反転楽園紀行

019:剣の意味

「……やはり、来たか」
 その姿を認める前に。
 高くも低くもない不思議な響きの声が、俺の耳を掠めて、消える。
 そして、俺は場違いに明るい魔法の光に満ちた部屋に足を踏み入れる。俺にも用途がわからない機械に囲まれた部屋の真ん中に、そいつは立っていた。
 異端研究者、ルーザ・ウェイヴ。
 俺の体をばっさりやってくれた上に『ディスコード』を奪い、そのまま姿を消した野郎。むかつく相手ではあるが、俺の目的は別にこいつじゃない。いや確かに殴ってやりたいとも思うけれども、まずその前に絶対に聞かなきゃならないことがある。
 一歩、前に出て。
 ルーザの放つ圧倒的な威圧感は今もなお俺を押しつぶそうとしているけれど、飲まれないように息を吸い込んで。
 声を、放つ。
「テレサはここにいるのか?」
 ルーザは冷たい、氷の色を思わせる緑の瞳を細め、言う。
「あの北方魔道士の女か。しつこくつけてくるものだから、向こうに寝かせてある」
「無事なのか」
「命に別状は無い」
「何か余計なこともしてねえんだろうな?」
 俺はルーザを睨みつける。命に別状はなくとも、最悪の事態ってのはいくらでも存在する。「ただ生きてるだけ」じゃ無事とは言わないからな。ルーザはふうと長く息をつき、言う。
「俺に必要なものは『ディスコード』のみだ。それ以外に興味を示す理由が無い」
「ならよかった。会わせてもらえるか?」
 俺はもう一歩踏み出しながらルーザに問うてみる。だが、そんな俺の動きを牽制するように、ルーザが剣の柄に手をかける。やっぱり、と言うべきか何と言うべきか。素直に通してくれる気はないらしい。
 正直……こんなことテレサに言ったら嘲笑されるどころかぶん殴られそうだが、今の俺にとっては目の前の賞金首とか『ディスコード』とかはどうでもいい。確かに俺が『楽園』にいる理由は東の魔女を倒すため。それ以外に理由が無いことはわかっていて、そのために『ディスコード』が必要だってことも、とりあえず了解している。
 けれど。
 まずはテレサが無事でいることを確認したい。マジで、それだけなんだ。
 ルーザは睨みつける俺の視線をどう受け取ったのか。背筋を伸ばし、俺の前に立ちはだかったまま言う。
「その前に、俺もお前に聞きたいことがいくつかある」
「答えてやる筋合いはねえな」
 明らかな苛立ちを込めて、俺は言ってやる。だが、ルーザは表情一つ動かさずに言葉を続ける。
「お前は……何故、『ディスコード』を扱える」
 だから、答えてやる筋合いもねえって言ってるのにな。それに……あ?
 そういや今こいつ、何て言った?
 何故『ディスコード』を扱える、と聞いてきたということは、だ。もしかしてあのナイフ、誰でも使えるようなものじゃないってことか? 『ディスコード』って言えば何でも切れる機械のナイフってのは聞いてたが、そんなこと鋼鉄狂は一言も言ってなかっただろう。
「起動コードと『ユニゾン』が揃わなければ限定起動も不可能なはずだ」
 起動コード、ってのは多分、『ディスコード』って唱えることだと思うが、『ユニゾン』って何だ。『ディスコード』が不協和音で、『ユニゾン』は確か同じ音で歌ったり演奏するってことだったか? 和音とちょうど逆を意味する言葉だが……多分そんなの関係無しに純粋な固有名詞なんだろう。
 とはいえ、こんなこと言われたって何も知らない俺が理解できるはずもない。俺は『ディスコード』を渡されて、これがあれば東の魔女を倒せるって言われただけなのだから。
「何言ってんだかさっぱりわかんねえな。俺には『ディスコード』が使える、それだけだ」
「解せないな。何も理解せず、『ディスコード』を使えるなど事実上ありえない話だ……それに、『ディスコード』の行方も長年不明だったはず。お前はそれを、何処で手に入れた」
「答える筋合いは無い、って言ってんだろ。何度も言わせんな」
 それに、こいつを持ってきたのはテレサでありこいつを渡したのは鋼鉄狂。俺じゃあきっと、ルーザの望むような答えは返せない。それよりも、何で俺こんなに質問攻めにされてんだ。『ディスコード』ってのは、そんなに摩訶不思議な物体だったのだろうか。
 ルーザが次の言葉を吐き出す前に、俺は先手を打って言葉を放つ。
「なら、手前はどうなんだ。『ディスコード』を奪って、使えんのかよ」
「使える。この通りな」
 ルーザは一度剣の柄から手を放し、代わりに腰に提げていた『ディスコード』を抜く。ルーザの手は俺よりもずっと大きくて、やけに手の中のナイフが小さく見えたけれども。
「 『ディスコード』、起動」
 小さな声でルーザが呟くと、俺が使うときと全く同じ、甲高い音が空間に響き渡る。そして、ルーザが軽く手を振ったことでその音は即座に消えた。確かに、ルーザにも普通に使えるようだが……どうもピンと来ない。誰にでも使えるものじゃない、ってところがどうしても信じがたい。
 だって確か、鋼鉄狂だって同じことはして見せてただろ。
 これで他の誰にも使えない、なんて言われても説得力は皆無だ。それこそ、そこのルクスか誰かにも使わせてみればいいじゃねえか。とはいえ、ルクスが何を考えてるのかわからないから言い出す気にもなれないが。
 ルーザは『ディスコード』を再び鞘に収めると、長い睫毛に縁取られた瞳で俺を真っ直ぐに見据える。無機質な緑色の瞳が、部屋を照らす魔法の明かりに不思議な輝きを宿している。
「なるほど、本当に、何も理解していないという顔だな」
「はっ、悪かったな。俺ぁ何も聞かされてねえもんでな。で、手前は『ディスコード』を持ってどうするつもりだ。東の魔女でも倒しに行くのか?」
 ルーザはそこで、初めてぴくりと表情を動かした。とはいえそれがどんな意味の表情だったのか、俺にはわからない。ただ、次に放たれた声のトーンも少しだけ下がっていた。
「お前は、魔女……サンド・ルナイトを倒しに行くつもりか」
「ま、そのために呼び出されたようなもんだからな」
「 『世界樹の鍵』たるこの剣の意味を理解せずサンドと争うなど、愚かとしか言いようがないな」
 『世界樹の鍵』、って何だ? そういや魔女の名前もはっきり聞いたのは初めてだ。いや、テレサか誰かに説明されてたか? ああもう、こいつ俺の知識量を綺麗に無視して喋りやがるから、いくらそれなりに処理能力の高い俺でも混乱してきたぞ。誰もがお前みたいに天才なわけじゃないんだ、と叫びたくなるのをぐっと堪え。
 話してくれるっつーんなら、話してもらおうじゃねえか。俺だって多分、その辺は知る権利がある。
「何だよ、その『世界樹の鍵』って。それがお前や魔女と何が関係あるってんだ」
「 『ディスコード』は、本来単なる機械仕掛けの剣ではない。対となる『杖』と共に世界樹を支配する鍵であり、また世界の真実を知るための鍵でもある。俺は……世界の真実を広めるために『ディスコード』を欲している」
「世界の真実、なんてまた大きく出たもんだな」
 俺は場違いだとわかっていても、自然と口端を歪めていた。このルーザとかいう奴、冷静なように見えてかなりイカれてるんじゃないか。まあ出会い頭に『ディスコード』を持ってるってだけの理由で俺を殺しかけたんだ、マトモであるはずがないが。
 ルーザは俺のことを蔑むかのような目つきで見下ろして、言う。
「ならば、問おう。お前は、女神の神話を信じているか」
「は?」
「機械で出来た『ディスコード』を手にしながら、なお女神が唱える世界創造神話を信じているか」
 創造神話というのはあれだ。海だけの世界に女神が降り立って世界樹を植え、そこから『楽園』が生まれたという眉に唾つけて余りある神話。
 しかもこの神話は俺が考える限り既に破綻をきたしている……女神が「存在し得ない」と言い張る高度な機械の存在で。それこそ、今はルーザの手の中にある『ディスコード』や俺の体を見れば、神話が決して正しいわけじゃない、ってのは一目瞭然。だからこそ、俺の後ろに立っているルクスみたいな異端審問官『影追い』が神話や女神の意志に反する存在を狩るのだと、そう聞いたではないか。
 俺はルーザから視線を外すのは危険だと思いつつ、つい背後で黙ってルーザの言葉を聞いているルクスを見る。すると、ルクスは今までになく真剣な表情で、ルーザを睨んでいた。俺は慌てて視線をルーザに戻した。
 前には異端研究者。後ろには『影追い』。どう答えていいか一瞬悩んだが、今更何を言ったって変わらないから、素直に答えることにする。
「信じてるか、って言われたらちと怪しいな。実際、こういうものも『存在してる』ってのはわかってるわけだしよ」
 こういうの、ってのは『ディスコード』であり、この部屋の隅に寄せられた機械類のことだ。俺の言葉を聞いて、ルーザは小さく頷く。
「俺は、無知なままでいる世界に、少しでもいいから真実を知らしめたい。そのために必要なのが『ディスコード』なのだ。サンドの目的も手段こそ違うが俺と同じ、女神の名の下に隠された真実を、明らかにすることだ」
「なるほど。何となくわかった……けど」
 ルーザの言っていることは、多分正しい。この世界は、『楽園』って名前で呼ばれてはいるが外から来た俺から見れば何かがおかしい。どこか不自然で、それを無理やり取り繕っている感じがする。
 そして、ルーザは俺と違って『楽園』の人間でありながら、その不自然さに気づいている。鋼鉄狂も同じようなことを言っていたから、きっと異端研究者ってのはそういう連中なのだ。
 綺麗なことを言うのは、誰にだって出来る。そして、そいつを本当に実行しようっていうルーザはただ綺麗なことを言ってる奴ともまた違うのだろう。この世界の常識を知らない俺からすれば、ルーザの主張は正当なものだと思う。
 だけど。
 俺には、この先なんて想像することしか、できないけれど。
 渇く喉に唾を流し込んでから、言う。
「だけどさ。それは、絶対に混乱するはずだ。女神を信じてる連中は、手前の言葉なんて認められねえだろう」
「当然だ。故に、サンドは神聖国と対立し、世界を変えるための争いを起こそうとしている。本当に何も知らないのだな、お前は」
 ああ、ああ。
 俺は、自然と唇を噛んでいた。こんな時だけ、鈍くしか伝わらない痛みが憎い。もっと鋭い痛みでないと、止まりそうになる思考を再び回転させることができない。
 予想通りだ。
 真実を知らしめる、ってのは常識を覆すこと。
 常識を覆す、ってのは今まであったものをぶっ壊すこと。
 俺は歴史の勉強で嫌ってほど学んできたじゃねえか。ぶっ壊そうとした先にある結果はただ一つ……戦争だ。しかもこいつは一番タチの悪い、価値観同士をぶつかり合わせる、終わりの見えない戦争。
 根本的に勘違いしていた。俺の敵は意味もなく「悪」である魔女で、俺はそれを倒す勇者様。そんな二元論的な構図ありえないって頭の片隅ではわかっていたつもりなのに、いつの間にかすっかりそいつを忘れてて。
 何故魔女を倒さなきゃならないのか、なんて考えていなかった。
 魔女は、俺が思っていたような完全悪じゃない。ただ、どうしようもなく「敵」なのだ。俺に『ディスコード』を手渡した鋼鉄狂やテレサにとって。そして、他でもない俺をここに呼び寄せた、ヒナにとって。
 ヒナは、桃色のワンピースを淡い光の中に溶かしながら何も言わず俺を見下ろしている。とても不安げな表情に見えるが、もしかすると、俺がルーザに丸め込まれるとでも思っているのかもしれない。
 でも、そいつは見当違いだ。俺が考えていることは、きっとヒナの想像とは斜め七十五度くらい違う。
「ルーザ」
「何だ」
「お前は、そんな魔女のやり方が正しいと思ってんだな」
 自然と、声が低くなる。ルーザは少しだけ目を見開いて、俺を見た。初めに宿っていた冷たい色が、微かに和らいだ気がして何となく不思議な気分になる。いや、ルーザの態度が温かくなったわけではなく、俺の方が温度を下げたのかもしれない。
 ルーザは目を伏せ、少しだけ躊躇ってから答えた。
「俺は、サンドの考えには賛同するが、必ずしもやり方が正しいとは思わない。彼女のやり方があまりに性急なことは理解しているつもりだ」
「だけど、お前だって思ってんだろ、真実を知らしめるためには」
 言いたくない。でも、俺が言わなきゃならない。何故かそんな気がして、俺は喉に引っかかっていた言葉を、吐き出す。
「争いだって、辞さねえってさ」
 ルーザは無表情のままではあったが、今までになくはっきりとした声で、言い切った。
「当然。真実を理解させることに、痛みは付き物だ」
 オーケイ、了解だ。
 俺は顔の筋肉を緩める。何でそうしてしまったのかは自分でもよくわからないけれど、ルーザはもっと俺がこんな顔をした理由が理解できなかったのだろう、無表情を崩してかなり不思議な顔をした。俺、今すげえ変な顔してるんだろうな。
 どうしてこんな風に思うのか、本当に理解できない。いつもの俺なら、「ああそうですか」で済ましちまう、遠い世界の話だ。だってそうだろ。普段の、何処までも傍観者の俺にはどうにもできないのだ、女神が正しかろうとルーザが正しかろうと、手出しできるような話ではない。
 けれど、考えずにはいられない。
 どうして俺はここにいるのか。どうして、俺の手に『ディスコード』を握らせたのか。
 俺がここにいる理由は、多分。
「笑えよ、ルーザ」
 言いながら、頼りないナイフの柄に手をかけて。
 これはきっと、想定されている役目とは全然違うんだろうな。本来俺に直接与えられた役目は魔女を倒すこと、それだけ。ルーザは東の魔女と同じように、邪魔で倒すべき存在なのだろうが、それは「邪魔だから」って理由だけでいい。
 が、俺はどうしても「許せなかった」。
「俺は、その『痛み』が許せねえって思うんだ」
 俺は勇者様なんだろ? なら、願ったっていいじゃねえか。
 
 誰も、苦しまないように、ってさ。
 
 ルーザは案の定、俺の言葉に今度は憐れむような視線を送ってきた。ただ、笑いはしなかった。笑い飛ばしてくれた方がまだ楽だったかな、なんて思うけれど。
「馬鹿なことを言うな。痛みは避けられないところにまで来ていると何故気づかない」
「初めから諦めてんじゃねえよ。そりゃあ無茶言ってるとは思うけど、よ」
 『ディスコード』の意味とか世界の真実とか、色々聞かされたけど結局のところ俺がルーザに切っ先を向ける理由は何処までも単純。
 ルーザの行く先に待つ、痛みを止めるために。
 実際にはそんな上手く行かないって気づいていても、苦しむ奴は少ない方がいいに決まってる。俺は、そうやって苦しむ奴を減らすためにここに立つ。
 思い上がりはなはだしいって?
 でも、俺は。
 そういう「勇者」でありたい。
 だって俺はそのために呼び出されたんだろ。
 そうだろ、ヒナ。
 ルーザがゆっくりと『ディスコード』ではない長剣を抜く。それを合図にしたのか、ルクスが俺の横に並んで軽く俺の肩を叩く。目を上げると、ルクスの視線は俺ではなくやはりルーザに向けられていた。
「ルーザ、ご高説ありがとな。でもこちらもお前さんの主張を許すわけにゃいかないんだよ」
「ああ。『影追い』に何を言っても無駄だろうからな」
「あちゃー、気づいてたの。なら話は早いけど」
 ルクスもまた、背負っていた剣を軽々と構える。そうだよな、女神のために動く『影追い』ルクスと異端研究者ルーザの間には言葉など無意味。
 まさにこれが『楽園』の縮図、ルーザが挑もうとしているもの。
 俺にはわからない、わからないけれど。
 迷いを振り切って、ナイフを抜き放つ。
「ルーザさん……っ!」
「ヴァレリア、下がっていろ」
 後ろの方で聞こえた、叱責するようなヴァレリアの声を、氷のような響きで封じ。
 ルーザは俺たちの前で剣を顔の前で構える。
 まるでそれは、祈りを捧げているようにも、見えた。
「始めよう、『影追い』……そして名も知らぬ『ディスコード』の使い手。真実を追究せしウェイヴの名において、立ちはだかる者は全て、討つ!」