あながち間違ってもいないだろう。風と同じくらいの速さで駆け抜けた青い色のマントが、タイミングを図って下がった俺の視界に焼きついて。
次の瞬間、ルーザの体から赤いものが噴出した。
斬られたのだ、とルーザは気づいただろうか。一瞬目を丸くして、自分を斬った男……ルクスを見やる。
ルーザはがくりとその場に膝をついて、青い顔で呟く。
「強化、魔法……誰が」
「誰だと思う?」
俺は小さく呟いた。どうせ言ったとしても理解できないだろう。ルーザにも、そしてルーザを斬った当人であるルクスにも。
ルクスを見れば、自分がどうして今まで全く歯が立たなかったルーザを斬れたのかやっぱり理解してないらしく不思議そうに自分の剣を見ていたが、すぐに我に返って床に落ちた剣を蹴飛ばし、ルーザの手の届かない場所に追いやった。流石は『影追い』、慣れた動きだ。
「ルーザさん!」
今まで無言で見守っていたヴァレリアが、駆け寄ってくる。ルーザは、もう彼女を止めることもせず、虚ろな目で俺を見上げて……初めてほんの少しだけ、笑った。
「なるほど。ゼロの確率など、存在しない、か」
きっと、それは先ほどの俺の言葉を受けての台詞だったのだろう。全身の力が一気に抜けるのを感じながら、俺は何も言えなくなってルーザを見る。
ルーザの傷は深いとはいえ、致命傷ではなかった。ヴァレリアが、慌てて回復魔法をかけている。微かに申し訳無さそうな表情でヴァレリアを見やってから、ルーザは再び俺に視線を戻す。
もう、そこに。
貫くような冷たさはなかった。
ただ、溜息のように放たれた言葉が、静かに俺の耳に沁みた。
「俺の、負けだ」
反転楽園紀行