反転楽園紀行

013:重ねる刃

 俺は『ディスコード』を起動させたまま、ルーザの懐に潜り込もうと試みる。
 予測された攻撃の軌道が自動的に視界に描かれていく。この軌道と重ならない部分に、自分の体をねじ込むだけでいい。
 そう思っていたのに。
 予測した軌道に反した一撃が、唐突に俺の横から襲い掛かってきた。
 それがルーザの剣だと頭で考える前に、体が反射的に飛び退っていた。だが、その一撃は俺のマントの端を捉え、容赦なく切り裂いていた。ちっ、という舌打ちを放ったのは俺かルーザか、それともどちらもだったのか。
 わからないままに、石畳の上に着地。小さく、息をつく。
 ――おかしい。
 前に、鋼鉄狂の研究所で変な魔物……ルーンドベアといったか……と戦った時には、予測は絶対に外れることが無かった。視界には俺のすべきことが全部書いてあって、その通りに『ディスコード』を繰り出すだけでよかった。
 こんなもの、下手なアクションゲームよりもずっと簡単だ、と。そう思ったはずだった。
 なのに、ルーザは絶対のはずの予測をことごとく打ち崩してくる。何とか隙を見つけ、避けられないと思った場所に『ディスコード』を突き出しても空を切り、逆に思わぬ反撃を叩き込まれそうになって慌ててこちらが避けるハメになる。
 一撃一撃が、軌道を予測しなくとも何とか避けられる程度の勢いなのは唯一の救いかもしれない。ルーザの一撃は大きく、まともに食らえば戦闘を続行することも難しくなる。本当、研究者なんてやめてお前が勇者様をやりゃいいんじゃねえかと愚痴りたくなるくらいには、凶悪。
 うだうだ考えながらも、俺の体は自動的にサイドステップで叩き込まれるルーザの一撃を避ける。即座に攻撃に転じようとするも、ルーザも同じように簡単に避けてしまう。あんなに大きな剣を持っていて、よく動けるなと思う。多分俺には無理だ。前に、鋼鉄狂が「ナイフ以上の重さの武器を使えるようには調整してない」って言ってたし。
 しかも、俺とルーザは一対一で戦っているわけではない。横からは、未だ退こうとしない『首狩り』の兄さんがルーザのものより一回り大きな両手持ちの剣を振るい、ルーザを強襲している。もちろん、ルーザはその一撃もかわし続けて、時には剣で受け流しているわけだが。
 きぃん、という何度目かもわからない金属音。ルーザが、兄さんの剣を弾いた音。俺の攻撃を避けながら、という不利な体勢にもかかわらず、大きな剣の一撃を力負けせずにあっさりと捌くその姿は敵ながら天晴れ。正直んなこと言ってる場合じゃないが。
 ルーザは素早く下がって間合いを取りなおし、鋭い視線を俺に向ける。能面のようなツラは相変わらずだったが、唇から漏れる声は今までとは少しだけ、違った。
「一撃で屠れると思っていたが、やるな」
 敵に褒められても嬉しかないが、折角だから俺も笑ってやる。どこにも余裕なんてなかったが、こいつに舐められるのは気に入らない。
「はっ、俺の目には見えっからな。手前の攻撃程度なら、余裕で避けられらあ」
 唇を湿して虚勢を張りつつ、『ディスコード』を構えなおす。ルーザは剣を片手で構えながら、片手を目の上にかざして呟いた。
「俺の目も、鈍ったか……?」
 ――目?
 目って、「鈍る」とかいう言い方するか、普通。「悪くなる」とかならわかるが。
「って、俺のことも忘れないで欲しいなー?」
 下らないことを俺が考えている間に、兄さんが一歩踏み込んでルーザにかかっていく。俺もその背を追うようにして地を蹴るも、ルーザは兄さんの剣を裁いた勢いで踏み込み、俺と兄さんを一気に貫こうとする。俺は何とかかわしたが、切っ先が兄さんの鎧を掠めたのは見た。
 再び重ねられる刃、お互いに決定打を与えられずに淡々と過ぎていく、時間。
 埒が明かない。
 俺はルーザの一撃をかわせる程度の人間離れした身体能力を持っているし、いくら予測したとおりの攻撃が来るとは限らなくとも、ある程度までの予測が通用しているのは確かだ。
 だが、経験の無さはカバーできるわけがなく、戦闘に対する集中力や体力という点ではルーザやそこの兄さんに大きく劣っているはずだ。
 ロボットの体とはいえ、作った鋼鉄狂曰く「半分くらいは生身」。酷使すれば普通の肉体と同じように疲労は溜まるし、何より半分はオートマティックといえ、あと半分は俺が動かしているのだから俺の集中力が切れた地点でアウト。
 何とか、一撃。
 一撃を叩き込むチャンスが欲しい。
 『ディスコード』は一撃必殺の刃。きちんと狙いをつけることさえ出来れば、どんなに硬い鎧であろうとも貫き、急所に達するのだから。
 そう思った時、後ろから鋭い声が飛んできた。
「汝の名は、『咎人の枷』!」
 テレサの呪文が響いた瞬間、ルーザの手に何かが纏わりついた。
 淡く光を放つ紐のようなそれはルーザの手に複雑に絡みつき、動きを鈍らせる。そこを狙って俺と兄さんが同時に攻撃を繰り出すも、ルーザは少しだけ早く飛び出した俺の攻撃を避け、兄さんの一撃は剣で受けて弾く。
 ただ、テレサの魔法が利いているんだろう、今まではあっさり弾いていた兄さんの攻撃を受け、力負けしそうになっている。
「今のうちに! その枷は長くはもたないから!」
「ああ、助かる!」
 兄さんの一撃を受けたときの隙、それだけはいくらことごとく予測を裏切ってくれるルーザでも隠せないはずだ。兄さんもそうと気づいているのかいないのか、連続で刃を叩き込む。今まで能面のような無表情を保っていたルーザが、初めて苦痛にも似た表情を浮かべたように、見えた。
 そして、ルーザが見せた隙は、俺の脳裏にまるで道を描いたように表される。今まで見ていたものよりもはるかにはっきりした、道筋。この通りに『ディスコード』を繰り出せば、間違いなくルーザに届く。
 迷いはなかった。迷うことなんて、できなかった。
 俺は最低限の動きでルーザの懐に飛び込み、『ディスコード』を握りこむ。甲高い声を上げて鳴く『ディスコード』は俺の意に応え、ルーザの鎧をやすやすと斬り裂き、その体に届いていた。
 赤く咲いた血が、石畳に落ちる。
 ――やった。
 赤い色を見た瞬間、一気に高揚する気分。
 だが理性は告げていた。与えた傷はあまりに浅い、と。
 気づいてはいたのだ。初めて届いたからといって、ルーザに勝てたわけではないのだ、と。でも俺は、ルーザの脇腹から流れた血を見ただけで、勝ったと錯覚してしまった。それは本当に一瞬、刹那のことに過ぎなかったのだとは思う。
 だが、迫りくる追手との戦いを勝ち抜き生き延びてきたルーザが、この一瞬を見逃してくれるはずはなかった。過ちに気づいて即座に軌道を予測し、何とか次の一撃から逃れようとしたけれど、遅すぎた。
「汝の名は……っ、ダメだ、シン!」
 テレサの警告もまた、遅すぎた。
 目の端に映ったのは、千切れる光の縄。テレサがかけた枷を自力で破ったルーザは、赤い血を振りまきながら、一歩下がって剣を振るう。殺意を乗せた刃は俺の腹の辺りを走り、鈍い痛みと共に何かが千切れるような、嫌な感覚が全身を走る。
 赤が。
 今度は、ルーザのものじゃない、噴き出す赤が、世界を染めていく。
 呆然と、俺はルーザを見上げた。
 ルーザの、緑色の目が冷ややかに俺を見下ろしている。気のせいだろうか、ルーザの目が、一瞬前とは違う色をしているように見えた。いや、違うのは色じゃないのか……まるで金属の薄片を無数に重ね合わせたような、変な虹彩が俺の顔を映し出していた。
 ルーザの目の中の俺は、すっげえ、間抜けなツラをしてやがった。折角のいい男が台無しだ。
 吐き気がする。足元にぼたぼた落ちる赤い何かを見るだけで頭の中がぐらついて、もう何も考えられない。体に力が入らなくなって、『ディスコード』が空を切って、がくりと膝をつく感覚までは、まだあった。
 体に力が入らなくなった後は、感覚が消えていく。もう痛みも熱も感じられなくて、唐突に世界が横向きになって初めて、俺は地面の上に完全に倒れたんだと理解した。
「少年……っ!」
 兄さんの声が俺を呼んでいる気がするが、その声は再びの剣戟によって遮られた。次の瞬間、兄さんの体が大きく吹き飛ばされるのをかすみゆく視界で見た。
 そう、ルーザは、今まで俺しか狙っていなかったのだ。『ディスコード』を持つ、俺しか。兄さんの攻撃をいちいち受けてはいたが、この瞬間まで直接兄さんを狙ってはいなかった。一度俺が倒されてしまえば、兄さんの存在などルーザにとっては取るに足らないものだったに違いない。
 壁に叩きつけられた兄さんの姿を横目に、俺は出来る限り強く、『ディスコード』を握りしめる。握る指先の感覚だって、とっくになかったのだが。
「待て! 汝の名は、『光の矢』っ!」
 テレサが倒れる俺の後ろから魔法を放ったが、その魔法はルーザが軽く頭を動かしただけであらぬ方向に飛んでいく。そして、口の中で短く呪文を唱えたルーザが、テレサに向かって剣を持っていない片手を突き出す。
「汝の名は、『沈黙の顎』 」
 ルーザの手から放たれた煙のようなものが、テレサの周囲に纏わりつき、テレサから呪文を唱える「声」を一時的に奪った。照明や小さな炎くらいは指を鳴らすだけで生み出せるテレサだが、ルーザ相手に戦うには呪文が不可欠ということくらいは、俺にだってわかった。
 かくして、邪魔者を全て無力化したルーザは、ゆっくり、ゆっくりと俺に近づいてくる。けれども、その時には俺ももう頭は朦朧としているしろくに会話もできない状態だった。一欠けらだけ残った意識は、『ディスコード』を守らなくてはならない、ということだけ。
 だけど……こんな状態で、できることなんて、何もなかった。
「……だな」
 ルーザが何と言ったか、わからないまま。俺の手から『ディスコード』が奪われるところまでは、見えた。
 そこまでが、限界だった。
 
 
 上も下もない真っ暗な世界に投げ出された俺は、ゆらゆらと漂うばかり。
 ――ゲーム・オーバー。
 脳裏に浮かんだのはそんな言葉。
 そう、俺はゲームのつもりで、暇潰しとしてここにいるはずだったのに。
 後先も考えずルーザの前に飛び出した自分は、全く別のことを考えていたような気がする。でも、何で飛び出したのか。何を考えていたのか。一番大切なところは、闇の中に紛れてしまってすっかり見えなくなってしまった。
 ただ、何かを求めるように、闇の中に手を伸ばして……
 その手が、当然のごとく空を切って。
 
 ――悔しい。
 
 初めて、強く、そう思った。