反転楽園紀行

006:楽園のあり方

 世界樹と女神、それに『楽園』……なあ。
 眉に唾つけまくりたい話だ。
「で、東西南北にそれぞれ一つずつの大国が存在している。ちなみにここは、世界で一番西に位置する島に当たらぁな」
「ちょっと待て、一番西ってどういうことだ?」
 俺にとってはもっともな問いだったのだが、テレサには俺の言いたいことが通じなかったのだろう、首を傾げて問い返される。
「言葉通りじゃないか。何かおかしいのかい?」
「おかしいだろ。普通、世界は丸いんだから『一番西』なんて発想は」
 いや、待てよ。
 この世界は異世界で、俺の世界の常識が通用しないのか。俺の世界は地動説の世界だが、もしかするとここは天動説の世界だったりするわけか。十分ありえる話だ。
 思案する俺に向かって、鋼鉄狂がくつくつと笑いながら言う。
「シン、本来は手前の意見が一番正しいぜ。確かにこの世界は丸くて、北と南を軸にして回転している星だ」
「本来は……ってことは、一般的に知られてない、ってことか」
 テレサや天井近くに浮かんでいるヒナが何ともいえない表情をしているから、その辺は間違いないだろう。そうするとこの鋼鉄狂の方がこの世界じゃありえない知識を持っていることになるが、その件は後回しにしておく。
「建前上は、この世界は海という平面の上に浮かぶ島で構成された世界だ。
 世界の始まりには暗黒の海しかなく、そこに降り立った原初の女神ユーリスが、世界を明るく照らす太陽と月を生み出し、世界の礎となる樹を植えた。そいつが世界樹だ。世界樹は島を創り、植物と動物を創り、魔法の源たるマナを生み出し、現在のこの楽園を創りあげた。そして女神は一部の動物に言葉と魔法を与え、楽園を守っていくように命じた。それが今の人族だ」
 俺の世界でも同じような話はいくらでもある。古典的な世界創造神話だ。俺だったら、話を聞いた地点で「じゃあ初めからあったっていう海は誰が創ったんだよ」って聞きたくなるところだが。
「海は誰が創った、なんて聞いたら、後ろから刺されるってか?」
「正解。ま、普通の連中はそんなとこまで頭は回んねぇだろうよ、生まれたときから女神様と世界樹が全てって聞かされて生きてんだから」
 なるほど、話が見えてきた。
 この世界の文明レベルは、この部屋を見ている分にはさっぱりわからんが、おそらくは中世ヨーロッパとかその辺なのだろう。人は神話を信じて、神の加護を信じて生きている。本当は、世界を創った樹も、女神も、どこにも存在しないというのに……
「存在はしてますよ?」
「は?」
 いつの間に声に出してしまっていたのかはわからないが、とにかく俺が驚いたのは「存在している」というヒナの一言だった。
「女神様はわたしも見たことないですけど……世界樹なら、晴れた日にはよく見えるんですよ。多分その窓からも」
「そうだね。カーテン、開けておこうか」
 テレサが立ち上がって、窓のカーテンを引く。明るい光が俺の目の中に飛び込んできて、その明るさに慣れた頃には、そこに広がっている光景を目に焼き付けることになった。
 窓の外に広がっていたのは、一面の青い空、そして青い海。水平線の向こうに見えるのは、他の島なのだろうか。遠くの空には小さな飛行船のようなものが飛び交っているし、海の上には小さな船が何隻も浮かんでいる。
 そして、何よりも、目を疑ったのは。
 遥か南の彼方に、空を貫く樹が見えたこと。
 俺は、ベッドの上に身を乗り出して思わず呟いていた。
「あれが……世界樹」
「そ。世界を創ったっていう樹。そして、今もなお、魔法の源である力、マナを生み出している樹だ。魔法に頼って生活しているこの世界じゃ、世界の要と言っても過言じゃねぇ」
「この世界じゃ、魔法は当たり前のように使えるってことか?」
「まぁ、そうなるな。俺ぁ極端に苦手な方だが、この世界に生まれつきゃ、ほとんどの人間は必要最低限の魔法が使えると思っていい。そこのテレサみてぇに、生まれつき魔力が高かったり魔法の扱いが上手い奴は魔道士っつー魔法の専門家になることが多いがな」
 テレサは魔法使いだったのか。いや、鋼鉄狂の言葉を借りるなら、この世界では『魔道士』という分類になるのか。ある意味、この世界の人間全員が魔法使いだもんな、そういう分類はまだ納得できる。
「この世界の歴史は、魔法と共にあった。まず、女神が世界を創ってから三百年ほどは、小国が魔法を用いて争う戦国時代で、当時の文献はほぼ残っていない。その後数百年はその時代を勝ち抜いてきた四大国の時代だった」
 鋼鉄狂は部屋の中の机から、地図を引っ張り出して見せてくれた。不思議と、そこに書いてある文字は自然と理解できた。どう見ても、アルファベットに似た見知らぬ文字の羅列で、俺に読めるはずはないのだが。
 地図と鋼鉄狂の説明によれば、四大国とは以下のとおり。
 北に位置する、小国が集まってできたテレイズ連邦。
 西に位置する、学問と芸術のライブラ共和国。ここもライブラの領内に当たる。
 東に位置する、先進的な魔法技術を取り入れたレクス帝国。
 そして、南に位置し世界樹をその領内に持つ、世界の中心ユーリス神聖国。
「ある程度安定した時代だったんだがなぁ……そのバランスを崩したのが、レクス帝国だった。ほんの三十五年前の話だ。唐突にレクスがユーリスに、『世界樹は俺のもんだ』って言って喧嘩を吹っかけた」
「……はあ? 何か突然話が見えなくなったんだが」
「ま、黙って聞いてろ。レクスの皇帝は、どうも世界樹について何か重要な秘密を握っていたらしい。が、ユーリス側もそれで黙ってるわきゃなくてな。大戦争になった。レクス側は魔法だけじゃなくて、機械技術なんかも持ち出してユーリスに対抗したが……結果から言や、レクスは負けた。こてんぱんにな。そいつが五年前になる」
 結局、何だか知らないが世界樹が欲しいって言ったレクス帝国はユーリスの返り討ちに合った、と。この辺も後でまた詳しく聞くことにしよう。世界樹が何なのかよくわかっていない今詳しいことを聞いても、きっと理解できないから。
 ただ、ここで絶対に聞いておかなければならないことがある。
「質問していいか」
「どうぞ?」
「レクスは機械技術を持ち出したっつったな。だが、アンタの話の中で一度も、歴史の中に機械が出てきてねえ。必要最低限のことは何でも魔法でできるって言ったよな、何で機械技術が存在する必要がある」
 しかも、鋼鉄狂の話が全てだというならば、単純な絡繰仕掛けの機械はありえるとしても、この部屋に置かれている高度な機械や……それこそ俺の世界でもまだ存在しない、ここまで精巧な人間型のロボットなんか造れるわけがないのだ。
 鋼鉄狂はその質問を待っていたのだろう、眼鏡の下で目を細め、笑う。
「楽園じゃ、機械は『存在し得ない』 」
「どういうことだ?」
「この世界は、ユーリスが世界に降り立ち、世界樹を植えた時から始まった……だが、それ以前のこの世界に文明が存在していたとする。そして、それが機械を用いた文明だったとしたらどうだ」
 なるほど、この世界にとって機械は、失われたはずの旧時代の遺物……ロストテクノロジーってやつなのか。
 ありがちな設定だが、考えられなくはない。かつてこの世界には高度に発達した機械の文明があって、しかし何かの原因で滅びた。その後発達したのが女神と世界樹を中心とした魔法の文明だった。シナリオとしてはこれほどまでわかりやすい話はない。
 だが、この説を持ち出すと間違いなく最大の問題が浮上する。
 ――初めからここに世界があったということになれば、女神ユーリスは、世界を創造した神ではなくなってしまう。
 機械文明の存在を認めてしまえば、世界創造神話、そして女神と世界樹信仰の根本が揺らぐことになる。
「故に、ユーリスを信仰する人間からすれば、機械は『存在し得ない』時代の遺物で、『存在し得ない』ものである、と」
「そういうことだ。この楽園、特にユーリス神聖国じゃ機械の存在は禁忌でな、機械技術を研究する人間を『異端研究者』と呼んで厳しく取り締まっていらぁ。俺様も、見つかったら一発で首が飛ぶだろうな」
 それこそ中世ヨーロッパの魔女裁判みたいなもんか。何処の世界も同じようなものなんだな、その辺は。すると、本人が言うとおりまず鋼鉄狂は危ないんだろうな、こんだけ機械を集めて、俺みたいなロボットまで造っちまって……ってちょっと待った。
「ってことは、俺の存在それ自体も禁忌だよな」
「そうだなぁ」
「俺が機械ってバレたら、木っ端微塵にされませんか鋼鉄狂さん」
「されるなぁ」
「何でこんな体にしやがった!」
 確かにどっからどう見ても人間だから、一発でバレるってことはなさそうだが、それにしたってわけがわかんねえ。何故機械である必要がある。魔法が盛んなら、それこそ魔法で体を造るとかしてくれればよかったじゃないか。
「さて、そこで本題だ」
 ……あ?
 鋼鉄狂が、姿勢を正したものだから思わず俺も背筋を伸ばしてしまう。
「手前は、何でこんな体にしやがったと言ったな」
「言ったよ」
「その必要があるからだ。さっきレクスはユーリスに負けた話はしたな」
 さっきの話から続いていたのか。とりあえずまだ納得できてはいないが、反論は話を全部聞いてからにして、視線だけで話の先を促す。
「今んところ、ユーリスの主導の下、レクスは復興に向かってらぁな。が、レクスの首都に一人の女が住み着き、人を集め、もう一度先の大戦を繰り返そうとしている」
「そいつが、東の魔女、とかいう奴か」
「そうだ。そいつは帝国が使っていた魔法の兵器や改造した魔物、その他色々な武器を持ち出して、ユーリスに戦争を吹っかけようとしてらぁ。そうすりゃ、この世界の混乱は免れねぇ」
 確かに、魔女がユーリスに勝とうと負けようと、世界が混乱するのは間違いない。人も、たくさん死ぬのだろう。
 生粋の平和ボケした日本人である俺には、戦争とか人が死ぬとか言われてもどうしても実感が足りないが、どうにかしなきゃならない、ってことだけはわかる。止められるなら、止めたいと思うのも当然だ。
「そして、そいつに対抗するためには、魔法じゃ無理ってことがわかってんだよ」
 魔法じゃ無理、ってことがあるのか。その辺はこの世界の魔法を知らない俺にはさっぱりわからないんだが。後々わかってくることを祈ろう。
「魔法が無理なら、禁忌であろうと何だろうと、頼れるものに頼るしかねぇ。ってなわけで、手前の体を掘り出して調整して、後は楽園の魔法の影響を受けていない異世界の存在……つまり手前の精神を引っ張ってきた、ってわけだ」
「それなら、別に『俺』じゃなくてもよかったってことか?」
「いや、んなこたねぇ……ヒナから聞いたかもしれねぇが、世界を渡ることのできる能力者っつーのはこっちの世界でもお前の世界でも一握り以下だ。その中でも手前は世界を越えても安定してる、半端ない能力の持ち主だ。その点は誇っていいぜ」
 ――嬉しくない。
 正直、そう思う。ヒナはどうか知らんが、鋼鉄狂やそこにいるテレサは、間違いなく俺の「能力」しか見ていないのだろう。俺に世界を越える能力があるなんてのは初耳だが、そんなこと聞かされたって嬉しくも何ともない。
 俺がそんな風に思っていることを知らない鋼鉄狂は、構わず言葉を続ける。
「勇者様はここにいる。魔女に対抗できる武器も取り寄せた」
 テレサ、と。鋼鉄狂に呼ばれてテレサは立ち上がる。テレサが鞄の中からおもむろに取り出したのは、ナイフだろうか。鞘に入った、少しだけ大振りのナイフだ。短剣と言うにはちょっと小さい。
「大切に扱え、だそうだよ」
「わかってらぁ。ちょっと貸せ」
 鋼鉄狂はテレサからナイフを受け取ると、無造作に鞘から抜いた。俺から見る限り、変哲のないナイフだ。魔女に対抗できる武器と聞いて、いわゆる勇者の剣みたいな馬鹿でかい剣とか、それか機械文明の産物である超強そうな銃とか、そんなもんを想像していたものだから何とも拍子抜け。
 鋼鉄狂は手の中でしばらくナイフを回していたが、唐突に小さく呟いた。
「 『ディスコード』 」
 その言葉に応えるように、ナイフが突然耳に障る甲高い音を立てた。その音は一瞬で途絶えてしまったけれど……呆然とする俺に向かって、鋼鉄狂は再び鞘に収めたナイフを投げて寄こした。片手を伸ばして、ナイフを握る。
 思ったより、ずっと軽かった。
「そいつが、魔女に現状対抗できる唯一の武器『ディスコード』。単なるナイフに見えるかもしれねぇが、よく出来た機械だ」
 機械? これが?
 どこからどう見てもただのナイフだ。鞘から抜いてみても、確かに刀身は綺麗に磨き抜かれているが、それだけ。
 ……だと、思ったのだが。
「 『ディスコード』と唱えれば骨でも金属でも何でも切れるようになるぜぇ」
 ――何だ、その斬鉄剣みたいなトンデモ武器。
「何でも切れるって、もしかしてコンニャクもか?」
 ある意味当然の質問に、真っ先に怪訝そうな顔を浮かべたのはテレサだった。
「君の世界では、コンニャクが一番硬い存在なのか?」
「いや、悪かった。忘れてくれ」
 だってほら、何でも切れるけどコンニャクだけは切れないじゃないか、アレ。とはいえ異世界人にこのジョークは通じなかったらしい。そりゃそうなんだろうが……くそう。ちょっと悔しい。
「もしかして、コンニャクで作った鎧とかが出回ってるのかな……」
「出回ってねえ! ってか俺の世界じゃ鎧なんて使わねえから!」
 冗談なんだから話題を引っ張らないでくれ。言われれば言われるだけ恥ずかしい。というかぱっと見ヨーロッパ風に見えるこの世界で普通にコンニャクが食われているのか。そこが一番疑問なんだが。
 ともあれ、俺は半信半疑で『ディスコード』というらしいナイフを太陽の光にかざす。頼りなくは見えるが……唐突に『ひのきのぼう』と『なべのふた』で放りだされるよりは随分マシと思うことにした。
 しかし、だ。
「俺が、これを使うのか」
「まぁ、そういうこったな」
「俺、ナイフなんて使ったことねえよ? こいつで魔女を倒せって言われても困るんだが」
 何度も言うようだが、俺はあくまで少しだけ変なものが見えるだけのごく普通の高校生男子であり、剣とか魔法とかそんなものとは無縁に生きていたわけで。まあ、俺の世界じゃただ幽霊が見えるだけでも、「ごく普通」とは言えなかったわけだが。
 俺の言葉を聞いて、鋼鉄狂はにっと楽しげに笑う。そういう表情は本当にマスターによく似ていて、どきりとさせられる。俺が今いる場所が、異世界なのか俺の世界なのかわからなくなるような気がして。
「なら、試してみるか?」
「は?」
「手前が、そいつをきちんと使えるかどうか、だ」
 試す……ってどうやってだ。何だかすっごく嫌な予感しかしないんだが気のせいか。
 俺の返事を聞く前に、鋼鉄狂は「ついて来い」と言って部屋を出て行ってしまった。テレサが立ち上がって、声をかける。
「僕も一緒に行っていいかい?」
 すると、廊下の方から声が聞こえてきた。
「あぁ、構わねぇよ。むしろついて来い」
「だってさ」
 だってさ、って言われてもな。最低でも、俺に選択肢が無いことだけはわかった。
 渋々、ベッドから降りる。立てるかどうか一瞬不安になったが、ふらつくこともなく両足でしっかり体を支えられている。いや、現実の俺の体よりもずっと、身軽に感じられる。ロボットというから、てっきり重たいもんだと思っていたが……
 『ディスコード』を鞘に入れなおして、靴を履いて歩き出す。横に並んでいるテレサが、じっと俺を見ているもんだから、「何だよ」とガンをつけてやった。
 すると。
「いや、なかなか僕好みの顔だと思ってね」
 なんて抜かしやがる。どうせ、この顔を作ったのは鋼鉄狂に決まっている。俺自身が褒められてるわけじゃない……ってのはわかってるのにな。
「うるせえよ」
 と言いながら、結構嬉しかったのは、内緒だ。
 内緒とはいえ、考えていることが自然と顔に出ていたのかもしれない。ヒナが横でくすくすおかしそうに笑ってるのが、ちょっとだけ悔しかった。