Planet-BLUE

107 操り人形

 セプターの身体に走るのは、電気を思わせる鋭い悪寒。
 それと同時にぶつんという嫌な音と共に部屋の明かりが消え、船体に衝撃が走り空中に静止する。セプターは「何だ?」と明かりのスイッチをいじるが、一度落ちた明かりが元に戻る気配は無い。
「……嫌」
 トワは、小さな声で呟く。小さな身体が小刻みに震えていた。セプターはすぐにトワを庇うように腕を広げ、その顔を覗き込んだ。
「どうした?」
「わからない、でも、すごく、怖いの……」
 薄暗い中で、セプターが困惑の表情を浮かべる。普通ならば、時折明かりが落ちることがあっても即座に復旧するはずだ。だが、一分が経過した今も戻らない。それに、トワの怖がりようも異様だ。
 そう、トワがいるこの瞬間に、タイミングよく何かが起こるなんて、できすぎている。
 この部屋は『青』が通信やシステムに介入するのを防ぐために、他のフロアとの回線は繋がってはおらず、通信はセプター個人が持っている通信機でのみ行われていた。そのために、他のフロアの様子はセプターからはさっぱりわからない上、コックピットからの連絡も無い。
「船に異常があったのか、それとも」
 セプターは立ち上がり、扉へと歩み寄った。トワは「だめ」とその袖を掴んで止めるが、それには構わず冷たい扉に耳をつける。扉も電源が切れているのだろう、自動的に開く様子はなかった。
 扉の向こうでは、声らしきものは聞こえない。
 が。
「……誰か、いやがるな」
 セプターの聴覚は、扉の向こうの存在を確かに捉えていた。それも、一つではない。多数の、『誰か』が声一つ出さず、息を殺し、この扉の向こうにいる。
「レイ、行っちゃだめだよ」
「だけど、このままじっとしてても始まらないだろ」
 セプターは右の義手でレーザーブレイドの柄を握り締める。いつもは穏やかな色を湛えている瞳が、きっと鋭い光を宿らせる。
 そして、セプターの手が鋼の扉にかけられ、開かれた。
 瞬間、セプターの鼻先を掠めたのは青い光の槍。ぎりぎりのところでかわした光は壁に突き刺さり、霧散する。
「 『死呼ぶ神の槍』……?」
「前!」
 トワの声に促され、セプターは扉の向こうを見た。この部屋の前は少し開けた廊下になっていたが、その廊下を埋め尽くすように真紅の服の軍人たちが立ちはだかっていた。全員が全員、うつろに血走った眼をしていて、全く生気というものが感じられない……
「どうなってんだ?」
 思わず飛び出したセプターの問いには軍人たちは答えず、再びどこかから放たれた光の槍が襲いかかり、それを皮切りに一歩ずつ緩慢な、しかし統率の取れた動きで軍人たちが部屋の中に攻め込もうとする。セプターは即座に扉を閉めると、背中でしっかりと押さえつけた。
 がん、がんという激しい振動が伝わってくるが、光子武器か何かで切り裂かれない限り一分くらいは持つだろう。『青』の護送のため普通よりこの部屋だけ厳重な造りになっていたのが幸いした。
 一体、何が起こった。
 一瞬前までは自分の仲間だったというのに、何故唐突にこんなことになったのか。
 血走った感情の無い眼、機械のように足並みのそろった動き。何もかもが、異常すぎてセプターの理解の範疇を超えている。
「……赤い、糸だった」
 その時、突然、虚空を見つめていたトワが、ぽつりと呟いた。
「え?」
「糸。レイには見えないかもしれないけど、あれは無限色彩の、糸……多分だけど、身体と心を絡め取って、吊るして、操り人形にするんだと思う」
「何、だって?」
 操り人形。緩慢で、どこか機械じみた動き。確かにそれは、見えない糸に吊るされて、見えない大きな手が動かしているマリオネットか何かに見えなくも無かった。だが。
「そんなことが、できるのか?」
 そう口にしてから、セプターはどきりとした。
 無限色彩に、不可能はない。知っているはずだ。例えば、自分が一番よく知っている無限色彩保持者はどんなことをしていた? 人の心を操るくらい、本当は造作も無かったはずではないか? ただ、力を扱う『彼』自身が誰かを無理やりに支配することを、誰よりも嫌悪していただけで。
 無限色彩を恐れるな、レイ・セプター。
 ひゅう、と素早く息を吸い込んで、吐く。それだけで、随分と心が落ち着いた。
「つまり、無限色彩保持者があいつらを操ってる、ってわけか」
「うん。でも、誰が保持者なのかってことまでは、わからないの……」
 トワは目を細めて、苦しそうに顔を歪めた。
「わたし、無限色彩保持者は見ればすぐにわかるの。だけど、わからない人もいる」
 背中に伝わる、扉を破らんとする激しい衝撃。あとどのくらいで突破されてしまうだろうか、と思いながらもセプターは慎重にトワの話を聞く。
「一人は、クレセント。クレセントの力は、心に関することだけならわたしより強いから。あとは」
 トワの目は、どこまでも悲しい色をしていて。
「造られた、無限色彩保持者」
「造られた……まさか」
 セプターの脳裏に、あの狂気に満ちた研究所が思い出される。子供たちに超能力を植えつける、という研究を行っていた『シュリーカー・ラボ』。セプターも詳しいことを聞かされてはいなかったが、あの研究の目的が最終的に『人工的な無限色彩保持者を造る』ことにあったのだとすれば、研究が今も他の場所で秘密裏に続いていて、ある種の成果を出していても不思議ではない。
「ここに、そんな奴がいるっていうのか?」
「本物の無限色彩保持者とは違って、多分そんなにたくさんの力は使えないと思うけど、わたし、一度そういう人を見たことがあるの。不安とか、怖いって気持ちを形にできる人。この人も、きっと……人を操ることができる人なんだと思う」
「くそっ、操られてるんじゃ下手に手出しできないし、保持者がどこにいるかわからないってなると……」
 それだけではない。
 この船に乗っているのは、自分を含めた軍の人間と『青』であるトワだけのはずだ。そこに、明らかに軍とは違う目的を持って乗っている人間がいる。その目的は、間違いなく『青』の奪取。
 軍の中に帝国の諜報がいるという話は聞いていたが、トゥールがどうにかしたはずではなかったか。それとも、まだ知られていない何者かが影で蠢いていたとでもいうのだろうか。
 わからない。
 ただ、一つだけはっきりと理解できることがある。
 セプターはトワを見た。トワは不安げな色をその瞳に湛えながらこちらを見上げている。無限色彩最強の『青』といえ、トワはきっと、自分の意志でその力を振るったことはほとんど無いのだろう。この場においても、もしかするとトワの力を使えばどうにか切り抜けられるのかもしれないが、セプターにも、トワにもそのよい手段が思いつかなかった。
 ならば、自分の取る手段は、一つ。セプターは生身の左手で、トワの頭をそっと撫でる。それから、もう破られそうになっている扉から背を離して向き直り、はっきりと言った。
「逃げるんだ」
「え?」
「この船から、逃げろ。俺がここで食い止める。君は、迷わずに君の行きたいところに……『子午線の塔』に向かうんだ。『青』の力を使えば瞬間移動くらいは出来るんだろ?」
 トワは自分の耳を疑っているようだった。それは、軍人にはあるまじき発言だった。『青』であるトワに逃亡を促すなど、本来あってはならないことだった。
「レイ」
「君は、クレスに似てるから、きっと迷うんだろうな……クレスと同じように。だけど、本当は迷わなくていいんだ。君の力は、君のためのものでしかないし、君のためにしか使えない。力って、そういうものだろ?」
 セプターはトワに背を向けたまま、言った。
「だから、君が思った通りにすればいい。そうすれば、無限色彩だって応えてくれるさ。今までいろんな保持者を見てきたけど、俺はそう思う」
 紡ぐ言葉には、迷いがなかった。きっとコランダムか誰かが聞けば綺麗事だと一笑に付すだろうが、笑われてもセプターはなお同じことを言っただろう。
「それに、君だったら大丈夫だ。力を大切なもののために使うって言ったから。俺は、君の言葉を信じられる。信じられるから、君のために、ここで君の邪魔になる連中を食い止めてやれる」
「でも!」
 相手は、作り物とはいえ無限色彩だ。
 まともに戦えば、勝機があるとは思えない。
 トワの「でも」も、そのような感情がありありと表れていた。
 それでも、セプターは笑っていた。背を向けているためトワからは見えないだろうが、セプターには、この場を切り抜けられるという、根拠の無い自信があった。
「大丈夫だ。俺は君を信じるから、君は俺を信じろ」
「レイ……」
 セプターは、決して振り返らない。トワも、それに気づいたのだろう。胸のジュエルに柔らかな手を当てれば、明るい海を思わせる青い光が零れ落ちる。
「また、会えるよね」
「当然。すぐに、追いかける」
 セシリアも置いてきたままで、死ねるわけがない。
 頭の中でそう付け加えて、笑顔に少々苦いものを混ぜる。
 今まで、間違えてばかりだった。ただ前を向いて走っているだけだけれど、そのせいでどれだけのものを無意識に傷つけ、どれだけの人間に勘違いされてきただろう。

『哀れむな、同情するな、そんな目で私を見るな …… 貴様も奴らと同じだろう、いつも遥か先で私を見下していたんだろう!』

 トワを連れて出たあの時。
 ラビットにそう言われて、そんな事実はなかったというのに、胸が痛かった。そう思われてしまうだけのやり方をしてきたことだけは、否定できなかった。
「結局、不器用なんだよな。俺も……アイツも」
 小さく呟いて、ちらりとトワを見る。トワの体はほとんど青い光の塊となっていた。その奥から、鈴のような、硝子のような声がする。
「待ってるから」
「ああ」
 君が待つべき人間は俺じゃないけどな。
 本来言うべきだったその言葉を言うだけの時間は無かった。頷いたその瞬間、トワの姿は霧散する。セプターはそれを見届けてから、改めてレーザーブレイドを構えなおした。
 約束したから。
 信じてもらえたから。
 今はただ、この場を切り抜けて、不安を抱いたまま『子午線の塔』に向かったトワを追うことだけを考える。
「さあ、遠慮なく来ればいい、人形遣い!」
 叫んだ声と同時に、扉が破られた。