「まず、確認したいことは人工無限色彩保持者、シュリーカー・チルドレンについてよ」
トゥールは、偏光眼鏡の下の目を細めて、言った。
シュリーカー・チルドレン。
連邦領内に秘密裏に造られていた帝国の研究所。七年前に、連邦側の襲撃によって滅びたはずの場所。そこで行われていたのは、人工的に超能力を植え付けた、最強の兵士を造るという夢物語。
その中でも、特筆すべきなのは、「人工的に無限色彩を造る」というとてつもない計画だった。
『カラーレス・インフィニティ・プロジェクト』……そう名づけられた計画の中で、『キング』と呼ばれる存在の手により、チェスの駒の名を冠した不完全な色彩保持者が生まれた。『ルーク』、『ビショップ』、『ナイト』、そしてまだ見ぬ『クイーン』。
「アンタは、帝国側がシュリーカー・チルドレンを連邦にスパイとして潜り込ませていたことを知っていて、手を出さなかったわね。その理由を聞かせてもらえないかしら?」
「純粋に、私では手に負えないからですよ。貴方は私を買いかぶりすぎです」
フォレストは肩を竦める。
「証拠が無ければ告発はできない。いくら私がこれだけの立場を持っているからと言って、下手に動けば潰されるに決まっているでしょう」
そう、フォレスト……メーアは知っていたのだ。
元より、『ナイト』が内部に蠢いていたことも。トゥールが海原を刺したのは、海原が『ナイト』に乗り移られていたからだということも。この様子だと、外部で暗躍していたシュリーカー・チルドレンについても把握していておかしくはない。
「だから、自由に動けて、かつ上から潰されにくいあたしを利用した、ってわけね」
「ええ。どうせ、利用されているとわかっていても動くお人よしですからね、貴方は」
「悪かったわね」
トゥールは思わず眉を寄せた。実際、利用されていたと気づいたのはつい最近だ。そう、メーアの正体がフォレスト・サーキュラーであったと気づいた時から。それが、余計に悔しい。
だが、フォレストの言っていることは否定できない。初めから利用されているとわかっていても、トゥールは間違いなく同じことをしていただろう。『青』をめぐる一連の事件を解き明かし、全てを丸く収めるために走っていただろう。誰のため、というわけではない。多分、それはトゥール自身のために。
「蘭を通して聖君を白兎のところに送り込んだのもアンタね」
「そうです。彼は本当によく働いてくれました」
「何のつもりで、わざわざそんな回りくどいことしたのよ」
「わかりませんか?」
フォレストは優雅に、しかし冷たい目で微笑みながら言った。もちろん、答えはトゥールとて知っている。あまり自分の口から言いたいことではなかったが。
「白兎が、アンタに利用されるに足りるだけの人間なのか、確かめたかったから」
「わかっているじゃないですか」
「アンタの目的は、表向きにはあの子を守ることにある。でも今の立場を維持していなければ裏の目的が果たせないと考えた。それで、偶然あの子が出会った元軍人魔法士だという白兎が、あの子を守るだけの力を持っているかを確かめる。もしも、白兎がアンタのお眼鏡に叶えば、あの子が目的を果たすのを一傍観者として見守るつもりだった……違う?」
「その通りです」
淀みなく自らの推理を語るトゥールに、シニカルな笑みを貼り付けたまま頷くフォレスト。お互いに、自らが得ている情報の範囲は理解している。そう考えてみると、このやりとりはかなり無為なものに思える。
だが。
トゥールは目を細め、フォレストの零度の瞳を見据えながら思う。
フォレストは、何かを見落としているような気がするのだ。重要な、本来一度は考慮すべきことを。
「でも、白兎は弱すぎた。このままじゃ、シュリーカー・チルドレン……帝国の連中に渡ってもおかしくないと考えたアンタは、自分から動いて、せめて元の通りあの子を『時計塔』に連れ戻せればよいと思った。あの中なら、いくらなんでもアンタがリィを『殺した』と思ってる誰かさんの手も届かないから」
「ええ。初めは使えるかと思ったのですが、ね。やはり一介の魔法士には荷が勝ちすぎましたね」
トゥールは、はっとする。
これだ。
フォレストが見逃していた、真実の一つ。一連の事件に少なからず関わっている、いや、全ての鍵を握っているはずのそれを、フォレストは見ていなかったのだ。今までトゥールがそれに気づかなかったのは、多分、トゥールにとっては当たり前の知識だったから。
「……アンタ、もしかして『白兎』については何も知らないの?」
その質問に、フォレストはほんの少し目を見開いた。それを聞かれるとは、思ってもいなかったのだろう。
「鳳凰少佐の報告では、魔法士、ということしか」
鳳凰 蘭。大佐ヴィンター・S・メーアの副官であり、またトゥールやヴァルキリーの友人でもある。そんな彼女が、『白兎』について何も知らなかったとは思えない。ならば、答えは一つ。
「……はははっ、蘭、やるじゃないの」
唐突に笑い出したトゥールを、フォレストは奇異なものを見るような目で見つめた。まだ、トゥールが何故笑うのかを理解していないように見える。だから、トゥールははっきりと言った。
「アンタ、一番重要なところ見落としてたわ。多分アンタは蘭に言ったんでしょうね。『白兎が青の守護に足る人物かどうかを報告しろ』って。アンタは、白兎が何者かについてなんて興味がなかった。そりゃあ蘭は、白兎自身については何も言わないわけだわ」
「どういうことです?」
「アンタ、本当にトワちゃんが『偶然』白兎と出会ったなんて思ってるの?」
やっと、フォレストもトゥールが言わんとしていることを理解したのだろう。笑みを崩し、眉を寄せる。
「アンタは、『青』しか見てなかった。あたしは白兎しか見てなかった。これじゃあどっちも真相には辿り着けないわけだわ」
「待ってください、トゥール・スティンガー。まさか、あの男は」
トゥールは、口元を皮肉げに歪めたまま、何も言わない。
だが、それが肯定であるということだけはフォレストにもはっきりと理解できた。
「この事件は、アンタが思ってるよりもずっと複雑よ、フォレスト博士。ただ、白兎とトワちゃんの行く先については、本来あたしやアンタが介入すべきことじゃない。あの子達の……無限色彩ってものを背負ってしまった子達の問題」
フォレストは、もはや何も言わなかったし、言えなかった。
その時、つけっぱなしにしていたディスプレイが何かを映し出した。トゥールの意識は、一瞬だけそちらに向けられる。フォレストも、トゥールの横から画面を覗きこむ。
そこには、『青』が自ら投降し、現在コランダム少佐率いる一隊が護送中だという旨が記されていた。
「……自ら、投降した……?」
フォレストにとってその事実は意外だったのだろう。不可解なものを見ているかのような表情をしていた。しかしトゥールにとっては、十分想像の範囲内だった。時間の問題だろうと思っていたし、むしろ遅かったな、と思う。
必然的に出会い、必然的に決断を迫られる。『青』と白兎というのは、そのような関係にあった。トゥールは初めからそれを理解していて、だからこそ見守っていたのだ。
だが、この結末は誰も望んではいない。白兎も、トゥールも、そしておそらく、『青』……トワ自身も。
「フォレスト博士、ここからが正念場よ」
無意識に、口元が笑みの形を作る。フォレストが、戦慄するのがわかる。
トゥールは、壮絶な笑みを浮かべて、言った。
「カウントダウンが始まったのよ。『青』が連邦の手に戻りそうだっていうんだから、帝国も、奴も、本気で来るわ。だから、アンタも覚悟を決めなさい」
「覚悟、とは」
「トワちゃんを守りきる覚悟。本気で彼女の幸せを願ってるんなら、一度でいい、アンタ自身で動きなさいよ。そうじゃなきゃ、彼女とアンタを残して逝ったリィも救われない」
言って、トゥールは立ち上がる。フォレストもつられて立ち上がりながら、言った。
「白兎は、どうするのです?」
「アイツは放っておいても平気。それに、ダメだったらあたしじゃない誰かがフォローしてくれるわよ」
一体、どこからその自信が来るのか。
フォレストはそんなことを考えながら、口を開く。
「……ならば、貴方は、どうするのです?」
「決まってる」
トゥールはもう一度フォレストに向き直った。青いレンズの下の瞳は、燃えるような赤。強い意志を感じさせる目は、それだけで何もかもを信じさせる力があった。これが、かつてトゥール、トルクアレトを『軍神』たらしめたものなのかもしれないと漠然と思う。
そして、トゥールは笑顔で言い切った。
「私の目に映る、全ての人が笑っていられるように、足掻くまでだ」
それは、あまりに現実離れした綺麗事。今までのフォレストであれば鼻で笑っていただろう台詞。しかしもう、何も言えなかった。トゥールは全てを理解した上でなお綺麗事を語っているのだ。
本気で、その綺麗事を現実のものにするために。
敵わない。
フォレストは、思う。
そう思った瞬間に、自然と、微笑んでいた。今度こそ周到に作り上げた仮面ではなく、フォレスト本来の笑い方で。
「全く、虫唾が走るほどの幸福追求者ですね、貴方は」
「ありがとう、それは最高の褒め言葉だわ」
不敵に笑いあう、トゥールとフォレスト。
お互いの目的は違っていても、目指す場所はきっと変わらない。
今度こそ、一連のピースはそろった。後は、『奴』を追い詰めるだけ。それは決して楽な道筋ではないと気づいていながら、トゥールはなお笑っていた。
誰かの笑顔を見ることが自らの幸せだと信じる幸福追求者、トゥール・スティンガー。
彼の、真の戦いが今、始まる。
Planet-BLUE