「どうして?」
「何がだ」
かろうじて出た掠れた声に、コランダムは冷たい響きで返す。トワは躊躇った後、何とか先ほどよりははっきりとした声で言った。
「どうして、死んだの?」
聞いて、どうなるのだろうとも思う。コランダムの古い傷を暴きたて、自分にも重い何かが圧し掛かるだけだと理性ではわかっていても、口は勝手に言葉を紡ぎあげる。
コランダムは薄い色の唇をくっと持ち上げ、笑う。
「……私が知るか。ただ、一つだけわかっていることは」
コランダムの目が、窓の外に浮かび上がる青い星、『ゼロ』に向けられる。トワの瞳……そして、ジュエルとよく似た色をした炎。
「奴が無限色彩で両親を殺しグローリアを壊したように、奴もまた、無限色彩に殺されたということだけだ」
当たり前のような口調で言っているのに。
トワは、横を向いたコランダムの瞳の奥に、静かに、しかし確かに燃え続けている冷たい炎を見た。
きっと、とトワは思う。コランダムの言葉は断片的で、その全てを理解できるわけではない。心の中を覗いてしまえば簡単に暴けることだろうが、それはコランダムも、そしてトワ自身も望まぬことである。
けれども、きっと、コランダムからしてみれば、全ての始まりは無限色彩を持って生まれた弟が、望まぬ死を呼び寄せたこと。それから先も、全ての悲劇には無限色彩という名がついて回ったに違いない。
コランダムが憎んでいるのは、無限色彩を持って生まれたトワや弟ではなく、『無限色彩』という強大すぎる力そのものなのだ。
「無限色彩は、外に出せるようなものではない。力を封じることが出来ないのならば、せめて出来る限り管理されてしかるべき存在だ。連邦のやり方は、甘すぎる」
ぼそりと呟かれた言葉は、セプターとはまた真逆の意味で、軍人らしからぬ発言だった。
管理。
そんな言葉を聞くだけで、トワは何処か苦痛にも似た感情を覚える。
本当に何も知らなかった、一年前の自分を思い出す。
惑星アークの首都セントラルアーク中心部に存在する機械仕掛けの時計塔。誰もが一日に一度は目をやるその場所で、極秘裏の研究が行われていると知っている者は何人いたというのだろうか。
トワは、その時計塔で育った。
楽園を再現したかのような、花の咲き乱れる一室。コンピューターによって制御された感情を持たない機械仕掛けの『友達』と、いつからかずっと一緒にいた、トワだけに従う冷たい死人人形、『黒』の鈴鳴刹那だけがトワの世界。
部屋のそこかしこにはカメラが存在し、常に自分のことを観察していて、実際にトワも気づいてはいたけれど、それが当たり前で、疑いもしなかった。
ある時、頭の中に響く声に導かれて、地球に降り立つまでは。
時計塔から外に出た途端、無数の人間の声が流れ込んできた。人間、というものとほとんど接触してこなかったトワにとって、それはある種の恐怖でしかなかった。何しろ、自分の周囲にいる人間全てが自分を恐怖し、また逃がしてはならないと追いかけてくるのだから。
だから、その中で出会ったラビットの暖かさが、特別だった。
無限色彩は、確かに悲しみを呼ぶ。追い求めたクレセントの背がそれを語っていたように。コランダムが痛みを訴えるように。
だが。
「でも、それでいいのかな」
「何?」
「本当に、管理すれば無限色彩のためになるのかな」
コランダムは、何かを言おうとしてトワを見たが……結局、その口から何か言葉が放たれることはなく、じっとトワの目を見つめるだけだった。
意外にも、コランダムは自らの考えをトワに押し付けようとはしなかった。いや、そうしたいという感情を無理やり抑えこんでいるように見えた。
「……何か、それ以上にいい方法でもあるのか?」
コランダムは自嘲気味に言った。
「あるのならご教授いただきたいところだな」
吐き捨てるように。
放たれた言葉は、コランダムの葛藤と困惑を表しているようにも見えた。
今までは確かだった考えが、揺らぎ始めている。コランダム自身も、今まで気づいていなかったのだろう。自らの憎しみが、『青』や弟といった無限色彩保持者ではなく、無限色彩そのものという形のないものに向けられていたということに。
もし、ラビットならば、コランダムの一連の言葉を聞いて何を思っただろうか。初めてコランダムと対峙したあの時と同じように、冷たくも悲しげな目でコランダムを見つめたのだろうか。それとも。
「……私は、何を話しているのだろうな」
コランダムはかぶりを振って、シニカルに笑う。
「全く、何を言っても、不毛だというのに」
コランダムの呟きは、あくまで空虚。
いくら無限色彩を否定しようともそれで状況が変わるわけでも、妹、グローリアが元に戻るわけでもない。そんなコランダムの姿を見て、トワは、何も言えずに黙り込むしかなかった。
その時、突然コランダムは左耳に付けていた小型通信機に手を当てた。おそらく最新型の精神信号変換型の通信機なのだろう、コランダムは目を閉じ、実際に声には出さずにその通信機の向こうにいる何者かと会話しているようだった。
トワはそんなコランダムを見上げて、コランダムには気づかれないようにほんの少しだけ『回路』を開く。それは、トワの中に存在する膨大な色彩のほんの一端。信号化されたメッセージを読み取るために、その回線を覗き込む。
『どうした、セイント少尉』
コランダムの声が、頭の中に響く。
どうやら、相手はあのルーナ・セイントのようだった。
『本部からの通信が入っています。コックピットに繋いでいますが』
『こちらに転送は?』
『 「青」の前では能力で傍受される恐れがあります』
今の自分の状況を言われているのではないかと思ってトワは思わず無限色彩の回路を切ろうとするが、コランダムはちらりとトワを見ただけで、トワが何をしているのかまでは気づいていないようだった。
『まあ、慎重に越したことは無いな。わかった、すぐに向かう。……こちらにはセプターを遣してくれ』
『了解』
ぷつり、という音と共に回線は閉ざされる。トワもすぐに回路を閉じてコランダムに向き直る。
「どうしたの?」
「呼ばれた。交代だ」
言って、コランダムは立ち上がる。トワが不安げな表情で見上げているのを見て、軽く眉を寄せた。
「……何を見ている?」
「何か」
何故だろう。
トワは、ジュエルを押さえたまま、何処か息苦しさを覚えて俯き、深く息を吸う。
寒気が、止まらない。細かく震えそうになっている体を無理やり己の両腕で抱き、助けを求めるように視線を虚空へと向けた。そこに何があるわけでもないのに。
自分でも、どうしてこんな気持ちになるのかはわからない。ただ、確実にわかるのは、この感情が……
「怖い」
ということだけ。
「怖い?」
コランダムはトワの言葉を反芻し、訝しげな表情を浮かべる。
「今更、何を言っている?」
「わからない、でも、とても怖い……」
トワは、無意識に、助けを求めるようにコランダムの服の袖を掴んだ。
次の瞬間、トワの小さな手はコランダムの腕の一振りによって振り払われていた。手に響くかすかな痛みと共に目を上げれば、コランダムはまるで苦痛をこらえるかのような表情をしていた。しかし、その表情は一瞬で元の無表情へと戻る。
「……気安く触れるな」
「ご、ごめんなさい」
トワは手を引っ込めて、再び俯いた。
振り払われた手を、そっともう片方の手で覆いながら、その瞬間に垣間見えた奇妙なヴィジョンをもう一度頭の中に思い描く。
振り払われたその瞬間のトワは、コランダムが『青』の干渉を恐れるがためにその手を振り払ったのだと思っていた。
だが、コランダムの苦痛の表情は、その奥に不可解な映像を隠していた。
トワと同じように弱々しい力で服の袖を掴み、こちらを見上げる、深い青の瞳。そして、それに被さるようにして見えた、華やかな遊園地のヴィジョン……
『約束だよ』
不安げな表情でそう言った少年の声が、頭の中に響き渡る。
トワが何を思っているのか知らないコランダムは無言のまま、トワに背を向けて部屋を出て行こうとする。
今のヴィジョンのことを、問いたかった。
しかし、また記憶を覗いたのか、と悪魔か何かを見ているような目で見られるのは嫌だった。
だから、トワは何も言えないままに、コランダムの背を見送るしかなかった。
渦巻く疑問と、一抹の不安をその澄み切った青の瞳に込めながら。
Planet-BLUE