Planet-BLUE

145 プラネット・ブルー

 声。
 声。
 声。
 いや、歌だ。
 誰が歌っている?
 これは……

 私?


 手を繋いだラビットとトワは、青い光の中にいた。それが、『ゼロ』の光であることはすぐにわかった。聞き覚えのある歌が、三百六十度全ての方向から聞こえてくる。頭が割れるように、痛い……
 だが、ここで意識を手放すわけには行かないのだ。
 翼を。
 もっと広げて。
 そして、貫くのだ。この光全てを……自分と、トワの思いをもって。
 それは小さく弱く、ただほんの少しだけ大きな力を持っていた二人の、悪あがきに過ぎないのかも、しれない。
「それでも」
「届けたい」
 貴方に。貴方方に。私たちの思いを。二人と、二人が出会った人々の記憶を。この星の記憶を。私たちの旅したこの星の美しさと、尊さを。
 ラビットとトワが言った瞬間に、光が揺らめき二つの影を生む。
 ラビットの前に立つ影は、小さな少年の姿をしていた。黒い髪に、沈んだ青の瞳。痩せこけた身体。遠い記憶の中で、やけに見覚えのある姿だった。
 トワの前に立つ影は、小さな少女の姿をしていた。青銀の髪に、明るい青の瞳。かつてのトワの姿に、よく似ていた。
 二人の子供は、大きな瞳でじっとラビットを見つめている。それだけではない。周囲の光が一つ一つの影となり、全てがこちらを見据えているのだ。
 それら全てを代表して、二人の子供が口を開いた。

『……あなたのいたみは、わたしのいたみ』

 幼い声に、何故かラビットやトワ自身の声に被って聞こえた。そして、子供たちは笑う。屈託なく、晴れやかな笑い方で笑いながら、少年と少女はお互いの手を取る。
 そして、しっかりと握り締めた二つの手を、ラビットとトワに向けて突き出してみせた。

『きづいてくれてありがとう、   』

 ああ。
 そうか。
 これが、『ゼロ』なのか。

『もう、ひとりじゃない』

 ありがとう。
 ありがとう。

『いっしょに、かえろう』

 ただいま、『わたし』。
 おかえり、『わたし』。


 声と共に否定を貫く白と青の刃。
 白兎と青い少女の思いは聞き届けられた。
 消える歌声。
 弾ける青い光――――!

「ラビット……!」
 渦巻く混沌に抗して何とか意識を持ちこたえる中で、トワの声が遥か遠くから聞こえる。
 目も眩む青い青い光の中で、ラビットも気付いた。
 『ゼロ』が内包していた莫大な力に煽られて、しっかりと繋いでいたはずのお互いの左手が、離れようとしている。あれだけ『離さない』と言っていたのに。一緒に帰るのだと約束した。その手が、離れてしまう……
「ラビット!」
 トワは叫んだ。
 暴風のごとき力の奔流に流されて、ほとんど指先だけで繋いだ手。それも、もうすぐ解けてしまう。この手が離れれば、ラビットとトワは別れなければならない。
 何故か、二人ともそう確信していた。
 多分、この握った手が、そしてこの手が宿した青いビー玉が、二人の旅の始まりで。そして、二人の旅の終わりだから。旅の終わりは別れであると、理論では別の何処かで理解していたのだろう。
「……また、会えるよね!」
 残り少ない力を振り絞って叫んだトワの声も、光の中に消えてしまいそうになる。ラビットは、それに負けないくらいに力を込めて、叫んだ。
「会えるさ、絶対に!」
 トワの姿も、青い光の中に埋没し始めていて。ラビットは無理に身を乗り出して、言葉を紡ぐ。
「約束だ! 今度こそ絶対に忘れない! 帰ろう、天文台に!」
「うん、約束……!」
 一瞬、小指が絡まって。
 それが、二人の約束。
 次の瞬間には、二人の手が離れ、ビー玉が零れ落ち……ラビットの意識は、闇に落ちた。


 塔を見上げるレイ・セプター。
 戦いを続けながらラビットとトワの行方を気にしていた聖とマーチ・ヘア。
 共に塔の入り口に立っていたルーナ・セイントとヴィンター・S・メーア。
 地面の上に倒れたまま空を見つめていたルーク。
 混乱する軍の指揮を取っていたケイン・コランダム。
 現在の状況が把握できていない軍人たち。
 これらの様子を見つめている船の監視機構。
 上からの指示を失い、動きを止めていた帝国の機械人形。
 天文台に意識を戻し、不安げに空を見上げていた龍飛。
 ちょうど、『子午線の塔』に向かおうとしていたセシリア・トーン。
 そして……地球に残っていた全ての人々は、見た。

 『子午線の塔』から放たれた眩い青と白の螺旋が、真っ直ぐに『ゼロ』に向かっていく瞬間を。
 すると、『ゼロ』を浮かべていた白い空が、青く染まり――――
 一瞬、それを見た人々の脳裏に、あるヴィジョンを投影する。


 それは、青い海。
 この星がかつて抱いていた色。
 ……この星から生まれた人々全てが、今も抱き求めている夢。この星が抱く、夢。
 誰もが一度は理由もなく『還りたい』と思う、青い、星の夢だった。
『ただいま』
 小さな声が、鈴のように、耳の中で響いた。


 セプターの目から涙が一筋流れた。
 そのヴィジョンは一瞬だけだったにもかかわらず、セプターの脳裏に焼きついて離れない。『ただいま』と囁いた声も。
 空の色も、青く染まったのはたった一瞬のことで、次の瞬間にはいつもと同じ白色の空を取り戻していた。
 ただ、一つだけいつもと違ったのは……
「 『ゼロ』が」
 そう、地球の空に常に輝き続けていた青い破壊の光、『ゼロ』が忽然と消えていたのだ。
 セプターはそう気付いた瞬間に駆け出していた。『子午線の塔』に向かって。
 彼らはやってのけたのだ。セプターにはわかった。彼らはたった二人で、あの破壊の象徴を消し去ってみせたのだ。
 だが、何だろう、この奇妙な胸騒ぎは。嬉しいのか、悲しいのか、寂しいのか、辛いのか……理由のわからない感情ばかりがセプターを駆り立てる。先ほどのヴィジョンに動揺したのか、それとも。
 塔の入り口は開いていて、セプターは迷わずにその中に飛び込んだ。
「ラビット!」
 声をかけるが、階上からの返事はない。
「トワ!」
 ……返事は、ない。
 セプターは三段飛ばしでステンドグラスに飾られた階段を上っていく。ステンドグラスの前を通るたびに、セプターの金色の髪が赤に、青に、緑に、色とりどりに染まっては元の色に戻る。
 飛ぶように走るセプターの軽い足がもうすぐ最上階に届こうとする、その時だった。
 かつん。
 何かが落ちる音に、セプターは反射的に足を止めた。
 かつん。
 階段をゆっくりと一段ずつ落ちてくる、何か……それは、立ち止まったセプターの足にぶつかって、止まる。
「ビー玉……?」
 セプターはそのビー玉を知っていた。この塔の頂点にいるはずの少女の目と同じ色をした、ビー玉。脳裏に焼きついた海の色と同じ色は、かつて白兎が握り締めていたビー玉に間違いなかった。
 胸騒ぎが、高まる。
「……ラビット! トワ!」
 叫んで、セプターは天井のない、白い空が見下ろす最上階に飛び出した。



 そこには、