Planet-BLUE

103 怒りの矛先

 窓の外に見えるものは、昼の空にも眩しい巨大な青い炎。
 全てを消滅させる正体不明の天体『ゼロ』が地球に接触するまで、あと二週間。トワは狭い部屋の中で、自分の持つジュエルの色にも似た炎を見つめ続けていた。
 トワたちを乗せた船は大気圏内を飛び、トワの願いどおりに『子午線の塔』へ進路を取っていた。ただ、もとより宇宙空間航行のために造られ、大気圏内飛行に向いていないこの機体では『子午線の塔』まで十数時間を要するということを聞いた。
「何を見てるんだ?」
 監視、という名目で部屋に居座っているレイ・セプターが優しい声でトワに問いかける。トワは『ゼロ』から目を離さぬまま言った。
「あの、星を」
「ああ……」
 セプターの声に、複雑な感情が混ざった。
「あれが降ってくるまで二週間か。見るものを見たら、すぐに離脱しないとな」
 しかし、トワは頷きも返事もせずに、ただ黙って青い星を見ていた。セプターの言葉を聞いていなかったわけではない。答えることが、できなかったのだ。
 再び、部屋の中を沈黙が支配する。セプターは本来話好きなはずだが、トワがそれを望まなければ黙って見守っていてくれる。実際にそう言わなくとも、自然とセプターの方からトワが望むことを感じ取っているようだった。
 まるで、心が読めているかのように。
 トワは、それが不思議で、この部屋に来てすぐにセプターに問うた。
「レイは、わたしの考えていることがわかるの?」
 すると、セプターは笑ってこう言った。
「完全にわかるってわけじゃないけど、何となく考えてることが似てるからな」
「誰と?」
「クレスと」
 『白の二番』、クレセント・クライウルフ。
 自分と、どこが似ているのだろうか。そんなことを考えもしたが、実際にはそれ以上のことは問わなかった。セプターにとって、クレセントの事を聞かれるのは辛いということだけは、トワもはっきりと理解していたから。
 セプターは、クレセントと別れてから五年間、一体何を考えて生きてきたのだろうか。「そこにいて、当たり前だった」という関係が一気に崩れた瞬間に、何を思ったのだろうか。
 そして。
「レイは」
 目線だけは星に向けたまま、トワはぽつりと呟いた。
「どうして、クレスと一緒にいたの?」
 セプターは、段々とトワの唐突にも思える質問に慣れてきたのだろう、少しだけ考えてから、言葉を選びつつゆっくりと言う。
「どうして、ってこともないんじゃないかな。気づいたら俺とクレスは一緒にいて、クレスは俺の足りないものを持ってて、俺はクレスにできないことが少しだけできた。それだけだ」
 それだけだ、と言うセプターの言葉は確かなものだった。
 何となく、それが羨ましくて、同時に切なくてトワは目を閉じる。目蓋の裏にちらちらと浮かぶのは、クレセントがトワに見せたいくつもの記憶。
「クレスは、幸せだったんだね」
「……どう、だろうな」
 セプターも、何かを思い出すように遠くを見つめて言った。
「俺は、クレスのこと、それなりにわかってたつもりだったけど……実際は、どうなんだろうな。アイツ、本当に幸せだったのかな」
 トワは、はっとしてセプターを見た。セプターの目は、悲しみに近い色を帯びていた。そして、そんな目をする理由も、トワには理解できた。
 何を言えばいいのかわからなかったけれど、とにかく何かを言わなくてはならない、そう思った時、部屋のドアが音もなく開いた。
 トワとセプターは、同時にそちらを見た。
 そこには、赤い軍服を身にまとった背の高い男、ケイン・コランダムが立っていた。軍人らしく背筋をぴんと伸ばし、目に宿した氷の色はそのままで。
「交代だ、セプター」
「少佐、コックピットの方は良いのですか」
 セプターは、少なからず驚いているようだった。この集団のトップで、指揮を取る立場にあるはずのコランダムが直接『青』の監視に回るなど思ってもいなかったからだろう。それに、セプターの表情には不安も混じっていた。セプターも知っているのだ。コランダムが、個人的に無限色彩とその保持者を嫌っていることを。
「セイントに指揮は任せてある。今からそちらに向かえ」
 一瞬セプターは躊躇いを浮かべたが、指揮権を持つコランダムに逆らうことはできない。「了解」と短く言って、トワに軽く目配せした。
 トワは、不安げな瞳でセプターを見上げていた。今までは、セプターがいたから軍人たちの中でも、コランダムの前でも何とか気丈に振舞っていることができたが、コランダムと二人きりにされてしまったら、一体どうなってしまうのだろう。そんな感情がトワの中にぐるぐると渦巻いていた。
 セプターも、そんなトワの感情を理解してはいたが、コランダムの前では何も言えない。大股に部屋の扉に向かい、コランダムとのすれ違いざま、自らの感情を押し殺して簡単な言葉をかける。
「では、よろしくお願いします、少佐。くれぐれも、お気をつけて」
「ああ」
 そんな短いやり取りを最後に、セプターの姿は部屋から消え、自動扉が閉まる。
 部屋の中には、トワとコランダムの二人きりになった。コランダムは高い足音を立ててトワの方に歩み寄る。トワは思わず身体を硬くするが、そんな心配をよそに足音はトワより少し離れた場所にある椅子の前で止まる。
 ゆったりとした動きで、椅子に腰掛けるコランダム。それでも、射抜くような視線はトワから離れようとしない。
 トワは、唾を飲む。
 一体、この人は何を考えているのだろう、と思う。感情が素直に表に出てくるセプターとは全然違う。思考している、ということも意識させず、まるで深い穴の底を覗き込んでしまったようなラビットの思考とも違う。
 何かを、必死に押さえ込んでいるような、思考の流れ。
 いつ押さえているものがはじけ飛んでしまうのだろう、と不安になる。その矛先はきっと自分に向けられるのだろうと思い、トワは無意識に身体を縮める。
 だが、コランダムは黙して何も語ろうとはしなかった。語ることすら嫌悪しているようにも見えた。
 その沈黙すらも、怖い。
 おそらくまともな答えは返ってこないだろうと思いながらも、トワは自分から沈黙を破ることにした。このまま沈黙を続けられたら、こちらの気が触れてしまいそうだと思いながら。
「……あの」
「何だ」
 何だ、と言われても、何を話そうとも考えていなかったトワは口ごもる。そんなトワの様子を見ていたコランダムが爪先で細かく数度床を叩く。少なからず、苛立ちのような感情を込めて。
「何も用がないのなら、大人しくしていろ」
「……はい」
 今度こそ、言葉を続けることもできずうなだれるしかなかった。
 コランダムはそんなトワをじっと見つめているようだったが、やがて、意外にも自分から口を開いた。
「無限色彩最強の『青』保持者でも、怯えたりはするのだな」
 今の、トワの表情を見ていて思ったことなのだろう。トワはその言い草にほんの少し怒りを覚え、眉を寄せる。しかし、コランダムはそんなトワにも構わず続ける。
「私が、怖いのか」
 トワは、こくりと小さく頷いた。その時心の中を支配していたのはこの男に対する不快と不信と、何故か芽生え始めたちくりと痛む何か。
 コランダムは、目を細める。夜の闇のように青く、昏い瞳。
「そうか」
 その声が、小さな悲哀を含んでいるように聞こえて、トワはどきりとする。
 この声を、トワは知っているような気がした。淡々としているように聞こえて、その実何よりも深いものを底に秘めている声……
「コランダムさんは、わたしが怖いの?」
 トワは、頭の中にぽっと浮かんだ言葉を口にした。口にしてから、青い瞳に睨まれて後悔する。それでも、コランダムはきちんと答えを返してきた。
「怖くないわけがあるか。『青』に恐怖しない者などいまい」
 事実、ラビットや元より無限色彩に親しいセプターなどはそんな素振りを見せなかったが、今までであってきたほとんどの人間は、トワが『青』と知れば恐怖に似た表情を浮かべてきた。
 だが。
 コランダムの持つ感情は、それとは違う。
 それだけは、はっきりとわかった。
 コランダムは、恐怖しているのではない。トワに向けている感情は、むしろ。
「コランダムさんは、何故、わたしに怒っているの?」
 そう言った瞬間、無表情に近かったコランダムの顔に、一瞬何か別の感情が入り混じったのがわかった。コランダムは反射的に自分の額を押さえた。自分の表情の変化を自覚し、また悟られるのを恐れたのだろう。
 しばし、沈黙が流れる。
 しかし、今度の沈黙はトワが恐れる沈黙ではなかった。先ほどとは逆に、トワは真っ向からコランダムを見つめ返す。コランダムは緩慢な動きで腕を下ろすと、力のない声で呟いた。
「そう見えるか」
 トワが頷いたのを見て、コランダムは少しだけ、表情を緩める。自分がどれだけトワに敵意の視線を向けていたのか、指摘されて初めて理解したようにも見えた。
 トワは大きく目を見開いてコランダムの一挙一動を逃さないようにする。
「コランダムさん、教えて。どうして、コランダムさんは、無限色彩が嫌いなの?」
「嫌い、か。そう言われればそうかもしれない」
 笑みのような、困惑のような、そのような表情でコランダムは言葉を紡いだが、すぐに表情は硬いものに変わる。
「そいつが望む望まないに関わらずに背負わされた、無限色彩という巨大すぎる力。その力に自分の大切なものを全て壊されれば、嫌悪したくも、怒りたくもなるさ」
「え……?」
「私はな、『青』 」
 硬い表情は、しかし、トワの目から見ればひどく脆い、硝子細工の虚勢のように見えた。
 その理由は、すぐにわかった。
「無限色彩に家族を奪われたのだ。そう……」
 硬い顔に浮かんだ、歪んだ笑みが深まる。


「無限色彩保持者だった、実の弟に、な」