反転楽園紀行

009:冒険準備

 それから数日間は、俺の世界と『楽園』を行き来しながら、鋼鉄狂の研究所で『楽園』についてひたすら学ぶことになった。何せ、こっちのことをきっちり知っておかなきゃ、どんなところでヘマするかわかったもんじゃねえ。今理解できることは理解しておくに越したことはない。
 というわけで、『楽園』の昼下がり。俺は本が積み重なった一室で、珈琲(この世界にもあるようだ)のカップ片手にのんびり読書タイムとしゃれこんでいた。
「意外と勉強熱心だよね、君も」
 半ば感心し、半ば呆れ……いや、その割合は半々どころか二対八かもしれない……テレサは俺の横で何とも形容しがたい微笑を浮かべていた。窓から吹き込む潮風に、テレサの青みがかった銀色の髪がさらさらと揺れていた。
 『ディスコード』を持ってきた日から、テレサは何故か研究所に滞在し、俺の勉強会に律儀に付き合ってくれていた。鋼鉄狂はすぐに地下の自室に篭ってしまうし、ヒナはよくふらりとどこかに出かけてしまうから、実質この世界の知識もほとんどテレサから教わるハメになっている。
「仕方ねえだろ、知ってなきゃならねえことが多すぎんだよ」
 今俺が手元に開いてるのは、『影追い』に関する記述だった。
 『影追い』。要するに、異端審問官だ。ユーリス神聖国の大司教とかいうエラい人が組織していて、その正体は基本的に不明。女神の教えに反する者……主に禁忌を研究する異端研究者を追い、監視し、時には処刑する。そういう物騒な存在だ。
「俺がこいつに目をつけられたら即アウト、ってことだよな」
「シンは歩く禁忌だからね」
 どうでもいいけどすっげえ嫌な言葉だな「歩く禁忌」。
「ただ、僕から見ても君の体は人間にしか見えないから、生半可な『影追い』じゃ見破れないよ。まあ、腕をばっさりやられたり、内臓が露出したらわかっちゃうだろうけどね」
「怖いこと言うんじゃねえよ」
「ちなみにこの世界には言霊という不思議な力があるらしくてね。口に出すとそれが現実になるそうだよ」
「俺の世界にもあるが、お前は俺に恨みでもあるのか。あるんだな、そうだな」
 恨まれる覚えは全くない。とにかくテレサの言動はいちいち腹が立つ。時折ぐっとくる仕草をするだけに、余計に腹が立って仕方ない。鋼鉄狂やヒナに対してはそこまで変なことを言い出さないから、どうやら俺の神経を逆撫でするのが好きで好きでたまらないようだ。
 ひとまずテレサは意識の外に追いやって、今まで得た知識を纏めてみる。
 俺の体は、よくできた機械で、結構生身の部分も多い……ちなみにこれ、鋼鉄狂が一から作ったわけじゃなく、女神の歴史以前の遺跡から掘り出したものを、俺の精神が受け入れられるよう改良したものらしい。どうやったのかは不明。知りたいとも思わん。
 ここにある機械のほとんどは、鋼鉄狂が作ったわけではなく、旧時代の遺物だそうで。ただ、普通じゃ絶対動かないポンコツを修理し、使えるようにしているのはひとえに鋼鉄狂の腕によるものだろう。テレサによれば鋼鉄狂はこの世界でも有数の異端研究者らしい。
 そういえば、機械は禁忌なのに、この世界では色々な大きさの飛行船が飛んでいるのをよく見かける。あれは機械じゃないのかとテレサに聞いてみたところ、あれは魔力を推進力にして飛んでいるからユーリスも黙認しているのだという。先の戦争でユーリス側も使っていた手前、禁忌とは言えないのだそうで。
 この飛行船、開発されたのは戦争初期で、作ったのはシェル・B・ウェイヴとかいうユーリスの僧侶。こいつは女神を信仰する僧侶のくせに異端研究者で、魔力推進の飛行船までは認められたものの、その後の研究がどうにもヤバかったらしく、二十年ほど前に『影追い』に処刑された模様。どの世界、どの時代にも早すぎる天才っていうのはいるもので、きっとこのシェルとやらもそうだったのだろう。
「飛行船を発明して戦況を一変させた天才でもあり、一番この世界の闇に近かった異端の申し子でもある。研究の記録を一つも残さなかったとか、生まれつき魔法は使えなかったとか、話題には事欠かない人だよ」
「魔法が使えないって、そんなに変なことなのか?」
「強い弱いの差はあれ、魔法は使えるのが当たり前だからね。魔法が完璧に使えないっていう人間はめったにいない。それは、何処かしらに欠陥があると考えられているよ」
 この世界では、魔力を持たない、というのは生まれつき目が見えなかったり、耳が聞こえなかったりするのとほとんど同じ扱いのようだ。
 始めは半信半疑だったが数日間ここで暮らしてみた今、それが実感できるようになって来た。生活の全てが魔法頼りなのだ。道具も、魔力が篭っていないものの方が珍しい。鋼鉄狂が持っている工具ですら、多少の魔法はかかっている。
 俺の体は鋼鉄狂によるとわざと魔法が使えないように作っているらしく、魔法のかかった道具を最低限扱うことはできても、例えばテレサのように指を鳴らしただけで光をつけることはできない。期待していただけに、残念で仕方ない。ただ。
「魔力を持たない分、お前の体は一部の魔法を受け付けねぇんだよ」
 と、鋼鉄狂は言っていた。
「魔法で起こした火を投げつけられたり、衝撃をぶつけられたりすりゃ当然体は傷つく。だが、例えば精神に作用するような魔法は絶対に効かねぇ。内部に作用する魔法は、食らった側の体内の魔力を変質させて起こすもんだから、元々内部に魔力を持ってなきゃ効かねぇってぇ寸法だ」
 わかったような、わからない、ような。
 とにかく、普通の攻撃魔法は効くが、精神攻撃は効かない、と。そういうことらしい。
 ああ、纏めてみるつもりが何だか余計にわけわからなくなってきた。物事を記憶するのは苦手じゃないが、これだけいっぺんに詰め込まれると、流石に頭の中がパンクする。
「ひとまず、面倒くさい世界だってのはよーくわかった」
「面倒くさい世界で悪かったね。君の世界はどうなんだい?」
「……さあな」
 面倒くさいか否か、と言われても俺にはピンと来ない。それに、ここにいる間はあまり、俺の世界のことは考えたくない。故に、適当に誤魔化しておくことにする。
 すると、唐突に部屋の扉が開き、手に重そうな鞄を持った鋼鉄狂が現れた。今日、こっちに飛んできてこいつの顔を見るのは実は初めてだ。下手すると、一日中地下の研究室に篭って出てこないこともあるからなあ、こいつ。
「よぅ、今日もお熱いじゃねぇか、お二人さん」
「どこをどう見たらそういう結論に達するのか、一から説明しやがりなさい」
 俺は全身から殺意のオーラを立ち上らせて……所詮気のせいなのはわかっていても……腹の底から低い声を出す。が、鋼鉄狂は全く意にも介さず、俺に鞄を投げてよこした。危なげなく鞄を受けとると、意外と重くは感じられなかった。
「そいつが手前の旅装一式だ。流石に裸で放り出すわけにもいかねぇしな」
「お、おう、悪いな」
 何だかんだで、気を利かせてはくれるんだよな。気の利かせ方がたまに変だが、テレサの言動よりはまだ理解のできる範疇内だ。ちょっとネジが緩んでることを除けば、鋼鉄狂はそれなりに良識人的感覚を持ち合わせているような気がする。
 鞄を開けてみると、中には旅に必要そうなもの一式と、軽そうな皮の鎧、それにくすんだ緑色のマントが入っていた。緑色かよ。普通勇者のマントといったら赤とかじゃねえのか。まあ、赤いマントひらひらさせて歩くなんて真似、俺はしたくないから選択としては間違っちゃいないんだろうが。
「手前もこの世界にゃ慣れた頃だと思うからなぁ。そろそろここを出て、東の魔女討伐に向かってもらう」
 ――やっと、か。
 俺はごくりと唾を飲み下す。まだ不安はあったが、後は実践で覚えていくしかないのだろう。
「とはいえ、東のレクス帝国跡地は、ユーリス神聖国の管轄下にあらぁな。だからまずはユーリスに行って、帝国領内に入る許可を取ってこなきゃならねぇ」
「うわ、初っ端一番の危険地帯に入れって話か」
「で、ユーリスに行くためにゃ、船でも飛行船でもいいんだが、とにかくでかい港に行かにゃならん。というわけで、まず手前が行くべきなのは、このライブラ王国の首都、学問都市ワイズだ」
 回りくどい言い方をしてくれたが、とにかく今からワイズって所に行けって話か。
「ワイズまでは俺が船を出す……が、俺ぁ研究があるし、正直ワイズはまだいいがユーリスは俺様にとっても危険。ということで後はテレサに頼んであっから」
「は?」
 ――何で、テレサがついてくるんだ?
 疑問に思いながら横に座るテレサを見ると、部屋の中でも何故か毛糸の帽子を被ったままのテレサは青い目を細めて悠然と微笑んでいた。
「僕の仕事は、君についていき、君の行動を見届けることだからね」
「なっ、聞いてねえぞ?」
「言ってないからそれは当然だよ」
「言えよ!」
 これから、こいつと二人旅か……何だか、超前途多難な予感しかしねえ。
「心配すんな、テレサは魔道士としては優秀だ。あと、今はいねぇみてぇだが、ヒナもちょいちょい手助けしてくれるだろうよ」
 ヒナがいてくれるなら、まだ安心か。ただ、ヒナはよくどこかにいなくなってしまうから、正直アテにならないかもしれないのが怖いところ。黙り込んでしまう俺に対し、鋼鉄狂はおかしそうにからからと笑う。
「後は、手前に何かがありゃ、すぐに俺も駆けつけらぁな。流石にユーリスで何かあった時には保障できねぇが。手前の体が完全に破損しちまった場合、俺しか修理できねぇから、大切に使えよ」
「……善処する」
 この体が壊れたり、気絶させられたりすると俺の精神は一端元の世界に『避難』するらしい。確かに、それなら事実上俺に「死」はない。だが、この体が木っ端微塵にされちまえば、死にはしないが俺はこっちの世界に来ることも出来なくなる。
 それだけは、避けなくてはならない。俺は、最低でも東の魔女を倒すまではここにいなくてはならない。それから先のことは……まだ、わからない。考えるべきことでもない。
「明日には出発できるようにしとくから、主に心の準備をしっかりしとけよ」
「はいはい。僕も荷物を纏めないとだね」
 テレサは何処となく嬉しそうに言う。言葉だけ聞いていると、遠足に出かける小学生みたいだが、これから俺たちは東の魔女を倒す戦いの旅に出るのだ。そう思うと、自然と緊張してくる。俺はまだ、『楽園』に来てからこの研究所の外に出たことがなかったから、余計に。
 窓の外に広がる空と海、そして遥か遠くの世界樹。
 一歩外に出れば、全く知らない世界が俺を待っている。
 ロールプレイングゲームでも、オープニングを終えてフィールドに出た瞬間が一番「おおっ」と思うもんだが、今の俺の気持ちはそれを二倍三倍にしたような気分だった。
「それじゃ、俺は準備に取り掛かるが……何か、質問はあるか?」
 白衣を翻し、立ち去ろうとした鋼鉄狂が、振り返って俺を見た。俺は鋼鉄狂の眼鏡のフレームを見つめながら、ちょっとだけ思案して。
 そういえば、聞こう聞こうと思ってずっと聞けていなかったことを聞いてみることにした。
「どうでもいいが、お前の性別は?」
「あぁ、生物学上は女だぜ」
 ……一応、女だったのか。そう言われてみれば、背が低めなのも声が高めなのも体が華奢なのもわからんわけじゃないんだが。それにしては女らしくない体型だ。胸とかまな板以下じゃねえか。言ったらきっと殺されるから口には出さないものの。
 それに、今こいつ言ったよな。
「生物学上、って何だよ」
「性別を表す時にはこう但し書きをつけることに決めてんだ。深い意味はねぇよ」
 深い意味はないと言われても、なあ。こいつ、もしかすると体は女だけど心は男だったりするのか。喋り方とか仕草とかはまんま男だし。そういう意味じゃ、悪いこと聞いちまったのかも。
 というか、この場にいる人間、俺以外は全員女だったんだな……ヒナは人間じゃなく幽霊だが。
 こんなギャルゲーは嫌だ。一番女の子らしいのが幽霊、ってのもまた何とも切なさ乱れ撃ちだ。
「しかし本当にどうでもいい質問じゃねぇか。もっとまともなのねぇのか」
 俺にとってはどうでもいいわけじゃなかったのだが、変な質問だったのは確かだ。まともな質問と言われても、ぱっとは思いつかない。いや、一つあったか。
「じゃあ……いつも地下で、何研究してんだ?」
「秘密。知らなくていいことってのも世の中にはあらぁな」
「お前、自分で質問を受け付けるっつったのに」
 俺がジト目を向けると、鋼鉄狂はふと笑みを崩した。その表情が、ほんの少しだけ感傷みたいな感情を帯びた気がして、どきりとする。突然、そんな顔されても困る。
「ま、お前ならいつかはわからぁ。じゃ、俺は行くから」
 ひらり、と手を振って、鋼鉄狂は部屋を出て行った。後に残された俺は、大きな鞄を抱えたまま、ただ鋼鉄狂の背中を見送ることしかできなかった。そう、今の俺にできることなんて、その程度だった。