Planet-BLUE

133 輪舞曲

「君の気持ちはわかるよ」
 常に無菌状態に保たれた病室で、『白の三番』カルマ・ヘイルストームは呟いた。セントラルアークの空は何処までも青かった。空を渡る太陽は、西に傾きかけていた。
「だけど」
 カルマの細い指が、円を描く。二つ、三つ。連なる輪が虚空に、白い軌跡を残して描かれていく。
「……今回は、ごめんね」
 カルマの目は、空を見ているようでそこを見つめてはいなかった。彼の目は、既に何光年も離れた地球へと向けられていた。彼の身に宿る無限色彩は、遥か彼方の場所を見つめる事を可能とし、また、遥か彼方の場所に干渉することすらも、可能とする。
 同じ『白』でも、これだけ違うのだ。
 カルマは思って苦笑する。
 彼方で戦い続けているのだろう、友でありまた同じ『白』である、一人の女と一人の男の後姿を思って。
「クロウが自分から動いたんだ。僕も、僕のすべき事をするよ」
 虚空に描いた連環は、空気に溶け込むかのように、消えた。


 星の海を、小型の船が駆ける。その数、約数十隻。たかが一人の人間のためにそれだけの大部隊を向かわせるのか、と思われるかもしれないが、相手は最強の無限色彩『青』だ。その力が現実に振るわれたことはほとんどないが、その潜在能力は計り知れない。
 元より、無限色彩は人知を越えているのだから。
 地球への高速転移航路を使えば、アークから地球まではほんの数時間で到達する。その門を開いたところで、異変が起こった。
 漆黒の宇宙に突如生まれた、白い点。それは爆発的に広がると、船団を飲み込み始めた。
 もちろん、それは海原凪が乗り込んでいる船も例外ではなかった。白い光に飲み込まれた船はぴたりと動きを止め、異常事態に通信が飛び交う。まるでその周囲だけが時間を止めたかのように、こちらが何をしても、船は止まったまま動かない。
 漆黒の海だったものは、白く凍った海へと変じていた。
 海原は橙色のジュエルが埋まった右手を握りしめた。この力は、知っている。局地的にではあるが時間の流れを歪め、純白の鎖で全てを繋ぎとめる能力。『青』には及ばないとはいえ、この広い宇宙の中でたった三人にのみ振るうことを許された強大なる力……『白』。
「何故」
 窓の外に広がる白い色。地球まで……求める『青』まではあと少しだというのに。目の奥にちらつくのは先刻まで共に居た友人、カルマの笑顔と病室の窓から見たグローリア・コランダムの姿。
「何故なんだ、カルマ!」
 そう、これがカルマ・ヘイルストームの力……『連環の白』。
 『橙』でしかない海原がいくら力を振るったとしても越えることのできない時空の縛鎖。それが、この瞬間に海原たちの前に立ち塞がったのだ。
『ごめんね』
「……っ!」
 空間を貫いて、カルマの意識が届く。固有能力の遠隔広域展開、そして遠隔精神感応の同時発動。尽きることのない能力を持つ高次の無限色彩保持者でなくては不可能な芸当を、カルマは簡単にやってのけている。
 海原も『橙』を展開し、海の向こうの無菌室のベッドの上に変わらず座っているであろうカルマに精神を繋いだ。
『何のつもりなんだ?』
『君たちを地球に向かわせるわけには行かないんだ。クロウとの約束でね』
 クロウ・ミラージュ。カルマと同じ『白』を持つ無限色彩保持者の名前が出て、海原は思わず背筋が凍るのを感じた。『青』を除けば最強といわれる無限色彩保持者が二人とも動いたのだ。まともな状況ではない。
『どうして。それに、こんな能力の使い方をしたら』
『まあ、僕も無事じゃ済まないかもしれないね。だけど、君も見てみたいと思わない?』
『……何を?』
 海の向こうでカルマは笑う。心底、楽しそうに。
『 「奇蹟」、だよ』
 奇蹟。
 何度、その言葉を繰り返したことだろう。起こるはずのないもの。しかし起こることを望むもの。事実、海原はその奇蹟を求めて、『青』奪還の任務に加わったのだ。ならば、このような場所で足止めを食う理由はないのではないか。
 海原がそう思ったのを読み取ったのか、読み取らずとも察したのか、カルマはその思念に愉悦の感情を混ぜて言った。
『 「青」は一番強力な能力者だ。それは僕もよく知ってる。だけど、彼女は自分の能力をよく心得ている。彼女の能力は、君の望んだ奇蹟を起こせるようなものではないんだ』
『そんな。なら、何で今まで何も言わなかったんだ?』
『確信が、持てなかったから。彼女が君の望む奇蹟を起こせないことは知っていたけど、最後の奇蹟が起きるか起きないかは、まだ僕にもわからなかったから。だけど、今なら言えるよ』
 カルマの思念は、静かに、しかし確かに。
『奇蹟を信じて』
 海原は意味が理解できずに目を白黒させる。『青』は奇蹟を起こせないと言ったばかりだというのに、奇蹟を信じろとはどういうことなのか。
『わからない……どういう、ことなんだ?』
『奇蹟を起こすのは、必ずしも「青」とは限らないってことだよ。僕も、それに君も、無限色彩の真理に一番近い人のことは知っているはずだよ』
 どきり、とした。
 そうだ、何故気づかなかったのだろう。何も、無限色彩は「青」やカルマだけではない。むしろ、自分が望む奇蹟に一番近い男を、よく知っているではないか。
『だけど、彼は』
『彼は地球にいて、「青」を探している。彼女も彼を探していた。それは君も知っていることだろう? 凪』
 カルマは一瞬だけ笑みの思念を止め、淡々と言った。
『これは、元より彼と彼女の物語。最後に、僕らは見ていることしか許されない。後は、彼らに委ねるものなんだ』
 海原は呆然と、カルマの声を聞いていた。その背後で、『偶然』白の縛鎖から逃れたバルバトス・スティンガー大佐率いる小隊の乗る船一隻だけが無事転移を完了し、もうすぐ地球へ到達するという通信が入った。


 ラビットたちが軍の前線に辿り着いた時には、戦いは既に始まっていた。
「何だ、これ……」
 マーチ・ヘアから預かった銃を手にした聖が呟く。ラビットはサングラスの下の目を細めて言った。
「帝国も、黙っているわけではない、ということか」
 連邦の赤い軍服を身にまとった軍人たちが、何かと既に交戦している。よく見れば、それはラビットたちが何度か接触した、帝国の機械人形だった。だが、今回はそれが無数に存在し、連邦の軍人たちに襲い掛かっていたのだ。遠目で見る限りでは、耳には聞こえない音楽に合わせて赤と黒の影が舞いを舞っているようにも見えた。
 もちろん、そのうちの何体かはこちらに気づき、各々の手にした武器を向ける。だが、その攻撃がこちらに到達する前に、聖の銃が火を吹いた。寸分違わぬ狙いで放たれた一撃は、全て機械人形の脳を貫いていた。
 ラビットはそれを見て軽く聖の肩を叩いた。
「いけるな」
「きちんと狙えればな」
 会話をしている間に、軍人たちもまたラビットたちに気づいたのだろう、何かの指示を飛ばしているのが見える。ラビットはそれらを全て見渡して、歪んだ笑みを浮かべた。
「マーチ・ヘア……聖のフォローを頼む。ここを突破しさえすれば、塔に着けるだろう」
「本当に大丈夫なの?」
 マーチ・ヘアは両手に巨大な火器を手にしていた。どちらも女の細腕では到底制御しきれないようなものだが、彼女の腕に収まっているのを見ると、何とも従順に主に従っているようだった。
「何とかするさ」
 ラビットは一歩踏み出した。その瞬間に左腕に純白の翼が広がり、それを見た軍人たちの動きが一瞬だけ、凍った。
「まさか」
 誰かが呆然と言葉を放った……そんな気がした。ラビットはそんなことには構わずに、強い意志で今にも暴れだしそうになる色彩を押さえ込み、言った。
「深淵は、呪縛を映す」
 自らの深淵に映しこむのは、かつて見た狂気的な『黒』の力。そういえばあの男もトワを求めて力を向けてきたのだと思い出す。何ゆえにあそこまでトワに固執していたのか、それを最後まで知ることはなかったけれど。
 ただ、トワにそうさせるだけの力があるのは、事実なのかもしれない。
 ラビットは思いながら、翼を開く。そう、ラビットもまた、トワに会うためにこの翼を振るうのだから。
「 『黒の領域』、展開!」
 一瞬だけ純白の翼が漆黒に染まり、その姿が掻き消えたように見えた。だが、次の瞬間こちらに向かってきていた軍人や機械人形の足元から伸びた影が、その動きを阻害する。『黒』、鈴鳴刹那の得意としてきた、影を操る能力である。
 その間に、ラビットたちは軍人と機械人形の間をすり抜けるようにして走る。時折影の呪縛を逃れていた機械人形や軍人たちが襲い掛かってきたが、それはマーチ・ヘアの持つ火器の一撃、聖が持つ銃の正確無比な射撃で退ける。ラビットもまた、左手につけた篭手から伸びる剣で目の前に立ち塞がった機械人形を切り伏せた。
 やはり、人の色彩を真似るだけでは限界があるのかとラビットは思う。ラビットの能力は相手の色彩と同調することで全く同じ能力を扱うことにあるが、元々自分が抱いてきた能力とは本質が異なる能力、そう簡単に扱うことは出来ない。
 ともあれ、この場を凌ぐだけであれば何とかなりそうではあった。
「先に行って、ラビット!」
 マーチ・ヘアは火器を構えなおして、叫んだ。
「アンタが先に行かなきゃ意味無いんでしょう? 早くあの子に追いついてやりな!」
 聖も、マーチ・ヘアと背中合わせになって、近づきつつある機械人形の脳に照準を合わせながら言った。
「この場所は任せてくれて構わねえ! いい加減待たせてるんだから、さっさと行け!」
 言われて、ラビットはぐっと左手を握りしめた。
「……わかった」
 ラビットの行く手を塞いでいた一団は、マーチ・ヘアが放った牽制の一撃により道を開ける。一瞬だけ開いた道にラビットは駆け込む。展開した、多数の軍人や機械人形を縛りとめている影がいつ解けてしまうかわからないが、残り時間もそう多くない今では、二人を信じるしかない。
 混戦状態になっている範囲はそう広くない。そこさえ抜ければ、後は塔まで一直線に目指すだけ……そう、ラビットは思い込んでいた。
 だが。
 ラビットははっとして、走っている足に力を込めてブレーキをかけ、また大きく後ろに跳んだ。次の瞬間、ラビットが一瞬前まで存在していた場所に、青い槍が突き刺さった。反射的にラビットは左腕の翼を広げかけたが、砂煙の奥から現れた姿を見て、息を飲む。
 背の高い、男。整えた黒い髪に、何処までも鋭くまた昏い色を湛えた青の瞳。顔の右半分に大きく刻まれた『龍』の紋章が、ラビットの知覚としてはっきりと脳内に刻み込まれる。
「ケイン・コランダム」
 呟く声が、思わず掠れる。
 何故この男と対すると奇妙な息苦しさに襲われるのか。その理由はよくわかっている。わかってはいるけれど、思い出したくはなかった。だから、出来る限り対峙はしたくなかった……もちろん、逃れられる対峙では、なかったのだが。
「来たか」
 コランダムはゆらりと一歩歩み出て、低い声で笑う。
「その翼で、私をどうする気だ? 白兎」
 コランダムの目に宿っているのは、何処までも深い拒絶の意思。それは心を読み取るまでもなく、その言葉にすらはっきりと表れている。無限色彩を嫌悪し、またその保持者を拒絶し続けたこの男の真意を、知らないわけではなかったけれど。
「どうもしない」
 胸の中にこみ上げる暗い何かを飲み込んで、ラビットは出来る限り平静に言った。
「貴方が、そこを通してくれるのならば」
「通すとでも?」
 コランダムは紋章を刻んだ右腕を上げる。目の前にいるのが、到底敵うはずのない強大な力の持ち主……無限色彩保持者であろうとも、コランダムの戦意は全く衰えていなかった。
 本当に、変わらない。あの時から、何も変わってはいない。
 ラビットは軽く目を伏せて俯き、依然左腕の上に浮かべたままであった翼を消して、無限色彩の回線を切った。それを見たコランダムが訝しげに眉を顰めた。
「何のつもりだ」
「何のつもりか? 決まっている」
 ラビットはきっと、目を上げてコランダムを睨みつけた。左手で、ほとんど自分の意志では動かない右手の手袋を外しながら。
「貴方を倒すのに、無限色彩など必要ない。……通してもらうぞ、ケイン・コランダム!」
 その瞬間、コランダムの表情が変わった。そこに映った表情は、ラビットも今まで見たことのない、怒っているのか笑っているのか悲しんでいるのかよくわからない複雑な表情だった。
「強情なのは、お互い様か」
 コランダムの呟きは、砂交じりの風に消え。次の瞬間には、コランダムもまた迷いのない、戦闘者としての表情になり、朗々と言った。
「――――その選択を後悔することだな、白兎!」