反転楽園紀行

010:学問都市ワイズ

「ファンタジーだ……」
 翌日。鋼鉄狂に連れられ、テレサと共に小さな舟に乗り込んで、辿りついたのは町のすぐ側の海岸だった。そこから少しだけ歩いたところに、学問都市ワイズはあった。
 で、門をくぐった俺の第一声がそれ。
「何を言ってるんだい、君は」
「だって、どう見たってこりゃファンタジーだろ! マジでこれゲームの世界じゃねえんだよな、すっげえ!」
 テレサの呆れ声も、今ばかりは右から左へ聞き流す。何しろ、目の前に広がっていた光景は、ゲームで見たファンタジー世界そのままだったから。この光景を見ると、あの研究所だけ存在する世界を間違えていたとしか思えない。
 ヨーロッパ風の彩り豊かな町並み、遠くに見える大きな時計塔。煉瓦が敷き詰められた道の上を歩くのは、様々な服に身を包んだ様々な人。耳が長い人もいれば、やけに背が低い人もいる。それに。
「兎さん……」
 ぴょこたんぴょこたん跳ねて歩く、服を着た二足歩行の兎さんまでいるじゃないか。この世界に存在する人種についても研究所で学びはしたが、こうやって自分の目で見てみると、何もかもが新鮮に見える。ていうか兎さんはものっそく可愛いわ……あ、猫さんもいる。やっばい萌える。
「……君は、毛が生えている方が好きなのかい?」
 何故かテレサのジト目っぷりがすごかったので、俺は渋々兎さんから目を逸らした。うん、獣人は皆可愛いけれど、兎が一番好きかもしれない。
 それにしても、行き交う獣人たちを見ていると、獣耳だけってのは邪道だよなと実感する。耳というのは、獣らしい顔についていて初めて可愛らしさを演出するのであって、人の顔に耳がついていても全く萌えねえ。
「さて。俺ぁこの辺うろついてっから、手前らは手前らで勝手に港に行ってろ」
 鋼鉄狂が言う。ちなみに、鋼鉄狂の格好はいつもの白衣ではなく、白い長袖のシャツに黒いズボンというありふれた格好だった。
 流石に白衣は目立って危険だと思ったのだろう。「空気を読む」って言葉を知らないように見えるこいつにしちゃ懸命な判断だ。当然、分厚い眼鏡はそのままだったが、眼鏡をかけた人は結構多かったから、浮いているわけではない。
「あぁ、あと何かあったらこいつで俺を呼びな」
 投げてよこしてきたのは、透明な、水晶玉みたいな丸い石だった。掌に乗る程度の大きさで、内側には不思議な光が宿っている。
「これは?」
「双方向に通信が出来る魔法石だ。使い方は後でテレサに聞けや」
 無線のようなものか。本当に魔法って便利だな。
 とりあえず頷いておくと、鋼鉄狂は「じゃ」と軽く手を挙げてから人混みの中に紛れていった。小柄なせいか、すぐにその姿は見えなくなってしまう。
 うん、まあ、普通にしてりゃ普通に人にも紛れてておかしくないんだよな、鋼鉄狂って。男だか女だかわからんのは相変わらずだったけれども。
「それじゃ、港の方に向かおうか」
「……おう」
 貰った石を鞄の中に入れて、テレサと並んで歩き出す。
 しかし、すごい人通りだ。何処からこんなに人が沸いてきたと聞きたくなるような、人、人、人。見た瞬間の驚きから覚めたら、今度は人に酔いそうだ。元々、人が多いところは好きじゃない。テーマパークなんてもってのほかで、金を払ってわざわざ出かける奴の気が知れない。俺ならば、「行けば金がもらえる」と言われても行きたくない。
 テーマパーク……俺の世界なら、それで通じそうなファンタジーの町並みを、やっぱりファンタジーの住人だと思わせる青みがかった銀色の髪を靡かせ、長いスカートの裾を捌きながら颯爽と歩くテレサ。認めるのも悔しいが、とにかく格好いい。
 俺もテレサと離れないよう、そして纏った深緑色のマントの裾を踏まないよう、気をつけながら歩く。時折危うく通行人にマントの裾を踏まれそうにもなったが。
 春の空はよく晴れていたが、風は少しだけ肌寒くて。マントを羽織っていてちょうどいい程度だった。どうやら季節は俺のいた世界とそう変わらないらしい。
「にしても、賑やかな町だな」
「ライブラ共和国の首都だからね。港町でもあるから、いろいろなところから人や物が集まってくる。とはいえ、僕も実はほとんど来たことはないんだけどね」
「っておい、んじゃ港の場所もわかんねえのかよ?」
 呆れた。わからないのに颯爽と歩いてたのか、こいつは。
 思わずジト目になる俺を見下ろして、テレサはあくまで悠然と笑う。
「だから、手っ取り早く人に聞くんじゃないか。ほら」
 テレサが一点を指差す。人込みに阻まれてよく見えなかったが、人と人の頭の隙間から小さな建物と受付のようなものが見えた。看板に書かれた文字によれば、観光案内所のようなものらしい。なるほど、ここは大都市であると同時に観光名所でもあるらしい。
 俺とテレサは人を掻き分けながらそちらに足を運ぶ。くそっ、テレサより背が低いのが腹立つ。鋼鉄狂はどうしてもうちょっとこの体の背を高くしてくれなかったのだろうか。顔立ちや色はまあ許容できるが、そこだけは納得いかないでいる。
 ともあれ、俺は受付を覗き込んでみて……言葉を失った。
「こんにちはー。ワイズへようこそー」
 う、兎さーん!
 ああもう何だよそんなつぶらな瞳で俺を見ないでくれよ、胸がきゅんとか言ってるじゃねえかもうっ! 何だこのときめき!
 しかもこの声は女の子だよな、何か可愛らしい服着てるし! よく出来たぬいぐるみみたいだ。超もふもふしてえ。いやでも兎に見えても相手はれっきとした人族、そんなことしたら犯罪だってのはわかってるんだけどでもめっちゃもふもふしてー!
 悶絶しかかっている俺を綺麗さっぱり素敵に無視してくれやがりましたテレサは、案内人の兎さんに言う。
「すまないね。港に行きたいんだが、どのように行けばいいのかな?」
「それならこの道を真っ直ぐ東に向かって、時計塔広場を南に行ってみてください。町の地図は要りますか?」
「ああ。いただいておくよ」
 にこりと微笑むテレサと、つぶらな瞳をぱちぱち瞬きしてぺこりと一礼する兎さん。俺はすかさず、半ば無意識に兎さんの手(前足?)を取っていた。
「ありがとう、助かったよ」
 そして自分の出来る限りの最高の笑顔を浮かべてみせる。やっぱり自分で自分の顔は見えないからわからないが、横でテレサがすっげえ微妙な顔をしたのはわかった。
 でもまあ、そんなことは気にしないことにする。
 とにかく兎さんの手はふわふわもこもこであったかくて肉球ぷにぷにで、すげえ気持ちよかったんだよ!
 兎さんはちょっぴり驚いた様子で目を見開いていたが、すぐに柔らかい声で言った。
「いえいえー。また何かあればご遠慮なくお申し付けくださいね」
「わかった。それじゃ」
 ちょっと名残惜しくも兎さんの手を離して、俺とテレサは案内所を後にした。その時、テレサが何故か自分の手を握ったり開いたりしてたが……何でそんなことをしてたのか、俺は知らない。
 兎さんに言われたとおり、大きな道を時計塔目指して歩いていく。並んだ屋台では、おっちゃんやおばちゃんが威勢のよい声を上げて客を呼んでいた。屋台に並んでいるのは俺の知らない名前の、しかしどこかで見たことのあるような食べ物が多かったんだが、一つだけ、妙に気になったものがあった。
「饅頭?」
 うん、多分あれは饅頭。形としては中華まんに近い。
 そして、屋台ののぼりにでかでか書かれていた文字は。
「……ワイズまん?」
「ああ、ワイズ名物ワイズまんだね。なかなか美味しいって評判だよ。食べるかい?」
「あー……ま、まあ、折角だし、食うか」
 何でこんな所だけ日本の観光名所みたいになってるんだ。てか饅頭はあくまでこの世界でも饅頭なのか。それとも俺の脳がテレサの言葉や看板の文字を自動的に日本語に変換しているのだろうか……気になって仕方ない。
 しかも、だ。
「こしあんとつぶあんがあるけど、シンはどっちが好き? ちなみに僕はこしあんが好きかな」
 こしあんつぶあん以前に、餡子が普通にあるのかよ! 日本じゃねえよな、ここ! 本当に日本のどっかにあるテーマパークとか言わないよなお前!
 そう叫びたくなったが、周囲を見てそれは無いと自分を無理やり納得させる。最低でも、さっきの兎さんの肉球は本物だったのだから、ここは日本じゃないしファンタジーなテーマパークでもない。あくまで、異世界『楽園』だ。
「どうしたの? シン」
「いや……俺はつぶあんの方が好き、だけど」
「ええ、僕、あの皮が嫌なんだよねー」
「そうか? あれがねえと俺は餡子食ってるって感じしねえんだけど……あ、こしあんとつぶあん一つずつ下さい」
 財布から数枚の銅貨を出すと、ふっくらとしたおばちゃんが、「あいよ」と言って蒸し饅頭を一つずつ袋に詰めて渡してくれる。出来立てで、袋の上から触っても熱いくらいだった。
 渡し際、おばちゃんがデートかと茶化してきたけれど……やっぱりそういう風に見えるのか、俺ら。いやまあテレサは可愛いし綺麗だし、俺も、この体についてだけ言えば顔はそれなりにいい。
 これがデートなら確かに見た目だけならばとっても美しいかもしれないが、残念ながらそんな事実はどこにもないし、俺も望んじゃいない、わけで。
 そんなことをつらつら思いながら、ワイズまんをほおばる。
 甘くて美味い。何だろう、ぱっと見あんまんなんだが、味はちょっとだけイメージと違う。それでも中身が餡子であることには代わりがなく、妙に自分がいた世界で食べる菓子の味を髣髴とさせる。緑茶とよく合いそうだが、残念ながら緑茶らしい飲み物の姿を視界内に発見することはできなかった。
 まだしっかり温かい饅頭をもう一口。甘いけれど、なかなか後引くな、これ。もう一個くらい買っておいてもよかったかもしれない。
「あ、あのう」
 ひとまず、ゆっくり咀嚼して。
「すみません、そこの方……」
 口の中の甘みをしっかり確認して、飲み込む。この体、よく考えてみると触覚だけならともかくきちんと味覚まで再現してるんだよな、今更ながら超ハイスペック。
「すみませんっ、お伺いしたいことがあるのですがっ!」
「って、俺に聞いてたのか!」
 聞こえてはいたけどすっかり無視をしていた。何しろ、自分が話しかけられているなんて思っていなかったから。だが、俺が声の聞こえた方向に振り向くと、すぐ横にいた人がこくこくと頷いて金色の瞳で俺を見上げた。
 つややかな黒髪を長く伸ばした、全身から純朴そうなオーラを漂わせているお姉さんだった。ただ、俺から見る限り年齢はよくわからない。何しろ、その人の耳は俺よりずっと長く、先がぴんと尖っていたから。
 そう、ファンタジー世界に存在する長命種族の代名詞、エルフだ。この世界でもエルフはエルフで、やっぱり魔法が得意な上に長生きであり、見た目で年齢は判断できないということは既に研究所で学んでいる。
「すみません、お引き止めしてしまって……」
 心底申し訳無さそうに、杖を握って体を縮めるエルフのお姉さん。いつの間にやらお姉さんに向き直っていたテレサが、異性同性構わず魅了しそうな微笑を浮かべて言う。
「何か僕らに御用かな?」
 女の人は一瞬びくりとしてテレサを見たが、テレサが笑みを浮かべていたことで安心したのか、硬かった表情を微かに緩めた。
「私、人を捜しているんです。もし、見かけてたら教えていただきたいと思いまして」
「人を?」
 俺は思わず辺りを見渡してしまった。ワイズまんを食べるために俺たちは一度歩くのを止めて建物の壁際に避難していたのだが、通りは相変わらず人で溢れている。こんな中で人を捜すなんて、『ウォーリーをさがせ』超高難度、みたいな感じだよな。
「おいおい、こんな中で、誰を捜そうってんだ?」
 言ってから、ちょっとだけ「しまった」と思った。一応初対面の相手なんだし、しかも相手は気の弱そうな女の人だし、敬語くらいは使ったほうがよかったのかもしれない。が、そんな俺の心配をよそに、女の人は俺の言葉に気を悪くした様子もなく、ただただ困った顔を俺に向けた。
「実は、連れとはぐれてしまったのです」
「迷子か……まあ、この人ごみじゃ、確かにはぐれてもおかしくはねえか」
 恥ずかしながら、俺だってテレサとはぐれてしまう可能性を思うと不安で仕方ない。テレサとはぐれてこんなファンタジーな人ごみの中に取り残されたら、正直俺一人じゃどうしていいかわからない。
 テレサは変わらず微笑を浮かべたまま、女の人に問う。
「それは困ったね。連れというのは、どんな人なのかな」
「えっと、背が高くて、こげ茶色の長い髪を頭の上の方で一本に結んだ人間の男の方です。顔立ちはテレイズ系で、いつも大きな剣を提げて軽めの鎧をつけてるはずです」
 ポニーテイルの男かよ。何だそのものすごいセンス。俺が心の中でツッコミを入れたその時、テレサが今までの微笑を崩し、何とも言えない顔になった。不自然にも視線を宙に彷徨わせ、何かを考えているようにも見えた。
「……テレサ?」
「いや、何でもない」
 テレサは俺だけに聞こえる程度の小声、かつ早口で言って、再び笑みを戻して女の人に言う。
「残念ながら、僕らは見ていないと思う。だけど、見かけたらすぐに教えるよ」
「あ、ありがとうございます!」
「もし見つけたらどうすればいいかな」
「えっと、私は時計塔広場の周辺であの方を捜しているので、そちらに来ていただけると嬉しいです」
 時計塔広場、というとその名の通り時計塔の根元辺りだろう。俺は「わかった」と一つ頷く。積極的に捜す気はさらさらないが、もしも見かけたらとっ捕まえて「連れが捜していた」とでも言って時計塔広場まで連れて行けばいい、それだけの話だ。
 テレサはしばし微笑みながらも女の人をその青い瞳で観察しているように見えたが、やがて何かに気づいたように小さく手を打って言った。
「そういえば、君の名前を聞かせてもらってなかったね。僕はテレサで、こっちはシン。君は?」
「す、すみません! 私はヴァレリアといいます。あ、あのっ、よろしくお願いします!」
「まあ、あまり期待はしないでね。それじゃあ行こうか、シン」
「あ、ああ」
 半ばテレサに引きずられるようにして、俺はその場から離れることになった。ちらりと背後を見れば、ヴァレリアと名乗った女の人はまだ俺たちにぺこぺこと頭を下げていて、通行人に変な目で見られていた。
 何か、微妙にズレたテンポの人だな、とは思うけれども。
 ただ、俺が気になっていたのはヴァレリアよりも、
「テレサ、どうしたんだ? 何か変だぞ、さっきから」
 無言で、俺の前に立って歩くテレサだ。テレサは俺の質問には答えず、早足で港の方に足を進めていく。苛立っているのか、何なのか。俺には、テレサが何を思っているのかが全然理解できない。どうも、ヴァレリアが捜している連れとやらの人相を聞いた時から、変な反応をしていた気がするんだが……
「もしかして、あのヴァレリアとかいう人の捜し人、知ってんじゃねえのか?」
「知らない人なら、いいんだけどね」
 俺の方に振り向きもせず、答えたテレサの声は、いつになく硬くて。俺も、何処となく嫌な予感を覚えながら、港へ向かう足を速めた。