「 『青』には逃げられましたか……」
暗い部屋で、モニターを見ながら『クイーン』は呟いた。
モニターに映されている部屋の中では、セプターが踊るように光の刃を振り回している。とはいえほとんど武器部分は使わずに、柄の部分で相手を昏倒させている。相手が操られているだけ、というのも認識しているのだろう。
予測はしていた。
セプターが『青』を逃がすことも。そしてセプターがこちらに刃を向けるであろうことも。
だが、まず。
「此処まで辿りつけますか、『軍神』に一番近い男……レイ・セプター」
言いながら、『クイーン』は指先から伸びる目には見えない赤い糸を引いた。
全ては、自分の手の上にある。
盤上を誰よりも自由に駆けめぐる、チェスの『女王』。『王』の描いたシナリオを実行する、最後にして最強の駒。
「全ては、我らの未来のために」
しかし。
自ら呟いたその言葉が妙に空虚に聞こえたのは、何故なのだろう。
「ああもう、キリがねえっ!」
部屋から何とか抜け出すことが出来たセプターは、叫びながら何人目かも知らない仲間の鳩尾にレーザーブレイドの柄を叩き込む。そしてその身体を軽く蹴飛ばし廊下の向こうから襲い掛かろうとした赤い目の軍人たちにぶつけてやった。ほとんど自動的にセプターを狙っているだけの軍人たちは思わぬ反撃に倒れこむ。
これで、少し息を整える時間が稼げた。
それにしても戦いづらい。
相手は味方であり、単に操られているだけ。ここで本気を出してしまっては、相手の命の方が危うい。『青』を護送するからといって、これほどまでの人数を動員したのも間違いだっただろう、とセプターは思う。
思いながら伸ばされる腕を叩き落とし、相手の足を払う。この繰り返しで、なかなか前には進めない。
セプターには、紋章魔法士のように一度に複数の相手を昏倒させるなどの便利な能力はない。この状況を一番的確に打破するだけ思考の回転も存在せず、己の肉体が保つ戦闘能力だけで相手を屈服させることしか出来ない。今までは十分それでも通用したが。
「……頭を使え、ってことなんだろうけどさあ」
かつてはいつも、そんなことを横で指摘する人間がいたことを思い出す。何もかもが自分とは正反対で、だからこそ相棒として背中を任せることが出来た存在。
……お前ならどうする、クレス。
まず浮かぶ名前がそれで、セプターは思わず笑ってしまった。こんな状態でも、まだ笑う余裕はあったのかと自分でも驚く。
いや、自分は常にそうだった。どんな苦境でも笑っていた。それは虚勢でも何でもなく、純粋に楽しかったのだ。戦うこと、それ自体が。
いつから、笑えなくなっていたのか。
何も言わずに消えていった、相棒の背を思い浮かべる。自分とは違う意味で不器用で、誰とでも衝突しなければ生きていけなかったあの男が、実際には誰よりも争うことが嫌いだったことを知っている人間は多分数少ない。
「大丈夫だ」
迫る手を避けつつ、自分で自分に言い聞かせる。
「アイツは、今度こそ上手くやる」
最後の場所に向かった『青』。残された白兎。
何が正しくて、何が間違っているのか、そんなことはセプターも知らないし、これからも知ることはないのだろう。
ただ、今度こそ。
不器用なあの男も、自分と同じように一歩を踏み出すという確信があった。その一歩で誰かを傷つけることをひどく恐れているような男だけれど、最後の最後で、きっと……
だから、セプターは笑う。笑って、床を蹴る。人間の限界を超えた跳躍は、まるで元より高い天井にも届くくらいの高度にまで達する。それを目で追うことしか出来ない赤い服の操り人形は、その場で一瞬立ち止まった。
それを見て、セプターが高度を保ったまま今度は側の壁を蹴って空中で前進する。操り人形を飛び越え、廊下の終着点……コックピットを目指す。彼らを操っている人形遣いがそこにいるという確信はなかったが、一時的に船の自動航行系統が切られていると考えれば、まずはコックピットを目指すのが普通だ。
見事に壁を伝って操り人形を飛び越えることに成功し、セプターはコックピットの前にある少々開けた場所に着地する。のろのろとした動きの操り人形に追いつかれる前に、コックピットの扉に駆け寄る。
が。
青い光が、コックピットの薄く開いた扉から放たれた。セプターは間一髪、斜め後ろに跳び退ってかわしたが、真っ直ぐに放たれた光はそのまま追いかけてきた操り人形をなぎ倒し、廊下の奥へと飛んでいく。
見慣れた、紋章魔法だ。
「 『死呼ぶ神の槍』……しかも、この速度じゃ」
セプターだからこそ反射的にかわせた一撃だ。普通の『死呼ぶ神の槍』よりも遥かに優れた発射性能と威力を持っていることは明確である。
ならば、術者は決まっている。
「アンタも操られてるのか、少佐……っ」
ゆっくりと、コックピットから姿を現したのは少佐、ケイン・コランダム。やはり、他の操り人形と同じく血走った目をうつろに開き、足取りはおぼつかない。
厄介な相手だ、とセプターは舌打ちする。紋章魔法の種類は把握しているつもりだが、魔法士としての訓練をつんだ者を相手取るのは苦手としている。かつての相棒が紋章魔法士ながら我流の戦い方をしていたのも要因の一つだろう。
どう攻めるか、セプターが考えあぐねていると、コランダムは両腕を上げて、呟くように言った。
「……『滴り落ちる円環』 」
「ちぃっ!」
幾重にも重なり合った金色の輪が、少しずつずれた曲線軌道を描きセプターに襲い掛かる。セプターは計算というよりは長年の経験と反射で即座にその軌道内に存在する僅かな安全地帯に位置取る。だが、これでまたコランダムから距離を取らなければならなくなった。
コランダムはコックピットの前から動こうとはしない。正規の魔法士らしく、直立不動の体勢で身体全体を魔法の発動体とする。
常に駆け回っていた白兎とは大違いだ。
高速空中歩行魔法である『闇駆ける神馬』を多用し、三百六十度を戦いの範囲としながらセプターに接近戦を挑むラビットは、あらゆる意味でコランダムとは対照的だった。
そんなことを考えているうちに、今度はコランダムの腕から大きな不可視の刃がセプターの喉元めがけて襲い掛かる。真空の刃……『死を喰らう疾風』だ。セプターは少し体制を低くし、見えない殺意を何とかしのぐ。
しかし、そこで回避することすらもコランダム……というよりはコランダムを操っている人間の計算のうちだったのだろう、一瞬でも刃を避けることに気を取られたセプターに向かって放たれたのは、二度目の『滴り落ちる円環』。
避けられない。
今度は安全地帯へ退避する余裕もない。小さな金色の輪が、明らかな質量と鋭さを持って迫る。完全に、セプターを仕留めようとする殺意が込められた無数の円環。
それでありながら、セプターは、笑っていた。心底、今の状況を楽しむように、壮絶な微笑を浮かべていた。
セプターは軽く息を吸い、腕で顔を庇う。
そして。
そのまま、金色の輪を放つコランダムに向かって前進した。
勢いよく放たれた刃は、容赦なくセプターに襲い掛かる。軍服の袖が破け、生身の左腕からは血が噴出し、また機械の右腕にも深い傷を穿つ。ある金色の輪は脇腹をかすめ、全身を止めようと足にも突き刺さる。
それでも、セプターは前進をやめなかった。
操られているはずのコランダムが、戦慄したような気がした。
全身を血に染めながら、セプターは床を蹴り、一気にコランダムに肉薄する。慄いたのはコランダムか、それとも操り手か。突き出したままの右手が青白く、光る。
「さあ、勝負だ」
セプターは己の血に濡れた顔で、笑う。
何処までも、楽しそうに。
コランダムの手から、至近距離で青白い『槍』が放たれる。
セプターは、笑顔のままそれを正面から受け止めて――――
音も立てずにコックピットの扉が開く。
『クイーン』はモニターの光を浴びながら、ふらりと立ち上がる。
ついに、この瞬間が来てしまった、と思いながら。
「……此処まで辿りつきましたね、『軍神』に最も近い男」
扉の向こうに立っていたのは、血に染まり、顔色を失いながらもなお笑顔で立ち続ける戦の化身。
レイ・セプター。
セプターは『クイーン』の姿を認め、透き通った緑の目を丸くした。
「な」
何故。
セプターの唇は、間違いなくそう言おうとしたのだろう。ただ、声は掠れて、言葉になっていなかっただけで。
『クイーン』はほんの少しだけ、笑った。自分でははっきりと笑ったつもりだったのだが、どうにも不恰好な笑みになってしまったかとモニターを見ながら思う。
「正直なことを言えば、貴方とは戦いたくなかったのですが……しかし、此処まで来てしまった地点で、最早避けられぬ戦いだったのでしょう」
『クイーン』は腕に仕込んだ武器をセプターに向けて、言い放つ。
セプターは、ぐっと、暗闇にもわかるように絡繰仕掛けの右手を握り締めて、呟いた。
「全部、お前の仕組んだシナリオだったのか、セイント……」
Planet-BLUE