Planet-BLUE

135 分岐点

 無限色彩。
 それが何故生まれ、どのように広まったのか、正確なことは誰も知らない。ただ、それが人の身に宿りながらも人知を超えた力であり、歴史の中で最も恐れられた力であることは確かだった。
 今も、そうだ。
 地球に降り立った大佐バルバトス・スティンガーは白い砂を混じらせた風に灰色の髪を靡かせながら思う。
 何故『白の三番』カルマ・ヘイルストームは自分の乗る船だけを『偶然』捕らえ損ねたのか。それが『偶然』などではなく、カルマの意志であることはわかっていた。そして、そうしろとカルマに指示したのが誰であるのかも。
 トゥール・スティンガー……二十年以上前に死に損なった、ただ一人の血の繋がった弟。トゥールが本来の肉体をほとんど失っている今、「血の繋がった」という表現を使うべきなのかも迷うところだが。
 かつては表舞台で軍神と讃えられ、現在は舞台の裏側で全ての情報を握っているあの天才は、弟でありながら常に自分よりも上に立っていた。だが、それでよいとスティンガーは思っていた。
 自分はトゥールではないし、トゥールは自分ではない。自分の舞台は、元よりトゥールとは違う場所にある。
 だが、やはり兄弟ゆえか……トゥールが何を考えて動くのかは、手に取るようにわかるのだ。
 トゥールは、全てを知りながら自分を止めなかった。
 何故か。
 ……答えは、決まっている。
「私も、もう終わりか」
 トゥールには終わりが見えているのだ。そして、そこに自分がいないことも、同時にスティンガーがいないこともわかっている。確かに、今まで築いてきた足場はトゥールと常に裏で動いていたメーア……いや、フォレスト・サーキュラー、そして『白兎』という不確定な要素に崩され、上層も全てを知りながらスティンガーの動きを観察している。
 舐められたものだ、と思う。
 スティンガーは決して愚かではない。これがほとんど勝算のない戦であることは理解している。それでも、彼は一歩を踏み出す。頭の中に焼きついている、愛する人の青い瞳を思い返しながら。
 リィ。
 愛する人。
 全てはトゥールの言葉通りだ。トゥールの見解は一つも間違っていない。むしろ、今までトゥールが自分に何も言ってこなかったことの方が驚きだ。気づいていなかったのか、それとも知っていて言わなかったのか……
 前者だろう、とスティンガーは思う。
 トゥールは天才ではあるが人間的な感情にほだされやすい。彼は全てを見つめているようでいて、自分に近しい存在に対しては驚くほど鈍いところがある。スティンガーの立てた計画も、元はといえばトゥールのそのような性質の裏をかくものだったと思い出す。
 結局、トゥールはそれを乗り越えてこの一連の事件の全容に迫ってきたわけだが。
 だからと言って、計画を変えるつもりはない。おそらくトゥールも、メーアも、この先に何が起こるのかまではわかっていない。自分が、どのようにこの茶番を終わらせようとしているのかも。
 仰ぎ見るのは子午線の塔。
 強大すぎる力を抱き、また遠い日の彼女と同じ目をした少女が待つ、最後の舞台。
 長かった。長すぎた。ここに辿り着くまで。どれだけ間違えてきたのだろうか。どれだけ迷い続けてきたのだろうか。それも、ここで終わるのだ。
 耳の中で、小型の通信機が鳴った。頭の中に埋め込まれた機械は、脳に通信の相手が帝国の上層であることを伝えた。
 スティンガーは、迷わずその通信を拒否した。向こうからの通信を全て遮断し、静かになったところで改めて塔を見上げなおした。
 ――トゥール。
 本当はトルクアレトという、弟の名前を口の中で呼ぶ。初めてトゥールをそう呼んだのはスティンガーだった。『軍神』トルクアレトは死んだのだ、という彼に新しい名前を与えた、それだけの話。
 実際に、トルクアレトはあの日に死んだのだとスティンガーも思っている。戦から離れ、『軍神』という軍の操り人形であることを辞め、人として生きようと足掻く人間を『軍神』の名で呼ぶ理由はない。だから、スティンガーは決して彼を『トルクアレト』とは呼ばなかった。スティンガーはスティンガーなりに、トゥールを認めていたから。
 ――この終わりを見て、お前は笑うのかな。
 塔を見上げる目は何処までも鋭く、冷たい。この身を切る、風のように。
 ――いや、笑いもしないか。
 もう会うこともないのだから答えはわからない。わからないままで構わない。自分は最後まで踊り続けるだけ。自分の描いたシナリオそのままに。
 スティンガーは目を伏せて通信の回線を、開いた。
 
『……全てを終わりにしよう』
 通信機の向こうの声は、一方的にそう告げた。ルーナ・セイントは暗がりでその声を聞いていた。
『私は今から上に離反する。今までご苦労だった……お前たちは自由だ。
 今までどおり帝国に従うもよし、この場を離れ、自らの生き方を模索するのもよし。自分の思うがままに動けばよい。お前たちには「思うがまま」という言葉自体、理解不能かもしれないが』
 そこで、声は一旦途絶えた。セイントは何も言わずに、息を殺して言葉の続きを待つ。
『お前たちの逃げ道は既に用意してある。帝国、連邦双方の情報も弄っておいた。よほどのことがない限り、お前たちがこれから追われるようなことはないだろう……素直にこの場を離れるのであれば』
 セイントは、そこで初めて通信に割り込んだ。
「何故ですか、『キング』。何故、今になって」
『クイーンか……「何故」と問うまでもない。元より、私はこうするつもりだったのだ』
 予想通りの答えにセイントは唇を噛む。通信機の向こうの声、『キング』は言葉を続けた。
『 「シュリーカー・チルドレン」の任務はここで終わり。ここからは「私」個人の計画だ。「青」を手に入れるというのは帝国の総意だが、私の意志は帝国と完全に一致してはいない。私は帝国も、連邦も、何も信じてはいないからな』
「ならば、貴方はどうするつもりですか?」
『……それは、お前が知る必要の無いことだ』
 断定的な言葉。それ以上問うても答えが返ってくることはないだろうと判断し、セイントも「わかりました」と短く返事をするだけにとどめた。
「ですが、連邦の手に落ちたビショップとナイトはどうするつもりなのです? それに、我々には」
『ビショップとナイトは連邦というより現在はトゥール・スティンガーの手の中にある。奴は無限色彩擁護派の人間、私以上に上手くやるだろう。心配する必要はない。
 それと……お前たちに仕掛けてあった起爆装置も解除してある。というより、元よりそんなものは仕掛けていなかった、という方が正しいか』
「な……」
 セイントは言葉を失った。『キング』と呼ばれているこの男は、一体何を考えているのか。彼女には理解できない。混乱の中で『キング』の微かな……自嘲気味の笑い声が響いた。
『全ては茶番だよ、「クイーン」。舞台の上にいる人間は必死だがな。私も含めて』
 そして自分もか、とセイントは思う。自分もまた、言われたとおり誰かの手の上で踊っていることは理解していた。だが、唐突に自由を与えられ、自分は最後の舞台で何を演じろというのだろうか。
 今まで、自由を与えられたことがなかった彼女に行動の基準は存在しない。唐突に、道のない荒野に放り出されたようなものだ。その場にあるのは無限の分岐。どれを選んだらよいのか、彼女がわかるはずもない。
 ただ、彼女には一つだけ、自由になった今だからこそ成せることがあった。
 望まずして人工的に無限色彩を植えつけられ、また望みを知らぬまま戦い続けた『シュリーカー・チルドレン』。その彼女が初めて望むことは。
「了解しました、『キング』 」
 音声のみの通信であるから見えないとわかっていながら、小さく軍隊式の敬礼をして。
「それでは、言われたとおり……『私の思うがまま』に動かせていただきます」
 
「なかなか、『キング』もやってくれるネエ」
 ラビットは、目の前に立ちはだかる男を驚きと共に見つめていた。
 短く切った黒い髪に、ぎらぎらと輝く金色の目。その手には抜き身の骨董刀。その端正な顔に粘着質の笑みを浮かべているのは、第四区画街で別れた帝国の人工無限色彩保持者……ルークだった。
 ルークはこちらが何も聞いていないのに、饒舌に話し出した。
「さっき通信が入ったんだけどネ、『キング』は帝国から離反して我々は自由、だと。何とも無責任なことだネエ」
 右の頬に刻まれた蝶の刺青が、歪む。
「まあ初めから最後まで、我々はそういう無責任な連中に踊らされるために生まれてきたわけだから、仕方ないと言えば仕方ないのかもしれないけれど、ネ」
 風を切り、刃が真っ直ぐにラビットに向けられる。間合いを離している今、その刃がラビットに届くはずはない。だが、ラビットは刀の先端を喉元に押し当てられているような気分になってぐっと息を飲んだ。
 気分、だけではない。そこには本当に刃が存在しているのだ。
 この男は目には見えない刃をラビットに向けている。限界まで研ぎ澄まされた殺意。『自らの意識を形にする』という不完全ながらも強力な無限色彩保持者であるこの男の、最大の武器。
「だけど、ワタシには好都合だネ。これで、何も気にしないで、遠慮なくアンタを殺せるわけだし」
 少し、力を入れるだけで、ルークはラビットを殺せるだろう。そして、ラビットにはルークに殺されるだけの理由があった。今目を閉じれば鮮やかに思い出すことのできる白と赤の記憶。あれはラビットも望んでいないことではあったが、結局はラビットが起こした出来事であることも、事実。
「そうだな」
 小さく、呟いて。ラビットは目を開けた。そして、真っ直ぐに、見えない瞳でルークを『視た』。
「だが、私もここで立ち止まるわけにはいかないのだ」
 言葉を放った瞬間に、喉元に当てられていたルークの意志の刃が白い光に包まれ霧散する。同時にラビットの左の腕に純白の翼が広がり、悠然と羽ばたく。
 片や人の手によって作られた無色の色彩。片や異端と称され今の今まで封じられていた『白』。歪な無限色彩保持者同士の、最後の戦い。
 見覚えのある翼に、ルークの笑みが壮絶に歪んだ。狂気と愉悦と怒りと恐怖と、あらゆるラビットに対する感情を無限色彩に託し、手にした刃に纏わせる。それは何よりも禍々しく、美しい剣となって思考の世界から現実へと顕現する。
「吼えるネエ、兎の皮を被った化け物が」
「化け物であることは認めよう」
「ほざくな!」
 ルークは『拒絶』の意志を鎧として身に纏い、『怨恨』の刃を振りかざす。ラビットはその場に立ち尽くしたまま、淡々と言った。
「だが、化け物にも貫きたい思いがある」
 白い翼はラビットの言葉に呼応して、姿を変えようとしていた。全てを受け入れなお高みを目指す翼……それを振りかざしてラビットは吼えた。
「許しは請わん、だが、今貴方に負けるわけにはいかないのだ!」