「弟……?」
トワは、その言葉の意味を判断するまでに数秒を要した。
コランダムの家族を殺したのは、無限色彩保持者だったコランダムの弟……?
「そうだ」
口元だけは笑みを浮かべながらも、空ろな目でコランダムは言葉を紡ぐ。
「もう、二十五年前の話だ。私の家は火星の居住区画にあった」
火星については、トワも知っていた。ラビットがかつて教えてくれたのだった。地球から見える、恒星よりも明るく輝いて見える赤い星。それが、地球より一つ外周を回る火星であるということ。
元々は人が住めないような場所だったのだが、宇宙進出期に人間が開発を進め、赤茶けた大地に点在する居住区画の整備が進んだとされている。現在はとても貧しく、地球と同じく政府からの物資に頼らなければ生活もままならない状態だが、今の地球と同等の人口を有している。
ふと、火星の風景がコランダムの意識の中に上るのがトワにもわかった。トワが見た火星のイメージは、赤い砂が吹き荒ぶ中にある、小さな町。それが、コランダムが幼少時代を暮らしてきた場所なのだろう。
「私には三つ下の、グローリアという妹と、ライトという弟がいた。双子だったのだがな。それと、両親と……何も考えずに暮らしていたよ。その時には無限色彩などという言葉など知るはずもなかった」
コランダムは手で目を覆い、トワから視線を外した。
何故、こんなことをトワに話してしまっているのだろう、という疑念に一瞬だけ囚われたようにも見えた。
ただ、トワは聞きたかったのだ。
ずっとコランダムに感じていた恐怖は、今だけははっきりと薄れていた。自分の過去を少しだけでも見せたコランダムが、とても弱いものに見えたから。
コランダムは、口を噤み、しばらく何かを考えているようだったが、再び口を開いた。
「ああ、何も知らなかった……生まれつきライトの身体に埋まっていたあれがジュエルであることすら、気づけなかったのだ」
ジュエル。
無限色彩保持者を判別する一つの大きな特徴。保持者が必ず身体の一部に持って生まれる、無限色彩の色を宿した小さな石。
トワは、そっと服の上から胸の石に指を触れる。常に温かくも冷たくもない、硬い感触。それが本来的に「石」であるかどうかも、実際のところは確かではないのだが。
「昔から、ライトに不思議な力があったのは事実だ。私も、両親も、少しばかり気味が悪いとは思っていたが、ライト本人は、自分が能力者であることを自覚しているようには見えなかった」
そうすると、おそらくライトというのは人の心を感じ取ったり、見えないものが見えたりするような能力者だったのだろう、とトワは予測する。その手の能力者は、幼いうちは自分が能力者であるという自覚がないことが多い。彼にとっては人の心が読めたり、何かが見えたりするのが、当たり前なのだから。
何となく、トワに近いものを感じる。トワが得意としているのも物理的な干渉より、そのような形ないものを感じる能力なのだから。
そういえば、自分はいつ自分が『青』であることを自覚したのだろう?
トワは、ふとそんなことを考えるが。
「だから、全てが、遅すぎたのだ」
トワの思考を遮るように、コランダムは沈んだ声で言った。膝の上で握られた手に力が入ったのが、トワから見てもわかった。
「……ある日、私が家の外に出て行っているとき、私の家の方から爆発にも似た光が放たれた。私は何が起こったのか理解していないまま、慌てて家に帰ったよ。そうしたら、どうなっていたと思う」
頭が、痛い。
トワは、コランダムの深い瞳の奥に、小さな町の姿を見る。
幻の町の中で、トワの意識はひたすら走っていた。いや、それはトワではなく、幼少時のコランダムなのだろう。トワとそう変わらない、低い視点で町の風景が後ろに流れていく。耳元に聞こえるのは自分の息遣いと、激しい胸の鼓動。
コランダムも、感じていたのだ。何かが起こったのだ、という悪寒を。
「爆発が起こったと思ったのに、何一つとして壊れたものはなかった。ただ、やけに、静だった」
静寂に包まれた、町。
普段は寂れていながらも、子供の笑い声や世間話が常に聞こえていたのだろう。コランダムの記憶は、そんな町に訪れた異常を感覚的に理解していた。小さなコランダムと同化しているトワは家の前に立つ。
家もまた、沈黙を守っていた。ドアノブにかかった手は震え、その中にある絶望の光景を示唆している。
それでも、コランダムの言葉は続けられてしまった。
「私が部屋の扉を開けると、そこにはライトが立っていて……足元に、両親とグローリアが倒れていたよ」
部屋の中に倒れる、二つの大きな影と、小さな影。その真ん中に立ちすくむ、ひときわ小さな子供の姿。
コランダムの意識に住まう『子供』が、トワを見る。いや、正確には視点を共有している、幼少時のコランダムを見たのだろうか。大きく見開かれたその目の色は、コランダムと同じ、深い、深い、深淵の色……
「両親に、息はなかった。怪我一つなかったが」
コランダムは皮肉げな表情を浮かべながら、刺青の刻まれた手をこめかみに持っていき、長い指でくっと捻るような動作をする。
「……焼き切られたんだ。ここをな」
トワは、息が詰まるような錯覚に襲われる。
精神破壊。
精神感応能力者の中でも、相手の精神に干渉する、高次の能力者しか扱えないと言われている能力だ。トワくらいの能力を持ってすれば可能かもしれないが実行したことも、する気も元より無いし、それ以前にそのような能力の使い方は見たこともない。
いや、そのはずはない、とトワは思い当たる。
一度だけ、トワは目にしていた。実際に見たわけではないが、白の原野で過去を垣間見ている。精神感応に特化した無限色彩保持者、『白の二番』クレセントが起こした、広範囲に及ぶ精神の破壊。
精神を完全に壊されれば、じきに肉体も生命活動を停止する。まるで人形のように四肢を投げ出した死体の山を、トワは一度目にしていたはずだ。
あの時は過去の映像だったということもあって何処か別世界の話に思えたが、今は違う。
目の前に、突きつけられたのだ。
コランダムという当事者の意識を共有して、その時に起こった出来事を、トワ自身が追体験している。
「……無限色彩の能力波を察知したのだろう、そう時間がかからないうちに軍の船がやってきて、ライトと、私と……かろうじて生きていたグローリアを保護した」
赤い軍服の軍人と、白衣を纏った科学者たち。トワも何度も見てきたような光景が、唐突にコランダムの意識の中に焼き付けられる。とはいえ、記憶は曖昧なのだろう、その顔はほとんどぼやけてわからなくなってしまっているが、いくつかはまだくっきりとした輪郭を残していた。
その中に、トワも知っている姿があった。
見間違えようもない。あの銀色の髪に紫苑の瞳、そして太陽系圏人とは違う長い耳。連邦政府軍大佐、シリウス・M・ヴァルキリーだ。未だコランダムの中で輪郭をしっかり残しているというのは、やはりその異様な外見が目立っていたからだろう。
しかし、何故、こんな場所に?
「ヴァルキリーさんも、そこにいたの?」
思わず聞いてしまい、トワは口を押さえた。
コランダムの目が、急に鋭いものに変わったからだ。
「何故、それを知っている?」
口ごもるトワに、コランダムは畳み掛ける。
「お前がそれを知っているはずはないだろう! 覗いたのか! そうだな、『青』!」
まずいことをした、と思う。
両親を、無限色彩保持者に……しかも、精神を侵すような能力で殺されたコランダムに対して、感応や同調は敵意しか生まない。不用意にもほどがある。
一瞬手を上げられるかとも思ったが、コランダムは舌打ちを一つして、トワから視線を外す。そして、それ以上は何も言わなかった。意識も、完全に閉ざしてしまったように見える。
「……ごめんなさい」
トワは俯き、蚊の鳴くような声で呟いた。
「そんなつもりはなかったの。ごめんなさい」
「だから、無限色彩は嫌いだ」
コランダムの声が、上から降ってくる。目を上げると、コランダムは依然トワに目を合わせないまま、吐き捨てるように言った。
「そのようなつもりがないのは、私だってよくわかっている」
「え?」
「ライトも、同じことを言っていた。『そんなつもりはなかった』 『ごめんなさい』……泣きながら、訴えていた。私も、ライトが望んでそうしたわけではないということがすぐに理解できたよ」
少しだけ、コランダムは笑い声を漏らした。それは、あまりにいびつで、聞いている相手を酷く不安にさせる声。
「ああ、すぐにわかった……両親の手には、包丁が握られていたんだ」
「っ!」
「アークでは超能力者の人権もはっきりと認められているが、火星のような辺境では未だに超能力者は病人扱いだ。幼い私が思っていた以上に、両親はライトを恐れていたのだろう。私とグローリアが見ていないうちに、ライトを殺そうと思っていたらしい」
だから、襲われたライトは自分でも理解できていないまま能力を放ったのだろうな。
そう言ったコランダムの声は、乾いていた。
やっと、トワは理解した。
何かが変だと思っていた。コランダムは無限色彩を憎んでいる。それははっきりとしているのに、その原因となったライトのことを話しているときの声には、憎しみの色は込められていなかった。むしろ、そこに含まれている感情は、憐憫にも近く。
「ライトはそのまま軍の研究所に引き取られていったよ。私はグローリアと一緒に親戚の家に世話になることになったが……グローリアは、あの時に心を壊されて、人形同然にされた。今はセントラルアークの病院にいる」
グローリアは、ライトが親に殺されそうになった時ちょうど違う部屋で眠っていたが、異常に気づいてライトたちの様子を見に来たのだという。その瞬間、ライトの能力が暴走し、それに巻き込まれたらしい。両親と違って少しライトから距離があったため死亡は免れたが、心は未だに壊されたときのままで、回復の兆しは見えないのだ、といった内容のことを、コランダムは暗い声で述べた。
「……わかっただろう、『青』 」
その作った笑顔は、どこまでも空虚。
「無限色彩はその者が望まなくとも全てを壊していく。奇蹟の力という馬鹿もいるが、とんでもない。お前の中に宿っているものは、脅威だ。それ以上でも、以下でもない」
「違うよ」
言葉が、口をついて出た。
コランダムは、まさかそこで否定されるとは思わなかったらしく目を丸くしたが、すぐにシニカルな表情を貼り付ける。
「何が違うと?」
「わたしは」
言葉が、上手く紡げない。コランダムが言っていることは、否定しようもないほどの事実だ。無限色彩は強大すぎて人の身に余る力。望んで持って生まれてきたわけではなく、また望んでその力を自在に振るうことができる人間も多くはない。
それでも。
完全にその存在を否定することは、できなかった。
「この力で、守りたいものがあるの。無限色彩は、壊すだけじゃない。何かを作ることも、守ることもできるはずだよ」
コランダムは、じっとトワを見た。トワも、じっとコランダムを見た。
視線の交錯は一瞬だった。
「……虫唾が走る」
コランダムはふいとトワから自分が入ってきた扉に目をやった。
「何処までも、色彩保持者は似たものばかりだ」
けれども、実際には、扉ではなく、自分の過去を見据えているのかもしれない、とトワは思った。
「あの後、一度だけライトと話した。病院の、グローリアが眠るベッドの前で」
視線の先に、幻が見える。
望まぬとも垣間見える、コランダムの記憶。
コランダムの前にいるのは、コランダムとよく似た顔をした人形のような妹、グローリア。そして、コランダムと同じ深淵の目を持った弟、ライトはあの時よりもずっと背が伸びていた。目以外の部分は影になってトワからはよく見えなかったけれど。
「奴は、グローリアを助けたいと望んでいたよ。グローリアを壊した無限色彩でな。馬鹿げている。本当に、馬鹿げている。不可能だと誰もが言った。私も言ったよ。実際に、まだグローリアは眠ったまま……そして、ライトは」
トワが見ているコランダムのイメージの中で、ライトの姿だけがふっと掻き消えた。
その瞬間、背筋を走った悪寒が全身に伝わった。手足の指先にまで伝わった冷気は否応なく流れる血までも冷やしていく。
「死んだ」
冷たい声で放たれた、その答えはわかっていたはずなのに。
トワは、助けを求めるように自分の胸のジュエルを押さえずにはいられなかった。
Planet-BLUE