反転楽園紀行

015:コンティニュー

 ヒナに導かれ、現実と『楽園』の狭間をゆらゆらたゆたう心は、思う。
 
 こいつは俺にとってはゲームの一種。
 ゲームならば、リセットは出来なくとも、コンティニューくらいは許して欲しい。
 どうか、もう一度だけ、チャンスを――
 
 意識がはっきりとしてくるにつれ、襲い掛かってきたのは鈍い痛みだった。
 俺は、痛みを堪えながらゆっくりと目を開けた。
「……何、だ?」
 目を開けたはいいが、目の上に何かが被さっている。目というよりは……顔全体に被さっている、と言った方が正しいか。手を持ち上げて顔に被さっている何かを剥がそうとするが、少し腕を動かすだけで腹の辺りから引きつったような痛みが湧きあがってくる。
 とはいえ、死にたくなるほどの痛みでもない。確か鋼鉄狂は「痛覚を鈍く設定している」と言っていたから、その恩恵だろう。逆に言えば、どんなに深い傷を負っても痛みを感じづらいから、大怪我もしやすいってことだろうが。
 指先で顔を覆うものに触れ、剥がす。それは、二枚の紙だった。
「手紙……?」
 横たわったままで、一枚目の紙を見る。俺の知らない、でも何故か読める文字で綴られた手紙の中身は、こうだ。
『先に行く。奴を追う気があるなら、情報屋に来い――ルクス』
 ルクス。
 灰色がかった銀の三つ編みが、俺の記憶の中で揺れる。
 どうにも頼りなかった闖入者……ユーリスの『首狩り』を名乗ったあの兄さんが、危うく路地裏に取り残されそうになった俺の体を運んできてくれていたのだ。
 しかも、ルーザを追うためのヒントまで残してくれている。頼りないように見えたが、なかなか気の利く人なのかもしれない。
 そして、俺の額に張り付いていたもう一枚を見てみると、手紙と同じ筆跡で、
『差し押さえ』
 ――ふざけんな。
 どうやら、俺をモノ扱いしてる連中が周囲に多発している模様。嬉しくも何ともない。
 いやまあ今の俺の体は死体同然な上にメカだからモノといやモノなのかもしれんが、『差し押さえ』はないだろ『差し押さえ』は。というか見ず知らずの兄さんに差し押さえられる覚えは無い。
 よく見れば、俺の体はベッドの上で、部屋の様子を見る限りここは宿の一室らしい。うん、何か場違いな血塗れの木箱とか見えるけどきっと見間違い。
 それにしても、俺の体は一体どうなっているのだろうか。ゆっくりと体を起こすと、全身に嫌な痛みが走る。上半身の服は脱がされていて、黒く染まってしまった元は緑色だったっぽいマントは視界の端に映る木箱に引っかかっている。そして、腹の辺りをやはり、赤黒く染まった包帯が覆っていた。
 まあ、ばっさり斬られたしな。普通の人間だったら多分出血多量で天国行きだっただろう。この世界に天国ってものが存在しているのかは知らんが。
 ただ……手当てまでしてくれてるのはいいが、あれだけ深い傷だったら、内臓とか色々見たくないものまで飛び出してたんじゃないだろうか。ゆっくりと、怖いもの見たさで包帯を外しながら、脳裏に蘇るのはテレサの言葉。
『まあ、腕をばっさりやられたり、内臓が露出したらわかっちゃうだろうけどね』
 嫌なことを聞いたもんだ。しかもテレサが『言霊』なんて言っていたが、本当に現実になってしまう辺り、この世界の言霊は相当強いらしい。普通に魔法があるくらいだしな。
 果たして、ルクスとやらは俺の体が機械であることに、気づいたのだろうか?
 そんなことを思いながら、包帯を外していた、その時だった。
 ばたん、と大きな音がして扉が開き、俺はびくっと体を震わせた。
 扉の向こうに立っていたのは、鋼鉄狂だった。眼鏡の下の、妙に鋭い瞳が俺というか俺の体を見据えている。俺は包帯を外す手を止めて、反射的に横に避けてあった掛け布団を被ろうとする。
「どうして隠すんだよ」
 どうして、って言われたって、一応鋼鉄狂も女だし。いくらこの体を作ったのがこいつだと言っても、恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。
 だが、こいつに恥じらいってもんを求めても無駄、なんだろうな。証拠に、ずかずかと遠慮なく歩み寄ってきて、俺が持っている布団をあっさり剥がしやがる。
「ほら、見せてみろ」
「へいへい」
 諦めて、まだ解け切っていない包帯の端を鋼鉄狂に預けた。手際よく包帯を外した鋼鉄狂は、流石に眉を顰めた。ちなみに俺は、ちらりと傷口を見たがもうあまりにアレで気持ち悪くなったんで視線は鋼鉄狂の顔に固定。
 一瞬見えたのは配線だよな、血塗れの配線。あと何か千切れたチューブのようなものとか色々あああ考えたくない吐きたくなる。
「見事だなぁ。手前の動きを捉えて、なおかつ一刀で致命傷を与えてきたか……」
「敵わなかった。悪い、『ディスコード』も取られた」
 俺が言うと、鋼鉄狂は「構わねぇよ」と言って苦笑する。『ディスコード』を奪われたことで怒鳴り声の一つでもかけられるかと思っただけに、拍子抜けした。だが、鋼鉄狂は苦笑を浮かべたまま口を開く。
「とにかく、相手が悪ぃ。一発目にルーザと鉢合わせたのは、運が悪かったとしか言いようがねぇよ」
「……知ってるのか?」
 聞いてから、バカな質問だと気づく。ルーザ・ウェイヴといや手配書が出回るほどの有名人だ。しかも『ディスコード』を狙っている上に魔女と繋がっているとも言われているのだ。
 ただ、鋼鉄狂が知っているのは、それ以上のことだったのかもしれない。微かに目を伏せるその姿には、ほんの少しだけ陰が見えた。
「知ってるさ。はっきり言えば、今の手前の目じゃ奴には敵わねぇ」
「……目?」
「気づいてんだろ、手前が戦う時、相手の動きが『見える』はずだ」
 鋼鉄狂は手袋を嵌めた指で俺の目を指差す。てか、近いから。目の中に指入りそうだから。
 しかし、言われてみれば確かに、戦う時には必ず相手の行動の予測が軌道になって視界に描かれる。ただし、ルーザ相手にはそれも通用しなかった。ルーザは必ず、俺の予測の少しだけ上を行っていた。
「あれは、何なんだ?」
「その体に備わった能力だ。視覚情報を高速で処理し、予測まで行う能力だが……ルーザはその上を行く。奴は手前より精度の高い『目』を持っているからな」
 そういえば、ルーザは言っていたはずだ。
『俺の目も、鈍ったか……?』
 その時に微妙に感じた違和感はこれだったのだ。ルーザにとって、視覚は単なる視覚ではなく、俺と同じように次の行動を導くものだった。俺の攻撃が当たらないのもある意味当然だったわけだ。
「って、ルーザももしかして俺みたいにロボットだったりすんのか?」
「まさか。奴は一応生身だぜ? 生まれつきそういう能力がある、ってだけだ」
「にしても、詳しいな。それって、皆知ってる話なのか?」
 鋼鉄狂はかぶりを振る。ならば、と俺が次の質問を投げかけようとしたとき、唐突に鋼鉄狂の手が俺の目の上に被せられた。いきなり真っ暗になる視界。起こしていた頭が枕の上に落ち、手袋越しに伝わる、妙な温かさに慌てる。
「ちょっ、いきなり何を」
「修復すっからちぃと黙ってろ。あと、目は閉じてろよ……」
 ――見てると、吐くぜ。
 ぼそりと呟かれた言葉に、俺は慌てて瞼を硬く閉じる。今でさえ相当グロい状況になってるのに、それを修復するとなるとそれはもう言葉に出来ないほどのグロさ加減だろう。
 鋼鉄狂は手を離し、代わりに布を俺の顔にかけた。俺は死人か。
 そして、突如全身を今までにない鋭い痛みが襲った。意識が吹っ飛びかねないほどの痛み……ルーザに斬られた時も、ここまでヤバくなかったぞ! しかも何だこのきーんっていう、歯医者の音を数倍にした感じの素敵な効果音は!
 鋭い痛みは一瞬で、その後はまあ断続的に鈍い痛みに苦しめられ、耳を貫く嫌な音に歯を食いしばって耐える。その時間、実時間にして一時間、体感時間だけならその数倍。
 うん、まあ一言で言えば『地獄』だよな。
 今度は倒されるにも、ばっさりやられるような倒され方はしないように心がけることにする。そんな心がけ、無駄なことこの上ない気もするが。
 やっとのことで音が止み、痛みも和らぐ。顔にかけられた布を外してもらうと、そこにはこちらの顔を覗き込む鋼鉄狂と、いつの間にか来ていたのか、ヒナの姿があった。
「ヒナ、仕上げ頼んだぞ」
「はい。汝の名は、『癒しの光』っ」
 ヒナの指先から光が放たれ、急に体が楽になる。残っていた痛みも消えた。そうか、ヒナも魔法は使えたのか。鋼鉄狂は指先で俺の傷があった場所に触れるが、そこには既に傷口はなかった。少しだけ体を起こしてみると、痕は残っているものの、アレだけぱっくり割れていた腹が綺麗に治っている。
「生体部分の修復はヒナの魔法の方が有効だからな。まだ血が足りねえからフラフラ来るかもしれねぇが、体内生成を待ってれば元に戻るだろ」
 待ってれば、と言われても。
 俺は上半身を起こす。まだ動くたびに微かな痛みが残るし、頭もふらついているが、こんなところで寝ているわけにも行かない。
「……早くしねえと、テレサが危ねえんだよな」
「ルーザがすぐにテレサをどうこうするとは思えねぇが、下手に『ディスコード』を取り返そうとすりゃ、テレサの命も危ねぇだろうな」
「鋼鉄狂! そんな言い方は」
 ヒナは鋼鉄狂を非難するが、そいつは見当違いだ。俺は「すまん、ちょっと黙っていてくれ」とヒナを制し、鋼鉄狂に向き直る。鋼鉄狂は口元に少しだけネジの緩んだ笑みを浮かべて俺を見ている。
「とはいえ、勝機はあんのか? もう一度腹ばっさりやられるようじゃ、今度は俺様も直してやらねぇぞ」
 その通りだ。このまま行っても、勝機はない。しかも、『ディスコード』が奪われてしまったのだ、俺の手には戦うための武器すらない。
 だが、立ち止まっているわけにはいかない。勇者とかそういうの抜きに、テレサの無事を確かめなくてはならない。俺のせいで、テレサはルーザを追わなきゃならなくなったわけで、その責任も取らなきゃならない。
 無言で鋼鉄狂を睨んでいると、鋼鉄狂はやれやれとばかりに溜息をついて肩を竦める。
「ま、俺様が止めても行くんだろう? なら、一つだけ言っておく」
「何だよ」
「目だけに頼んじゃねぇ。ルーザが上を行くなら、さらにその上を『予測』しろ。手前、頭の回転は悪かねぇんだ、できねぇとは言わせねぇぜ?」
 ルーザの上を? そんなこと、戦いの経験も無い俺にできるかってんだ。
 いや……できるできない、じゃないのか。もう、そんなことを言っている場合じゃないのだ。
 手を強く握りしめ、小さく頷く。
 すると、鋼鉄狂は俺に何かを投げてよこした。それは、替えの服と、血塗れになってしまったものと同じ緑色のマントだった。あのマントには愛着が湧いてきた頃だったから、同じものを用意してくれていたのが、何となく嬉しい。
 そして、もう一つ。
 『ディスコード』とは違う、しかし刃渡りや重さがほとんど同じ、ナイフ。
「俺様にできることはこの程度だ。後は手前次第。上手くやれよ?」
「ああ。悪いな」
 俺はナイフの鞘を握って笑いかける。ナイフを手の上に乗せていると、少しだけ、心が落ち着いてきた。焦っていても仕方ないのだ、できることから一つ一つ、やっていくしかない。
「でも、どうするのですか? テレサもルーザも、行方はわかりませんよ」
「一応、ヒントは貰ってる」
 俺は枕元に伏せておいた手紙を持ち上げてヒナに示す。とはいえ、ヒナは手紙を手に取れないから、実際には鋼鉄狂が手にしたわけだが。ヒナと鋼鉄狂は一緒になって手紙を覗き込んでいたが、突然鋼鉄狂の眉がぴくりと動いた。
「ルクスって、ルクス・エクスヴェーアトか?」
「知り合いか? ユーリスの『首狩り』っつってたけど」
「知り合いも何も……こいつは、『首狩り』どころか『影追い』だぜ」
「は?」
 思わず、間抜けな声を上げてしまってから、言葉の意味を理解する。
 『影追い』って、女神様に仕える異端審問官だろ。異端研究者とか機械をぶっ潰す連中じゃないか。
 俺みたいな全身機械なんて奴は見つかったら即アウト、じゃなかったか。そりゃあばれなきゃいいんだろうが、もはや手遅れだ。このルクスとかいう兄さんには、思い切り傷口から露出した配線やチューブを見られている。手当てまでしてもらったのだから、間違いない。
 だが、それなら形も残さないくらいしっかり処分するとか、体をユーリスの偉い人のところに持っていくとか、そのくらいはしてよさそうなものだが。
「何で、俺は助かってんだ?」
「まあ、ルクス・エクスヴェーアトは確かに『影追い』だが悪い奴じゃねぇからな。見逃してくれたんじゃねぇか?」
 そんなもの、なのだろうか。というか、『影追い』なのに「悪い奴じゃない」って異端研究者に言われちまうあの兄さんは、一体何者なんだろうか。
 鋼鉄狂はふうと大げさに溜息をつき、目を細める。
「とはいえ、気をつけるに越したこたぁねぇな。相手があのルクス・エクスヴェーアトといえ、『影追い』に手前の存在を知られちまったってのは痛い」
「ああ……これ以上悪いようにはならないことを祈るよ」
 言って、ゆっくり立ち上がる。大丈夫、もう普通に動けそうだ。ヒナがふわふわ浮かびながら、俺の肩の側で言う。
「今日は、わたしも一緒に行きます!」
「ああ、助かる」
 正直、ヒナがついてきてくれるのは心強い。手助けとかそういうのは抜きに……一緒にいてくれる、というだけで安心する。ただ、安心すると同時にヒナみたいな女の子に頼っちまっている辺りで、自分の頼りなさに嫌気が指す。
 思いながら、小さなナイフを腰のベルトに提げる。
 ひとまず、ルクスが『影追い』ってのがどうしても気になるが、今は頼れるものを頼るしかない。俺にできることを、一つ一つ、確かにこなしていくしかないのだ。
 服を着て、マントを羽織り、ルクスの手紙を握りしめ。
 俺は、小さく深呼吸をしてから、部屋の扉を開けた。