Planet-BLUE

097 始まりは青の瞳から

『ルークは軍の魔法士に敗北、ナイトもトルクアレト・スティンガーの手に落ちたか』
「申し訳ありません。無限色彩『橙』海原 凪の介入がありまして」
『言い訳はよせ。ビショップとナイトの発信装置も既に沈黙している。トルクアレトが何かしら手を加えたと考えてよいだろう』
「あの男は軍の研究所ともつながっています。そのくらいの芸当はやってのけるでしょう」
『……これでは、七年前の繰り返しだぞ、「キング」。どうするつもりだ』
「クイーンを動かします」
『だが、あれを動かすには、条件が整わなければならないだろう、どうする気だ』
「心配には及びません。確実に整えてみせましょう」
『ふん、言っていろ。どちらにしろこれが貴様の最後のチャンスだ。わかったな』
「はっ」
 『キング』は通信を切り、目を閉じる。
 『青』を手にするための最大の敵は、死にぞこないの元軍神にして、道化の仮面を被った情報の支配者、トルクアレト……否、トゥール・スティンガー。
 皮肉なものだ、と思う。
 いつかは戦うことになると思っていたが、このような形で相対することになろうとは。
「もう少し、いい形で出会いたかったものだな、トゥール」
 それはお互い様よ、というトゥールの女言葉が耳元で聞こえた気がして、『キング』は苦笑する。だが、もう笑ってはいられない。
 これが、最後の戦いになる。
 『青』を狙う帝国の暗部と、『キング』自身の。


「いい加減焦らしてくれたわね、メーア」
 幾重にも重ねられたプロテクトを破り、入り込んだ個人データベースに書かれていた内容は、滑稽にして悲惨なものだった。
 灯台下暗し、とはこのことだろう。
 トゥールは思いながら息をつく。
――――これで、大体の裏は取れた。
 後は、確かめるだけだ。
「……なるほど、これは厄介なことになっているな」
 トゥールの横でディスプレイを覗き込んでいた博士シン・O・リカーは真っ白になった眉を顰めて呟く。
 ここは軍の研究室。トゥールは昨日から自身のメンテナンスもかねてこの場の一室を乗っ取り、自分の考えを確かめるべく電脳と睨みあっていたのだ。
「何ていうか、一連の事件が私怨か何かだとは思ってたけど、本当にここまでわかりやすく見えてくると逆に怖いわ」
「だが、何故ここから攻める気になった? 私は思いもしなかったぞ、奴が関わっているとは……」
「あたしも、あんまり考えたくなかったけどね、全部のきっかけは、リィだったのよ。まあ、全部きちんと話すけどね。アンタももちろん聞くわよね、メーア?」
 言葉の後半は、いつの間にか研究室の入り口に立っていた大佐、ヴィンター・S・メーアに向けられていた。リカーはその存在に気づいていなかったらしく、驚いてそちらを見やる。
 メーアは、穏やかな色をした、その実冷たい光を宿らせた目を細めて不満げな表情を作る。ただ、その顔がやけに憔悴しているように見えたのは気のせいなのだろうか。
「急に呼び出すとは何のつもりですか、トゥール・スティンガー。私は忙しいのですよ?」
「あら、それでも聞くでしょう? あれだけあたしにちょっかい出しておいて今更気にならないはずもないでしょ?」
 言って、トゥールは不敵に笑う。メーアもトゥールの様子を見て、それが言葉に反して真剣なものであるのを察したのだろう。リカーに断りを入れ、メーアは側にあった椅子に腰掛ける。空中に浮かんだ一対の護身用デバイスが小さな唸り声を上げる。
「……そうまで言うのなら、貴方の推理、聞かせていただきましょうか」
 足を組み、ゆっくりと背もたれに寄りかかるメーアを見て、トゥールは少なからず不快感を顕にしたが、自分も椅子を回してメーアに向き直り、口を開く。
「結論から言うと、一連の『青』をめぐるいざこざは、十年前まで遡るわ。あたしの友達、リィ……リコリス・サーキュラーの死。これが、全ての始まりだったのよ」
 その名を聞いた瞬間、メーアの表情が一瞬歪んだ。もちろん、トゥールは言葉を紡ぎながらもメーアの一挙一動に集中している。その一瞬の変化に気づかないはずもない。
「ずっと、心の底では引っかかってたんだけどね、まさかこれが『青』と関係あるなんて思ってもいなかった。でも、似すぎてたの」
 トゥールは、小さく息を吸って。
 その言葉を放つには、少しだけ勇気が要る。それでも、こんなところで物怖じしていれば、その先にある「真実」を口にすることなどできない。
 だから、迷わず言葉を放った。
「メーア、アンタは知っていたのね。リィが死んだ後、その娘、サファイアも転落事故で死んだとされていたけれど、実は生きていた……しかも、それが『青』だったんでしょう?」
「素晴らしい、当て推量にしてはきちんと的を射ていますよ」
 感嘆の言葉を口にするメーアだったが、その目は確かに静かな怒りを湛えていた。それがトゥールに向けられたものなのか、その他の『何か』に向けられているものなのかはトゥールには判断しかねたが。
「当て推量ってわけじゃないわ。『青』……あの子は、リィに似すぎてた。特に、あの青い目がそっくりだったわ。綺麗な目よね。明るい、海のような色。アンタもよく知ってるんでしょう? リィのこと。多分、あたし以上に」
 トゥールは、探るようにメーアを見た。
 メーアは表情こそ変わらなかったが、少なからず動揺したようだった。
「何かおかしいとは思ってた。アンタは情報を見る限り、八年前にぽっと出で軍に入って大佐まで上り詰めた成り上がり者だけど、そんな短期間に上り詰めるのはそれだけの理由がある」
「理由、とはいかなるものですか?」
「あたしが考えるに、アンタは元々上層に強力なコネがあった。ついでに、アンタは多分あたしと同等程度のハッキング能力を持っているだろうし、自分の情報を改竄する程度なら簡単にやってのけるでしょ? アンタは、ある目的を持って、ここ八年間、自分で作ったヴィンター・S・メーアっていう皮を被って、自分が持つ限りのコネをもってこの軍の上層に上り詰めた」
 嫌でも、追求のような口調になる。悪い癖だと思いながらも、トゥールは言葉を紡ぐことをやめない。
 ここでの狙いはあくまで、メーアについて論じることではないのだが、これを言及しなければ先には進めない。
「あたしは、リィが『青』と関連してるって踏んでリィの近辺を探ったの。初めは何も出てこなかったけど、調べていくうちに一つだけおかしなものを見つけたわ」
 それがこれよ、と。
 トゥールは椅子を動かし、メーアからディスプレイが見えるようにする。そこには、リコリス・サーキュラーの詳細なデータが記されていた。その中で、一つの文字列が違う色に光っていた。
「リィには弟がいたの。そいつはリカー爺さんの研究所、つまりここで働いてたらしいんだけど、リィが死んだ後実家に帰ったって記録されてた。だけど、調べを進めたら、実は一度もそいつは実家に戻ってないらしいのよね」
 トゥールは目をメーアに戻す。メーアはじっとディスプレイを見つめていた。いや、目が離せなくなっていた、と言うのが正しいのかもしれない。
「ね、すごい姉に心酔してた弟でさ。リィが結婚するときもすごく反対したんだって? メーア……ううん、もうこう言った方がいいかしら?」
 光る文字列は、メーアにとって全ての始まりなのだ。それが示すのは、一つの名前。
「博士、フォレスト・サーキュラー。軍の研究所に所属してれば、上ともつながりがあっておかしくないし、情報操作の技術に長けていてもそう変な話じゃないわ。情報さえいじっちゃえば、後は整形でもしとけばめったなことじゃ気づかれないし、上層と元からつながってるんだったら下に疑われる可能性も低いもんね」
 メーアと名乗っているもの……元博士フォレスト・サーキュラーは、そこで初めて表情を崩した。今度こそ、相変わらず怒りをその目に込めていたとはいえ、張り付いたような嫌な微笑みは消え、素直にトゥールを認めるような表情が垣間見えた。
「なるほど、よく調べましたね。どんな違法な手段を使いました?」
「違法な手段を使って生きてきた奴には言われたくないわね。で、アンタの目的について、邪推だけど言ってもいいかしら?」
「どうぞ」
「アンタの目的は、愛するお姉さん、リィの忘れ形見である『青』……サファイアを守ることと、リィを『殺した』誰かへの復讐。違う?」
 今まで黙って二人の会話を聞いていたリカーが口を挟む。
「待て、トゥール。リィが死んだのは、自殺ではないのか」
「自殺よ。それは確かだわ。言いたくないけど、あたしがこの目で見てるから。だけど、リィにだって自殺に追い込まれるだけの理由があった」
 そこまでトゥールが言うと、急にフォレストが笑い出した。声を上げて、狂ったように。驚いてトゥールとリカーがそちらを見れば、フォレストは狂気の表情でトゥールを睨んだ。
「……さすがですよ、トゥール・スティンガー。本当に、全ての答えに辿りつくとは。私も貴方を少し見誤ったようです。貴方は、私以上に狂っている」
「そうかもね」
 トゥールは、空虚感に襲われながらも、呟いた。ここで退くわけにはいかない。自分が望む結末を迎えるためには、何とかここを乗り切る必要があるのだから。
 真実は、常に痛みを伴う。
 そう言ったのは、かつて何も知らなかったトゥールに情報を司る方法を授けた人間だっただろうか。
「でも、全ての結論に達する前に、アンタにいくつか聞くべきことがあるわ。付き合ってもらうわよ、フォレスト博士」


 暗い、船の一室で少佐ケイン・コランダムは遠隔通信機を片手に、他の誰にも聞かれぬよう声を抑えて通信機の向こうにいるであろう医師に向けて問いかける。
「グローリアの様子はどうです?」
『変わりありません。このまま治療を続けたとしても、意識が戻る可能性は……』
 医師の声は、最後の方でフェードアウトする。その反応にも慣れているコランダムは、淡々と言う。
「そうですか。それでも、治療を続けていただきたいのです。可能性がゼロに近くとも、私はそれを信じたい」
『……ですがねえ、コランダムさん』
「頼みましたよ」
『あっ、ちょっと!』
 一方的に通話を切り、コランダムは息をついた。
 この、地球での任務について数ヶ月になる。空っぽの心を持つ妹、グローリアにもしばらく会っていない。
 目を閉じれば、目蓋の裏に映るのは幼いグローリアの笑顔と、それを奪ったものの姿。それらを振り切るように勢いよく首を振ると、少し外の空気を吸おうとドアを開く。『青』捜索の拠点となっているこの船はそれなりの大きさを持ち、部屋を出れば長い廊下が広がっている。
 己の黒い髪に指を通し、深い青の瞳を半ば閉じて。
 足音を響かせながら、コランダムは思考する。『青』を連れ戻し、何とか再び軍の監視下に置かなくてはならない。あの時のような悲劇は、もう見たくない。
 だが、そのためにはどうすればよい?
 焦燥だけが、コランダムを支配し始めていた、その時だった。ポケットの中の通信機が着信を知らせる。部下からだ。コランダムは即座に通信を繋げた。
「どうした?」
『い、今、セプター大尉から通信がありまして』
 部下の声は、焦りのためか震えていて、やけに聞き取りづらかった。
「セプター大尉? 今あの男は休暇中だと思ったが」
 訝しげに眉を寄せるコランダムだったが、次の言葉を聞いた瞬間、思わず聞き間違いかと問い返したい衝動に駆られた。

『それが、大尉によると、「青」が自ら投降を望んでいるようなのです!』