貴方を守りたいと思った。
だから、さよならを言ったのに。
何で、貴方はあんなに悲しげな目をするの?
教えて、ラビット。
滑るように走る護送車。外の風景を写すモニターにはすでにラビットどころか今まで来た道も映っていなかったが、トワはじっとモニターを見つめていた。
護送車には、超能力を妨害するための装置が所狭しと置かれていて、嫌でも自分が『青』であることを思い知らされる。こんなもので『無限色彩』の頂点に立つトワの力を抑えることなどできるはずもないということも皆理解しているはずではあるが。
自分が『青』であると知っても恐れを一つも見せなかったのは、おそらくラビットくらいだと思う。
ラビットが唯一恐れていたものは、『青』ではなく、もっと別なものだった。
ラビットのことを思うだけで、胸が苦しい。
トワは、小さく首を横に振った。今まで抱いていた、ラビットに対する暖かな思いが自分を縛り付けてしまわないように。
そんなトワの姿を横で見ていたセプターが、唐突に口を開いた。
「よかったのか?」
「え?」
「白兎のこと」
まるで心の中を見透かしたかのように、セプターは的確な言葉を放つ。トワは一瞬言葉に詰まったが、すぐに目を伏せて、頷いた。
「うん」
セプターは膝を曲げ、目線をトワに合わせる。穏やかなグリーンの瞳が目の前に来て、トワはほんの少しだけ安心する。何か不思議な力を持っているのではないかと錯覚させるほど、セプターには人を束の間暖かな気持ちにさせてくれる。
「でもさ」
ぽん、と。
大きな手がトワの肩を叩く。
「本当によかったと思ってるんなら、そんな悲しい目はしてないだろ」
「え……」
悲しい目?
トワは自問する。自分の顔は自分で見ることができない。しかし、『悲しい目』というのは……
「あの時の、白兎と同じ目をしてる」
「わたし、が?」
「そう。気づいてなかったのか?」
セプターは不思議そうな顔をして聞いてくる。
不思議なのは、こちらだ。全部、割り切ったはずだった。それがラビットのためだということは、理性でははっきりと理解している。全てを納得していないのは、離れていてもなお、無意識にあの温もりを求めてしまう弱い心。
どうすれば、温もりを断ち切れる?
そんなことを思っているうちに、護送車のモニターに小さな町の影が見えた。
「ああ、そろそろだな」
「ここは、どこ?」
「第一ブロックだ。もうすぐ港に着く。そこで、コランダム少佐率いる軍の大型船に乗って、アークに向かう」
地球との、別れの時間だ。
セプターはそう言って、少しだけ寂しげに微笑んだ。
それから十分も経たない内に、護送車は港に滑り込んだ。少し進んだところに停まると、堅く閉じられていた扉が静かに開いた。
「降りろ」
真紅の軍服を身にまとった軍人が、堅い声で告げる。トワはゆっくりとした足取りで車を降りると、それを見上げた。
銀色の、巨大な船。
その胴体部分には、周囲に群がる軍人たちの軍服……もちろんセプターの軍服も含め……に取り付けられている紋章と同じものが大きく描かれていた。トワもさすがにこれが星団連邦政府軍の紋章であることは知っていた。
「行こう」
いつの間にか、立ち止まっていたのだろう。セプターが、生身の左手で軽くトワの背中を押した。トワは不安げな瞳でセプターを見上げたが、セプターがあくまで優しげな目で見下ろしているのを見て、素直にこくりと頷いた。
セプターから船の搭乗口に目を向けると、コランダムと軍人たちが集まり、トワが歩いてくるのを待っているようだった。
ゆっくりと、ゆっくりと。
足元の感覚を確かめるように、トワは足を進める。
いつもは、この横に必ずラビットがいた。トワは普段からラビットの黒いコートの裾や袖を握り、たまに手をつないで歩いていた。だが、そのラビットはもういない。
もう、いない。
「早くしろ」
トワの思考を遮るように、コランダムの声が飛ぶ。コランダムはトワには背を向けていて、すでに搭乗口から船に乗り込もうとしていた。
「あのっ」
トワは慌てて駆け寄り、並み居る軍人たちの間を貫くように、今までにないほどはっきりとした声を上げる。
コランダムが、ゆっくりとトワを見やる。刺青に飾られた、深淵を覗き込んだようなミッドナイト・ブルーの目。よく知る誰かに似ているような気がするのは、トワの錯覚だろうか。
「何だ」
ただ、その声にはトワを恐怖させるほどの刃がこめられていた。それはトワに対する刃か、それとも『無限色彩保持者』という存在に対する刃か。
普通の人間ならば軽く流せるはずの言葉も、人より遥かに高い共感を持つトワにとっては物理的な攻撃にも等しく感じられる。
「お願いが、あります」
しかし、ここで圧倒されてしまうわけにはいかない。トワは息苦しさを感じながらも、何とか声を絞り出す。
「お願い? そんなことを言える立場だと思っているのか」
言外に、『一度願いを聞いたのだから、それ以上はない』という言葉を示唆させながら、コランダムは凍るような視線を向ける。紛れもない、敵意。
負けられない。
トワは真っ向からコランダムの視線を受け止めながら、思った。
この願いを通さなければ、ラビットと別れたことも、地球に来た意味も、全て無に帰してしまうのだ。それだけは、絶対に避けなければならない。
息を吸って、吐いて。空気がやけに冷たいのは、この場所の温度が低いというだけではないのだろう。そのまま凍ってしまいそうな心を奮い立たせて、トワは、あくまで毅然とした態度で言った。
「もし、聞いてくれなかったら」
自分でも、決して言いたくない言葉を。
「わたし、『青』を使います」
「……っ!」
軍人たちの間に緊張が走る。セプターですら、驚きの目でトワを見ていた。
もちろん、トワとて本気で言っているわけではない。ただ、この場で『青』の名が圧倒的な力を持っていることは、自分が一番よく理解していた。
卑怯であることは確かだ。だが、手段を選ぶだけの余裕も、トワには存在しなかった。
コランダムは、氷の視線を強め、トワを睨む。
「それは、『お願い』ではなくて『脅迫』と言うのだ。わかるか」
「わかります。でも、わたしは貴方にお願いしたいのです」
段々と、走った緊張は恐怖に置き換えられているようだった。「少佐はどうするつもりだ」 「大人しく聞いた方が」 「相手は『青』だろう」などという囁き声と共に、トワに向けられている視線の色が変わっていくのがわかる。
その時、コランダムがふと周囲の軍人たちを見渡し、低い声で告げた。
「黙れ」
ぴん、と糸が張られたように、再び周囲に緊張と沈黙が戻る。その様子には、トワも素直に賞賛を覚えた。コランダムだけは、確かに向ける感情こそ冷たいものではあったが、『青』であるトワに対して『恐怖』を表してはいなかった。こちらを見つめる目も、先ほどと一つも変化がない。
とはいえ、コランダムも判断には困っているようだった。本人が『青』を恐れていないとはいえ、周囲の士気は明らかに危うい位置にまで来ている。それに、本当にトワが『青』を使った場合の損害なども考えればやはり判断を迷うのは当然なのだろう。
しばしの沈黙の後、コランダムはゆっくりと告げた。
「ならば、その『お願い』とやらを聞かせてもらおうか。私の一存で決められるような願いであれば、考えてやろう」
大丈夫。わたしは、大丈夫。
トワは、震えそうになる身体を何とか支え、口元に無理やり笑みを作る。
そして、言った。
「わたし、『子午線の塔』が見たいのです。最後に、連れて行ってもらえますか?」
「 『子午線の塔』?」
コランダムは一体何のことかわからない、という顔をする。コランダムの横に控えていた少尉、ルーナ・セイントが手元のモニターを見ながら淡々と応える。
「第十六ブロックに位置する、現在は機能を停止している子午線天体観測塔でしょう。ここから海を越えた場所に存在します」
「なるほど。何故、そんな場所に?」
「一度、見てみたかったからです。これが、最後のお願いです。どうか、お願いします」
トワは深々と頭を下げ、ふっと顔を上げた。
瞬間、トワは自分の目を疑った。
コランダムが目を丸くして、今までトワが見たこともないような奇妙な表情でトワを見つめていたのだ。怒りや、蔑みではない。それは純粋な、驚きの表情だった。
もちろんそれは一瞬で、普段の堅い表情に戻ったのだが、トワの頭の中には、その一瞬の表情が焼きついてしまった。
コランダムは気を取り直すように軽く舌打ちして、吐き捨てるように言った。
「わかった。出来る限り叶えよう」
「え……」
意外なほどあっさりと承諾されたことで、トワは拍子抜けする。これでコランダムがあくまでトワの頼みを受け入れなかったら、本当に『青』を少し解放しても仕方がないとまで思っていたのだが。
「いいの、ですか?」
「 『いいのですか』だと? 脅したのはそちらだろう。それに」
ふと、コランダムは目を逸らす。ただ、その瞬間コランダムの目がふと、寂しさのような色を湛えたような気がした。
「見るだけならばそう時間もかかるまい。それだけだ」
違う。
トワは、何となくそう思った。
コランダムは、あの瞬間トワに何かを見たのだ。決して今まで見せなかった驚きの表情、そして寂しげな目。それが一体何を示唆していたのかは、わからなかったが。
コランダムは横に控えるセイントに告げる。
「セイント、コックピットに伝えてくれ。大気圏内飛行で第十六ブロックに向かえと」
「よろしいのですか」
「構わん。本部にはこちらから説明する」
「了解」
セイントはそう言って、搭乗口の奥へと消えていった。トワは半ば呆然とコランダムを見つめていたが、後ろに立っていたセプターの言葉でふと我に返る。
「 『青』はどこに収容を?」
「一号室に制御装置と設備を置いてある。そこに連れて行け」
「了解」
セプターは、コランダムに対して事務的な口調で述べてから、トワを促すように肩を叩く。今度こそトワも、迷わず一歩を踏み出した。
銀色の船に。
運命の場所に。
Planet-BLUE