Planet-BLUE

099 別離の言葉

「トワ……!」

 ラビットは、寝込み続けていたせいで弱り、ふらつく足を叱咤して走っていた。
 誰かが後ろからその名を呼んでいたような気がしたが、構ってはいられない。
 手を伸ばして、遠ざかる背中を求める。
 何故。
 何故なんだ、トワ。
 何故……!

 玄関のドアを勢いよく開け放つ。
 トーン家の前にある広場には、ラビットもよく知る星団連邦政府軍の紋章が描かれた護送車が停まっていて、その前に立っているのは真紅の軍服に身を包んだ軍人たち。
 その中心に立っていたのは、一度刃を交えた軍内最強の紋章魔法士、少佐ケイン・コランダムだった。
「ご苦労だった、セプター大尉」
 朗々と響く声は、ラビットのところまではっきりと聞こえてきた。そして、そんなコランダムたちに向かって歩んでいくセプターと、彼の手をしっかりと握りしめた、トワ。
 コランダムの目の前に立ったセプターは空いた手で軍隊式の敬礼をする。
「はい、コランダム少佐も」
「……しかし、驚いたな。『青』が」
「待て!」
 ラビットは、コランダムの声を遮って叫んだ。セプターとコランダム、その後ろに控える軍人たちの目がばっとラビットに向けられる。それでもラビットは一歩を踏み出して言葉を紡ぐ。
「彼女を……どうするつもりだ」
「どうするもこうするもない」
 コランダムの、深淵を映した青の瞳が細められる。
「 『青』はアークに戻り、我々の監視下に置かれる」
「ふざけるな! 彼女は……っ!」
 やっと、ここまで来たのだ。
 トワは、確かに孤独だった。『青』という強大な力を持つがゆえに何者にも理解されず、何者にも恐れられ。
 それでも、トワはただの、少女なのだ。
 触れれば折れてしまいそうな腕をした、澄み切った目を悲しげに揺らす、小さく儚げな存在に過ぎないのだ。
 だから、せめて手を繋いでいられたら、側に一緒にいることが出来たらと思っていた。
 自分と同じ思いを、これ以上誰にもさせないために……
「そうか」
 今にも噛み付きそうな表情で迫るラビットに、コランダムはほんの少しだけ、哀れみにも似た表情を美しい顔に浮かべた。
「……お前は、知らないのだな」
 何を。
 問おうとしたが、その言葉は喉元に留まり、外に出ることはなかった。頭の中に浮かんだ、どうしても否定してしまいたい、しかし否定できる要素が何一つもない事実が、泡のように意識の表面上に浮かび上がる。
「 『青』は、自ら投降を望んだのだ、白兎」
「何、だって……?」
 それは、頭の中に浮かんだ可能性と同じ。
 しかし、そう呟かずにはいられなかった。こちらに向かって背中を向け続けるトワに目をやるが、トワは何も語らない。
「本来ならば『青』と同行していたお前たちもアークに連行するところだが、『青』がそれを頑なに拒んだために今回は特別に免除し、『青』一人をアークに送り返すということで上からの了解を得た。『青』に感謝することだな」
 コランダムは淡々と告げる。もちろん、ラビットの耳にはその半分も入っていなかった。ラビットが聞きたいのは、そんな意味のないことではない。トワが、一体何を求めているのか。ここまできて、何故わざわざ帰ろうと決めたのか。
 息が苦しい。それでも叫ばないわけにはいかない。
「トワ! 貴女は、何をしたいんだ!」
 トワは、振り返らない。その肩は、微かに震えていた。
「答えてくれ、貴女が求めていることは……」
「もう、やめろ!」
 トワに対して呼びかけ続けるラビットの言葉を止めたのは、鋭いセプターの声だった。ラビットはびくりと体を震わせて、セプターを見る。
 セプターは、悲しげな目をしていた。
 優しい緑色をした瞳はまるでラビットの姿を映しこむ鏡のようで、思わず目を逸らしたくなる。だが、それを許さないだけの力がそこに存在していたし、元よりラビットも目を逸らしてはいけないのだということを知っていた。
「嬢ちゃんが何を考えてたのか、まだ気づいてないのかよ!」
「何、を……?」
 トワが、考えていたこと?
 ついさっき、聞いたはずだ。
 トワは、常に『白の二番』を求めていた。それは、何かを守るため、かつて幸福を語っていた『無限色彩保持者』である『白の二番』にその答えを求めて。同時に、トワが必要としていたのは、自分の手を握っていてくれる、ただ一人の守るべき『大切な人』。
 それが、どうして。
 ラビットには、理解が出来ない。
「わかんないのか? そうだろうな、お前にはわかんないだろうな!」
 セプターが、何故声を荒げるのか。
 トワが、どうしてこちらを見てくれないのか。
 自分が、何故こうも空虚な気持ちを抱えているのか。
「嬢ちゃんは、『お前のため』にこの旅を終わりにするって言い出したんだ!」

 理解が、出来ない。

「え……」

 口から漏れるのは、言葉にもならない音。
 頭の中が、真っ白になる。
 そういえば、左手にビー玉を握り締めたままだということに今更ながら気づく。トワが祈りを込めた、淡く輝く彼女のビー玉。
 それならば、トワの込めた祈りは、一体何だ?
『今度は、わたしがラビットを守りたい』
 全てを託したその言葉が、ラビットの中で何度も何度も繰り返され、反転し、反射し、ゆっくりと浸み込んでいく。
『守りたい』
 何度もラビットがトワに繰り返した言葉。そして、トワがはっきりと言った言葉。
『今度は、わたしが』
 常に、ラビットにとってトワは『守るべき存在』だった。確かに強大な力を持ってはいるが、あくまでトワ自身に何かに抗うだけの強さはない。
 最低でも、ラビットはそう思い込んでいた。
 そんな彼女が、ラビットを守ると言い出したのは、何故だと思う。
『ラビットを』

 ラビット、を。

 ああ。

 そうだ。

 彼女は言ったのだ。
 確かに、『ラビット』を守るのだと。
 他の誰でもない、『ラビット』と名乗ったその存在を。

「トワ、貴女は」
 紡いだ声は、やはり明確な言葉にはならないけれど。
「全部、気づいて、いたのか……」
 全ての答えは、そこにあった。
 そこで、トワはやっとラビットを見た。
 振り向いたトワは笑っていた。見開かれた両の澄んだ青の目に、今にも零れ落ちそうな涙を湛えて、ラビットの言葉に答える。
「うん」
 何も、言えない。
 ラビットは口を開いたまま、凍りつく。これ以上、彼女に何を言えるというのだろう。トワは、ラビットが言えなかった全ての矛盾を理解した上で、ラビットを残して地球を去ろうというのだ。
 それが、『ラビット』を守ることだと、信じて。
 トワは、ラビットが今まで見たこともない、どこまでも強い意志を秘めた悲しい笑顔で、はっきりと言い放った。


「だから、さよなら、ラビット」