噂をすれば影がさす、とはよく言ったもんだ。テレサが冗談で言っていた言霊とやらも、あながち間違いではなかったわけだ。どの世界も、そんな風に出来ているのかもしれない。
……さっぱり嬉しくねえ展開だが。
ルーザは俺たちから少しだけ離れた位置で足を止めていた。見る限り、俺が一息で踏み込める間合いの、一歩外。だが、きっとルーザならば一息で俺の体を斬れる位置。ルーザの体は俺よりもかなり大きいし、得物のリーチで圧倒的に有利だ。
マントの下で『ディスコード』の柄を握る手の平が、汗ばむ。ロボットのくせにそんなところまで再現されているとは、芸が細かいことで。
それにしても、ルーザの緑の瞳に見据えられていると、体の奥がざわざわするような、何ともいえない気分になる。心なしか、『ディスコード』の柄が、震えているような気がする。震えているのは、もしかすると俺の方かもしれない。
嫌な静寂が、路地裏を包む。
その静寂を破ったのは、ルーザだった。ルーザもまた、剣の柄に手をかけながら、低く呟いた。
「まさか、『ディスコード』を帯剣する者がいたとは、な」
――しっかり、バレてんじゃねえか。
『ディスコード』はマントの下、なるべく柄に手をかけていることも勘付かれないようにしていたつもりだったのだが、いつ見られたのだろう。それに、見られていたとしても柄しか見えていない状態のナイフが『ディスコード』だと判別できるっていうのは変だ。
色々思うことはあったが、俺は口元に無理やり笑みを浮かべ、ルーザを睨み返す。
「なあ、アンタ。連れのヴァレリアって子が捜してたぜ? 早く戻ってやれよ」
わざと軽い口調で言ってやったが、声が上手く出ていたかどうかは、定かではない。何をされても死なないってわかっている分恐怖は少ないが、流石にこれほどまで露骨に戦意を顕にされると、否応なく緊張する。
ルーザは俺の言葉をどう受け止めたのか、「ああ」と目を少しだけ伏せた。
「そうだな。早く終わらせて、戻ることにする」
「終わらせる、って」
「その手の中にある『ディスコード』を、渡してもらおうか」
こいつの目的は、あくまで『ディスコード』なのか。
戦いを避けられるとも思わないけれど、俺は唇を舌で湿し、言う。
「 『ディスコード』? 何のことだ」
「とぼけるな。お前が『ディスコード』を持っていることは、見なくともわかる」
やはり、見てないのか。見てないで、よくそんなこと言い切れるもんだ。これも俺の知らない魔法か何かなのかもしれない。とはいえ、ルーザは俺が『ディスコード』を持っていることを確信している。逃れる術が無いことも、事実。
「何で、君が『ディスコード』を求めるんだい、ルーザ・ウェイヴ」
テレサの問いにも、ルーザは決して視線を俺から外そうとはしなかった。ただ、声だけでそれに答える。
「 『ディスコード』は元より俺のものだ」
「君の、もの?」
その答えには、テレサもあからさまに眉を顰めた。そういえば、このナイフはテレサの故郷にあったもの、だったはずだ。鋼鉄狂に頼まれ、故郷のエラい人の指示で、テレサが俺の武器として持ち出してきた。
それを、ルーザが「俺のもの」と言い切れるのは何故だ?
テレサの表情を見る限り、テレサもまたルーザの言葉の意味を掴みかねているようだった。だが、ルーザはそんな俺たちの戸惑いなんか構わずに鞘から剣を抜き放ち、ぴたりとその先端を俺に向ける。
「 『ディスコード』は無知な者が持つべき兵器ではない。渡せ。大人しく渡せば危害は加えないと約束しよう」
「はっ、剣を向けて言われても、説得力皆無だぜ」
「とにかく『ディスコード』を渡す気はないよ。これは、僕らにとっても大切なものだからね」
言うテレサは、口調こそいつも通りだったが、表情が異様に硬い。それに対しルーザはあくまで能面のような無表情で俺……いや、俺の手元をじっと見据えたまま、ぽつりと、ぞっとするくらい静かな声で言った。
「そうか」
来る!
俺はマントの下で『ディスコード』を抜き放ち、ルーザの一撃に備える。テレサも指輪を嵌めた手を挙げ、呪文を唱えながら一歩下がった。ルーザがゆらり、と無造作にも見える一歩を踏み出して……
「ちょーっと待ったぁっ!」
聞きなれない声が、真上から響き渡った。
直後。
ぐきっ、という嫌ーな音と、蛙が潰れた瞬間に出しそうな声が、俺の耳を貫いた。
「……は?」
そんな間抜け声を上げたのは、多分俺。俺だと思う。もしかしたらルーザだったのかもしれないけれど、そんなことはホント、どうでもいい。
――とにかく、「何か屋根の上から降ってきて、地面に激突した」。
俺も、ルーザも、多分俺の背後にいるテレサも、目を丸くしてちょうどルーザと俺の間に落ちてきた「何か」を見つめていた。
それは、多分……人、だと思う。うん、人間。多分人間。明らかに足とか変な方向に曲がってぴくぴくしてるように見えるけどきっと人間。青みの色調で纏めたマントに、金属の肩当て、あと腰にばかでかい剣を提げているからルーザと同じような戦士だとは思うのだが。
しばし、俺も、ルーザも、呆然としたままその場から動けなかった。いやだって、この推定人間をどうすればいいかなんて、俺にはわからないわけで。もちろんルーザにもわからなかったのだと思う。
すると、推定人間が突如、ばっと体を起こした。まだ足とか人としてヤバイ方向に曲がってるような気がするけど、俺は何も見ていない。よく見れば、そいつは大体ルーザと同い年くらいの兄さんだった。銀灰色の長い髪を三つ編みにした、結構いい男だった。
まあ、ちょっと頭からだらだら血とか流しているけどそこも無視。
一瞬、兄さんはこっちを深い赤の瞳で見たようだったが、その視線はすぐに俺ではなくルーザに向けられる。よろよろと立ち上がりながら、懐に手を入れて、引き抜く。
その手に握られていたのは、さっき俺も港で見た、ルーザの手配書だった。
「ユーリスの『首狩り』だ。大人しく捕まってもらおうか?」
兄さんは血をだくだく流しながらも、口元をにぃと笑みの形にする。ユーリスの『首狩り』ってことは、ユーリスからはるばるこの賞金首を追いかけてきたってことか。ご苦労様です。しかしこの人、確かに美形なんだが、表情が三下っぽいあたりでとても不安だ。まず、屋根から颯爽と飛び降り失敗しているあたりで不安で仕方ない。
対するルーザはクールなもんで、一瞬は驚いた顔を浮かべていたが、すぐにまた能面のような無表情に戻って冷ややかに『首狩り』の兄さんを見据える。ただ、刃の切っ先は俺ではなく……流れるような動きで兄さんに向けられる。
「邪魔だ。退け」
「そういうわけにもいかないんだよなー。俺も生活がかかってるからね?」
軽い口調ながら、兄さんも慣れた様子で剣を抜く。ちょっと待てよ、既に登場した地点でぼろぼろなのに、普通にやる気なのか。ルーザは肩書きこそ研究者だが今まで『首狩り』とか『影追い』とかことごとく退けてきたっていう、凄腕の戦士様なんだろ。大丈夫なのか……?
「生活をかけて、命を失っては意味がないだろう」
ルーザは溜息混じりに小さく呟き、今度こそ一歩、踏み込む。剣と剣が触れ合う、甲高い金属音が響き渡る。軽いナイフを手に相手の急所を狙う俺に対し、相手を両断できる重さの剣を操るルーザ。その一撃は、俺の予想以上にはるかに速く、また的確だった。何とか一撃を受け止めた兄さんの表情が、微かに歪んだのを見る。
――強い。
俺もまたルーザに向かって『ディスコード』を構えたが、その時、テレサが後ろから俺のマントを引っ張った。首が絞まりそうになって慌ててそちらを向くと、テレサは涼やかな青い瞳で俺を見下ろし、きっぱりと言い切った。
「今のうちに、行こう」
「え……いいのか?」
「ルーザに『ディスコード』を奪われるのだけは避けなきゃならない。今逃げれば、流石に追ってはこられないはずだよ」
正論だ。
このナイフについて詳しいことは何も知らないが、東の魔女は『ディスコード』でしか倒せないということだけは聞いている。ルーザが東の魔女と繋がっているというなら、『ディスコード』を渡すのは愚行中の愚行。
ならば、逃げればいい。この場から今すぐに。
兄さんがルーザの足を止めている間に逃げてしまえば、この広い町の中だ。流石にルーザもすぐには俺たちを見つけることは出来なくなるだろう。それに、人の中に混ざってしまえばルーザは俺たちを見つけたとしても躊躇するはずだ。何せルーザは賞金首、その顔を知らない奴の方が少ないはずだから。
正しくこの状況を判断しているテレサは、早くこの場から離れようと俺を促している。俺の心の中の半分くらいは、テレサと共にここを離れるべしと言っている。
だが、もう半分くらいは。
気づけば俺は足を止めていた。一度はしまいかけた『ディスコード』を、握りなおす。
「悪い、テレサ」
口の中で呟く。
俺の視線の先にいたのは、剣を振るう名前も知らない兄さんの背中。銀灰色の三つ編みを背中に揺らしながら、何とかルーザの猛攻を凌いでいる。だが、それも多分長くは続かないだろう……そうしたら、多分。
俺は、地を蹴った。体が浮き上がるような感覚と共に、思考が、視界が、戦闘用に切り替わる。『ディスコード』を持つ手が、足が、全てが軽く感じられる。
「ちょっと、シン! ああ、もうっ!」
――本当にごめん、テレサ。
苛立ちを込めたテレサの声を背中で聞きながら、俺は今まさに兄さんの剣を弾き、一撃を胴に叩き込もうとしていたルーザの目の前に割り込んだ。
突然飛び込んできた俺に驚きの表情を浮かべるルーザ。俺の視界に描いた予想図では、ルーザの剣は振り下ろす場所を失っている。
いける。
「 『ディスコード』っ!」
声と共に、甲高い声を上げる『ディスコード』を振りぬく。予想図にぴったり合わせて放った一撃は、鎧を断ち切り、急所とは言わないまでもルーザの体にまで達する。
……はず、だった。
だが、ルーザは俺の一撃をすれすれでかわし、一気に間合いから外れた。俺はすぐに行き場の無くなった『ディスコード』を構えなおし、ルーザを見る。
ルーザもまた剣を構え、俺と『ディスコード』を交互に見ているようだった。
「何故だ」
低い声が、ルーザの唇から漏れる。
「何故、『ディスコード』を扱える?」
「知らねえよ、そんなの! とにかく、アンタにこいつは渡せねえし……関係のねえ奴を殺させもしねえよ」
安い正義感って言われたらそれまでだ。現実の俺だったら間違いなく兄さんを見殺しにしていたところだろう。何しろ、向こうの俺には、誰かを助ける力なんてありゃしない。単に「見る」ことしかできなかったから。
だが、今の俺は違う。この手には何よりもよく斬れるナイフがあって、誰かを助けながら戦えるだけの力もあるはずだ。
それだけの力があって、やられそうになってる奴を見捨てるなんて、できるわけない。
できるわけ、なかったんだよ。
「来い、ルーザ。『ディスコード』が欲しいなら、俺を倒していけ」
「……言われなくとも、そうするさ」
そして俺とルーザは、同時に動いた。
反転楽園紀行