Planet-BLUE

116 駆け抜けたその先で

 つけられている。
 聖は気づいて、舌打ちする。
 トーン家を出たときから何となく嫌な予感はしていたのだが、背後から段々と見覚えのないホバーが近づいているのが見えてくる。速度を上げるが、後ろにセシリアを乗せていることもあって無茶な運転はできない。
 セシリアも背後から迫る何かの存在に気づいているのだろう、聖の胴に回された腕に力が入るのがわかる。
 何が来ているのかは、何となく理解できる。
 何度か旅の中でも遭遇した、トワを狙う連中……帝国暗部の残党。連邦政府軍の連中は見逃してくれたが、こちらがトワと接触した自分たちを狙うのは当然のことだ。
 だが、ラビットもトワもいない今、聖がどうこの事態を乗り切るというのか。一回はまぐれで暗部の機械人形を倒すことに成功したが、そのまぐれが二度も三度も続くはずがない。見れば、追ってきているのは三台。聖一人でどうにかなる相手ではないし、セシリアを連れてきている分、こちらの分は悪い。
「どうしろっていうんだ?」
 この一本道、ラビットたちに追いつくのはそう難しいことではないはずだ。ただ、ラビットに追いついたとしても今の彼が協力してくれるとも思わない。
 こんなことになるなら、さっさと連邦政府軍の船で地球を脱出しておくべきだったか。そう思わないこともなかったが、ラビットに会うまではこの星を出るわけにもいかない。
 逃げ切る。
 そして、ラビットを殴る。
 そのために走る。走り続ける。それでも段々と追手との距離は狭まっていく。焦燥ばかりが募り、聖の乗るホバーは嫌な音を立て始める。長い間酷使し続け、また良い整備を施すこともできなかった車体が、今この時になって悲鳴を上げているのだ。
「勘弁してくれよ……!」
 口の中で愚痴るが、それで状況が変わるわけでもない。
 追いつかれたとしてその先自分たちがどうなるのか、聖は想像を精一杯働かせてみるがどうにも良い結末は浮かびようがない。
 万事休す、か?
 聖はハンドルを握る手に力を込め、地平線の先どこまでも続いているように見えるアスファルトの道を睨みつける。自分に力はない。ラビットのような強さも、トワのような強さも。
 自分にあるのは、ただ自分の考えを実行するだけの、後先考えない行動力。
 それも今は無力で、だから苛立つばかり。
 こんな所で終わってたまるか。終わるわけにはいかないんだ。弱気になったおっさんを殴り飛ばすまで。そしておっさんとトワの行く先を最後まで見届けるその時まで、自分の旅も終わるはずがないのだ。
「だから、邪魔するんじゃねえ!」
 聖が叫んだ瞬間、異変が起こった。
 背後から響いたのは、鼓膜を震わせる爆発音。思わず聖とセシリアは背後を見た。一台のホバーが煙の中で破片を撒き散らしながら宙を舞い、地面に墜落するのが見える。そして、次の瞬間にはもう一台も盛大な爆発と共に吹き飛ばされる。
 何が起こった?
 爆発に伴う煙が晴れると同時に、聖は見た。
 こちらを追いかけていたホバーの背後に、もう一台、今度はトラック型の古い箱型ホバーがつけていて、その荷台に当たる部分に何者かが立っている。その手に巨大な筒のようなものをぶら下げて。
 聖がその筒を携帯砲であると認識する前に、車の上の人影が最後の一発を、残されたホバーに放つ。まさか追手も自分たちを追っている相手がいるとは思っていなかったのだろう、なす術もなく爆発に身をさらすことしかできなかった。
 爆風と煙に煽られながらも、聖たちを乗せたホバーは走り続ける。その後ろを、箱型ホバーが追いかける。ただ、人影は聖たちを狙うつもりはないらしく、一度筒と共にその姿を引っ込めた。
 予期しなかった助けに驚きながらも、聖は目を前に戻す。果てしなく続いているように見えたアスファルトの一本道も、自分たちを導いているようにさえ見えてくる。一度危機を乗り越えただけで、何て楽天的な奴。聖は思わず自分で笑ってしまった。
 ホバーも聖に応えるように快調な音を取り戻し、速度を増す。
 やがて、単調だったアスファルトの道の先に、何かが見えた。見覚えのある箱型ホバーだと視認できるようになった頃には、その周囲に広がる異様な光景に言葉を失っていた。
 確かに、そこにあったのはラビットが愛用していた箱型ホバーだ。だが、その周囲に、おそらく先ほど聖たちを追いかけていたものと同じであろうホバーの残骸が広がっていた。しかも、その残骸というのがまともではない。何か鋭いもので何度も貫かれ切り刻まれたように、粉々になっていたのだ。よく見れば、その中には機械人形の腕と思しき破片まで混ざっていた。
「何が」
 聖はホバーの速度を落とし、止まる。
 ラビットの車の前には、見慣れない一人の少女が立っていた。黒いワンピースに身を包み、切りそろえた黒い髪を靡かせる、細身の少女。
 セシリアを降ろし、聖は少女に近づこうとして、硬直する。
 少女が、その手に巨大な剣を提げていたことに気づき。
 その足元に、ラビットが倒れていることに、気づき。
「……鳳凰、聖」
 静かに、少女が言った。ゆっくりと上げられた顔は、一度も見たことのないものだったが、何故か聖はどこかで知っているような気がした。そして、少女の目には一度見つめてしまうと目が逸らせないほどの力がある。
 少女の形をしていながら、それは、まったく別の存在であるかのように、見えた。
「アンタ、一体」
 聖は何とか少女から目を外し、ラビットを見る。ラビットはうつぶせに大地の上に伏せていた。冷たい風にさらされながら、少しも目を覚ます様子がない。
「貴女は誰? それに、この人に何をしたの!」
 セシリアは真っ青な顔で動かぬラビットの横に跪いた。それを見下ろして、剣の少女は淡々とした口調で言った。
「初めまして、セシリア・トーン。私はクロウ・ミラージュ……無限色彩『白の一番』、『水鏡の白』 」
「……『白』だって?」
 まさか、と聖は思う。
 無限色彩はその強さによって色の名で分類される、というのは聖も認識している。トワが世界でも一人しか存在しないといわれる最強の『青』。それ故にいろいろな人間に追われていたのだ。そして、その次に強いといわれているのが、連邦では三人確認されている、『白』。
 この少女が、その三人のうち一人だというのか。
「白兎は、今、海に旅立っているわ」
「海?」
「自らの内面。ココロの、海」
 どうにも要領を得ない少女の言葉に、聖は眉を寄せた。セシリアはラビットの身体に傷がなく、また確かに脈があることを確かめると、クロウと名乗った少女に向き直った。
「内面に旅立ったというのは、どういうこと?」
 クロウはじっとセシリアを見つめて、言った。
「自分と向き合うこと。自分でも気づいていなかった、本当の自分と向き合うこと……それは白兎にとっては一番の苦痛。だけど」
 それを乗り越えなくては、白兎にもトワにも、未来はない。
 小さく付け加えた言葉は淡々としていながら、やはり聞き逃すことのできない力があった。
 どういうことだ、と聞き返そうとした聖よりも先に、クロウは言った。
「とにかく、貴方方は白兎を信じてあげて欲しい。もし彼が目を覚ましたら、殴っても何をしても構わないから」
 聖はどきりとした。一度もそんなことを口にしてはいないのに、目の前の少女は自分が何故ここに来たのかを察しているのだ。流石、無限色彩といったところか。セシリアも、驚きと畏怖がない交ぜになった表情をクロウに向けていた。
 クロウが微かに微笑む。それはどこまでも少女らしくない、含みのある微笑みだったが……
「クロウ・ミラージュ!」
 その時、背後から鋭い声がした。聖がそちらを見れば、追いついてきたトラック型のホバーが止まり、荷台から何かが飛び降りた。
 それは、筒のような携帯砲を担いだ、一人の女だった。そして、聖はその女の顔を知っていた。
「 『マーチ・ヘア』、ティア・パルセイト……!」
 女、マーチ・ヘアは長い三つ編みを揺らし、呆然とする聖に顔を向けた。
「ああ、蘭の弟。それに、そっちは歌姫さんね。なるほど、あのカマの情報に間違いはないってわけか。気に入らない」
 早口によくわからないことをまくし立てるマーチ・ヘアに向かって、クロウは微笑む。
「トゥールからの伝言を?」
「そう。本当に気に食わないんだけどさ」
 背負った筒を担ぎなおして、溜息混じりにマーチ・ヘアは言う。
「 『思うように動いて構わない。白兎は任せた』だってさ。それと、あんたらにも、トゥールっていうよくわかんない軍部のオカマからの伝言よ」
 トゥール……トゥール・スティンガー。
 聖はその名を聞いて戦慄する。何度かこの旅の中でも耳にした名前だが、その名を持つ人間については、姉から嫌というほど聞いている。元は軍神と呼ばれる最強の戦闘能力者であり、現在は軍部の情報を掌握しながら自らの意志でしか動くことのない、異端の存在。味方にいればこれほど頼もしい相手はなく、敵に回せばこれほど恐ろしい存在はない。
 どうも、今までの情報を総合する限り、トゥールはラビットに肩入れしていたようだが……
「弟には、『今まで白兎を見ていてくれてありがとう、良かったらこれからもよろしく』。それと歌姫さんには、『なるべく白兎を恨まないでやってくれ、それとレイとは仲良く』だってさ」
 それが、今まで一度も出会ったことのないはずの男の台詞か。
 聖は思わず寒気を覚えた。
 トゥールは全てを把握している。最低でも、白兎とその周囲にいた人間の動向と、彼らが考えていたことは。
 セシリアもその伝言を聞いて緊張の面持ちになる。聖以上に、トゥールという人間について知らないはずのセシリアが緊張するのは当たり前のことだろう。
 マーチ・ヘアはそんな二人の反応には構わず、自分が乗ってきた箱型ホバーにもたれかかって、言った。
「で、あたしは白兎とアンタらを守れ、ってね。アンタらの事情は大体オカマに聞いてる。ま、ちょっといろいろあのカマには借りがあるから、どちらにしろやらないわけにはいかなくてさ」
 言って、背負った携帯砲を指す。なるほど、トゥール・スティンガーという男は聖たちもまた帝国の暗部に追われることをあらかじめ予期して、戦闘能力の高いマーチ・ヘアをこちらに寄越していたのだ。それを聞いたクロウはくすくすと笑った。
「なるほど、トゥールらしい。私の考えていることもお見通しね」
「本当、嫌なオカマよ。それはいいけど、どうして馬鹿兎がここに倒れてるの?」
 マーチ・ヘアはやはり、当然と思われる質問をクロウに投げかけた。クロウは輝く剣を地面に突き立て、きっぱりと言った。
「自分と向き合うために……今度こそ、トワとの約束を守らなくてはならないから」