Planet-BLUE

143 ビー玉と星の歌

「……わたし、最後までわからなかったの」
 ずっと黙っていたトワが、ぽつりと言った。
「あの頃、わたしがいたのは、とても静かな場所だった。時計塔とは違う、作られた静けさの、世界。真っ白な壁に囲まれた世界だったのは、よく覚えてる」
 ラビットは目を見開いてトワを見た。トワはラビットの、ビー玉を握り締めた手に手を重ねたまま、ぽつぽつと語り始めた。
「だけど、その日は違った。やけに騒がしくて、それでとても怖くて。わたし、部屋の中で耳を塞いでた。私に優しくしてくれてたセツナが殺されたって、誰かが言ってた気がしたけど、それもわからない。怖くて、本当に怖くて、震えてた」
 トワの身体は、その時の事を思い出したのだろう、微かに震えていた。ラビットはしっかりと、トワの身体を抱きしめる。小さな身体の感覚が、失われないように。
「だけど、わたしが見たのは、優しくて、だけど悲しい目をした赤い人だった」
 その時少女が見たのは狂気に侵された死の導き手。白い軍服は血に塗れ、深い赤に染め上げられていたというのに。
 少女の目は、確かにその男の本質を捉えていたのだ。
「寂しそうな、人だった。幻のような、人だった。そこにいるのに、どこか遠くにいるような、人だった。
 それで、わたしと同じ、人だった。
 わたしは、人の持ってる『無限色彩』がわかるから。だから、わたし、わがままだなって思ったけど、ずっと思っていたことをその人に打ち明けたの」
「……力は、無限色彩は、何のためにあるのか」
「そう。その人は、とっても悩んでた。きっと、本当はその人にもわからなかったのだと思うの。だけど、その人は考えて、考えて、それから教えてくれたの。
 『その力は、大切なもののためにある』、って。
 わたし、その意味がずっとわからなかった。だからその人と約束したの。宝物のビー玉一つを渡して、わたしが本当に大切なものを見つけたら、わたしと一緒にいてほしい、って」
 多分、変なお願い事だったと思うけど、とトワは微かに笑う。
「きっと、わたしがその答えを出したとき、その人もきっと大切なものを見つけてるって信じてたの。きっと、その人と一緒に、今度こそ本当の意味で無限色彩を使えるんだって、信じてたの」
 そうだ。
 この青いビー玉に込められていた願いは、初めから彼女の切なる願いだった。
「それから、時計塔に移ってからも、ずっと、わたし『大切なもの』って何だろうって思ってた。わたしにはわからなかったから、同じ無限色彩のクロウに聞いた。カルマにも聞いたよ。だけど、わからなかった……二人とも、最後にはこうやって言うの。『白の二番』ならわかるかもしれない、って」
 あの二人は、『白の二番』クレセント・クライウルフをある意味で一番よく理解していた。クレセントは軍の厳重な監視下にある『白』の中では唯一、外界との接点を保ち続けていた存在。それ自体が軍の実験の一環であろうとラビットは理解しているが、それでも。
「 『白の二番』は『幸せ』で、『大切なもの』の存在を、他の無限色彩保持者の誰よりも知っているはずだから、って」
 事実、ラビットは絶望を味わいながら、幸福でもあった。
 それを本人が自覚していなかっただけで。
「わたし、前に時計塔で『幸せだ』って声を聞いてたって、言ってたでしょう? その声、何だかとっても懐かしかったの。その声が、急に『 「白の二番」を探して』っていう声に変わって、わたし、いても立ってもいられなくなったの」
 そして、時計塔を飛び出す。
 クロウ・ミラージュの手を借りて、シリウス・M・ヴァルキリーの庇護の下、全ての始まりである地球へと。
 多分、『幸せだ』と聞こえていたのは、ラビットが無意識に放っていた思い。それがトワの元に届いていたのは、トワが約束の証明に渡してくれたビー玉が、思念を送る媒介になっていたのかもしれない。
 そして、『 「白の二番」を探して』と言ってトワを地球へ、白の原野へと導いたのは、ラビットの中で生き続けていた肯定の魂……ミューズ。
 ミューズはきっと知っていたのだ。かつてのラビットと、トワの間に交わされた約束を。
「初めは、『白の二番』にわたしの力の使い方を聞こうと思ってた。『白の二番』が地球にいて、地球を愛してるっていうのは、クロウから聞いてたから。きっと、わたしが聞きたいことも全部答えられるんだと思ってた」
 だけど、間違ってたの、とトワは言う。
「黙っててごめんなさい、わたし、セシリアの家で、ラビットが『白の二番』だってわかったの。でも、ラビットに聞かなくてもその時には、わたしは大切なものを見つけてた」
 トワは涙を湛えた瞳でラビットを見つめた。
「……わたし、ラビットが好きなの。ラビットが生きて、愛してるこの地球が好きなの。だから、わたしの力はきっとラビットを守るために、この地球を守るためにあるんだってわかったの。
 最後まで、約束した人とは会えなかったけど、きっとこれでいいんだって思ってた。わたしは、あの人が言っていたとおり、大切なものを見つけられたから。だけど」
 また、トワの目から涙が零れた。張り詰めていたものが全てあふれ出すかのように。
「怖かったの。わたしの力だけで何もかも守れるのかな、って思って『ゼロ』を見たら、本当に大きくて、怖くて……ごめんなさい、わたし」
 ラビットは何も言えないままに嗚咽を漏らすトワを一際強く抱きしめて、考える。
 自分は何て愚かだったのだろうか。
 トワと交わした約束を忘れるどころか、これほど小さな少女に全てを背負わせようとしていたのだ。
「……すまなかった、トワ」
 今更謝っても、どうにもなることではないが。
 この瞬間に間に合ってよかったと、心から思う。
「私はな」
 ラビットは、ともすれば詰まりそうになる言葉を何とか、搾り出す。
「あの時、本当はそんなこと不可能だと思っていたのだ。大切なもののために、力を振るうなど。私は、この力で大切なものを傷つけることしか、知らなかったから」
 家族を殺し、仲間を殺し、最後には愛する人をも守れぬままに。力は全てを壊し、最後にいつも自分だけが残される。
「だが、望んだのは本当だ。ずっと、そうなればいいと思っていた。戯言かもしれないが、『無限色彩は心の力』、『奇跡の力』なのだと信じたかった」
 それで、今まで心からその戯言を信じたことは無かったけれど。
「だから、今度こそ信じてみようかと思う。貴女と同じ場所に立って、私の大切なもののためにこの力を振るおうと思う。貴女に比べたら随分と遅れたが、今なら、それが出来るような気がする」
「ラビット……」
 トワは袖で涙を拭うと、微笑すらも浮かべてラビットを見上げた。
「ラビットの大切なものって、何?」
「決まっているだろう」
 ラビットも、手の中の温かなビー玉を握って笑った。
 ああ、きっと。
 今度こそ、上手く笑えてる。

「貴女と、貴女が愛するこの星を、何よりも大切に想う」

 トワは腕を伸ばし、ラビットの身体を強く、強く抱きしめた。
 耳元で囁くのは、鈴の鳴るような、微かながらも凛と響く声。
「……ありがとう、ラビット」
「礼を言うのはこちらだ。貴女がいなければ、私はここには立てなかった」
 ラビットも左腕でトワの背を抱く。
 二人は同時に頭上に輝く『ゼロ』を見上げる。『ゼロ』は青く燃え上がり、二人を……二人を抱く地球を見つめている。そして、今もなおはっきりと聞こえる言葉は。
「聞こえる?」
 トワは問う。ラビットは『ゼロ』を見上げて微笑む。
「……ああ。歌っているよ、孤独な歌を」

『私は、ここにいる』
『私から、目を背けないで』
『私は、独り』

「 『ゼロ』 」
 ラビットは手を伸ばす。ラビットの手は短くて、決してまだこの星には届かぬ『ゼロ』に触れることは出来ないけれど。
「貴方も私たちと同じだ。いや、私たちと同じだったもの、なのか」
「どういうこと?」
 『ゼロ』の声をラビットほど明確に聞き分けることが出来ないトワは不思議そうな顔でラビットを見た。ラビットはなお『ゼロ』を見上げて言葉を紡ぐ。
「ある男がかつて『ゼロ』について語った言葉がある。科学者はそれを笑い飛ばしたものだったが、今ではそれもまた、真実に一番近かったのかもしれない」
 きっとこれも、科学的な論証を何よりも好む古い友人は嫌う話ではあるけれども。
「……『ゼロ』が放つエネルギーは、無限色彩保持者が操る『力』に一番近いのだと」
「え……?」
「だから、その男はこう考えた。『ゼロ』というのは、孤独な無限色彩保持者の、昇華できなかった魂、『力』の集合なのだと。そして、自分たちの、本来の故郷であるこの場所に還ろうとしているのだ、と」
 無限色彩保持者は、総じて太陽系圏人だ。そう結論付けたのは誰だったか、ラビットもよく覚えていない。だが、それが本当だとすれば、無限色彩保持者の物語はこの星から始まったということになる。
「私も、この話を初めに聞いたときは笑ったものだった。感傷に過ぎる、とな。だが、今ではその男を笑うことも出来ないかもしれないな」
 それが真実かどうかは今でもわからないけれども。
 無数の声の合唱で孤独を訴える、『ゼロ』。
 これだけの声を集めながらなおも『孤独』なのか。
 ラビットは腕を掲げたまま思う。
 自分もそうだった。誰かの中にいたとしても常に孤独を感じていた。誰も自分を見ていない、無限色彩保持者という名前の化け物としてしか見てもらえないのだと思い込んでいた。
 本当は、決してそれだけではなかったというのに。
「似てるね、わたしたちに」
 トワもラビットが何を言わんとしているのか理解したのだろう、目に悲しみを湛えて、掲げるラビットの腕に時分の腕を添えた。
「……そう、似ている。だから、理解もできるはずだ」
「どういうこと?」
「私たちは地球を守りたい。だが、同時に『ゼロ』を救うことも出来るかもしれない。そして、それはきっと私たちにしか出来ないのだと思う」
 それ以上は、ラビットも何も言わなかった。
 だが、トワはラビットの真意に気づいたのだろう、微笑みを向ける。ラビットも微笑んで、トワを見返した。


 二人はお互いの温もりを確かめながら『ゼロ』を見上げる。
 『ゼロ』は歌い続け、ゆっくりと時間は流れていく。


 そう……旅の終わりに向けて。