ルーナ・セイントは所狭しと並べられたモニターの淡い輝きの中で、その細い身体を浮かび上がらせていた。対峙するレイ・セプターはぼろぼろになった右腕でぐっとレーザーブレイドを握り締めながらも、一歩も動けずにいる。
「私が組んだシナリオというわけでもありませんが」
セイントは紅を引いた唇を笑みの形にする。それは、常にセプターの横に立っていた副官としての彼女が見せたことのない、笑顔。
「しかし、貴方方は本当によく動いてくれました。『青』をこの船に連れ込んだ地点までは、計画に少しの狂いもありませんでした」
セプターは黙って、セイントの挙動を見つめていた。セプターが容易に一歩を踏み出せないように、セイントもまた、腕に仕込んでいた武器をすぐにセプターに向かって放つことは出来ずにいるようだった。
常に側にいたからこそ、理解している。
相手がセプターとなれば、この至近距離でさえ一撃で仕留めるのは至難の業であると。
「……ただ、貴方が『青』を逃がしたことで、少し計画が狂いました。もちろんその場合の手もあのお方が打っていないとは思いませんが」
ゆらり、と。
モニターの光が揺れ、それに合わせてセイントの姿も揺らいだように見えた。
セプターはぎりと歯を鳴らす。
何故、側に置いておきながらずっと気づかなかったのだろうという後悔と、もう一つ、どうしようもなく浮かんでくる感情に、表情を歪めずにはいられない。
「なあ、セイント」
手に力を込めながら、セプターはセイントに向かって呼びかける。
「何ですか」
「結局、お前……いや、お前らの目的は何だ? 『青』を、何のために求めている」
「気づいていないのですか? 貴方も無関係ではないはずですよ」
セイントはふと、セプターを蔑むような笑い方をした。「俺は考えることは嫌いなんでな」と笑い返しながらも、何とか思考を回転させる。
わからないわけではない。
セイントがここにいる理由も、『青』を狙う理由も、全ては一つの事件に収束する。
「 『シュリーカー・ラボの悲劇』絡み、だとは思うけどな」
「その通りです」
セイントは一歩、歩みだす。セプターは構えるが、セイントに攻撃の意志はなく、構えは解かないままでありながらも、武器を解き放つ様子はなかった。
「いいでしょう、少し、話をしましょう。『青』に逃げられた今、私の役目は此処で終わりですから」
「何?」
セプターは訝しげな表情をするが、セイントはそれに答えることはなかった。お互いに緊張と構えは解かないまま、奇妙な対話が続く。
「貴方も、『シュリーカー・ラボ』に足を踏み入れたことがあるならば、知っているはずです。我らが主、帝国が行っている実験の真相を」
「……ああ、あんないかれたもの、二度と見たくねえけどな」
何も知らない子供に特殊な能力と狂気を植え付けて、それこそ自我のない操り人形の兵士にするという悪魔のような研究。
その研究施設の『シュリーカー・ラボ』という名称は、元々連邦側が付けた研究所の通称だが、「怨嗟の叫びに満ちた研究所」という冗談にもなっていない通称が帝国の中でさえまかり通るくらいには、酷い場所だったと記憶している。
その場所でセプターは右腕を失い、相棒は心を壊されて、そして……
「私は、そこで生まれました。人工的な無限色彩保持者を作る、実験体の一人……俗に言う『シュリーカー・チルドレン』として」
セイントはゆっくりと、武器を構えていない方の手を上げる。そこには、無数の赤い糸が絡まっているように、セプターには『見えた』。
「貴方は知らないと思いますが、貴方が踏み入れた研究所だけでなく、『シュリーカー・ラボ』と呼ばれる施設はいたるところに存在します。貴方方が一つを潰したとしても、研究は変わらず続きます。私もまた、あの時に壊された施設から他の施設に移り、実験を繰り返し、この力を得ました」
淡々とした声は、セプターの耳に届きながらも何ら痕跡を残さずに流れていくように感じられる。セプターが自分から聞くことを拒否しているのか、それともセイントが言葉を紡ぎながらも本当はセプターに聞かせることを望んでいないのか。
もしかすると、そのどちらも、なのかもしれない。
それでもセイントは言葉を続ける。
「そして、『青』は……かつては我々帝国が保持していた、最大の無限色彩サンプルだったのです」
「何だって?」
「貴方は知らなかったと思います。連邦でも上層部がその情報を握っていましたから。しかし確かに七年前、『シュリーカー・ラボの悲劇』時に『青』はラボから連れ出され、連邦の手に渡りました。それ故に、我が国はずっと『青』を『取り戻す』ために動いてきました。そう、まさにこの瞬間も」
なるほど、とセプターは思う。
この事件は、一年前に『青』が地球を訪れたことに端を発していたように見えていたが、実際にはずっと根の深い、事件だったのだ。セイントは、帝国の指示で『青』が自由に動き出すこの瞬間までずっと、一介の連邦軍人として連邦政府軍内部で息を潜めていたのだろう。
「ただ、計画はいたるところで潰されてきました。特に、貴方とトゥール・スティンガーの存在には随分と悩まされましたよ」
情報の主、トゥール・スティンガー。
影で動いているのはわかっていたし、手を貸してもらった回数も数知れない。特に、あの不死身の『ビショップ』との戦いでは彼の存在なくしては決着がつかなかっただろう。
「……ああ、そうか。あの『ビショップ』も、お前の仲間なのか」
「ええ。人工無限色彩保持者……『カラーレス・インフィニティ・プロジェクト』によって一定の成果を上げた能力者は皆、『駒』として帝国の命に従います。それぞれが、チェスの駒の名を与えられ、与えられた役目をこなす。例えば貴方が出会った『ビショップ』は、計画の邪魔になるであろう『青』の関係者を秘密裏に処分する役割を与えられていました」
セイントは、ゆっくりと手を胸に添えて、微笑んだ。
「そして私は『クイーン』。我が国、そして指揮者である『キング』に従いその手足となる者。誰よりも自由に動き、盤上を掻き乱す者」
『女王』はチェスにおいては最強の駒だ。全ての方位を支配し、誰よりも戦況に目を配り的確な動きをする。連邦内部に根を張りながら確実に帝国の命を果たしていたセイントには相応しい称号だ。
だが、それならば。
最後に残された、全ての駒に指揮を下し、絶対に取られてはならない存在がいるはずだ。
「お前の言う、『キング』は一体何者なんだ」
「それは、私の口から言えることではありません」
それに、と言いながら、セイントの微笑みが深まる。
「言いませんでしたか、セプター大尉。私の役目は、此処で終わりです」
セプターははっとして、一歩下がろうとする。だが、足が動かない。見れば、セイントの手から伸びていた赤い糸が足に絡まっている。足だけではない。ぼろぼろになっていた腕にも、身体にも、いたるところに赤い糸が絡みつき、セプターの動きを封じている。
「……そう、これ以上貴方に邪魔をされないように、処分することによって私の役目は終わるのです」
だから、これだけ長い話をしたというのか。セプターの意識を糸から逸らし、その間にゆっくりと糸を絡めていく。それだけの時間が稼げればよかったのだ。セプターはまだかろうじて動く目で、じっとセイントを見つめる。
「セイント……」
「死んでください、レイ・セプター。貴方が生きている限り、『青』が戻らない限り、我々に未来はないのです」
糸を繰り、武器を構えたまま一歩ずつセプターに近づくセイントの目は酷く暗かったが、そこに、一点だけ……何か温度を持った感情が混ざったような気がした。
息が苦しくなってくる。それは、赤い糸に絡められているからだろうか。もっと違う理由だろうか。セプターがそれを判断することは出来ない。
ただ、セプターにもわかることはある。
「……セイント、お前さ、本気で言ってる?」
「ええ、本気です。貴方はここで死ぬ。『キング』は計画通り『青』を手に入れる。そういうシナリオです」
「そっか、じゃあ、そのシナリオは多分破綻するぜ。俺が保証する」
「……何を根拠に」
セイントは糸を繰る手に力を込める。それだけでセプターに絡みついた糸は身体に食い込み、痛みすらも呼び起こす。しかし、セプターは笑っていた。あくまで寂しげに……いや、セイントを哀れむように。
「俺さ、ずっと考えてたんだ。いつも頭は足りないし間違ってばかりだけど、今回ばかりはちょっと自信があるんだよな」
セイントはあくまで余裕を崩そうとしないセプターの頭に、武器を突きつける。頭を破壊すれば、どんな技術を用いたとしても再生は困難だ。
セプターは、それでも、笑っていた。
「 『キング』は、何も見えちゃいないじゃねえか。そのシナリオを本当の意味で邪魔すんのは、俺じゃない。ましてやトゥールでもない」
「今更、戯言を」
「そう思うのなら、最後まで見ていればいい。『青』の心を掴んでいるのは、ただ一人だ」
セイントの表情が、あからさまに揺れる。セプターが何を言わんとしているのかを察したのだろう。だが、それはあまりに荒唐無稽な理論だ。
『青』とセプターの言う『ただ一人』の間に横たわる関係について何も知らない、セイントからしてみれば。
「貴方の言うことは、いつも意味不明です。……もう、聞いている意味もありません」
「そっか。それじゃあ仕方ねえな」
「はい。さようなら、レイ・セプター」
セイントは、引き金を引こうと指に力を入れる。
その瞬間。
セプターは、吼えた。
思わぬ反応に驚いたセイントは、一瞬引き金を引くのを躊躇った。その一瞬をついて、糸に絡められ動けないはずのセプターの腕がセイントの肩を掴み、身体ごと力任せにコックピットの壁に叩きつけていた。
思い切り背中を打ったセイントは息を詰まらせ、咳き込む。
しかし、目だけは呆然とセプターを見ていた。
絡まっていたはずの赤い糸は消え、セプターは完全に自由を取り戻している。完全に形勢は逆転し、今度はセプターがセイントを見下ろす番になっていた。
セプターは、穏やかな色の瞳を細めて、笑う。
「 『無限色彩は心の力だ』ってのは、元々クレスの口癖でさ」
恐怖と驚愕とで言葉を失っているセイントに向かって、セプターは諭すように続ける。
「そんな迷ってばかりの心じゃ俺は縛れないぞ、セイント」
「……っ、誰が、迷って」
「迷ってるじゃねえか」
セプターは武器を持ったセイントの腕を押さえながらも、ゆっくりと言った。
「迷ってなかったら、あんな長話する必要なかった。その気があれば簡単に、あの赤い糸で俺を絞め殺すことだって出来たはずだ。違うか?」
「う……っ」
「お前は時間稼ぎが必要なくらい、心を決めかねてたんだ。どうして悩んでるのかなんて俺は知らないけどさ。……でも、迷ってる奴に殺されるってのは後味悪いしな」
笑いながら、セプターはセイントを見た。セイントの目に宿っていた暗いものが、少しずつ温度のある他のものへと変化しているように見えた。
「……何故」
セイントの唇から、ぽつりと声が漏れる。セイントの体から力が抜け、セプターが手を放せば彼女の身体はずるずるとその場に崩れ落ちる。
「何故、貴方は」
セプターを見上げる目には、もう敵意の欠片も残っていなかった。
残っていたのは、ただ、一筋の「悲しみ」だけ。
「いつもそうやって、誰かの心を簡単に暴いてみせるのです……?」
その言葉を受けたセプターは苦笑して、
「そんなつもりはねえんだけど、多分さ」
何処までも暖かな緑色の目を向けて、セイントに大きな手を差し伸べながら、
「俺が、単純でバカなだけじゃねえかな」
そう、言った。
Planet-BLUE