Planet-BLUE

131 決別の時

 星団連邦政府軍本部はいつにもない焦燥の中にあった。大尉レイ・セプターからの『青』逃亡報告の後、軍上層部の会議によって増援が派遣されることになった。しばらく開いていなかった地球への高速転移航路も開放し、即座に地球に向かうことになった。
 『青』は何故一度投降しながら逃亡したのか。それすらも、彼女の計画のうちだったのか。彼女の目的など誰も知らず、ただ今度こそ誰に手の元にもない『青』を求めて、全ての勢力が一つの場所に集うのであろう。自らの胸に抱く思いのままに。
 何としてでも、連邦としては『青』をここで取り戻さなくてはならない。
 そう、そのはずではあるけれども。
 トゥール・スティンガーは伏せていた目を開けた。幻聴かもしれないがぎしぎしという嫌な音が関節から聞こえている。身体が限界を継げているのだ。既にシン・O・リカー博士には痛覚や余計な感覚を切って貰っているが、それ故に今自分の身体がどれだけ保つのかはっきりと理解できないのは辛い。
 せめて、三日。あと三日保ってくれればよいのだが、と思いながら軽く目を細めた。
 もうすぐ、増援がここアークを離れ地球へと向かうだろう。会議の結果、シリウス・M・ヴァルキリーは上層からも『青』に対して連邦全体の意向とは反する考えが見られると指摘され、またヴィンター・S・メーアは自ら『青』への介入を避けた。
 結果的に、『青』奪還の最終作戦はバルバトス・スティンガーに託された。スティンガーは何度も『青』を逃してはいるものの、今回の作戦では自らの地位をかけて、自らが地球に赴き『青』を奪還しようと宣言した。上層部もそれで納得したのだろう、『青』を巡る一連の争いの最終局面はスティンガーに委ねられる形になった。
 きっと、全てわかっていたのだろうな、とトゥールは思う。
 上層部はおそらく、全てを知っていて、なおスティンガーにその任務を負わせた。スティンガーも上層部が理解していることを知っていて、それでいて起とうというのか。
 茶番、だ。
 結局自分は何もわかっていなかったのかもしれない。一人の人間が理解できるのは、自分の視界から見えるただ一面のみ。だから人は高みに上りつめ、上から出来る限りのものを見つめようと望む。
 だが上から眺める光景と、下から見上げる光景はまた違うもので。何も遮るもののない上にいると、下から見上げる、影と影の狭間に覗く空の美しさを忘れてしまうものだ。
 多分、人の認識などその程度のもの。誰もが誰かの認識の中にいて、誰もが誰かの認識から外れている。
 今更、トゥールはそんなわかりきったことを論じるつもりはない。ただ、一つはっきりとトゥールにも理解できることは。
 この一連の出来事がどれだけ下らない茶番だったとしても、舞台の上に立っている人間は、精一杯に踊っているのだ。
「そう、誰もが命をかけて踊っているんだって、今更気づいたよ」
 自分だけではない。白兎も、『青』も、彼らを追い続けていた人々も。自らの思いをかけて、それが誰のシナリオの上であろうとも構わずに踊る。
「それは、アンタも同じだよな、兄貴」
 赤い作り物の目を上げれば、そこには兄、バルバトス・スティンガーが立っていた。軍用外套に身を包んだ大男は、鋭い、獰猛な獣を思わせる漆黒の瞳で椅子に座っているトゥールを見下ろした。その後ろでは、シリウス・M・ヴァルキリーが静かに佇んでいた。
「何の用だ、トゥール。ヴァルキリーもだ。私は今すぐ地球へ向かわなくてはならないのだ、わかっているだろう?」
 上から叩き潰すような響きの大声。トゥールは指でヴァルキリーに合図する。ヴァルキリーは軽く頷いて扉を閉めた。機械に埋め尽くされたトゥールの部屋が、閉ざされる。
 スティンガーは軽く目をヴァルキリーに向けたが、すぐにトゥールへと戻した。トゥールは笑顔すら浮かべず、淡々と言った。
「当然、私もわかっている。だからこそ、アンタをこの場所に呼んだ。ここならば、誰にも邪魔はされない。呼ばれた理由は多分、わかっているだろう……兄貴、アンタならば」
 今だけは、女言葉を使うような気分でもなかった。真っ直ぐに、それこそ睨んだだけで相手を畏怖させるような色を持つスティンガーの目を見つめ返す。昔の自分は、この男と同じ色の目をしていたのだな、と遠い記憶を呼び起こしながら。
「……何のことだ」
「今更しらばっくれる気か? それでも私は構わないが。だが……リィは、どう思っているんだろうな」
 その名前を出した瞬間、スティンガーの表情が強張った。トゥールは確かに、その瞳の中に一抹の揺らぎを見た。
「リィは死んだ。十年も前の話だ。それが今更何だというのだ? 下らない」
「下らないって思っていないから、兄貴は自分で動いたんだろう……あの時も、今もだ」
 トゥールは言って、息をついて少しだけ微笑んでみせた。言葉を続けるのが苦しかった、というのもあったのだが。
「十年間、ずっとアンタは、リィのことを考えて生きてきた。アンタと娘を置いて一人で死んだリィ。結局、リィが何故死んだか私は知らなかったけれど、今考えてみると、何となく想像はつく」
 そして、スティンガーはとっくに、気づいていたのだろう。
 リィ、リコリス・サーキュラーは何故自ら命を絶ったのか。
 ……常にリィの側にいたのは、トゥールではなくスティンガーだったのだから。
「私はリィじゃないから確かなことはわからない。ただ、思いつめていたのは確かだ。リィは娘のサファイアを愛していた。夫であるアンタを愛していた。何よりも。だが、どちらかを選べと言われたら、どうすればいいのだろう」
 普通ならばそんな異常な選択を迫られることはなかっただろう。だが、迫られる状況になってしまったのだ。
 何故なら、娘のサファイアは。
「アンタはサフィが無限色彩……しかも『青』であることを連邦に隠していたのだろう? 無限色彩保持者、特に上位の保持者は発見次第報告する義務があるというのに」
 サファイア・サーキュラーが『青』だという話は、この事態になるまでトゥールも認識していなかったし、おそらく今まで目の前の男以外、誰も知らなかったのだろう。
「だが、リィはこのままでは隠し通せないと思い悩んだ。このまま隠し続ければ何よりもアンタの立場が危うくなる。だがサフィを手放したくない。『青』となっては、確実に隔離され研究所送りであろうことは十分に予測できたからだ。結局、リィは答えが出せなかった。出せなかったから……」
 トゥールの脳裏に、最後の瞬間、微笑みを浮かべるリィの姿が蘇る。何処までも青い海の色をした瞳は、果てのない悲しみを湛えていたけれど。
 その理由が、今になってやっと明らかになるとは思わなかった。
 笑顔のまま空に落ちるリィの姿を振り払うように、トゥールは目を伏せて、軽く首を横に振った。深い怒りを含んだスティンガーの声が、降ってくる。
「勝手な推測だ」
「そうだ。私の勝手な推測だよ。誰もリィが死んだ理由なんて知らない。リィは遺言も何も残さなかったからな。だけど、兄貴」
 トゥールはリィと同じ悲しみを目に浮かべ、兄を見上げた。スティンガーは、普段のように激しく反論することもなく、ただ静かな怒りを込めてその場に立っていた。それが、最愛の人であるリィを失う前の……本来のスティンガーの姿であると、トゥールは知っていた。
 ならば、こうは考えられないだろうか。
「そう考えてみると、全部説明できるんだ。サファイアが『死んだ』とされた時、何者かが情報を弄った形跡があった。連邦領内に存在した、『青』のいる『シュリーカー・ラボ』の場所を帝国側の何者かが暴露した。今回もそう、『青』と白兎のいる場所に帝国が迷わず少数の人工無限色彩保持者を送り込めたことも、全て」
 誰よりも愚昧と言われていたスティンガーが、誰よりも上の位置に佇み、その冷たい目で物語の外枠を描いていたのだとしたら。
「アンタは、帝国にサフィを『保護』させる代わりに帝国の密偵となった。連邦側の無限色彩の扱いはアンタもよく知っていたから、連邦に渡すわけには行かなかった。故にサフィを『死んだ』ことにして、連邦の束縛からは外した。
 また、帝国は無限色彩を制御するための研究が進んでいるという話もある、もしかするとサフィの『青』を抑えるつもりだったのかもしれない。
 だが、帝国側もまた最強の『青』であるサフィを実験体として認識し始めたため、仕方なくラボから連邦側にサフィを移動させることにした。もちろん自分の手でそれを実行するわけにはいかないから、ラボの情報を上層に流す。こうして『シュリーカー・ラボの悲劇』が成立し、無事に『青』は連邦へと渡った。
 だが、その時にはアンタはもう帝国と繋がりすぎていた。特に、サフィを保護していた『シュリーカー・ラボ』との繋がりは既に切っては切れない関係にあった。いつか、『青』をラボに戻せと、命令されていたのだろう。
 そして、シリウスとクロウの手によって『青』が世に出ることになる。連邦はもちろん取り返すために動くが、帝国もすぐに動いた。人工無限色彩保持者の実験も兼ねて、少数での『青』奪取へと動く。下手に連邦領である地球に大勢で押しかければ、必要以上の問題になるからな。
 その指揮をしていたのは、連邦の動きも把握しているアンタだ。当然それを気取られないように、わざとマーチ・ヘアのような外部の人間を雇うような形で乱暴に事を進めることで、過激、また愚かな男を演じ続けた。
 リィが死んでから、アンタまでおかしくなったと皆思っていたよ。私もだ。アンタは本来誰よりも冷静に全てを見つめ、事を運ぶ人間だ。実際には、そんなアンタが十年間大声で蒙昧に喚いていたのは、全て『青』であるサフィを守るための演技だったのだろう?」
 トゥールは一気にそこまで言って、きっとスティンガーを見据えた。スティンガーは何かを言おうとして口を開いたが、やめた。その代わりに、目を細めて獰猛な笑みを浮かべてみせる。
「……愚かな妄想だな」
「そうだな。これが単なる妄想ならいいんだけど」
 トゥールも軽く肩を竦めてみせた。
「それに、今のアンタがサフィをどう思ってるのかは私も知らないからさ。どうにせよ、兄貴が直接動くってことは、ろくなことを考えてないってのはわかるけど」
 スティンガーは笑いながらも、目は笑っていなかった。冷たく、何処までも冷ややかな目でトゥールを見据えるのみ。トゥールも微かな笑みを浮かべてスティンガーを見上げ続ける。
 本当に、兄の言うとおり妄想であればよいとトゥールは思っていた。
 ただ、自分が言っていることが間違っているということはないのだろう。この時のために、証拠もほとんど揃っている。スティンガーが証拠を提示しろといわれれば提示できる。
 自分……そして、今扉の前に立っているヴァルキリーは、今すぐにスティンガーを告発することができる。帝国側に内通していた人間として、そして無限色彩『青』を匿っていた人間として。
 だが、自分もヴァルキリーも、そうするつもりはなかった。そうすべきだったとしても。
 スティンガーも、何となくそれには気づいているのだと思う。実際、トゥールが本気で動いたのならば、スティンガーとてこの場に立っていないということは、兄弟として長年付き合ってきたスティンガーもはっきりと認識していた。
 だからこそ不思議だったのだろう、スティンガーは目を細めたまま、言った。
「貴様は、私を止めないのか」
 トゥールは、笑みを浮かべたまま、淡々と言った。
「止める理由がないよ。理由があっても、止めるまでもない。アンタの判断が正しいか否かは私にもわからないけれど」
 淡々とした中にも一つの、確信を込めて。
「この『青』を巡る茶番にケリをつけられるのは、私でもアンタでもない……『彼』だけだ。だから私は止めない。兄貴は、兄貴なりに戦えばいい。絶対に、思ったようにはさせてくれないと思うけどさ」
 にやりと笑みを深めて、トゥールは言い放った。スティンガーは意外そうに目を見開いたが、やがて深く、息をついた。
「……元より、覚悟の上だ」
 言って、トゥールに背を向ける。ヴァルキリーは何も言わずに、扉の前から退いた。スティンガーとヴァルキリーは軽く目を合わせただけで言葉を交わすことはなかった。交わす必要も、なかったのだろう。
 扉を開け、部屋から出て行こうとするスティンガーは、一瞬だけトゥールを振り返って言った。
「貴様はどうするつもりだ、トゥール」
 トゥールはにこりと笑って、普段どおりの女言葉で返す。
「ん、あたしは常に後始末役よ。わかってるでしょう?」
「そうか」
 その言葉の後に、何かを唇だけで呟いて。スティンガーはそのまま乱暴な足取りで部屋を出て行った。残されたヴァルキリーは、遠ざかるスティンガーの背を見つめながら言った。
「……今、何を言われたんだ?」
「兄貴らしいわ」
 トゥールも椅子の背もたれにもたれかかり、扉の向こうを見やって言った。
「 『無理はするな』ってさ。こんな無理させるような状況にしたのは誰よ、って話ね」
 もう一度肩を竦めて、トゥールは笑う。
 別れにしては、上出来だ。
 二度とこのような形で会うことはないだろう兄の背を見つめながら、トゥールは痛む胸でそんなことを思った。