反転楽園紀行

017:天然エルフの困惑

 ルクスの言ってた情報屋は、それなりの金と引き換えに、ではあったがきっちり俺の求める情報を渡してくれた。
 どうやら、情報を総合するにルーザは既にワイズの町にはいない可能性が高いという。ただ、このワイズのある島から出てもいないはずだ、という。すると、何処かしらに隠れていると考えるのが普通だろう。
 そして、ダメ元でテレサについても聞いてみると、意外なことに目撃情報があった。
 俺がルーザにばっさりやられた時刻から少しだけ過ぎた頃、毛糸の帽子をかぶった背の高い女がワイズの北の門から出て行った、ということらしい。テレサの素敵な外見がこんな時に役に立とうとは思いもしなかった。
 ……例えば、だ。もし、俺が行方不明になったとしても、周囲を見る限り俺みたいな外見の人間は何処にでも転がっているように見える。そう、外見だけならばテレサより俺の方がずっとありふれた外見だ。当然、鋼鉄狂がそう言う風に作ったんだろうけど。
 ともあれ、それだけのことはわかった。
 それだけのことしかわからなかった、とも言う。
 テレサが北の門から出て行ったということは、ルーザが北に逃げてそれを追いかけたということだろう。しかし地図などと照らし合わせてみる限り、北にあるのは深い森だけ。森の中をしらみつぶしに探すという選択肢もないわけではないが、俺なんかが探しても徒労に終わる気がする。
 何せ、相手は『影追い』からも逃げおおせる賞金首様なのだから。
「……って、ことらしいけど?」
 俺は道を歩きながら横に並ぶ自称『首狩り』兼本業『影追い』の銀髪兄さんを見上げる。ルクスは大げさにざーとらしい溜息をついて肩を竦める。
「いやあ、困ったなあ……このままじゃお兄さんも食いっぱぐれちゃうよ」
「そして何食わぬ顔で俺にたかるんだろ。そうだろ、絶対そうなんだろ!」
「はっはっは、少年は随分疑り深いなあ」
「人のこと脅迫した奴が何を言う! 疑ってかかって当然だ!」
 一応この人俺なんかよりずっと年上だろう。傍目で見る限り二十代後半。こっちの世界の人間の寿命も俺の世界とそう変わらないはずだから、とんでもない若作りか老け顔でない限りは目測で計ってもそこまで大きく外れはしないはずだ。
 そんないい大人が十七歳に飯をたかるとか、あまりに切ない。
 ちなみに俺の外見年齢も実年齢とそんなに離れていないから、周囲からもすっごい目で見られることは十分予想できる範囲のことである。
 俺は何処から何処までが真意だかわかったものじゃないルクスのものとは対照的に、心の底から出た長い長い溜息を吐き出しつつ、足早に広い通りを歩いていく。ルクスは少しだけ遅れて俺の後についてきながら、不思議そうな声で言う。
「それで、少年は何処に行くんだい。そっちは時計塔広場だろ?」
「時計塔広場に行くんだ」
「それはまた何故」
 正直に言えば、質問に答えてやる義理はなかった。
 むしろ、言われたとおり情報屋に行って「ルーザは北に行った」って情報を得たのだ、ここでルクスから逃げ出したってバチは当たらないだろう。ただ、ちらりと後ろを見ればルクスは深い赤い色の瞳を細め、俺をじっと見ている。
 多分……逃げられない。
 最低でも、ルーザの居場所を完全に掴むまでは、下手なことはできない。臆病というなかれ、俺の命は既にこいつに握られているようなものなのだ。
 だから俺は、一瞬だけ躊躇ったが素直に吐くことにした。
「広場に、ルーザの連れがいるかもしれねえんだ。そいつなら、ルーザの隠れてる場所くらいはわかるかもしれない」
「ほう。それは心強いなあ」
 からからと笑うルクスだが、正直そこにヴァレリアがいるという保障はない。いなければそこで手がかりゼロ、いたとしても素直に吐いてくれなければこう、俺としても相当不本意な行動にでなきゃならなくなるわけで。
 それは、ものすごく落ち込む展開だ。
 そもそもこんな風に推定敵……かどうかはわからんが最低でも味方ではあるまじき『影追い』の兄さんを連れて歩くこの事態になったのは直接的にはルーザのせいであり、しかしもとを糺せば実力を弁えず突っ込んだ俺のせいということになる。
 ううん、やっぱりどう足掻いても落ち込む展開以外の何物でもねえ。
 考えれば考えるほどこう思考がダークな方向に向かうため、とりあえず何も考えないことにして時計塔広場に向かう。
 時計塔広場は、ワイズの学院のすぐ側にあることもあり、黒いローブを着込んだ学者風の連中から、明らかな観光客まで様々なナリをした連中でひしめいていた。この中にヴァレリアがいるのだろうか。
 あたりを見渡してみるが、黒髪のエルフの姿は見当たらない。というか、見ていて思ったのだが、実は黒髪のエルフって結構珍しいのかもしれない。
 あちこちに耳の長い奴は見えるけれども、連中、髪の色って大体微かに緑色の混ざった金髪だったり、オリーブ色だったりで黒髪はほとんどいないのだ。別にそれがわかったからといって何でもないのだが。
 とにかく、適当にその辺をうろついていた奴を捕まえて聞いてみることにする。ダメで元々、当たって砕けろという感覚だったのだが。
 結果だけ言おう。
 ヴァレリアの居場所はあっさりわかった。
 ただ、その話を聞いて、俺とルクスは顔を見合わせるハメになったのだ。
「……聞いたか」
「あちゃー、そりゃあまずいねぇ。で、少年、どうするんだい?」
「行くに決まってんだろ。当然のこと聞くんじゃねえよ」
 俺はマントを翻し、からかいにも似たルクスの視線を避け、歩き出す。後ろに気配がまだあるということは、ルクスは結局俺についてくるらしい。物好きな奴。
 頭上に浮かんでいるヒナが少しだけ前の方に浮かんで俺の目的の場所、広場から少しだけ離れた細い路地を指差して言った。
「あの、アレですか?」
 俺はヒナが指差した路地に一歩足を踏み入れると、言葉にはしないでヒナに肯定の視線だけ送る。
 確かに言われたとおりヴァレリアはそこにいた。いたんだが。
 明らかにガラの悪い野郎どもに囲まれてるんだが! 何だこの典型的すぎる状況! しかも当のヴァレリアは目を真ん丸くして表情で野郎どもを見つめてから、ほわんとした笑顔まで浮かべてやがるわけでして。
「えっと……私に何の御用でしょう?」
 ヴァレリアののほほんとした物言いに、野郎どもも一瞬呆気に取られたのかもしれない、ちょっとだけ言葉を飲み込んだ。明らかに、ヴァレリアは状況を正確に理解していない。
 天然、ここに極まれり。
 それでも、我に返った野郎どもは全員ほぼ同時に嫌な響きの笑い声を上げて、ガタイのいいハゲ頭……これがまた絵に描いたようなゴロツキだった……が壁を背にしたヴァレリアの横に、刺青の入った丸太のような腕を突き立てる。
「なぁに言ってんだ、自分から誘ってるような顔して……なぁ?」
「えっと、初めましての方をお誘いした記憶は無いのですが……」
 ずれてる。ずれてるから。
 俺は内心で早口にツッコミをいれながら、野郎どもを見渡す。野郎どもは、下卑た笑顔でお互いに目配せして……やっとのことで、すぐ後ろにいた俺の存在に気づいたようだった。
 何も俺はずっと、遠目に観察していたわけじゃない。このやり取りを聞いている間、音を立てないようにしながら接近していたのだ。ヴァレリアもそこでやっと俺に気づいたのだろう、「あ」と小さく声を上げた。
「何だ、ガキぃ」
 細身で目まで細い、トサカみたいに派手な色の髪の毛を立てた奴が俺を睨む。もし俺がいる世界でこんな場面に出くわしたら、きっと近づきもせず全力でその場を逃げていただろうが、ここは『楽園』。
 ――俺のやりたいようにやって、何が悪い?
「俺たちのお零れにでも預かりに来たのか?」
 ヴァレリアの目の前に立っていたガタイのいいハゲ頭が、ヴァレリアの腕を取って低い声で笑う。どうやらこいつがリーダー格なんだろう、その声に合わせるようにして細身のトサカ頭とチビの野郎が濁った色の視線で俺を見て笑う。
 うん、もういいよな。
 思った瞬間、俺は無造作に一歩踏み込んで、トサカ頭の股間を全力で蹴り上げていた。
 悲鳴も上げられずに悶絶するトサカ頭。そりゃ痛いだろうよ、俺だってやられたら絶対に死にたくなる。いくらここが『楽園』で俺の身体が俺のものじゃなかろうと、いつもの俺ならその痛みを想像してちょっとは躊躇うところだ。
 だが、俺様は今。
 猛烈に、機嫌が、悪いんだ。
 自分で自分の顔を見られない以上、今の俺がどんな表情をしてるかなんてわからんが。
 多分……ものすごい形相で、笑ってるんじゃなかろうか。
 一瞬、呆けていた野郎二人は、やっと俺が何をしたのか気づいたらしい。ぎり、と歯を鳴らして懐に忍ばせていたナイフを構える。ヴァレリアはヴァレリアで、何が起こったのか未だに理解できずきょろきょろしている。
 俺はこんな奴ら相手にナイフを抜く気にもなれず、徒手のまま肩を竦める。
「はっ、俺はなあ、手前らみたいなゲスに用はねえんだよ」
「手前ら、何者だっ!」
「ああん?」
 搾り出されるように吐き出されたリーダー格のハゲの言葉に、俺はちょっぴり答えに悩む。
 ここで勇者なんて言っても絶対にバカにされるだけだしなあ。というか俺自身は勇者であるつもりも無い。だから、ちょっとだけ背後のルクスに目配せして、頭の中に浮かんだ言葉をそのまんま口に出す。
「善良な一般市民、Aだ!」
「そして俺が善良な一般市民B!」
 乗ってくれてありがとう、ルクス。初めてお前がいてくれてよかったと思う。だがそれはそれでどうなんだと思わなくもない。そしてどう転んでも善良な一般市民とは程遠い、なんてツッコミは野暮だ。
 当然、こんな答えで目の前の野郎どもが納得してくれるはずはなく。
「ふざけやがってぇ!」
 というありきたりな言葉を吐きながら、襲い掛かってきてくれたわけでして。
 かくして、一方的な「殲滅」が始まったわけである。当然、いくら機嫌が悪いといえ、俺だって鬼じゃない。相手を殺す気なんてさらさらありゃしないから「殲滅」という言葉は間違いかもしれないが。
 それでも、俺とルクスの実力は、この連中をはるかに上回っていた。そりゃもう笑えるくらい。
 気づけば、俺はハゲ頭のナイフをあっさり避けて、鳩尾に拳をめり込ませているところだったわけで。口の端から泡を吹いて、ハゲ頭の巨体が倒れる。手をぱんぱんとはたいて、ちょっとだけ気分がすっきりする。
 暴力をストレス解消にするのは、ある意味では間違っていないのかもしれない。下らないことを考えながら、俺はきょとんとしているヴァレリアをよそに、何とか正常な意識を取り戻したらしいトサカ頭に目を向けて……とびっきり邪悪な笑みを浮かべてやった。
「おい、そこのトサカ」
「ひ、ひぃっ」
 息を飲んで、へたり込んだポーズのままずるずると後ろに下がるのを、俺はやっぱり笑顔で見下してやる。ちなみにチビの男の方は既にルクスが落としている。目が覚めたのはこいつ一人、という現状だ。
 そりゃまあ怖くないはずはないよな。
「お、俺を、どうする気だっ」
「なぁに、何てことはねえよ……ただ」
 
 落ち着いて考えてみると、やりすぎた、と思わなくもない。
 が、後悔も反省もしないことにする。
 
「少年、これじゃこっちの方が悪者じゃないか」
 後ろから聞こえてきた、本気でそう思っているとは到底思えないルクスの声に、俺は振り向かずに答えてやる。手に、金の入った袋の重さを感じながら。
「いいんだよ、たまにはああいう連中も搾取される側、ってのを味わうべきなんだ」
 もちろん、この金は先ほどの三人組から搾り取ったものでございます。
 何せ、俺は正義の味方じゃない。勇者とか呼ばれてるがそれはヒナあたりからだけで、行き交う連中は俺のことをただの旅人程度にしか思わないだろうし、俺の意識としてもそう。旅人には路銀が必要だ。それだけの話。
「あのぅ……実はよくわかっていないのですが、助けていただいた、んですよね」
 おずおずと、俺の横で歩いていたヴァレリアが杖を抱えながら言う。俺はただ「まあな」と答えるしかなかった。戻ってきた時計塔広場はやはり騒がしかったから、俺の声がヴァレリアに届いていたかどうかはわからなかったけれど。
「すみません、ご迷惑おかけしました」
「構わねえよ。どうせ俺も、アンタに用があったんだ」
「私に?」
 そう、ごろつき相手にストレス発散して路銀を稼いでいる場合じゃないのだ、本当は。そもそも俺にストレスを抱えさせた原因を思い出し、やっぱり鬱な気分になりながらも極力表に出さないように腹に力を込めて。
「アンタ、ルーザ・ウェイヴの連れなんだってな」
 びくり、とヴァレリアの体が震える。図星を突かれたからか、と思いきや。ヴァレリアは今までののほほんとした態度を覆し、予想外の俊敏さでぱっと俺にすがりついて、高い声で言ってきた。
「ルーザさんに何かあったのですか?」
 その豹変にちょっぴり驚きながらも、俺ははっきりと言ってやる。
「何かあったっつーより、俺の方が何かされたんだよ。しかも俺の連れがルーザを追いかけてどっか行っちまったんだ。俺は、アンタがルーザの居場所について何か知らないか聞きに来たんだよ」
 ヴァレリアの表情がみるみる蒼白になっていく。まずいことを聞いちまったのかとも思ったが、こっちも背に腹は変えられない。心を鬼にして、これ以上答えないようなら……とか何とか考え始めた、その時。
 ヴァレリアは、しゅんとしながらも、金色の目で俺を真っ直ぐに見つめて言った。
「ごめんなさい。ルーザさんには、人に迷惑かけないでってあれだけ言ったのですが」
 迷惑とか何とか以前に、殺されかけましたが何か。俺が死なない体じゃなければとっくに死んでいる。ただ、それを落ち込んでいるヴァレリアに言う気にもならない。それ以前に、悪いのはルーザであってヴァレリアじゃない。
 しばらく、嫌な沈黙が流れたが、その沈黙を破ったのはヴァレリアだった。意を決したように言う。
「……多分。ルーザさんは、北の遺跡にいると思います」
「遺跡?」
「はい。ルーザさんが隠れ家にしている場所です」
 そして、ヴァレリアは心底申し訳無さそうな表情を浮かべながら、俺とルクスに対して言った。
 自分なら、その隠れ家まで案内することができる……と。