ヴァレリアによれば。
ルーザ・ウェイヴは、ワイズの北に広がる森、その奥に存在する遺跡を拠点に活動しているらしい。ワイズ北門を出て、あまりきちんと舗装されていない道を歩きながらヴァレリアが解説してくれる。
「遺跡自体は、暗黒時代の枯れた遺跡なので学者さんや墓暴きさんも訪れることはありませんね」
暗黒時代については、俺もテレサか鋼鉄狂辺りに聞いた記憶がある。この世界は女神ユーリスが降り立った時から始まったとされているが、ユーリスが降り立った直後から数百年は小国が乱立する剣と魔法の戦乱の時代、『暗黒時代』なのだという。
俺のいた世界で言う、戦国時代みたいなもんだ。違うのは、その名の通り記録がほとんど残っていないということ。遺跡はいくつか見られるようだが、そこにも文献記録があまり残っていないせいで、その頃の世界情勢を知る者はいない。だが……いや、それ故にというべきか、研究者は多いようで、このような遺跡は発見されればすぐに研究の為に踏み込まれ、いろいろなものが持ち出される。そして金になるものを求めて『墓暴き』も群がるわけで。
そうして、あらかた価値のある物を持ち去られてしまったのが、枯れた遺跡というわけだ。
「ルーザさんは、そこでワイズ周辺から集めた機械の研究をしているのです」
「ほほう、それは興味深いなあ。その辺、お兄さんに詳しく教えてもらっていいかな?」
ヴァレリアの言葉に、ルクスが食いつく。ああそうだった、そういやこいつはあくまでルーザみたいな異端研究者を追う『影追い』なのだ。あまりにルクスに緊張感が見出せないので忘れがちだが、決して油断するわけにはいかない相手だ。
俺は慌ててヴァレリアに目配せするが、ヴァレリアはルクスが俺の仲間だと疑っていないようで、のほほんとした態度を崩そうとしない。ただ、ルクスの質問には少しだけ困った顔をして言う。
「私はルーザさんの研究についてはよくわからないのです。ごめんなさい」
「いやいや、それなら構わないんだけどな」
ルクスはにっこりと笑ってみせる。だが、俺にはその笑顔が怪しいものにしか見えない。企んでいる、と言い切ることは出来ないが何かしらを裏に隠しているような……そういう風に思ってしまうのは俺が疑り深いからか?
だが、魔女を倒しに行かなきゃならん俺にとって、俺や『ディスコード』をありえないものとして排除する『影追い』は決して味方ではありえない。鋼鉄狂はのんびりしたものだったが、警戒をしてしすぎることはない、はずだ。
「そういえば、一つ、気になっていたんだがな」
俺の心を読んだのか、ルクスの視線がこちらに向けられる。俺はどきりとしながらも、つとめて平静を装ってルクスを睨む。
「何だよ」
「少年とお嬢ちゃんはどうしてワイズにいた? その格好を見る限り、旅人のようだけど、これから先どうするつもりなんだ?」
聞くんだったら先にアンタの目的を聞かせろよ、と言いたいところだったがそれは飲み込む。何しろ、ルクスは実際にどうだかは置いておいて、表面的には『首狩り』としてルーザを追ってワイズに来たはずなのだから。そして、『影追い』としても多分同じような理由だろう。故に、その質問はあまりに馬鹿馬鹿しい。
「それを聞いてどうすんだよ」
「別に、個人的な興味ってとこさ」
どうだか。
とはいえ、だんまりでも不自然で、嘘をついても後でバレた時によくないか。それ以前に、俺はあまり、嘘をつくのは好きじゃない。
「ユーリスに渡るつもりだったんだよ。だけど、港があれだろ。だから足止め食ってんだよ」
「ご、ごめんなさい」
「アンタのせいじゃないんだから、いちいち謝んなって」
ルーザのせいで船が出せないことを知っているヴァレリアは頭を下げるけれど、別に俺はヴァレリアが悪いなんて一つも思ってない。だからこそ余計にイライラするんだよ。本当、ルーザは一発殴らないと気が済まないな、ヴァレリアにばっか頭下げさせてんじゃねえって。
あれ、当初の目的とずれてる?
大丈夫、忘れちゃいない。俺は、テレサを捜してるのだ。だが、そのついでにルーザを一発殴るくらい構わないだろう。きっと、ルクスを連れている限り、穏便には済まなさそうだし。
「ユーリスに行きたいのか?」
話が逸れていた。俺はルクスに向き直って、「ああ」と肯定する。すると、ルクスはばんばんと俺の背を叩いて言った。
「それならこのお兄さんにお任せだ!」
「は?」
「お兄さんは、ちょーっとだけユーリスの偉い人と縁があるからな。向こうに渡る許可くらいなら貰えるぞ?」
「え、あ、マジで?」
俺は思わず聞き返してしまったが、待て。落ち着け俺。ちょーっと真面目に考えようか。
確かにユーリスに渡れるっていうのは願ったり叶ったりだ。多分ここでルーザに会えたとして、例えばヴァレリアの前じゃあまり考えたくないが、ルーザがルクスに捕まったとしても、即座に港の警戒が解除されるわけじゃないはずだ。それならば、ルクスに頼んでさっさと渡れるようにしてくれたほうがいい。
だが、これって絶対に、裏があるよな?
『首狩り』にして『影追い』、そして俺が歩く禁忌だって知ってるこいつがそんな提案をするなんて、明らかに怪しすぎる!
きっと俺の目つきは相当なジト目になっていたのだろう。ルクスは「ははは」と愉快そうに笑いながら、俺の肩を強く叩く。あまりの強さにつんのめりそうになるが、何とか踏ん張って耐える。
「ま、詳しい話は嬢ちゃんと合流してから、だな」
「それもそうだな」
確かに、間違いない。俺だけで考えていてもこの問題はどうしようもない。テレサならば、何かしらいい答えを授けてくれるだろうと、思うのだが。結局テレサ頼りの自分にかなり自己嫌悪。
仕方ないとも思うのだ。俺は、きっとこの事態を正確な意味で実感できていない。偶然や不運が重なって、一部は俺の失態があるといえ、『影追い』と異端研究者の連れと一緒に歩いているこの状況。まともじゃねえ。
ただ、俺にわかるのは「まともじゃない」ことまで。この状況がどのくらい危険であり、どう行動するのが一番正しいのか……それが、どうしてもわからない。
それはきっと「俺」が「俺」であるから。
元より外から来た俺にはこの『楽園』の価値観がまだ理解できていないのだ、この状況の正確な意味だってわかるはずもない。テレサには「緊張感が足りない」とか嘲笑交じりに言われそうだが、わからないものはわからないんだから仕方ない。
が、仕方ないからって考えることをやめたらそれは即ゲームオーバーというわけで。
何だかんだで割に合わない勇者業だよなあとか思いながら、俺はルクスから目を逸らし、目的地である森を見やる。
緑色が鮮やかな森……そういえば昔は夏休みには家族で福島の方にキャンプに出かけたっけな、なんてことを思い出して、即座にその思考を頭の隅に追いやる。過去を振り返るなんて年寄りのやることだ、ってのは冗談としても。
あまり、俺の世界のことは、思い出したくない。
ヴァレリアは「こちらです」と言いながら道を外れ、茂みをかき分けて森の中に足を踏み入れる。俺とルクスも無言でそれに続く。
木々の香り、鳥の鳴き声、虫のざわめき、獣の気配。
体を包む全てのものが鋭く感じられる。多分、俺の世界で実際に俺がこういう場所に放り出されたとしても、こんな風に感じ取ることは出来ない。痛みの感覚は普通の人間より少し鈍いが、それ以外の感覚は結構高く設定されているのかもしれない。
先行するヴァレリアは、森の奥へと真っ直ぐ伸びる、草が踏み固められて出来た道の前で立ち止まり、何か歌のようなものを小さく口ずさみはじめた。実はずっと俺の横に浮かんでいたヒナが、小さな声で「呪文ですね」と言った。
呪文?
そう思った瞬間に、長い黒髪を小さく渦巻く風に靡かせ、ヴァレリアが少しだけ声を大きくして言った。
「 『迷宮』の名は偽り、元の名を取り戻せ」
その瞬間、俺は見た。俺の目の前の空間が微かに歪んだのを……だが、それ以外に特に変化は見られない。道はやっぱり俺の視線の先に変わらず伸びているように見える。ただ、後ろのルクスは驚きの声を上げた。
「こんなところに道を隠してたのか……わからないわけだ」
「あん? 元からあったじゃねえかよ、道」
俺の言葉には、振り返ったヴァレリアが目を丸くした。あれ、俺何か変なこと言ったか。
もしかして、とは思うが。今までここに、「道などなかった」のか?
「見えていたのですか? 『迷宮』の魔法で見えないようにしていたのですが」
やはりか。俺は意識せず頭を抱えていた。
ヒナも言っていたが、俺の「目」はどうやら相当特殊な仕様らしい。この世界でも、だ。いやまあ視覚で魔法に騙されないだけ便利は便利なのかもしれないが……特殊だってのは、それだけでやっぱりいい気分じゃない。
「ルーザさんは高位魔道士でも見破るのが難しいと言っていたのですが……」
「その話はいいだろ、さっさと行こうぜ!」
怪しまれるのも覚悟で、俺はその話をぶち切った。そうじゃないとやってられない。ルクスはともかくヴァレリアはそんなに怪しまないでくれたのだろう、「はい」と言って先に立って歩き出した。
森の中を歩いている時間は、そんなに長くなかった。実際、森自体そんなに深い森ではないのだ。当然と言えば当然だ。ただし、あの道に気づかなければ、ぐるぐる森の中を回されるハメになるらしい。『迷宮』とはそういう魔法なのだとヒナが説明してくれた。ファンタジー世界のロールプレイングゲームにありがちな、『迷いの森』ってやつだな。
ヴァレリアが「あれです」と指差した先には、蔦で覆われた石造りの門のようなものがあった。もうほとんど崩れかけているが、あれがルーザの潜んでいる遺跡なのだろう。
そして、テレサもここに、いるのだろうか。
最悪の事態を想像して、自然と背筋に冷たいものが流れる。
テレサは、『ディスコード』を持つルーザを追いかけた。
『ディスコード』を取り戻すため、に。
果たして、『ディスコード』を求め俺を殺そうとしたルーザが、あえてテレサを生かしておくと思うか?
考えれば考えるほど鬱になっていく思考を無理やり遮断して、前を見据える。ルクスが横でほう、と感嘆にも似た息を吐く。
「確かに、暗黒時代末期の遺跡だな。綺麗に残ってる方だ」
「わかるのか?」
俺が見上げると、ルクスはちょっとだけ曖昧に、笑った。
「まあ、少し詳しい程度だけどな。さてと、ここから先に案内してもらえるのかな?」
「あ、はい。でも、もしかするとルーザさんが侵入者用の罠を仕掛けてるかもしれません」
「はぁ? アンタがここに帰ってきてないのにか?」
俺のもっともな問いに、ヴァレリアは困った顔をしながらこっくりと頷いた。
「多分、ルーザさんが私を置いて帰ったということは、ルーザさんとしても一人になりたかったのだと思いますし……いつもなら、自分の研究が終わったり、追っ手を振り切ったら私がどこにいても迎えに来てくれるので、そこまでは心配していないのです」
うーん、何か妙な信頼関係。っつかそれって信頼って言っていいのか?
「今回は、珍しく急にいなくなってしまったのでとても不安だったのですが……」
まあそれはわかる。しかしその間にルーザが捕まったとか殺されたとか、そういう可能性は考えないのだろうか。考えなさそうだなあ、このお嬢様、ボケっぽいし。否、ボケだし。エルフだからきっと俺よりずっと年上なんだろうが、浮世離れっぷりは別世界から来た俺以上じゃなかろうか。
ともあれ。罠が仕掛けられていようがいまいが、この中には入らなきゃならんわけで。
俺は諦めたように小さく息をつくと、入口に慎重に近づく。こういうダンジョンものって、まず身軽な奴が先頭で罠チェックというのがセオリーだろう。技能としては盗賊とかそんな感じ。ってこれはゲームじゃないのだから、そんな技能なんてあるはずも無いのだが。
ただ、俺、というよりこの体の感覚が人より多少鋭いのは確からしい。よくよく見ると、足元に糸のようなものが張ってあるのが見える。魔法ではなく普通の、細くてつやのない糸。なんとも初歩的なトラップだな、と思う。
ひとまずヴァレリアとルクスに罠の位置を示してから、俺は軽い足取りで糸を飛び越えて……何かに、足を、引っ掛けた。
直後、がらんがらんという、明らかに侵入者を報せる鳴子が遺跡の奥の方まで響く音で鳴り響きましたわけで。
待てこらルーザ・ウェイヴ。
手前、本当に抜け目ねえな俺でも同じ立場だったら間違いなく同じように仕掛けるけどきっと! 引っかかった俺が言うことじゃねえけどな!
いやうん、確かにあまりに初歩的だと思ったんだよ、そしてやっぱり俺が引っかかったのも結局のところ初歩的な罠だったよ。
そう、糸を踏み越えたところの暗がり、明らかに足を落とすだろう位置に、もう一本鳴子に繋がった糸を仕掛けてあったわけだ。ああ、そりゃあもう気づかなかった俺が馬鹿だとも!
そんな軽ーい自己嫌悪に陥っている俺の背中を、ルクスの手が支える。
「落ち込んでる場合じゃないだろ、少年」
言われて、俺も視線を上げ、一歩下がる。
そうだな、落ち込んでる場合じゃない。ぐだぐだ底辺彷徨ってるのは向こうでだけで十分だ。意識を切り替えろ、ナイフを抜いて、視界を『予測』に切り替えろ。
遺跡の奥からぬっと現れたのは、人よりも頭二つくらい大きな、全体的に丸い造形の古い人形だった。温度の感じられない、目を思わせる二つの光が俺のほうを向いている。これ、ファンタジーにはつきもののゴーレムってやつか。
材料は石だろうか。それにしては少し柔らかそうだが……どうにせよ、『ディスコード』でないただのナイフで太刀打ちできる相手じゃねえな。
「以前からこの遺跡にあったゴーレムです。これを起動させるということは、ルーザさん、本気で研究の邪魔されたくないようですね……」
「のんびりしてる場合か! どうすりゃ倒せんだ?」
「え、えと、魔法を使うのでその時間を稼いでもらっていいですか?」
ヴァレリアのおっとりとした声を聞く限り、信じていいのか怪しいところだが。俺じゃ倒せないってことはヴァレリアの魔法に期待するしかない。ルクスに視線を走らせると、ルクスは既に背負った大剣を抜いていた。何だかんだで、きちんと加勢はしてくれるつもりらしい。
本当、こいつ何企んでるんだろ……さっきの提案といい、さっぱり理解できない。
俺は思いながらも、ナイフを構える。次の瞬間、ゴーレムの妙にデフォルメされた巨大な腕が俺の目の前に振り下ろされていた。地面を揺らすような、強烈な一撃だ。下手に掠めるだけでも、俺の体は吹っ飛ばされるに違いない。
だが、この攻撃、十分予測可能範囲。
ルーザみたいに予測を崩される相手ではないのだから、あとは視界に描かれた軌道を見誤らないように避けるだけ。それに、何だろう。ルーザと戦って負けてから、少しだけ動きやすくなったような気がする。
「レベルが上がる」、って実際にはこんな感じなのかもしれない。
元からこの作り物の体は戦闘に適応してほぼ自動的に動いているけれど、それにやっとこさ俺の思考も追いついてきている、というか。接近している俺とルクスを一気に薙ぎ払おうとした腕を軽いバックステップでかわしながら、思う。
ルクスは試しに腕の一撃をいなしながらゴーレムに切りかかってみるも、確かに腕の表面に傷をつけることはできるが、その腕を切り落とすまでには至らない。ルクスはひゅう、と口笛を吹いてあからさまに苦笑を浮かべる。
これは、やはりヴァレリアの魔法を待つしかないということだ。
耳を澄ませば、後ろでヴァレリアがやはり歌うように呪文を口ずさんでいる。テレサの呪文の唱え方とは少し違うのだな、と思い……一瞬、テレサの後姿が目の前にちらつく。帽子から覗く青みがかった銀色の髪が、風に、揺れる。
待ってろ。
東の魔女を倒すまで、一緒についてくるつもりなんだろ。
こんな所でくたばってるなんて、思ってやらねえからな!
「下がってください!」
ヴァレリアの合図。俺とルクスは同時に地を蹴って下がる。ゴーレムがそれを追ってゆっくりと歩を進めようとした、その時。
「汝、『傀儡』の名は偽りなり!」
ヴァレリアの杖から放たれたのだろう、一条の光がゴーレムを貫いた。ゴーレムの顔に灯っていた光が消えて、がくりと膝を折り。ぴくりとも、動かなくなった。
それぞれの武器を収める俺とルクスに、ヴァレリアは「急ぎましょう」と言う。
「ゴーレムは一時的にしか止められないのです。完全に止めるには、ルーザさんに合言葉を言ってもらわなきゃならないので……」
「こんなとこでぐずぐずしてるつもりはねえよ。他に、ルーザがよく仕掛ける罠とかあんのか?」
まず先に、これ聞いておくべきだったよな。馬鹿だ。ヴァレリアはちょっとだけ考えてから答えた。
「一度侵入してしまえば、内部はルーザさんもよく歩くので、そこまで厄介な罠はないと思いますよ」
なるほど。とはいえ気を張りつつ、一歩歩き出す。先ほどのようなブービートラップに引っかかったら今度こそ、泣きたくなるから。俺の前に、ヴァレリアが魔法の光を灯し、充満した闇を払ってくれた。
この闇の奥の奥を目指して。
俺たちはゆっくりと、足を進める。
反転楽園紀行