Planet-BLUE

111 歯車

『繋がったか……こちら本部、応答せよ』
「こちら『マグ・メル』のレイ・セプター。通信障害回復を確認」
『何があった、セプター大尉』
「わかりません。現地点で、『青』の消息不明、『マグ・メル』の操作系統の故障、また同乗している私以外の人員が昏倒状態」
『何?』
「私は『青』の監視を行っていましたが、異変に気づきコックピットに向かったところ、倒れていたコランダム少佐を発見。他のクルーも皆気絶させられていました」
『 「青」は?』
「私がコックピットに行っている間に、行方をくらませました。おそらく、同乗者の昏倒、機器の故障と現在までの通信障害もまた『青』の力ではないかと」
『了解した。上からの指示を待て』
「了解」
 セプターは言って、通信を切ると思い切り息をついた。
 嘘をつくのは苦手だ。
 だが、こうでも言わなければ、まず本部に余計な詮索をされることになる。もしそうなったとすれば、『青』も、そして……
「……何を考えているのです、セプター大尉」
 背後に控えていたルーナ・セイントが、静かに言った。
「虚偽報告は、大きな罪でしょう」
「お前には言われたくないよ」
 セプターは無邪気に笑った。今までずっと帝国の闇の部分として連邦に潜んでいた『クイーン』セイントは、言葉に詰まる。
「今の俺が出来るのは、『青』のために時間を稼ぐこと。それに」
 セプターの背に、かつて『自分が今出来ることを考えろ』と言葉を投げかけたのは、確かトゥール・スティンガーだっただろうか。その助言が、今になってやっと意味を成したような気がした。
 今出来ることは、今でないと出来ない。そして、自分が出来ることは、自分にしか出来ないことなのだ。
 だから、セプターはセイントに向かって微笑む。
「お前の話を聞かせてもらうだけの時間を稼ぐことだけだ」
 セイントは、呆然と目を丸くして、セプターを見上げることしか出来なかった。


「嘘が苦手なのは相変わらずだな、レイ」
 大佐シリウス・M・ヴァルキリーはセプターからの報告の内容を聞いて、呟いた。報告を伝えた部下である情報管理官、中尉海原凪は「どうしました?」と首を傾げるが、ヴァルキリーは何でもないと言って笑った。
「報告ご苦労だった。追跡を続けてくれ。私はこれから『青』の対策会議があるから、行ってくるとするよ」
 船の消息が絶えたことに際し先ほど会議があったばかりだが、セプターの報告によって事態は再び動き出した。特に、『青』の消息がわからなくなったことによって、会議は混乱することが目に見えていた。
 だから、ヴァルキリーは海原に背を向け歩き出しながら、ほんの少し表情に苦いものを混ぜる。
 会議など、無意味だ。
 全てを動かす歯車はもう、ほとんど揃っている。一度嵌った歯車は、回りだすだけ。回りだしさえすれば、誰も介入することは出来ない。
 ただ、まだ何かが足りないのは、事実だ。
 最後の一つを埋めるのは、一体誰なのか。何なのか。
 それは、ヴァルキリーには何となく見えてきているし、欠けていた大佐ヴィンター・S・メーアの情報をも手に入れ、この一連の事件について全てを握ったであろう相棒、トゥール・スティンガーにも把握できているはずの事実だ。
 しかし、ヴァルキリーにはまだ、解せない点もあった。
「……全く、気に食わない話だ」
 口の中で、ヴァルキリーは呟く。
 事件の発端が自分にあるのは否定できない。時計塔から外を見る『青』の姿に血の繋がりのない息子……『白の二番』クレセント・クライウルフの姿を重ね。立場を忘れて『白の一番』クロウ・ミラージュと結託し『青』の脱出に協力したヴァルキリーは、本来責められてしかるべき存在だ。
 それでも、ヴァルキリーは黙って状況を見守ることを選んだ。罪を責められることを怖れたわけではない。単に、これが『罪』であるはずがないと信じていたから。
 もし、『青』の存在が罪であるならば、それこそ『無限色彩』の存在自体が罪だということになる。望まぬ能力を手にして生まれてきた子供たちは、生まれながらにして巨大な罪をも背負っているというのか。
 悲しすぎる。
 だが、今のヴァルキリーには、その悲しみを実際に形にして示すだけの力は無かった。『青』を逃がしたのは、そんな苛立ちを少しでも晴らそうというエゴだったのかもしれない。
 ただ、白兎やトゥールがこの事件についての全容を解き明かすにつれ、自分だけが『青』に何かを託しているわけではないこともまた、わかった。事件という形にしたのは自分だが、それよりずっと前から、『青』の周りでは様々な人間が思いを交わし続けていたのだ。
 それならば。
 ヴァルキリーは冷たい廊下を歩きながら思う。
 彼らは一体、『青』にどのような思いを託してこの事件を追っていたのだろう。
 例えば……
「……スティンガー大佐」
 会議室の前に立ち尽くす、一つの大きな影。大佐バルバトス・スティンガーは、はっとした様子で顔をあげ、鋭い目つきでヴァルキリーを睨んだ。
「ヴァルキリー大佐! 全く、厄介な状況にしてくれたな!」
「私は何もしていない。『青』が勝手に動いただけだ」
「だが、元はといえば貴様が!」
「……わかっているのなら話は早いがな」
 ヴァルキリーは苦笑する。今や、スティンガーはヴァルキリーが『青』を逃がしたことを確信しているし、それに対する証拠もおそらく握っているだろう。この一連の事件が終わる頃には、自分はこの場所にいられないかもしれない。
 軍を追われるのは一向に構わない。ただ、あと少しは、ここにいなくてはならない。
 全てを最後まで見届けるのが、ヴァルキリーの役目なのだから。
「私を追及するのは後にしろ、スティンガー。それと、会議が終わったら覚悟を決めることだな……いや、とっくに覚悟は決まっていたのかもしれんが」
「何?」
 ヴァルキリーは苦笑もそのままにスティンガーの横をすり抜けて、会議場の扉を開ける。それから、スティンガーに向き直って言った。
「最後はお前の番だ、バルバトス・スティンガー。トゥールは、もう真実にたどり着いたぞ」
「……何のことだ? わけのわからないことを言うな!」
 スティンガーは眉を顰め吼えるが、ヴァルキリーはその時に見せた一瞬のためらいを見逃さなかった。
「空虚だぞ、スティンガー」
 ヴァルキリーは紫苑の目を細めて、穏やかに微笑んだ。
「私は長くこの場にいる。お前のことも長く見てきているから、尚更思うのだよ」
 見れば、スティンガーは拳を握り締めてはいたが、いつものように激しく突っかかってくる気配はなかった。黙って、ヴァルキリーを睨みつけている。その静けさは、普段の荒々しく声を上げるスティンガー以上に見ている者を威圧し、心からの畏怖を植えつける。
 久しぶりだな、とヴァルキリーは笑顔のまま思う。背中に刃の先端を突きつけられたような悪寒を覚えながらも。
 いつから、スティンガーはこの威圧感を失っていただろう。誰彼構わず喚きちらし、愚昧な将として知られるようになったのだろう。
 スティンガーの過去を知るヴァルキリーはそこまで考えて、ああ、そうかと思い至った。何かが正常に動き出した、そんな不思議な感触と共に。
 もしかすると、全ては、ここで繋がっていたのかもしれない。
 最後の歯車は、目の前にあった。

 スティンガーもまた、何もかもを『悲しすぎる』と思ったのだ。
 多分、そう思っていたヴァルキリー以上に。

「……ヴァルキリー」
 やがて、沈黙を破ってスティンガーが声を出した。それは、まるで地の底から響くような声。ヴァルキリーは笑顔こそ浮かべていたが、背筋に流れる冷たい汗までは隠せない。
「私を笑うか」
「いや」
 ヴァルキリーは、首を横に振った。見上げたスティンガーの目が、あまりに冷たく、それでいて静かな炎を映し出していたから。
「誰もお前を笑うことなんてできない」
 言いながら、ヴァルキリーは目を伏せる。
 どれだけ、この物語はよく出来ているのだろう。本来この物語はいつから始まって、自分は誰の手の上にいたのだろう。
 そして、どのように幕を下ろすのだろう。
 どれだけ答えを知っていても、それだけはヴァルキリーにもわからないし、トゥールもメーアも、そして目の前のスティンガーもわかってはいないのだろう。
 終着点を知らぬまま、揃った歯車は淡々と、加速する。


 ラビットは、コートのポケットに手を突っ込んだまま、白い空を見上げていた。
 長く伸びた白い髪は結び紐から解き放たれて、埃交じりの冷たい風に靡いていた。
 白い顔は、何の感情も映さず、ただ空へと向けられて。
「……トワ」
 乾いた唇が、遠くへ消えていった少女の名前を模る。
 口にしてから、それが本当に記憶に残る彼女の名前だったのかどうか不思議に思う。当たり前のように呼んでいた名前だというのに、今ではこれほどまでに空虚。
 そういえば、自分が立っている地面もふわふわと今にも破れてしまいそうだ。空は歪み、風景は色あせていく。
 最低でも、ラビットにはそのように感じられた。
「ああ、そうか」
 ラビットは意識的に口元を歪める。左右非対称の、微かな表情。笑顔ともいえない、笑顔。

「夢、だったのか」

 服の裾を握っていた少女も、自分が立つこの世界も。
 そして。

「私も」

 それは、何もかもを否定してきたラビットの最後にして完全な「否定」だった。
「……帰ろう」
 誰に言うともなく、ラビットは呟く。
 ポケットの中のビー玉だけが確かに青く、確かな温もりを伝えているのに、ラビットは気づくことができなかった。