学問都市ワイズの南端に、港はあった。
「港」というからには船が出る場所と思い込んでいたが、この世界の「港」というのは海上船の停泊場であると同時に飛行船の発着場のことでもあるらしい。海に浮かぶ大きな帆船と共に、地上に飛行船がいくつも並んでいる姿はなかなか壮観だ。
ただ、何か様子がおかしい。
もちろん、原因はすぐにわかった。
「……ユーリス行きの船が、出せない?」
「ああ。ちょいと、厄介なことになってなあ」
ユーリス行きの船のチケットを売る、狼の顔をした男がふうと大げさに溜息をつく。他のチケット売りも、怒りの表情の客に詰め寄られていたりしているから、きっと同じことを説明しているに違いない。
「ユーリス行きだけじゃねえ、他の島に行く船も出せないって上からのお達しだ」
「どういうことだよ」
「すっげえ有名な賞金首がこの町に逃げ込んでるらしくてな。下手に船を出すと、そいつが外に逃げ出すかもしれねえんだ」
賞金首、とはまた物騒な話だ。
この世界は鋼鉄狂やテレサが言っていたとおり、大陸といえるほど大きな陸地は無く、ほとんどが島で構成されているようだ。故に、船や飛行船がなければ他の国どころか、国内の他の町に行くことも難しい。それは同時に船や飛行船を出さなければ簡単に封鎖できる、ということでもある。
まあ、自分の船や飛行船を持ってるなら、島と島の間を移動することくらいは容易いのだろうが、その辺は俺の考える話じゃない。それに、自家用艇でも国境を越える時には許可が必要になるそうで。なかなか、厄介な決まりが多いもんだ。
「身分証明になるものや、正式な召喚状なんかがあれば乗せられるんだがね。お前さんたちは持っているかい?」
「いや、僕らは旅人だからね。証明と言えるほどのものはないよ。全く……困ったことになった」
俺が口を出す前に、テレサが肩を竦めてチケット売りに言う。チケット売りは剛毛の中で妙に小さくてまん丸い目を瞬きして、テレサと俺を交互に見た。
相手が同じ人だとはわかっていても、狼の顔の男に見回されるってのはどうにも落ち着かない。一体、自分がどんな表情をしているのかはわからないが、何とか薄い笑顔で乗り切ろうと努力する。
「お前さんたち、その旅装から言うと『墓暴き』か? それとも『首狩り』か?」
「いや、違うよ」
「何だ。『首狩り』ならさっさとこいつを捕まえてくれって言うとこだったんだがな」
『墓暴き』、ってのがその名の通り遺跡荒らし……トレジャーハンターで、『首狩り』も名前のごとく、賞金首専門のバウンティハンター、と。うん、まあ何とかこの辺は覚えている。
テレサは細い指先で、肩に落ちた長い青銀の髪をかきあげる。潮風に、テレサの被った帽子の耳垂れがぱたぱた上下しているのを目で追いながら、テレサと狼男の会話を聞くことにする。
「僕らは、ユーリスに行って、レクスの渡航許可を得ようと思ってるんだけどね」
「まさか、あれか? レクスの魔女を倒しに行くとか、バカなこと考えてるんじゃないだろうな」
「そのまさかだよ」
あっさりと、テレサが言って……狼男が、かくんと口を開けた。獣人の表情は人間に比べてかなり読み取りづらいんだが、吃驚したのか、呆れたのか、もしくはそのどちらもだったに違いない。
俺の想像が当たった証拠に、次の瞬間には狼男は身を乗り出してテレサに向かって言った。
「バカ言うな。レクスの渡航許可は実力さえあれば簡単に出るらしいが、その腕利きの『勇者候補』とやらは、一人も帰ってきてないって話じゃねえか」
――は?
ちょっと待て。そんな話は聞いてないぞ。俺は勇者だって言われて、異世界から召喚されて、魔女を倒すための何だかよくわからないナイフを持たされて放り出されただけで。他に『勇者候補』なんて呼ばれる連中がいるなんて、知らなかった。
しかも、一人も帰ってきてない、ってなると。
「大丈夫。こっちには、秘密兵器があるからね」
「旅立った奴は皆そう言ってたよ。ま、どうにせよ今は船が出せないからしばらくの立ち往生は覚悟してくれや、『勇者候補』の嬢ちゃんに兄ちゃん」
俺は、狼男の言葉を右から左に聞き流し、テレサを睨む。テレサはちらりと横目で俺を見たから、多分俺の視線には気づいていたのだと思う。が、すぐに狼男に目を戻すと、いつも通りの綺麗なんだが何処か胡散臭い笑みを浮かべて言った。
「それは仕方ないね……でも、ここの船を止めるほどの迷惑な賞金首、ってのは何者だい? 僕も知ってるような奴なのかな」
「知らないってこたあねえだろ。こいつだよ、こいつ」
チケット売り場のカウンターの裏から、狼男が取り出したのは一枚の紙。西部劇で見るような、賞金首の似顔絵と莫大な賞金額、ついでに「生死問わず」なんて物騒なことが書いてある手配書だ。
そこに描かれていたのは、二十代半ばから後半と思しき人間の男だった。濃い色の長い髪を頭の上の方で一つに結い、鋭い目が真っ直ぐ正面に向けられている。
そして、書かれていた名前は。
「ルーザ・ウェイヴ……」
呟いたのは、いつになく真剣な表情のテレサだった。俺でもよくわからないのだから狼男はもちろんテレサの反応の意味など気にするはずもなく、軽い口調で続ける。
「まあ、『首狩り』が動いている上に、ユーリスも影追いを派遣しているって聞くし、すぐに捕まるとは思うけどな」
「そう願ってるよ。じゃ、僕らはひとまず宿に戻るとしようかな。行こう、シン」
テレサは笑顔を浮かべて、俺にちらりと視線を走らせる。色々、言いたいことがあったけれど……ひとまずこの場では飲み込むことにする。多分、だが。テレサも、俺の言いたいことは大体理解していると思ったから。
ひらひらと、手を振る狼男に背を向けて、港を離れ。テレサと俺は、即座にあまり人の来なさそうな路地裏に飛び込んだ。俺が言いたいこともそうだったが、テレサが話したいこともまた、人前で、大きな声で話せることではなかったに違いない。
俺は路地裏に飛び込んですぐ、早口に言った。
「どういうことだ、テレサ。『勇者候補』とか何とか、そんな連中がいるなんて聞いてないぞ。魔女が倒せるのは、俺だけみたいなこと言ってなかったか」
「ああ、それかい?」
テレサの口調は、何ともぞんざいだった。
「僕も詳しいことは知らないけど、魔女を倒せるのが君とその『ディスコード』だけってのは確かみたいだよ。ただ、ほとんどの人間はそんなこと知らないから、腕に少しでも覚えのある『首狩り』なんかが、こぞってレクスに渡っている。そういう連中を『勇者候補』なんて呼ぶけど、結局のところ単なる命知らずさ」
――もちろん、君も一歩間違えばそうなるんだろうけどね。
向けられたテレサの目の色が、元々冷たい青色をしているせいか……言葉なく、冷ややかにそんなことを語っているような気がして、どうにも気に食わない。
特別だと思われるのは、よくも悪くも、あまり気持ちのいいことじゃないことは一番よく知っている。だけど、そんな命知らずのバカな連中と「同じ」だと思われるのも、嫌だ。
そう、テレサは俺の事情も知っているとはいえ、ただ俺と『ディスコード』を見張るためにここにいるのだから、俺のことをそんな風に考えてたっておかしくはないのだ。
だが、質問したいのはこれだけではなかったから、何とか不快感を押し込んで次の質問を吐き出す。
「で、賞金首って言われてた奴、だけど」
「焦げ茶の髪の戦士。おそらく、ヴァレリアの連れ、だろうね」
やはりか。あまりに綺麗に一致しているものだから怪しいとは思っていたが、テレサが言うなら間違いないだろう。そして、先ほどのテレサの反応もこれなら納得できる。
「ヴァレリアの連れが賞金首だってことにも、気づいてたのか」
「違ったらいいとは思ってたんだけどね」
「このルーザって奴、何者なんだ? ウェイヴ、って確か」
飛行船なんかを作った天才で、最終的に異端審問官……影追いに殺された、異端の研究者の苗字じゃなかったか。俺がそう言うと、テレサには珍しく苦い顔を隠しもせずに言う。
「異端研究者ルーザ・ウェイヴ。君の言うとおり、二十年ほど前に処刑された異端研究者、シェル・B・ウェイヴの息子だと言われている。言われているだけで真偽は不明だけどね」
「異端研究者ってことは、鋼鉄狂みたいな奴ってことだよな」
この世界で言う異端研究者というのは、ほぼ女神降臨以前の歴史を研究する者のことで、隠された歴史というのは高度に機械化された文明だった。ということは、ルーザって奴も多分鋼鉄狂みたいに機械を掘り出して調べる、みたいなことをしているんだろう。
「彼女と違うのは、ルーザは世界一『有名な』異端研究者ってこと。追ってきた『首狩り』や『影追い』をことごとく返り討ちにして、大々的に自らが異端研究者シェル・B・ウェイヴの息子であり、自らも異端研究者であることを公言している」
「目立ちたがりなのか?」
軽く茶化してやったつもりだったが、テレサは真剣な顔を崩さなかった。
「あながちそれも間違いじゃないかもしれない。公言するにはそれなりの理由があるはずだしね。そして……厄介なことに、このルーザという男は、東の魔女と繋がっているらしい」
「何だって?」
「そうじゃなきゃ、いくら異端研究者といえ、こんな大っぴらに手配されたりはしないさ」
考えてみればそうだ。この世界、特に女神を信仰するユーリス神聖国にとって異端はあくまで異端、なるべくならば公にしたくない存在だ。いくら本人が異端を公言していても、ユーリス側としては『影追い』という暗殺者みたいな異端審問官を送り込むことはしても、こんなに派手に手配するようなことは避けたがるはずだ。
だが、現状この世界にとって一番の敵である東の魔女が関わっていれば話は別、ということか。
元々東のレクス帝国は異端と呼ばれるような研究も普通に行っていた。帝国の跡地を基盤としている魔女もまた、異端の知識を欲しているのだろうか……俺には、想像することしかできないけれど。
「とにかく、今一番出会ってはいけない相手なのは確かだよ。僕らは今から東の魔女を倒しに行くわけだし、何よりも、彼は」
「いや……テレサ」
俺は、声のトーンを下げ、腰に提げた『ディスコード』の柄に指を伸ばす。もちろん視線は、ある一点に向けたまま。
「どうやら、遅かったみてえだぜ」
テレサが、遅ればせながらそちらを振り向く。
明るい通りの喧騒を背負って、一つの影が俺たちに近づいてきていた。
濃い色の髪をポニーテイルにして、大きな剣を提げ軽めの金属鎧を身につけた、ぱっと見はどこにでもいそうな戦士。けれども実際は、高額の賞金がかけられた、『存在し得ない時代』の遺物を追い求める異端研究者。
そう……ルーザ・ウェイヴは既に、俺たちの目の前にいた。
反転楽園紀行